Wednesday, October 6, 2010

C自信論<自殺しようかと考えているあなたへ>1, 語ることの発見に伴う自信

 哲学者は多く信念とか理念とか判断とか経験と語る。しかし意外と語られないことに自信ということがある。尤も小浜逸郎氏の著作に「正しく悩むための哲学―生きる自信を手にする14のヒント」(PHP文庫)というものがある(今読んでいるとことである)が、それは哲学フィールドから考えられたというより、やはり哲学自体に対する一つの批判、提言であるのではないか?
 哲学と人生論は違うというのが中島義道氏の「哲学の教科書」(講談社学術文庫)の思想だが、氏は思想とも文学とも芸術とも違うと考えている。小浜氏と中島氏による往復書簡集的装いの近著である「やっぱり、人は分かりあえない」(PHP新書)において小浜氏は中島氏のことを哲学聖化主義であると批判するが、一方中島氏は別の著において多くの人が哲学に求め過ぎると哲学とは万能ではない旨を示している。この両氏の考えは共に正しい。
 しかしここでは哲学のあり方を巡って論議することが主旨ではない。私は端的に哲学において最大の敵であるように思われている実用ということから、一体人生全体の自信を持つことが出来るのだろうか、ということを考えたいのである。しかしその際私がどのような形でそれを考えるのか、例えば哲学的位置づけにおいてなのか、あるいはそういう風に哲学的位置づけを別種のものとする哲学自体の因習に対する批判においてなのか、と問われればそのいずれでもあり、いずれでもないとしか言えない。つまりその二つは同じ一つのことであるとも言えるし、またそれら二つの接点が仮にあったとしても尚、それだけではない何かこそ、真実であるように私には思えるからである。
 一時期政治の世界ではいじめの問題が大きく取り上げられた。しかし昨今日本人はいじめられてきた人が自殺したりしていじめをしてきた人間に対して少なからぬプロテストをするというレヴェルを超える自殺者を多く生み出している。それは恐らくいじめという現象自体さえもがそれら一切の生きる希望を見失うということの内のほんの些細な一つであるような意味として自殺を多くの人が選んでいる証拠ではないだろうか?
 しかしやはり自殺をする選択肢には端的に自信というものを生きることに持てないというところにあるように思われる。しかしその自信とはある枠組とか判で押したような確固とした目的のようなものとはやはり決定的に違うのではないだろうか?
 つまり生きる自信を考える時に必要なことは、それを得ても、それを得なくても、それを問うこと自体に意味を見出すこと以外にはないとまずそれ以上でもそれ以下でもないことを自覚することではないだろうか?
 確かに現時点で住む場所さえない人にとって生きる自信を持てということ自体が苛酷な要求であることもあろう。だからこそ生きることを選択することは他者を頼ったりすることを頑なに拒否したり、自身の無力自体に対して極度に卑下したり、見栄のようなものから羞恥心を異様に増幅させたりすること自体から脱却することからしかなされ得ないのではないか?
 生きることは仮にかなり巧くいっているように見える人間にとっても恐らくそれほどたやすいことではないし、また生きる意味を問われて即座に返答出来る人は殆どいないだろう。つまりだからこそ延々と哲学者や思想家や宗教家たちがそのような問いを人類に投げかけてきたのである。
 経済社会において経済力は一定程度必須のものとして扱われている。従って実用的見地からすれば全ての心にかかわる問題を考えることは一銭の得にもならない。にもかかわらず歴史に残っている偉大なテクストはかなり経済力に恵まれた人や学者や政治家として成功をした人たちから、生涯を流浪の生活を重ねたり、精神に異常を来たしたり、通常ではない行動や生活をするタイプの市民として一般には位置づけられてしまうような運命を背負った人たちに至るまで様々なタイプの人生によって書かれ続けてきた。その事実は実用的であることから自信が生れてくるにしても尚、その実用とは世間的成功とか処世術とか基本的に異なっていることを示している。
 そこには老若男女から社会的地位一切を度外視した視点がまず求められている。このことは一切の文学や芸術とも共通する要素である。
 かつてアーティストの故・荒川修作氏は妻で詩人であるマドリン・ギンズ氏と共著で「意味のメカニズム」を著した時、その基本的理念とはアーティストにとって役に立つ本を書くということであった。そういう意味では実用という時明らかに一定の範囲内に絞った考えの下に人を集めてそこに一定の共通した矜持を持たすという意図がある。しかしその意図も恐らくアート自体が役には立たないものであるという不文律があるからこそ書くモティヴェーションとなり得たとも言える。
 しかし今私が考えている実用ということは、人生全体が生きる価値があるものかどうかということ自体へ懐疑的問いを突きつけた人たちにとってのそれであるから、一定程度に焦点化された命題を持てるということ自体が既にその時点で生きることを価値として認めていることになるから、そういう類の本を読める人は価値を認めること自体に苦慮しているということはない。だが彼らとてでは「何故生きるのですか?」と問われて即座に返答することなど出来はしないだろう。つまりある意味では生きる価値が理解出来ていたら、一切の苦悩が発生し得る訳などないのであり、それが困難であり、時には不可能であるが故に我々は自信喪失に陥るのである。そういう観点に立てば、寧ろ最初から焦点化された生きる目的を疑うことのない人にとって「何故生きるのですか?」という問いはある意味では極めて危険な問いと化す。つまりそういうことを含めて哲学者である中島義道氏は「哲学とは危険なものである」と言っているのである。このことはやはり哲学者であるハンナ・アーレント氏も言っていたことである。(「責任と判断」筑摩書房刊より)
 でも恐らく我々はこの種の問いから一旦思念した途端に逃れられることはない。そしてその中でそのことを問い続けることだけが自信を得る方法であるとしか一旦そのような問いを心的に巣食わせた人にとっては打開策などないと言ってよい。

 通常私たちは何もかも巧く行っている時に自信喪失に陥ることなどない。つまり巧くいかなくなった時にこそ自信喪失になるのだ。しかしそのことは同時に自信喪失状態からもし仮に何とか抜け出すことが出来たなら、その時こそ逆にどんな最悪の状態になってもまず冷静になって打開策を見出すことをする自信だけは得ることが出来るのではないか?
