Monday, April 22, 2013

B論文 名詞と動詞 14、意味の相対性、恣意性

 言語活動において意味とは曰く相対的であること、恣意的でさえあることは、クワインの「論理的観点から」においても示されていた。例えば「(前略)辞書編纂者の問題を述べるために必要な同義性の概念が、同義的連関がきわめて明確であるために十分な長さをもつ記号列どうしだけについての同義性であるということは明らかである。(90ページより)」という箇所にもそのことは端的に示されている。この考え方は一面ではソシュールの考え方にも共通性があるし、パースから受け継がれた面もある。しかしこの意味というものを考えながら、カントが統一性と多様性という二元論を通して語る分析的判断と綜合的判断の概念規定可能性(「純粋理性批判」)において示した全体把握と部分着目の相互規定的なものとしての認識に関して、クワインはこのことを同書において「(前略)われわれは、反事実的条件法を黙認することには慣れている。同義性の場合には、成長する体系の専制的力、あるいは、はっきりとした客観的コントロールの僅少さは、より顕著である。(95ページより)」と示している。クワインは結果論的には分析的であることと総合的であることは確然的ではない、としている。
 クワインが言う反事実的条件法とは不可能性の指摘と考えてもよい。クワインが語るように実在物ではないものの概念否定すべきものは事実存在し得ているからこそ我々によって概念規定がなされている(ケンタウロスによって過去の多くの哲学者に示されたことをクワインはペガサスにおいて示している。<なにがあるかについて>)ということから不可能性を直観し得る。
 不可能性の認識とはある意味では直観力に頼ってなされている。一つの概念が実在物としては存在否定されても、概念規定をア・プリオリに我々が了解し得る限りで、我々はそれが実在物への認識として概念規定しているのではなく、カントも言っているような意味での想定可能性の範疇から想念的に生み出された仮構物であることが即座に了解される。茂木健一郎的に言えばクオリアとか仮想というようなものとも大いに関連がある。そして概念自体を否定することは無意味であると我々自身はすぐさま気付くのである。実在物としての否定は概念の否定とは重なり合わないのである。そしてその後でクワインが述べる同義性とは、ここで言う不可能性の認識同様カントの言う多様性と対比的に捉えられる統一性ではなく、異質性に着目する視点から捉えられた同質性に他ならない(ポール・リクールは「承認の行程」でレヴィナスが比較し得ないものの間の比較」を言及事例として扱っていると考えているが、この事とも関係があるものと思われる)。故にカントが言う多様性の方に近い。だからこそ統一的判断にある客観的コントロールが僅少になる、と彼は言うのである。異質性に着目する視点からの同質性とは言わば部分的な着目であり、それさえなければ異質と判断する視点からの瞬時の発見である。「似ている。」とか「同じだ。」と言うような。
 そして聴覚的な音韻判断システムであるところの言語活動において意味が前後関係や文自体の構成、脈絡といったものから仮に林檎なら林檎を語彙提示することで示される意味、あるいは林檎という概念自体の存在理由も変化し得る。この限りで言語活動において意味は相対的であり、意味を規定する文脈の存在自体が意味の恣意性を物語っているのである。
 カントが多様性の認識について触れていることについては「どんな人間にも、動いている物質の塊を、動いていない背景から切り離して、ひとつの単位として取り出し、それに特別の注意を払う傾向がある。(93ページより)」と述べ、また「理論的により重要な困難は、カッシーラーとウオーフが強調したように、言語とそれ以外の世界_少なくとも話者によってそう考えられた世界_とを原理的に切り離すことができないということである。言語における基本的な相違が、話者それ自体を、物と性質、時間と空間、元素、力、霊といったものに分節化する仕方における相違と一体となっている可能性は、十分にある。(92ページより)」とも述べている。前者の観点はゲシュタルト心理学からの流用であるし、ファイグルが「こころともの」で示した現象学派と論理実証主義派の共通性をも物語っている。後者に関してはクワインのこの論文をも引用素材として取り上げたストローソンが自著「個体と主語」においてクワイン流の、クワインの後輩の世代に当たるマッギンにも共通した神秘主義的なニュアンスを、彼独自の「特殊者」という固定指示性(その考え方はクリプキによって引き継がれ彼独自の解釈から可能性を開示された。)によって指摘している。ここには同一の観点における連綿とした意味づけ作用の連鎖が示されている。
 ゲシュタルト心理学からの引用と批判はサルトルと訣別してゆくこととなるメルロ・ポンティーにおいても捉えられている。ポンティーはクワインが自然科学的方法論と哲学的方法論の境界の曖昧さを指摘したような意味では、極めて類似した観点を持っていた。ポンティーの言う経験主義と主知主義の類似した難点の指摘は、ある意味では無意識のアリストテレス再考の可能性を示してもいる。クワインは自らを経験主義者と語るが、その歴史的な自己の位置づけから哲学者の特権であるとさえ考えられてきたデカルト的な心身二元論を打破するような意図によってポンティーが批判した経験主義とも一線を画す。
 カントは幾分アリストテレスを批判しながらも、カテゴリー認識というその原理的な内的メカニズムの措定には応用しているが、クワインやポンティーと大きく異なるのは、先述した形式主義的認識作用である。ここにおいてカントの(ある意味では無意識的に潜在していると言える)プラトニズム的な観点が仄見えてくる。つまりカントにあっては明らかに心的メカニズムが形式として認識されているのである。それはクワインが霊と呼んだもの(そう呼ぶしか仕様がなかった。)やマッギンが「意識の<神秘>は解明できるか」で示した不可知性を最高存在者から考えがちであることを指摘しながら(「純粋理性批判」)、一方ではそれをアポリアとか誤謬というよりは人間の本性として認識しながら、それでいて客観的に認識不能な対象として神を位置づける近代合理性も明示しているのである。つまりカントは後にクワインやマッギンが回避出来なかった不可知性への神秘的な捉え方を論理の上で可能な限り回避したかったのである。だがそのこととカントがそういった最高存在者とか無条件者という認識が不可避であることの認識とは全く切り離されている。その意味ではカントは実は極めて矛盾した論理を持ち、極めて資質的には懐疑主義(彼は伝統的な方法としては随時それを、ことのほか否定しているが)的でもあり皮肉屋である。この点においてはあくまで論理的整合性から攻めてゆくクワインの方が「受肉」という概念を使用したポンティー同様不可知性において最後まで取り残される非総括可能性を神秘主義的に吐露せざるを得なかったという風にも考えられる。意味は相対的に捉えれば論理的になるが、絶対的に捉えると非論理的になる。相対的な捉え方は「理解する」ことから引き出され、絶対的な捉え方は「信じる」ことから引き出されるのである。そういったことはカントの「経験的認識は、かかる理念なしに悟性の原則だけを使用する場合よりも、すぐれた成果を挙げ得るのである。」(「純粋理性批判」中、330ページより)という箇所にも言表されている。「かかる理念」こそ、「信じる」ことなのであり、現代哲学では久しく使用されなくなった「悟性」こそ、「理解する」ことへと直結し得るものである。
 カントのこういった心的メカニズムの形式的認識は言語学における自然言語と人工言語とか心理学が心的なメカニズムを理解する為にロボット工学を利用して入力と出力による判断マシーンを考えたりする(チューリングマシーンなどに代表される)ということに引き継がれる先駆的な資質である。この意味では一見論理的に攻め立てるかの如き様相のクワインの方に寧ろ心理学主義的な側面は感じられず、もっと記述主義的である。にもかかわらず現代心理学には批判的である。これは彼自身同書では決して否定しなかった行動主義の方法論にも共通したものがある。(行動主義に関してはサルトルも「存在と無」で指摘している。彼も一概にそれを否定してはいない。)カントは心的メカニズムを形式として認識するくらいには合理主義者であったものの、心的様相を記述することに関しては内観法心理学主義者であった、ということである。彼の論点が「~であるか~でないかのいずれかである。」という叙述に多くを依拠させていることからも一見真偽評定的であるかに見えるも、内観法的、ある意味では逡巡を積極的に肯定するような消極的な方法による「信じる」ことの無条件の獲得を出来る限り回避した、非論理性の積極的排除姿勢が見受けられる。(しかこのことは又極めて難しい問題を提起する。というのも内観心理と思弁的な思考能力との境界はどこに設定すべきであるか、ということに関しては極めて難しいからである。このことはまた別の機会に論じたい。)
 それは論理的な構築性を方法的に採用したクワインやマッギンのような総括主義ともまた一線を画すある種の矛盾性指摘主義とも呼ぶべき哲学的スタンスである。これはサルトルにも引き継がれている資質である。だからこそストローソンがカント解釈によって幾分カントの綜合作用に対して疑念を持ったことが、ストローソン自身の反プラトニズム的姿勢(これはフッサールにおいても顕著である。)において示されていることと関連性がある。というのもカントのこの非論理性の積極的排除、それは不可能性の指摘と異質性に着目する視点から捉えられた同質性によって可能となっているのだが、それはクワインやマッギンのような総括的論理構築性とは相反するある種の具体的指摘を好む現象主義を見出さざるを得ないのだが、そうかと言ってクリプキ的な真偽二値論理に収斂させるような意味での論理構築とも一線を画す一面では極めて濃厚な内観法的な矛盾を孕んだそれである。