 と言うことはただあまり障害がなく巧く何もかも行くということ自体は決して最良の自信を獲得する状態ではない、ということを意味する。何故ならそういう状態で一度も苦難が発生しないということ自体が極めて巧く行くこと自体への価値的認識を確固としたものにしないからである。つまりもっと簡単に言えば巧く行くこと自体に対する感謝の念は徐々に喪失されていく。あるいは自殺する心理的状態とは、この種の心理によるのかも知れない。
 私たちの祖先は原始生活において一定程度の自然全体に対して、その恵みに感謝の念を捧げてきたと言える。その感謝の念の一つが神社となり、寺社となっているのである。しかしそのように感謝の念を捧げるということの内には、自然によってその都度災害に見舞われるという現実があっただろう。農耕文化を定着させていくプロセス自体に、恐らく私たちの祖先たちにとって通過しなくてはならない困苦とは人心の一致だったかも知れない。
 しかし何故人心を一致させなくてはらないのかということは、ある意味では全ての存在者にとって心とはそう容易に理解し合えないということが真理だったからではないだろうか?
 理解し合えないからこそ私たちには言語が必要だったのである。つまり私たちは語る相手の心がその都度見えているか、一々発話しなくても心に聞こえてくるのであれば、一切の言語行為をする必要はない。あるいは私たちが自分自身の身体の全てを先までお見通しであるのなら、一切の相談を他者にすることなどなかっただろう。
 例えば女性は月の物から、何から何まで生殖に纏わることを自分だけで察知することが出来たのなら、男性を誘ったり、男性の精子を身ごもったりすることに纏わる表情(偽装も含めて)を顔に出すことなどなかっただろう。つまり自分に関する全てを理解することの不可能性こそが、我々の顔に表情を示すことを強いたのだ。
 例えば本当は辛い気持ちがあっても、それを悟られまいとする気持ちは誰にでもあるだろうが、そういった配慮とは正直に顔に出すという表情を前提とするのだ。だから本当はよく自分の妊娠の仕組み自体を把握してはいないからこそ、女性はあたかもそのことを(確かに男性よりは把握しているのだが)熟知した表情で男性を誘惑したりすることを女性は太古からしてきたのだ。自己の無能力を他者に悟らせないということが人間に知性を育んできたからである。
 つまりそのことを全ての他者は全ての他者に対して知っている。その中の偶然只一人こそが自分である。その自分でさえ自分の全てを知り得ない、健康状態から寿命、自らの未来に待ち受けている運命の全てに対する把握し得なさ自体が、言語行為を他者との間で誘発する。その相互に誘発し合う運命こそが、つまり人心は一致しない、だからこそ「一致」、そういう陳腐な語彙ではなくもっと崇高な語彙であった方がいいかも知れない「何か」こそが、私たちに言語を齎したのだ、と言える。つまり自分しか知らない幾多のこととは、端的に自分だけ知らないことを多く持つことを私たちに知らしめる。そしてそのことを自分に対して気がつく時私たちは自分だけがこういう気持ちでいるのであろうか、と疑問を抱く。そして恐らくその時なりに結論を出すだろう。それは自分だけではない可能性があるということである。勿論自分だけであるかも知れない。しかしその如何を他者に問い糾すことには意味がある、そう結論するのである。それこそが一致しないことを前提とした「一致」への問いである。
 先ほど「何か」と言ったことを哲学ではイデアとか真理とか規範とか色々な語彙によって示してきたと言える。数学で言うところの公理と言ってもいいかも知れない。勿論それ自体が所詮幻想である可能性を多くの先人は感じ取ってきたのだろうと思う。
 しかし幻想であるかも知れないが、それをあたかもあるかのように求めることは存外無意味ではないということに対して先人たちは早く気づいてきたのだろうと思う。
 つまり気づいてきたからこそ信念と言った時に、その信念にも色々あって、その都度そうではないかと目測することから、瞬時に閃くことなども含めて多くの信じることを信念と呼んだのだ。そしてその都度それらは只単に幻想かも知れないと考えた。デカルトなどは現実と夢の境界自体を疑いもした。
 そうなるとついに私たちは全ての存在に対してさえ疑いを払拭出来なくなってくる。つまり一方で一致していること全てが幻想かも知れないと思うことと、そういう風に疑うこと自体は確かに現実であると、デカルトのように考えたとしたら、段々私という存在さえ私一個の存在の中からさえ疑い得るし、他者と語りつつも疑い得ることになる。
 しかしもしそこに語り得ることにおいて疑うこと自体に同意を得たのなら、それは私という存在への懐疑に対して一定の自信を持つことが可能ではないか、とそう多くの哲学者は考えた筈だ。それは語ること自体の意味に対する覚醒である。つまり一致とは真理の内容の一致ではなくて、語ること、語るという行為事実の方にあったのである。
 その時私たちは人心が一致しないからこそ、一致を求めるということの内に自信を見出したのである。だから本節で私が言いたいこととは、一銭の得にもならない明確な目的意からすれば著しく実利的有用性がないということの内にこそ確固とした自信が存在し得る余地があるのではないか、ということなのである。それは語りそのものが私たちの中で最大の価値であるように思える瞬間だけが自己存在に対して自信を得ることが可能であるように思われるのである。語りとは言葉もそうであるし、表情もそうである。私たちは表情を伴わない語りをすることが出来ない。自信を考える際に最初に私が述べた実用ということはこの言葉と表情の不可分性において語られる余地があるのではないだろうか?そのことを次節で考えてみたい。

Tuesday, September 7, 2010

B名詞と動詞 10<誘引作用としての動詞>