 つまり逐一不可能性を指摘することは全体論的には矛盾も多くなり硬直した形式主義的になりはするものの、最後に残される最高存在者や無条件者を神秘的に捉えることだけは回避出来る。それに対して論理的構築を総括的に執り行うことは一面では無矛盾的に論理を纏め上げられるが、最後に残された不可知の砦に対しては神秘主義的な想念を払拭し得ないということである。
 纏めとして、今ここに列挙した幾人かの哲学者たちのことを考えてみよう。例えばカントとストローソンとマッギンを取り上げてみようか。彼らは時代を超えて共通の考え方を幾つか示している。カントにとってヒュームが「人間本性論」で示した考え方は大きなものであったし、ストローソンにとってウィトゲンシュタインやクワインたちの存在は大きな問題であった。それはクワインやクリプキにとってカルナップの存在が大きかったように、またマッギンにとっても今列挙した人たちは大きな存在であったことであろう。しかしそのような自らの拠って立つ論理的な出発点の違いがありながらも、哲学は中才敏郎の指摘する(「心と知識」)ようにある意味で哲学は進歩しないけれど科学と宗教との接点としての役割を持ちえるのなら(私はここに芸術も入れてみたいと思う。科学と芸術との接点、科学と宗教との接点という風に)、哲学者たちは時代を超え、異なった名詞によって表現された概念規定性に依拠しながらも同一の観点を模索してきている。カントの言う綜合作用という概念はフッサールの言う基体という概念に近かったり、ストローソンが言う特殊者はクワインの言う単称の同義性に近かったり、クリプキの言う固定指示子に近いと思われる。しかしそれらは同一の概念ではないということは実はそれらが使用される前後関係や文脈、あるいは哲学体系において存在し得る位置関係において相同ではないのなら、同一の事実関係を語っていてもその名辞が示す意味合いは微妙に異なってくるのである。だからこそ意味とはその意味が使用される手段や状況に応じて異なってくる、つまり相対的なものでしかない、とも言い得るのである。そしてその意味がある作用を及ぼすことを承知で哲学者という名の記述者がテクストに示した概念を使用することは哲学者当人にとっては恣意的な行為でしかないのである。カントが今日の哲学者であればエポケーとしたような神の存在に対するにも等しいような好むと好まざるとにかかわらず合理論的、目的論的な考え方から察することの出来る無意識の内に脳裏に抱く想念自体が客観的な哲学命題となっていることは、時代を超えて我々の脳裏にある新鮮さを抱かせるのであるなら、そのようなカントの哲学スタンスを否定しようと躍起になった後代の哲学者は寧ろその観点においてはカントが示したことを曖昧にした(だからと言って、彼らの示した全ての命題がカントよりも後退しているとは決して言えないが)とも言い得るのである。
 このような観点から考える時哲学には進歩がないという説を引き出しながら哲学の意味を探った中才敏郎的な認識においてある時代を遡った哲学者の考えの方が結果であり、その原因を彼にとっては後代の哲学者が探ったというような通常の進歩とは逆のパターンが(これは実は自然科学でもあることと思われるのだが)存在し得るということもここで指摘しておいてよかろう。そして哲学で問われたある命題の意味は概念規定性という呪縛を離れても次代の哲学者によって異なった概念規定の下に不死鳥のように蘇るということがあり得ることから、意味の相対性にはそれなりの時代を超えた普遍的な意義があると考えられるのである。

Tuesday, April 16, 2013

A論文 言語のメカニズム 28、自己防衛→攻撃→良心<理性>とオキシトシン、バソプレシン

 前章では記憶には二通りあることと、その記憶を促進すべく言語行為が活動されているのではないか、という仮説を採用しつつ、それを具体的に描出しながら、遺伝子、脳、身体という三位一体(リドレー)と不可分にそういった一切が執り行われているという事実に重ね合わせて論じた。言語行為が記憶(ことに意味に関して)を促進するのではないか?我々は言語行為が一方で他者<コミュニケーションの相手>に対する感情(信頼出来るか否かという)によって言語行為の持つ意味合いや語彙選択や表現様相をも変質させ、そのコミュニケーションの体勢の差異が、構え方の差異が、真意表出と偽装真意表出の相違を生み出し、我々はコミュニケーションを通した意思伝達後の他者観を自己観と同時に認識することが、そういった言語行為に常に付帯していることを日頃から承知であり、そういったことを前提に日々コミュニケーションを営み、またそうすることが人間的な行為であり、ひょっとしたら人間だけがそれを遂行出来るのではないか、と考えている。世界は広く(考えようによっては)我々の生活圏以外にも、地球の裏側でも我々と同じような同種の人間たちが我々と同じように生活し、悩み、喜び、日々自己と他者とのことで苦闘し、思惟し、反省し、行動していることを知っている。地球が丸かろうが、そうではなかろうが、何処か今我々がいるこことは全く別の離れた場所でも同じような状況や人間関係が育まれているのではなかろうか、という思念は人類の発症の時点から我々の祖先の脳裏に巣食っていたのではなかったろうか?
 他者を訝る。当然のことながら信頼性を獲得するには時間を要し、始めは構えを強固にし、自己防衛的偽装、つまり婉曲にものを言ったり、真意をいきなり表出することを憚り、社交儀礼的言辞を形式的に取り交わしたりしながら、他者の真意を探る。しかしその探りを入れた結果、その他者がそれ程の他意がなさそうだと察すると、他者認知にける感情的数値はマイナスからプラスへと転換され出す。その時、疑惑と懐疑、他者不信のスタンスがコミュニケーション上で度が過ぎたらその自己の防衛心が攻撃性へと行く様になるが、そういう風に完全転化しない内に良心が、社交辞令的形式性に依拠しない、もっと誠実な紳士的スタンスを招聘する。するとその感情的切り替えが他者認知における自己の日々のスタンスを反省させる。人というものは、もっと信用してもいいのではないか、と。だがそういった一切の感情的切り替えを執行するのは意外と、我々の身体生理学的なホルモンバランスとか神経経路的な発火、伝達物質上の事情によるのかも知れない。にもかかわらず我々はそういった生理的バランス、言わば、生の経済に準じた切り替えである事実を理性的レヴェルに転化し、それを哲学的に、人間学的な意義において解釈しようとする。意味付けである。つまり本能的行為をさえ意味ある行為として人間学的な合目的性に依拠させながら、理由とか意義とか、本来の生理学的事情とは一見相反する意味合いを付与するのである。
 しかし勿論それは言語を習得したのちのことである。一定量の自己感情を表現出来る能力は小学校に入学するまでに通常の先進国ではなされ得るが、その時期までにそういった習得をなすことによって自己と他者を区別し、共同体の存在を知る。今日の言語論は生得説と適応説に分極化して相互に批判しあっている観があるが、実際上この二つはそう容易には分離され得ない。というのも言語はどの国に、どの言語共同体に生まれて学習されるかという運命論的個別性を持ちながらも、どの国、どの地域共同体、宗教共同体、言語共同体においても、固有の文化コードを持ち、それを子孫へと伝えてゆくという一事においては普遍的である。ということは言語行為を身につけるという習得行為とは共同体において自己の生存に必要な最低限のルールとマナーを身につけて自己の社会的な位置を確定するという本能的な事柄であり、文法的な理解能力というような生得的な論理思考を除けば慣用的、慣習遵守的な行為である。だがその遵守が同一共同体の成員であることの証明となり、他者とコミュニケート出来ることを知るに至って習得力の手早さと習得内容の豊富さがじきに成員間の価値観であることを教えられるでもなく、誰からというわけでもなく教わる(自発的にルールの従うということである。自発的に受身になって教えて貰うことで身につけてゆこうというスタンスである。)ことから習得される。それはその家族、地域、国という単位において慣用されているという現在進行形的な現実に適応しているということである。自己という意識とは自己の成員としての当然の権利としてその家族、地域、国に一定の自己の位置を持っているということである。それは亡命者も祖国を失った者においても同様である。同胞、失われた祖国は文化コードであると同時に自己アイデンティティーにおける慣用的コードである。だからコミュニケーションの意義とか意味合いとかの認識は最初は半ば機械的に習得された事項の定着と慣用的ルールの実践の履行ののちのことである。しかし最初は家族構成とか兄弟とかの存在が自己の最低限の位置確認の素材となり、それが徐々に隣近所とかという風に拡張されてゆくわけである。恐らく飼い犬や飼い猫も最低限の家族認識は持つ、しかし隣近所という意識はその近所の猫同士ではあっても、恐らくその近所の更に隣、その向こうという風には理解出来ないのではないか?
 人間は小学校に上がる頃までには隣にもその隣にも共同体があることを誰に教えられるまでもなく想定し得る。本論において実際に目にしていないもの、あるかも知れないものを想像し、想定し、仮定すること(未来の不確定な事項の予測とかの)がある意味では生得的といってよい能力であるからである。向こうに山が見える、その向こうに行ったことがないにもかかわらず、その向こうの情景、風景を想像することが我々には出来る。それは教えられて身につけたわけでもない。この想像力は最低限のものは動物にも備わっている。が、かなり詳しくイメージ出来るか否かとなると、現在までのところ、人間が特殊であると言えそうである。しかしその詳しくイメージ出来るということが、何処かで言語習得能力及び、言語習得という事実にも依拠してはいないだろうか?