 クリプキは「名指しと必然性」において補遺(e)(194ページより)においてエバンスが指摘した「マルコ・ポーロ」の勘違いによる「マダガスカル」の誤用(本来アフリカ大陸の一部の地名として土着民が使用していたのに、それを島の名と思い込んだ。)について触れているが、誤用されるということの最も考えられる可能性とは誤用される語彙の音韻論的な響き、その語感が示すニュアンスが富に特徴的であるという事実、印象的で覚えやすかったという事実が挙げられると思う。本当の呼び名が異なっていても、そちらの方が印象的でなかったなら、寧ろその地名ではない別の地名の表記が頭に残る、ということは充分あり得る。名詞が記憶に残りやすいこととはそれ自体では語調、語感、覚えやすいような意味で特徴がある、ということが第一に考えられる。しかしその次に記憶に残りやすいものとして考えられることとは連想(観念連合)である。ある名詞が指示するニュアンス(事物の変化や動性)が当の語彙を一挙に記憶収納事項に格上げさせる誘引作用で、動的現実、性質、事実が連想される。そこに動詞(的な思念)の名詞に付け入る隙がある。
 動詞は人類言語学的に言えば恐らく名詞の叙述において発達したのであろう。動詞の持つ現前化作用や叙述事項(動詞の前後の文脈によって)から再現前化する際に連想を誘引する作用は個的な関連記憶を喚起し、印象に残る対象、事象、現象(随伴する名詞が指示させる)の様相を一挙に変化させ、脳裏に今までにないものを想起させる。
 勿論我々は色々な事物の名称をその名称が指示する現実と共に知っている。だからこそ我々は車や自転車、船、飛行機といった乗り物がどのような様相をして走行するかを予め知っていて、その記憶と知識を通した動的な想起をその名称が登場すると瞬時に関連記憶(エピソード記憶)と共に喚起する。想像する。その時動詞がその関連記憶や想像を誘引させる。「車が激しく行き交っていた。」とか「飛行機が離陸した。」と言うと、その情景を我々は一瞬で理解する。
 もう一つ顕著な特質は動詞が主語を必要とすることだ。命令形はそうじゃないとお考えかも知れないが、そうではない。命令形は「やめろ!」と言う場合、意味的には「私はあなたに止めることを命じる。」ということであるから、止めるという行為の主語は明らかに「あなた」であるのである。つまり動詞とはいついかなる時にも主語を要求するのだ。形容詞が必ず名詞(形容対象としての)を必要とするようにである。
 次のような(潜在的)思念的プロセスが一瞬にて執り行われると考えられる。

私はあなたに止めることを命じる。(意志表明、行為遂行的発言<オースティン的概念>意図)<願望思念>
           ↓
あなたは私の命令によって止めるようにしろ。(命令発令)<文章構成>
           ↓
止めろ。(命令施行)<実行>

 このようなある種の意志的な思念とその実行化(あるいは実効化)が為される心的、行動学的な過程には心的な意志的顕現という布石行為が我々の日常の生にはつき物であるという観点を喚起する。意志的心的メカニズムが行動を誘引させ、それを命令調の語で威嚇し、禁止、制止することで他者の願望を封じ込め、阻止することは自我的な意味での防衛本能と独我論的な裁量行為を常に我々がその本性上携えていることを物語っている。
 名詞が過去化の作用を最も体現した品詞であることは明白である。全ての対象は実はその出会いが最初である。昨日電車で見た人たちと今日見る人たちは全く異なった組み合わせであろう。その中で例え同一の人物を確認出来たとしても、それはその日におけるその人は一回性のものでしかない。明日のその人物もその人が認める自分の姿もその時の一回性によって独自的である筈だ。にもかかわらず我々は常にAをAとして、BをBとしてしか同定しない。そこにある種の誤謬があり、背進がある。欺瞞がある。しかし一々全ての邂逅を唯一無二のものとして裁定していたら身が持たない。そこでAもBも「他人」という一般的な「人物」としてカテゴライズし、範疇化された集合の要素として認識する。そこに名詞化された概念依拠的世界認識がある。名詞は創造的な死を意味するのだ。だからその名詞に生命を吹き込むのが動詞である。名詞を動的に叙述するのである。
 カントが背進と呼んだものとは実は我々が想起を通して過去化された既成事実の集計化された過去記憶像と生まれてから現在に至るまで過去を一括して人生と捉える綜合化の視点が創造する(捏造すると言っても過言ではない。)生の軌跡の意義化(偶然の必然化、歴史認識の誕生)による現在認識にしか過ぎない。だからこそカントは仮想的対象という概念を通してそれを訴えたのだ。現在は過去を記憶(人格を形成する起点)を糧に未来へと向けて志向する人間の総合的視点を獲得する為の方便である。だからその過去化された生、フッサール的謂いを借りればスペチエス的な生の集合体の軌跡が歴史である。ある個人の歴史、ある集団(国家、共同体<あらゆる種類の>、民族)の歴史というように。
 カントが仮想的対象と言いながら、同時に条件付きのとか条件者とか、経験的、感覚的世界と呼んだものとはヒューム的な意味での経験世界の表象性、現象性を前提した認識である。無条件者というものがそこから考え出されるのは、無条件者とはあるものとして考えられるというよりはクリプキも主張したような意味でのア・ポステリオリに見出されるア・プリオリである。「カントの自我論」で中島義道が実在性3と呼んだものもこれに他ならない。そしてそこで我々はあらゆる哲学や宗教をさえ産出してきた感覚界を離れたそれを俯瞰し、それを根源的に原因付けるものとしての根拠として、例えば神を措定して生に臨んできた我々人類の歴史が再び考える対象として浮上する。我々が現在とかある持続する時間にどこかで区切りをつけて過去化し得る時、我々が実は全ての偶然的な集積でしかない過去を集計化して必然へと結び付ける(必然化)のである、と認識することにおいてこそ生を区切る(幼年期、若年期、青年期、中年期、壮年期という風に)こと、ある行為に結果を見出すこと(三月期決算報告とかによって)など全てが実は偶然の必然化によって齎されていると了解出来るのだ。名詞はだからあくまでそういった生を区切るプロセスの合理性の下に見出された方策である。命名することで同一性を保障しようとする人間の仮の全体性認識(背進、欺瞞であるところの)の表象化された形態である。人間の細胞は8年で全て入れ替わるし、あるゆる原子的レヴェルでは全ての原子は三ヶ月で三分の一が入れ替わり、一年で全ての原子はほぼ入れ替わる。今日の私は昨日の私とは違うし、明日の私もまた今日の私とは違う。にもかかわらず一分、一秒も同一ではない自己を自己として特定の他者を常に同一の他者として認識するのが人間の社会的な現実である。法的にも殺人を犯したのは昨日の私で今日の私であると言う主張は通らない。