 実際にはあり得そうもないことさえも想像出来るという能力は記憶像と関係あるように思われる。記憶にある何らかのイメージが鮮明であればあるほど、実際上にはあり得ないいことさえもイメージすることが可能で、かつそういったイメージは実際にあったことを記憶したイメージの鮮明さと、記憶されたものの鮮明なる引き出し方、保存し方、再現前化し方と大いに関係がある。
 我々の祖先は類人猿から分岐したのは500~600万年前であるという定説は、しかしもっと遡って2000~3000万年前へと更に遡って考えられてきてもいる。これは実際上今まで考えられた以上に原生人類の祖を考える上でその基本的な進化論上の段階において何回かの進化的ステップを持ちながらも極めて長時間かけて現在のかたちへ落ち着いたという風に見なければかえって不自然である、という考えに基づいているのかも知れない。だが考えるにその段階における人類(2000~3000年前)は意外と、分岐したもう片方の類人猿とかけ離れてはいなかっただろう。しかもこれは私見だが、意外と直立二足歩行自体はかなり早く実現されていたのに、脳の容積自体の巨大化はかなり時間がかかったのではないか、とも思われる。今西錦司等も指摘していたように重力の問題によって脳収容の容積巨大化が実現されたとしたら、それまでに費やされた直立二足歩行オンリーの獲得状態から大脳思考能力までの目を見張る進化過程は、しかし実際上かなりの時間を要したとも思われる。だから本論の初頭で示した言語行為の進化プロセスは、あくまで500~600万年前に分岐したという見解においてのみ有効であり、それを更に遡って考えるとなると、その段階での人類の言語行為は、まず「敵が来たぞ。」というサインを他者(同一種としての意識を持った共同体成員間の)に送るという行為自体等は、かなり成員間秩序が形成されていてこその行為であるとも考えられるので、それ以前の共同体意識さえもが不分明であった段階も考慮に入れなければなるまい。となるとその段階での発話行為は発声行為に近く、もっと原始的なサイン、それはあのコンラート・ローレンツが「攻撃」で示した同一種内の縄張り意識と不可分な空間的、時間的縄張り意識(空間で既得権益者以外の侵入者を防ぐ方法と、時間的に摂食を配分し縄張りを一定の時間配分秩序のもとに同一種内で他者と自己の闘争を避けること)という同一種内での地域空間生活領域確保の段階がまずあって、そののちに共同体という組織だった共有性が生じたと考えた方が自然であろう。しかもその言語行為がただの縄張り意識誇示のサインであったことから、極めて偶然的にその発声行為自体をもっと別の目的に有用し得ないかという何らかの知恵ある成員による工夫が試され、徐々に他の成員においても引き継がれ、発声行為自体の意味付けがなされ、「自己と他者において情報を共有する為の方策として利用する」という行為が徐々に定着していったということが考えられる。
 よって最初から目的意識を持って情報交換の為に語彙が発達した、考えることには多少無理がある気がする。それほど初期人類は哲学者ではなかった、と捉えた方がより自然な歴史的認識ではなかろうか?やがてエクリチュールも発達しだす。それは記録という意味合いであったことだろう。あるいはパロール自体が自己と他者を識別したり、基本的な共同体内での行為性の認識において、事実を報告したり、他者を巻き込む自己の欲求を請願したり、依頼したりという行為が「事実や行為自体の記憶」と共同体内での秩序だった出来事の整理、つまり認識(社会的な)と化した時に我々の祖先は始めてコミュニケーションというものを発声を通してまがりなりにも獲得し得たのではないだろうか?その時には極自然に語彙は幾つか形成され、同時にエクリチュールによる銘記、記録という概念も定着し出す。勿論エクリチュールはパロールだけでは忘却されてしまう事項の記録、忘却から追憶への希求が生じさせたものであろうと思われる。
 逆にかなりの程度で同一種内での成員間の集団が成立しているのに、全く言語行為が発達していない状況を考えてみると、まず自己と他者の識別を何らかの識別表現なしに共同体自体を維持することはかなり困難であったであろう。名前がないということは一人称と二人称は可能であっても客観的な情報交換は不可能である。勿論当人を目の前にしてその他者を呼ぶ時と、三人称において呼ぶ呼び方が異なっていたということは極自然に考えられる。それが統一されてゆくにはもっと後の段階であったかも知れない。しかしまず他者とその場に居合わせない別の人間について語るという自己と他者による共通の話題の獲得はかなりコミュニケーションの歴史においては重要なステップだったのではなかろうか?ひょっとすると、そういった共通の話題の獲得という事の後初めて同一共同体内での生存をかけた<他者を危険から救うことで他者からも救って貰う>という観念が生じたと言っても過言でないかも知れない。というのもそういった段階では他者に偽の情報を送って他者を欺いたり、他者を陥れたりといった行為もそうしょっちゅうではなかったろうが、既に常套的行為となっていた可能性が充分に考えられるからだ。そういう性悪的行為の除去という必要性こそが我々の祖先にコミュニケーションの秩序と法意識つまり共同体の必要性を生じさせ、然る後に共同体内での同一共通語彙の決定等がなされていったにちがいない。(それ以前はもっと個的な交際によるその場その場での任意の語彙使用があったであろう。)