 無条件者を神と呼ぼうが、自然の摂理と呼ぼうが、真理と呼ぼうが、道徳的法則と呼ぼうが、皆それらはこの過去の偶然的事実の集積から過去化された事実の連鎖を必然化する人間の不可避的な思念的な本性、傾向性こそが生み出した産物であり、命名(名詞によって名指すこと)も過去事実のデータ整理上の都合からなされた合理的認識で、記憶システムが過去を現在へと直結するものとして認識させつつ現在意識を持たせるのである。
 動詞が過去化(現在を過去とし過去事実を集積する思念)によって創造された名詞に必要とされるということとはこの名詞の惰性的な性向を阻止するカント的に言えば仮想的想念、あるいはフッサール、ウィトゲンシュタイン流に言えば、そうではなかったかも知れない、そうではなくてもよかった今この世界という考え方の推進の下で意味を帯びてくる。つまり動詞が名詞の惰性的、欺瞞的な仮の全体決定性を阻止し、叙述事実の唯一性、偶然性を醸成し、定着させるのだ。しかし動詞によって叙述された出来事は叙述された瞬間に再び名詞化されて「一つの叙述真理」となり、過去の出来事という不変(現在からはもうどうしようもない)性の名の下に名詞化されるのだ。だから動詞は実は名詞の惰性的側面を打破しながら同時に新たな名詞的思念を形成させ、名詞化された過去の諸出来事(必然化された偶然の連鎖)を思念する際に側頭葉に格納されたものが想起され、その他の大脳各部署も関連記憶、連想想起を促進する役割を果たしている。動詞は名詞として名指された「昨日の飲み会での奴との会話」とか「先月のプレゼンでの彼の言動」といった記憶検索事項を一旦名詞的位置づけ作用の下に検索してしまえば今度はそこに再生的にその連鎖を反芻するような想起的想像力を喚起する。そしてそれを再び別の行為によって記憶事項として検索を閉じることを我々は自然とするのだから、その時過去が再生させる原動力である動詞の思念的使用が海馬を通して今度は別の記憶を収納させる、そしてその際に名詞的思念において「昨日の対話」とか「先月の彼」というような検索しやすいように命名する。名詞的命名、意味づけ作用とは過去化=必然化の為の誘引作用と考えられる。

Tuesday, August 24, 2010

A言語のメカニズム 24、第二節 失語症報告例から見る言語学的諸問題

 数学は但し書きがあることで、その条件においてのみ有効である真理値の多い学であることは、ラッセルの示した例(前章)からも明白である。その意味では日常言語とは離れていても、大脳レヴェルではどこかでいつも我々自身によって考えられているような思考法の蓄積であり、集積であり、建築であろう。言語が仮定法によって幾らでも不可視、不可認識領域を仮想することの出来る世界であることは数学の構築世界にも通じる。
 まず何より数学は思考の整理を旨とする純粋整理学の極致である。しかし単純なものであれば、例えば私のような数学的素人でも理解可能なこの世界は、一歩重層性を帯びると、約束事の連鎖と重層的構造理解は、そう容易には一般素人によって誰でも理解出来るものではないことくらいは誰でも知っている。だが一つ一つの数学的行為は誰もが実践している、と言える。脳は記憶する際に、記憶しておく為の整理をしている、その記憶すべき像を潜在的には全体的な映像として保持しつつも、その中でもかなりな部分の余計な要素を切り捨てて、整理している。だからどんなに克明に記憶しているつもりでも、どこか自分勝手なその都度の都合で勘違いして記憶している場合も多い。つまり概念的な認識を悟性とも言うべき作用が記憶すべき出来事の網膜上に残存する映像に被せられているというわけなのである。
 数学において単純な論理の組み合わせであるなら、誰でも高等数学を簡単に理解出来るかというと、そうではないのは、明らかにそれが思惟の自然であり、実際の自然の自然とは異なっているということであろう。純粋概念はそれが単純な内は記憶しやすいし、慣用化されやすいであろうが、それが集積されると途端に難解になる。なぜなら我々は日常、慣れ親しんでいるものと、そうでないものを等価には認識出来ないという性向があるからである。慣れ親しんでいないものは、どんなに論理展開上必然であってさえ、それを想像することはおろか、正しいと思うことすら困難である場合も多い。我々はそれが多少間違っていたとしても雑多な、一部正しく、一部偏っていたり、曖昧であったり、要するに、全くの偽であることさえ除けば、幾分の不純要素を含んだものを必然的に嗜好する傾向があるのである。だから前にも書いたが、公的な文章がどこか理解し難く、取っ付き難いということもそういったことをよく立証しているし、あまりデカタンでさえなければ、どこか温かみを感じられるものとは、往々にして不純な要素、無矛盾ではなく、多少の(余り酷くない)矛盾を含んでいるものを親しみのあるものとして選択してゆく傾向があるのである。だから数学は誰でも基本的なことは理解している普遍学であるのに、その専門にはある特殊な能力を要する世界(芸術のように)なのである。数学はその厳密な無矛盾性への希求と実際には物理的には現実にありもしない円や線や点さえもが、あたかもそこにあるかの如く仮定して取り組む純粋思考の世界(学)なのである。しかしでは線や点が実際にはない、と言っても、だからと言って我々は線というとすぐに何かそれに近いものを連想出来る。これは明らかに線が概念上は我々の心的世界に存在している、ということである。例えば一本一本はそれぞれ異なった樹が生えている向こう岸の山を大きな川を渡りながら見ている時、明らかに我々は縦に生えた樹を認識せずに、山の横に連なってゆくライン(空と隔てられた線として)を認識するであろう。点や縦の線はそれが密集すれば容易に横の線に成り代わる。そういう風に記憶する方が脳内に容易に「これが山なのです。」と認識させながら記憶するのに都合がよいからなのだろうか?
 あるいはこういうことがよくありはしないだろうか?頭の中で色々概念的な試行錯誤をして考えるのと、つまり思惟する中で論理的に自分なりに理解して、それを実際に他者にも理解しやすいように言葉を発しながら、その自分の脳内で履行し得た事項を説明するのは極めて難しい、ということがある。その一番いい例が数学ではなかろうか?数学は脳内で理解し得たとしても、その理解した経路や自己の発見した理解する為の回路は自分ではよくわかっているのに、それを他者に説明する段になると、途端に概略的に説明することが億劫に感じられる、ということが。
 つまり言語行為とは自己の理解を他者に共有させる為のものである、と捉えるなら一旦自己の理解の仕方を取り下げて他者と共有出来る回路に乗せてから発信しないことには、何のことやらわからない(共通項の模索)、ということなのである。これが思惟の自然(脳内の自然)と共同体内の成員間にも共通なものとしての理解水準の自然とのズレなのである。後者を概念的自然と呼んでも差し支えあるまい。我々は自己の理解し得た論理を、例えば政治家が自己の信念とか信条を別の政治家に理解させようとして語る場合のように一旦、自己から切り離して論理を再構成しているわけで、これは思惟の自然を概念の自然へと置換している、ということなのだ。
 もう一つ大きな事実についてここで取り上げておこう。
 数学の試験の思い出といったら、あまり楽しいものではなかった、というのが筆者の場合であるが、ここで出された幾何学の設問について考えてみよう。例えば図形に関する記憶である。その図形をサンプルに何かの解を求める設問であった場合、全く皆目解への導き方を理解出来ない場合、図形は図形の形象そのものとして記憶されるかも知れないが、仮にすらすらとその設問に解を与えることが出来た場合一々その図形を覚えていられるであろうか、ということである。筆者のように試験で戸惑った思い出のある者のみが明確に図形の形象を映像記憶(そこには試験会場の緊張した臨場感、生徒たちの息遣い、鉛筆を走らせる音とかの情景が甦ってくるであろうけれど)をして、理解以前に自明のこととして解を導くことの出来た者は寧ろ潔くそのような些細な図形の形象など忘れてしまう、ということではないか?勿論図形そのものは二次元の概念であるから、三次元的な事物のような多角度から知覚可能なものと異なり記憶像としての格納のされ方はきっと別物であろう。つまり記憶は理解の仕方によって異なってくるということである。とりわけ二次元の図形などは殊更自分にとって必要不可欠な事項でない限り、自明性を付帯させている限り、記憶の格納から除去される運命にある、というのが一般的な真実ではなかろうか?(どんなに美しいと思っても、先週街角ですれ違った美女の顔さえ明確に思い出せる人はそうはいないであろう。ましてや図形や文字など尚更である。)
 ということは海馬に格納されるような事項はもし仮に記憶されていても、決してそのままの形でではない、ということでもあるのだ。理解は理解した瞬間にそれ以前の状態とは別個のものとして記憶される。理解されたものは概念化されるが、それ以前の状態では未だ分析対象である。分析対象であるということはそのものの実在性、存在理由そのもの、ひいては意味の世界の項目となる。好奇が探索する対象とはだから概念性を超えている。この場合、理解とは概念的理解のことであるが、不可解であるということが実在性をより大きく喚起させる。
 記憶のシステムを大脳による海馬その他の能力と捉えると、何らかの障害を持つ場合、言語機能を損傷するとかの症例が考えられるが、実際記憶は記憶したいものと、そうでないものを峻別している第一段階から、そもそもの記憶されるかどうかは決定されている。しかもそのことが実際の症例においても影響を及ぼしているということも十分考えられるのだ。哲学的に言えば他者、生物学的に言えば他個体に対する信頼感の有無が意思伝達において真意表明と偽装表示とを使い分けていることは明白であり、コミュニケーション自体の在り方、言辞に見られる説得力の有無すらもそこに依拠している。
 例えば公的文章が抽象名詞を多用し、形式的言辞に終始しているの、明らかに責任回避の集団心理が機能し記憶し難い言辞が常套化しているのも、記憶して貰っては困るという作成者の側のどのように受け取られても良いようなご都合主義が作用している。何らかの明白な言辞、つまり明示である場合、そこに依拠するさまざまの共同体成員の利害に対する責任を請け負うこととなるからだ。憲法が曖昧な言辞に依拠し、役所の公的文章が一般的にどのような成員が読んでも一様の解釈を成立させる為の最大公約数的概念提示となっているのは、個別意味的世界が最大公約数的解釈から逸脱してゆく傾向があるからであり、明示している側の責任に大いなる負担を強いるからである。しかしこの問題はフーコー的論点へと移行する可能性が大きいのでこれ以上の言辞は差し控えるが、少なくともそういった形式的言辞が公共性を帯びているという触れ込みなのにもかかわらず、概念提示によって約束事を銘記しているのにもかかわらず何らの意味的実体性を伴っていないのは責任の所在を一極集中させない為の方策であることは明白であろう。大脳においてもまた記憶をはじめさまざまの機能が局在的機能のみに依拠せずに、相互連関的補助促進システムである、と捉えると少しく記憶、あるいは言語活動を誘発する機能の在り方を捉える上で理解しやすいのではなかろうか?例えばある事項を記憶したいと望むのは大脳の側による事情にもよる。容量の問題もあるし、そこで付随意的に大脳自体が相互のネットワークによって連絡し合い、記憶格納に対する指令を出しているとは考えられないであろうか?あるいは、記憶するに値するかどうかの判断もまた大脳自体のネットによって連関的に決定されている、というわけである。そう考えると失語症による幾多の症例もまた、大脳による判断、つまり全体的な機能を維持する為にやむを得ずある機能を停止させる、休息させるという判断が成立しているのではなかろうか?勿論そのような判断に至った経緯には明らかな欠損、障害があり得るわけだが、必ずしもある部分の欠損が同じ症例を引き起こしているわけでもない、ということは個体毎の諸々の事情に応じた大脳判断がなされている、と考えることは極めて自然の理に適ったことであろう。
 だから無意識の内に形式的言辞に終始している個人の中には大脳による「あまり明示することを差し控えるような判断」が機能していると考えることは理に適っている。
 あるいはそれは言辞であるとかの意識的行為ばかりではない。知覚行為においても、我々は既に何かを視界に入れている段階で記憶するに足るものであるかどうか、という基準から取捨選択しているのである。記憶する以前に知覚すらすべてを等価に受容野(そこから視覚細胞に情報を渡す部分)が情報感知しているわけではない。だから言語障害とか失語症、自閉症等の症例においても局在論に終始してばかりいても埒は明かない場合も多いと思われる。