 纏めよう。言語というものは、最初は偶然的な発声行為であったことだろう。しかしそれが同一種間の意思伝達の自然発生から、必然的に事実記録(記憶的な定着の必要性)と、その為の目的意識の発生を促し、行為がある目的達成の為の手段として初めて定着する。しかもそれは自己と他者とを切り結ぶ<自己に関して他者に自己の存在を認識させ、その代償に他者を自己にとっての認識とする>自然発生的社会意識の発生と同時的な定着事実であったというわけである。言語という手段なしにコミュニケートすることは徐々に成員メンバーの増加をきたした社会機能維持にとっては不都合になっていったであろう。そういう必要性において発声が発話へと転化され、やがてそれを追うように発話内容の選択とそれに伴う語彙発達がもたらされる。語彙の発達はコミュニケーションの様相の複雑化、次いでコミュニケーション自体の意義を認識することとその多様化によってもたらされる。語彙がある程度定着すると今度は語彙選択がコミュニケーションの内容、様相、目的、意味の峻別を可能にしたであろう。語彙選択が即内容や目的、意味を決定し出すのである。偶然の必然化という作用とそれに伴う意識的作業が共に人類にとって言語行為の定着とそれに伴う文化コードの構築にとっての「偶然が生み出した必然的展開」であったと思われる。
 その発展過程にはきっと自己を他者に認識させたいという欲望が介在し、直立二足歩行が定着した頃から徐々にではあるが、漠然とした自己意識、他者認識はあって、それは言語行為定着過程ではまだ曖昧でカオスの純粋さを保持していたが、語彙定着の進行過程において徐々に原石が宝石にされてゆくように明確化していったと考えられる。自己を他者に認識させる、記憶させるという必要性(心理学における自我の定着とも考えられる。)が他者を知りたいという好奇と同時的であったと思われるが、自己意識と他者関心が記憶しておきたいという欲求を増幅させ、やがて記憶保存する能力と可能性を偶然的に獲得した発声行為に結びつけたというのが現時点での綜合した筆者の考える言語発生の真実である。語彙発明とそれに伴って必然的に加速させられていったであろう語彙発達がコミュニケーションの様相を一対一、一対多、多対一とかへと拡張させ、定着させ文法や意思伝達の際に於けるエチケットのようなものを形成させ、それこそブーバーやら吉本隆明のような論客たちが追求した論理の必然性も巣食わせていったにちがいない。兎に角いったんそういった便利な手法を手に入れたらあとは早かったであろう。どんどんと語彙は膨らみコミュニケーションの在り方は多様化を極めるのである。しかしその根底には自己意識というものが共同体成員間(まずは家族内での)での社会的自己認識と自己と他者を基本とするコミュニケーションの在り方に対する認識から不可避的に生じる内的メカニズムによって醸成されるという一事があった、と考えられる。
 自己意識というものはしかし、自己防衛→攻撃→良心といったプロセスにおいて他者を認識するその仕方の中に見出されていくものでもある。よってそういったプロセスのない、全くさらの自己意識というものが先験的にあるとも言い切れない。よって記憶もまた確固たる目的性を有しているとは言い切れない。それどころか我々は知覚というある種の体験を常時行ってはいるものの、その体験は現在体験として知覚されている知覚像を事後的に認識するかたちでしか認識し得ず、それを知覚している最中は体験であると認識することは出来ない。同時に時間的なそういった体験の移り変わりが事後的なものとしてではなく、現在の意識の持続、というよりも知覚意思の持続、それを意思と捉えるにはあまりにも自然な集中力と判断作用の噴出が現在を構成するわけだが、それらは他者認識とか、事物に対しては対象認識とかの、勿論事後的にそう呼ばれる態の知覚、判断作用の持続によって成立しているし、それらは時間の流れの中で記憶行為そのものをある意味では忘却を前提するような体勢で判断処理と概念的理解、情景印象を通した記憶像の形成を行っている。だから現体験的な知覚像と事後的な想起は一致しないし、それを矛盾と思う必要もない。事後的な想起という追憶的思念はあくまで記憶像の構成であると同時に記憶事項の必要性の確認である。その際に実際には知覚体験した筈なのに決して記憶像を構成出来ない、非印象的過去体験があったとしても、それは現在の自己の脳内で記憶想起、追憶を自然には促し得ない何かが顕在する証拠なのである。それは障害とも言い切れない。障害と言うと、それを追憶し得ないことが損失となり得るが、実際上追憶しない方が得策と脳内で判断する事項もまた数限りなくある、とも言えるのであるから。
 記憶とはだから、記憶すべきものとそうでないものとの瞬時における峻別判断のことでもあり、記憶すべきものを記憶するのに相応しい衣装で飾り立て、そうでないものを、それが仮に重要なものであってさえ、その重要性を無視することを厭わない瞬時の判断のことなのである。しかも記憶というものは時間の経過と共に徐々に変質したり、歪曲されたり(極端な場合には)兎に角何らかの形で変形してゆくことを前提に、つまりそのままの形では格納されず、正確な像として記憶することなど出来はしないという前提で、正確な像と言うものの記憶は忘却というある種の致し方ない、時間論的な欲求の中で雲散霧消する運命にあるのであるし、また我々は好むと好まざるとにかかわらずそういった運命を引き受け、それを承知で全ての瞬間を体験しているのである。
 記憶が時間的に映像内容や情景詳細を完全保存することの不可能性を承知で、現前するあらゆる事物や他者へと我々は対峙しているわけであるが、あらゆる言辞もまた、すべて克明に伝達することは不可能であるし、またその必要性もないということから、一見無限に思われる伝達事項の表現形態もまた状況と他者認識(この他者にとってこういう表現が望まれるという推測に忠実な)によって限定されたものとなり、やがて言辞は思念の不動点を迎え発せられる。その際言辞とはあらゆる表現可能性を一点に収斂させるわけだから、あらゆる可能性の捨象でもあり、つまり可能性の多様な展開の断念であり、可能性の展開の閉鎖である。
 フッサールの「経験と判断」(長谷川宏訳、中央公論社刊、188ページより)の言うように、「行為の意思があり、それとならんで知覚があるというのではなく、知覚される対象はそのまま意思的に生産されたものという性格をもつのである。」なら我々は無限に思われる現前したあらゆる知覚体験そのものも一切無限であるようでいて、見方や見たい仕方を変えれば今網膜映像に映じているものさえ、あらゆる角度<実際上の角度ではなく、視点の性格、例えば色、材質感、匂い、その事物に対する知識、好き嫌いといった主観的感情とかのあらゆる面からの洞察を可能とするという意味で>から見ることは可能だが、今は刻々と過ぎ去り、今と思ったその瞬間に見れる見方は限られているという有限性(生の経済の有限性)において我々は日々実は我々自身の知覚体験を持っているし、それはどういう風に見たいかによって刻々その体験性そのものの性格さえも随意、不随意にかかわらず自己の裁量で決定することによってあらゆる瞬間を乗り切っているのである。
 するとこう言えよう。我々は現前する事物や他者、それらと対峙し、我々自身の意思によって構成する現前化された知覚を通した現在体験は、事後的に誰かに語ることは可能だが、その際、あらゆる表現(その仕方そのものは無限であるところの)を言い尽くすことそのものが、生の経済の論理では不可能なので、それを他者性格に応じて臨機応変に何らかの表現形態と内容を選択し、他のあらゆる可能性を断念し、突き進んでいるというわけである。
 するとここでこう言えよう。表現も、伝達内容や伝達事項の選択同様選択されたもののみを残し、後は切り捨てるという多様なる可能性の発現の断念、つまり一つの事項に焦点化することで他を全て諦める決断である、ということが。
 だからこそ、他者の性格や真意を理解するという一つの判断とはあらゆる推測可能性において推測必要性の消滅を意味する。他者が善良であるとか、悪辣であるとかの判断はだから、そののちも交際を続けられるか否かという判断をさえ招聘する性格判断であり、それは他の可能性を並存させること自体の放棄であり、推測したり、他者性格の判断を持つことを憚らせる判断の躊躇と逡巡(まだその人間と交際して時間あまり経過していないので、その他者の正体が掴めないので致し方なく判断を保留している状態)が、やがてその必要性を除去され、判断という不動点に落着することを意味するのだ。
 他者信頼が醸成されていない内は、自己防衛→攻撃といった他者警戒心がテストステロンを多量に放出させるが、他者の真意に悪辣さのなさを認知し得た瞬間我々はその他者の善良さ(もっともただ善良であるだけでは信頼出来ないケースもあるし、そういった全体的な信頼獲得には、善良であることだけでは推し量れない様々の事項が複雑に絡まり合っているが、トータルに判断して交際することがメリットとなり得るという判断において善良とここでは言っている。)を認知するに吝かではないということで自己防衛の砦と警戒心のバリアを解いている。セロトニンが多量に放出され、脳内に爽快さを求める全的生理学的判断が我々を他者理解と他者信頼へと赴かせる。その際には他者性格判断による善良という認知がオキシトシン・レヴェルを押し上げる。記憶したくて、記憶する場合でも、そうでなくて自然と記憶されてゆく場合にも、オキシトシンは記憶を促進する。しかし他者を信頼出来るか否かを判断しようと判断留保と他者へ真意を伝達することを押し留める前段階のものとは、自己防衛の本能的な欲求であると同時に、不随意的に身体生理が招聘するところの自己に還元される利益を目安に、マット・リドレーの言葉(「やわらかな遺伝子」紀伊国屋書店刊、64ページより)を借りれば「報酬の意識を高める」バソプレシン(バソプレッシンとも言う。)の作用であろう。だから他者の善意という真意を読み取れた場合、他者信頼に値するという判断とそれを通した他者性格の認知が、記憶を促進し(その逆で、良い人だと思ったら、そうではなかった場合は徐々に記憶から除去されていくものである。もっとも悪辣さの度が過ぎると逆に印象的となり、拭い去ろうとしても記憶に残る場合もあるが)オキシトシンを招来するわけなのだ。ただオキシトシンがあまりにも放出されない状況、警戒心の持続が身体的にシグナルを発し、自我的領域に警戒心を解き、少しは他者を信頼せよと命じ、それで初めてセロトニンを脳内が受け入れ、オキシトシンをもたらすということもあり得るが。セロトニンに関してはリドレーの記述が詳しい。(「ゲノムが語る23の物語」紀伊国屋書店刊、215ページより)