 数学の天才とはある意味ではベド・メータ的謂いを借りれば「蝿を蝿取り壷から取り出す」ように、ある障害によってその本来の機能を剥奪された人間の能力を再生することの出来る人である、と言える。明らかに位相幾何学の世界の認識方法は夢で我々が観念連合等の操作によって歪曲したりする時点での無意識世界に相通じるものがある。無意識の集合論と言ってもいいような数学世界がいとも容易に理解出来る個人というものは時折存在するが、言語障害者もそのような存在として認識した方がいいと思われる節もある。
 思惟の自然と自然の自然は齟齬をきたしているとは既に述べたが、我々は我々自身の意志とは無縁に身体が不随意的に判断し、思考の回路や、言語発話において文法的ルール(FOXP2遺伝子が司っているとされている。)、語彙、記述、読力等を疎外するような緊急の判断を下したりする。それはどんなに意志や心的欲求にそぐわないものであってさえ、我々は身体条件的有限性において生を営んでいるのだから、そういった時にはそれに従う以外の選択肢はない。つまり身体上での大脳判断は明らかに自然の自然に従順に判断を下している。例えば語彙を忘れるということは日常よく我々にも起こり得ることであるが、ある特定の語彙を別の近接してはいるものの、全く概念規定上においては別の事物を名指す語彙に置換してしか発話出来ない症例というものも見られる。
 今このような症例を引き起こす障害を何か特定出来ないか、と思案する時、こういうことを考えてみたらどうであろう。本論で何度か言語とはそれが発話される時に思惟された原型からは遠く隔たったとまでは行かなくとも、明らかに常套的概念規定性によってソシュールがラングと呼んだような共同体内概念規定へと転換されている。そこにはデリダが原=エクリチュールと読んだもののような思惟の自然に忠実な思念がそのままの形では体現されず、現実の機能性に依拠した言辞へと転換される、つまり障害によって原型を留めずにいる、ということであるならば、その原型と加工物の差を少しでも解明出来たなら、それを基準に言語障害や失語症を引き起こすメカニズムを解明することに奉仕し得ないであろうか、ということである。
 先述のラッセルの「数理哲学入門」の引用内容を思い出して貰いたい。
 例えば0~100とか200~300とかの有限な範囲を設定し、その間での数集合を考えてみよう。するとこの間の数を素数と捉えると101の数の集合である。あるいは小数点何桁までの有理数も含めると限定すれば、何とかどれ程の数になろうとも、有限の集合数値が導き出せるも、しかしこれを有理数、あるいは無理数をも含めて考えるとその間の数集合は∞になる。しかし論理的にはこれは何の無理もなく、思惟には考慮に入れることは出来る。それが思惟の自然ということになる。(少なくとも誰しもそれを可能条件として想定することが出来、かつたやすい。)しかしそれを実際に表示する段になると、なかなか難しい。(数学の専門家なら直ぐに理解出来る表わし方はあるだろうけど)思考の原型と発話される言辞との間の齟齬が、このことと関係ありはしないだろうか?
 我々は発話をして思考の内容を言語へと写像する時にこのことに近い何かを感じ取ることはたやすい。言葉に言い表せないことを敢えて言葉に置き換えようとする。その時我々は当然のことながら、あらゆる可能性を想定しつつ(瞬時に)その中から、除外すべきあらゆるケースを除外して、その中でもある特定の語彙とか言い回しとかを一個だけ選択し、発話上のレールに乗せる。それはまるで既に翻訳されたRNAから元のDNAへと逆転写するかのように失語症の症例を一個一個、原型へと戻すこととは、それ程難しくはないかも知れない。発話された当の内容そのものの非常套性のみを注視すれば、それは難解の一語に尽きよう。しかし例えば「橋」と言った言辞が、本来であったら別の語彙にすべきところなのに、敢えてそう言い間違うことを間違いとは思わない症例において、「橋」(本来彼<女>の言いたいことは川なのであるが)という語彙で伝える言辞を心的に想起させる全体的状況を考慮に入れ、発話された奇異に感じる語彙選択上の障害を逆算すれば、なぜ「川」というべきところを「橋」と言わしめたのかの原因を特定出来るのではないか?
 それは勿論フロイト的無意識の「言い間違い」と関係があるのか、という考えも当然出て来るが、フロイトの言う「言い間違い」は症状ではなかった。ヤコブソンは「一般言語学」(1963)において示している症例では、「ナイフ」の代わりに「フォーク」、「ランプ」の変わりに「テーブル」、「パイプ」の代わりに「吸う」、「トースター」の代わりに「食べる」と言う選択能力を冒された失語症患者のヘッドによる症例を紹介している。
 ヤコブソンが紹介したヘッドの症例(近隣性に基づく換喩)では明らかに最初の例では食器類、2番目は食事時の情景、3番目は喫煙に関するイメージ、4番目は一番離れていて食事とその際の電化製品(大きく言えば食事風景であるが、選択誤差がその近隣ではなく概念性そのものである点が異なっている。)である。このように一見関連性があるように思われる錯誤は、しかし注意深く見てみると個別的にかなりランダムな基準であることがわかる。寧ろその基準が統一されていたとしたら、症例であってもかなり軽度のものと考えて差し支えないであろうし、そもそもそのような症例は成立しないのであろう。
 このような語彙選択錯誤の症例から読み取れるのは、言語障害とか失語症ではランダムな基準がランダムであることの認識力そのものの低下、ないしは欠落と捉えることも可能であろう、ということである。
 ところで物理学の世界での無限大、無限小は一見数学のそれと相同であるように思われる部分もあるが、本質的には物理学の世界では大きさ毎に全てその性質も付帯する物理的条件も異なっているということである。数学においては純粋に数の世界であるので、その大小は純粋に無限小は無限大を逆行させた、反転状態と捉えることは可能である。(例えば正と負とにおけるように)それは代数的表現でも乗数を+と-とでどちらからも同じ値を表現出来ることからも自明である。そこに大きさ毎の条件的差異はない。その意味では言語は発話されることで、物理的条件の世界に放り出されるが、それ以前の状態、脳内では、発話される事項の、つまり語彙選択の段階では明らかに物理的条件を考慮に入れているが、思念性そのものの内的様相においては、言葉に置換される前では純粋な状態であり(だからこそこれを概念に置き換えることが困難なのであるが)言わば体感される個的意味の世界とは極めて数学的思念性の世界に接近している、とも言えるのである。そしてここからが大切であるのだが、そういった純粋思念の世界においては先程のヘッド、ヤコブソンの例証での振幅のある観念連合の選択基準は、そのランダムさなど左程の重要性さえない、そういうカオスによって支配されている、ということである。数学は一見無矛盾性の追究の場でありながら、いたるところに綻びもある学であることも確かである。1から10までの数そのものは物理学的な大きさによる条件的性質の違いはないけれど、一つとして同じ性質の数とは隣接していないし、またその隣接条件もばらばらで、統一性はない。(ただ1、2、3、4という個々の数が等間隔で並んでいるということだけである。)かつそれは数が大きくなっていっても同様である。(最も1~100を10~1000と言う風に置換すればそこには同一法則の発見は可能であろうが)その意味では物理学の世界ではどの空間のどの場所でも、宇宙であろうとも地球であろうとも我々の身体であろうとも、ナノテク的分子、原子の世界であろうとも、大小の違いが発揮する条件的性質の差異は普遍的である。つまり物理学と数学とでは普遍性の性質が全く違うということである。
 純粋なものはカオスである、と言った。失語症や言語障害の例が示すところの事実とは、最初に我々が語彙を発する以前に脳内で持つものはそのカオスであり、我々はただ瞬時にそのカオスを篩にかけ、たった一つの語彙をその中から選択し、発しているのだ、ということである。それは他者、他個体に対して了解させる、という目的性のためにわざわざカオスを統一させながらその中から一個の概念を敢えて搾り出すような操作を施しているのである。つまり自己了解(我々の脳内では常に自己にとってのみ了解出来る脳内神経回路の対話はなされている。)から他者説得へと転換される段になって、意図的に選択基準を設けて絞り込んでいるのである。故に脳内での自己理解は他者へ受け渡す為に概念が絞り込まれた段階で、当初の豊饒な姿は消え去り、残骸だけが伝えられる。(だからこそ他者性とは古来より哲学に重要テーマとなってきたのだ。)その残骸にしてしまうものを本論では障害と捉えている。一見何の矛盾もないかのように思われる数学論理上の数の並置には色々の矛盾、ただ等間隔に並置されていること以外には何の法則的秩序もない、そういうカオスを最初我々は抱き、コミュニケーション成立のためにその後操作を加え、当初とは全然別個のものとして、わざわざ「ある形」を作っているのだ、ということを本章の結論として次章へゆこうと思う。

Monday, July 5, 2010

C翻弄論 結論 魅力論

 多くの人々の心を惹きつけるものには必ず何かがある。皆が魅力を持つものが悪いものの場合もある。また自分だけが魅力を感じるものが下らないものであるとも決め付けられない。その本質論に入る前に少し堅い話をしよう。
 基本的に人間の認識の視点の根源とは、ミシェル・アンリの主張、「西欧哲学が拠って立つ地点が存在論的一元論であり、主観、客観の根源は客観的に他者認識する」に実は我々今まで長々と考えてきたことの本質が横たわっている。フッサールが超越論的主観性と捉えた我々の信念の本質も、実はアンリが述べた存在論的一元論に収斂されてゆく。人間が信念を基本的な知恵として無意識のレヴェルからも携えていること自体が、時には弊害的に押し寄せる典型的例として、贔屓の人間のなす行為はたとえそれが善行ではなく、暴挙であってさえ、容認し、またそれとは逆に嫌悪の感情を抱いている成員に対して我々はそれが正論であっても尚容認し得ないという極めて不都合な矛盾した傾向性があるということだ。人間はなぜ他者(自分の周囲に生活している成員に対してや、自分とは直にはかかわりがないが、各種メスメディアに登場する人物に対して畏敬の念をも含めて)に対して、贔屓にするのだろうか?その精神状態が、魅力を感じる一個のクオリアによる仕業と捉え人間論的本質を考えて纏めよう。
 人間は贔屓なものに接する時、それがヒーローであろうとアンチ・ヒーローであろうと、それが正義漢だろうと、悪人だろうと、いったん虜になるとなかなかその感情を払拭出来ない。それは一種の麻薬的な作用である。進化論生物学者のドーキンスは例証しているが、カッコウは他種の鳥の巣に自分の雛を預け託卵するが、その託された他種の鳥は自分の雛とカッコウ両方を育て、しかもカッコウの雛は他種の雛よりも巨大化して育ち、果ては他種の雛を巣から蹴落とす。彼はカッコウのように托卵する鳥類がなぜ別種の親鳥たちを騙し続けることが出来るのか、ということについて、それは騙される方においても何か得体の知れぬ快感、つまりつい騙されてしまう、騙されるように身を委ねてしまう説明不能の魔力的な魅力が托卵するカッコウの雛に備わっているのではないか、と考える。この考え方は極めて魅力的だ。この生物学的事実は自然選択や進化上のメリットという面からだけでは説明がつかない。明らかに偽装される側の雛たちは本当に親鳥から餌をせしめる権利を有しているのにもかかわらず、貰い少なくなるばかりか、巣から偽装側のヒヨドリに蹴落とされる。実子を失うという痛い思いをしてまで、偽装に嵌ってしまい、作為を見抜けない親鳥たちにとってその偽装者カッコウの雛(託卵するのは親であるが、雛自身に)はたまらなく魅力的なところがあるに違いない、とい彼は考える。我々にも悪党であることを知りつつ魅力的な者にはつい惹かれる、贔屓にすることが日常でもある。それが幼児のように害悪の少ないケースばかりではない。大の大人に対してさえ、あの悪党は何故か許せるという理性レヴェルから言えば合理的な説明がつかない贔屓感情を抱くことは珍しくない。そういう意味で我々はある特定の政治家やタレントを心から贔屓にして、ヒーローにしたがる。それも自分だけが一番その本質を見抜いているかの如き錯覚を持つ。(実は多くの他人が同じ気持ちなのに。)
 例えば我々が異性に惹かれる時、そこに理由などあるだろうか?あるいはそういう理由を概念的、合理的に説明出来るだろうか?恋人や愛人(性的パートナー)を選択する時我々は果たして自己や他者に対してその理由を理性論的に説明し得るだろうか?またそういう説明に意味があるだろうか?必要とする他者を選択し、彼(女)を「自分にとって必要な人だ」と意志決定するのに一々合理的説明が自分や他者につくだろうか?だから逆に公的利害において(例えば会社の将来)のためを思って自己の贔屓心や親近感にのみ依拠させないで人選するというような時に人は私的感情を敢えて抑制しているが、友人を選ぶ時我々は、論理的に考え行動しているとは到底思えない。本家から受け継いだ資産管理のために配偶者を世間への体裁を気にして公的な人格、家風に沿う異性を理性論的に選択するということは過去にはあったし、今でも政略結婚的な現実も皆無ではない。逆にそのような家訓を持つ家系の人間でさえそんなに資産管理が重要なら、結婚相手に自己選択しないくらいなら、寧ろ資産管理ビジネスの専門家を雇う方が賢明であると判断する人間も多いだろう。配偶者だけは理性的に選ぶという考えは今日でも消滅はしていないが、それでも自己の内的な贔屓心を全く無視して選択するというようなことがあり得るかどうか私には疑問である。だから仮に選挙で候補を選ぶ時に全く贔屓心を無視し完全に理性的に判断して投票している、という主張にも信頼が持てない。本当はただ惹かれるからその候補に投票しているのに、安易な動機で選択したことを悟られまいとして自己弁護していることが多いだろう。