 (前略)「冬」と「おやつがほしくなること」と「眠気」とのあいだには奇妙な結びつきがある。冬になって夕刻が早まると、午後遅くに無性に炭水化物のおやつが食べたくなる人がいる(きっとこれも遺伝的なマイノリティーなのだろうが、今のところこうした体質と相関ある遺伝子はみつかっていない)。そうした人は、冬になると眠たがるが、寝ても気分がすっきりしない。その原因は、冬の日の早い夕暮れに合わせて、脳がメラトニンという眠気を誘発するホルモンを作りはじめることにあるらしい。メラトニンはセロトニンから作られるので、セロトニンがメラトニンの生成に消費されると、セロトニンの濃度が低下する。セロトニン濃度をふたたび上昇させるための最も手っ取り早い手段は、脳に送り込むトリプトファンの量を増やすことだ。セロトニンはトリプトファンから作られるからである。脳に送り込むトリプトファンの量を増やすには、膵臓にインスリンを分泌させるのが手っ取り早い。というのも、インスリンのおかげでトリプトファンに似た化学物質が身体に吸収され、トリプトファンを脳まで運ぶ経路からそうした邪魔者が排除できるからだ。そして、インスリンを分泌させる最も手っ取り早い方法が、炭水化物のおやつを食べることなのである。
 おやつが食べたいとか、水を飲みたいという生理的な現象に理屈はない。ただ肉体がそう欲しているし、それ自体を倫理的にどうだこうだとは言えない。しかしそういったことは、必然的にあらゆる心理的決断を遂行させているのに、哲学者たちは総じてそれを認めたがらないできた、と言えよう。意思を、意志を生理的な事情と切り離して考えたがるのである。しかし実際現象学の哲学者たちがそう言うまで哲学界では真理とか理性をあまりにも身体現象と別個のものとして考え過ぎてきた。デカルトの心身二元論がいい意味でもあるいは悪い意味でも大きくのしかかっている(だからといってデカルトの全てを疑問である、とは思わないが)と言えよう。
 つまり言語でもそれは同じであろう。言語は言語活動という行為を抜きに論じるわけにはゆかないし、言語行為とは意志伝達行為である。それが偽装性によって真意をカモフラージュしていてさえ、そういう偽装的な真意の伝達という機能によって成立している。(もし仮に身体的には拒否したいのに、拒否出来ず、受容してい、かつそれを悟られないようにするとしたら、完璧な偽装であるが、生理的な事情からは悪条件であり、心身に悪い影響を及ぼすであろうから、あまり長くは続けられないだろう。よってこの種の偽装は巧くいったとしても必ず破綻する。)そして忘れてはならないのは、そういった言語行為も身体的行為であるのだから、生理的事情によっても言辞内容や表現性のスタンスも大きく左右される、ということである。脳は遺伝子を発現させ、遺伝子は脳を身体を通して形成させるべくプログラムされているし、身体は遺伝子の指令と脳の指令とを円滑に執り行わせ、自身でもその双方に働きかけている。身体はそれ自身の生理学的システムと行動とによって脳を活性化させ、そこで脳は遺伝子を活性化させながらも、基本的な枠組みは遺伝子の傾向に沿って指令する。その身体と行動の指令に対して脳も遺伝子も身体も選択し、脳や遺伝子の指令に対して身体や行動は選択する。指令と選択は二極分離の概念ではない。
 言語はコミュニケーションの相手に通じなければならず、必然的にextrovertな代物であり、introvertな代物ではない。顔が、それが作る表情が全くそうである。そこに言語行為が、意志伝達が語彙を選択し、あらゆる表現可能性を遮断し、一つ以外の全てを断念することで成立するのなら、それは完璧さをもって、あらゆる他者にあまねく理解されるような表現の不可能性の自覚をもって成立する、諦観的な行為である。語るべき他者はア・プリオリに選択されたコミュニケーション・パートナーなのだし、その選択された他者へ固有なものとしてのみあらゆる言辞は成立し、全ての他者にとって理解されるような言辞は存在しない。しかし意味とは生起するあらゆる事象や存在する事物や他者に対する感情であるなら、それを言い伝えるには非常に込み入った、いつまでたっても終了しないあらゆる表現を駆使してもし切れないものである。そこで意味は豊穣さを表現不可能として、一旦放棄し、概念的説明性と概念的理解への誘引に仮託される。概念的理解の外延的理解という自己責任においてその他者は彼の自己の中で自己からの言辞による概念を意味に置き換える。内部的には自己も他者も双方introvertな純粋な思念がカオスとして顕在し、だがコミュニケーションの際にはそれをextrovertなものに置換している。それが意味の完璧な説明とその伝達の不可能性の自覚であり、意味の側からの降参の意図を仮託として概念を通した意思疎通に委ねるスタンスの表明となり、それが発話というコミュニケーションの本質なのである。理解は一部されれば成功である、とした諦観がないところでは発話行為は成立しない。寧ろ全てを理解できる相手なら発話行為など更々必要ない。理解を醸成することが齟齬を徐々に埋めてゆくことが発話行為の連鎖の目的性と認識することも可能である。
 セロトニン、オキシトシン、バソプレシン、テストステロン、メラトニン等が織り成すホルモン生理学的身体の側の事情は我々の意思や意志が醸成してもいるが、意思そのものがそういったホルモン事情に依拠してもいるし、丁度脳、遺伝子、身体(的行動)の三者が決してヒエラルキー的な階層性で成立してはいない(部分的には相互に階層的であるが、全的に三者が階層性の枠組みに嵌め込まれているわけではない。)ように、意思もホルモンも細胞も神経(細胞)も相互に作用しあってどちらがどちらかの上に君臨するなどということはなく、相互に部分的に階層的であり、全的には階層性よりも相互依存性の枠組みにあると言ってよい。だがその部分的な階層性に対しては注視してゆく必要があろう。次章ではそこの部分にスポットライトを当ててみよう。