 我々はヒーローに惹かれる(スポーツの勝者のような)場合、「合わせる」意識を生じさせ(勿論個人的に好きである場合も多いだろうが)、ヒーロー並びに、アンチ・ヒーローの中に、ある種屈折した性質(ヒーローの玉に瑕の部分)を見出し、贔屓心でそれさえ惹かれる場合、孤独確保意識を無意識に採用している。そういう場合自分だけがそういう嗜好なのだ(私秘的なもの)と錯覚する。
 人間は自分にだけ理解出来ると錯覚するような真摯さのクオリアを持つ、と私は思う。実はこの自分だけが理解出来るのではないかという私秘性こそが、贔屓感情の最も顕著なものである。しかしどのようなマイナーな嗜好でも、恐らくそれは精神異常(ネクロフィリア、つまり死体愛好者とかのような)を除いて、自分の脇の汗の匂いを嗅ぐ癖を持っている人は多い。告白すると私にもそういう癖もある。そういう悪癖とテレビに登場するヒーローやマイナーなタレントや政治家、あるいは文化人に対する贔屓感情には共通性がある。それがマイナーであればあるほどその魅力は自分にとって切実だ。癖はある意味では全般的にサルトルが粘体の惰性と呼んだもの(「存在と無」、「想像力の問題」その他で)と同様、拘泥しやすい魅力だし、恍惚的な偏愛をきたしもする。それは嗜好的な翻弄だ。どのような高尚な趣味であれ、卑俗な癖であれ、恐らく生物学的な脳内の作用としては同等のものだろう。またもう一つ重要なことは、それが自分だけに固有ではないということを他者から告白され知ると、それまで自分だけだと思い抱いていた不安感(マイナーさに対する偏愛であるが故に持っていた不安)が一気に解除され、逆に誇りとなることすらある。これは恐らく脳科学的見地に立てば、スリリングでサスペンシヴな内容の映像を見て興奮を味わう脳内のモルヒネ作用とも関係があるだろう。ある種の達成感というものは、自分の目標達成であるならまだしも健康だが、自己欲求が満たされない代理感情として他者に価値的、能力的抜群さに対する憧れと、日頃不満を抱いている成員を代理攻撃し溜飲を下げる能力の持ち主がヒーロー(皆自分にとっての私秘的な存在へと昇華される。)の発見の場合もある。またヒーローは、得てして多少悪の匂いも立ち込める、毒がある方が自分の日頃の鬱憤を解消してくれる。
 ラカン派の哲学者スラヴォイ・ジジェクはその著「斜めから見る」において<主体というものそのものも人間が自分の中心に設定した価値的な何物か(それを彼はラカン理論を軸に、対象aと呼んでいる。)を巡りぐるぐる回る自己内部の心的な運動だ>と捉える。中心に幻想があり、それは私秘的であり(そういうところウィトゲンシュタインの私的言語を想起させる。)、その非在性が宗教、神、偶像を私的に存在させ、それは充足されぬ欲望の欠落感を誤魔化すために設けられた空虚な中心であり、それがラカンの言う対象aである。主体というもう一つの幻想をその周囲をぐるぐる回ることを通して顕現させる当のものであるという発想は説得力がある。ラカン流の現実界という概念はある意味ではカントの物自体に近い観念であり、その物自体の薄っぺらさに耐えられない人間はそこに意味と価値を付与する、とジジェクは捉える。「存在の耐えられない軽さ」の克服、現象界の限界は人間の認知の無能力に対する覚醒である。だから人は他者(客観の起源)に惹かれる。
 洋の東西を問わず、宗教の本質も、偶像設定の本質(だからこそ古代のユダヤ教から一神教の宗教では偶像を禁止してきた。それだけ偶像崇拝には魅力があったし、それは今でも変わらない。)も皆この人間の中心設定的心的作用、そこに価値と意味を付与せずにはおれない、それでいて集団同化意識と孤独確保意識とが両輪として作用する現実と関係があり、一方で皆の憧れる対象を自分も欲し、他方それだけでは飽き足らず、自分固有の私秘的な対象を求める。人間の「真摯さのクオリア」とも呼ぶべき言語化し得ない感性は馬の合う人間とそうでない人間の差を他者に対して我々が付与するように、もともとあったように感じられはするが、本来的には既成事実による偶発的な展開(我々の友人関係を見てみれば分かる。しかし偶発性も相互の相性というものに端を発する場合も多いと思われる。)に対して真理の如き価値を付与する言語的思念の幻想である。人間はア・プリオリに設定された真理に沿って生きるのではなく、自分が信じられ、愛し得る対象を軸に自ら固有の真理を打ち建てようとする。そこには魅力という得体の知れぬ、価値観とも真理とも異なる受容可能性、拒否不必要性という事態が立ちはだかる。この「魅力があるから贔屓にする」は合理に説明は出来ぬ。説明出来るものは魅力ではない。
 ドーキンスの指摘する「騙され続ける事態」を招くこと自体他種の鳥の生存戦略からすれば、非合理的な、エネルギー・ロスである。にもかかわらず騙されてしまうことに、ドーキンスはカッコウが麻薬的な内分泌性の物質を発散しているのではないかと考える。そして人間の男性が魅力的な女性に対して直の恋愛関係を作ることなく、その写真や映像を見ながらマスターベーションをする事実も生物が生存戦略的な意味合いからは非合理的な行動を採る証拠だ、とする。魅力の本質はそれが利益を齎すものであれ、実害を被るものであれ、麻薬的な脳内の非理性的認識に大いに関係があるのではないか。周囲の除け者になりたくないし、いじめも受けたくないのでそれが悪いことだと承知してもつい他者と「合わせて」いじめに加担することだってある。
 社会常識、社会通念、世間知、一般的観念といったものはおしなべて、人間が集団生活を営む上で必要不可欠な同調性である。挨拶、儀式全般の遂行、敬語の使用、法律遵守、行進、合唱、楽器演奏(合奏)、同人誌、雑誌への投稿、祭りの熱狂、スポーツ観戦、演劇鑑賞、音楽鑑賞、選挙、キャッチフレーズの使用、詩歌や駄洒落における語呂合わせ。それらは全て集団内で「合わせる」行為として位置付けられる。それはある意味では法的な遵守姿勢だし、積極的な個人の側から集団へと同意表明行為として認識されよう。オリンピックの際には通常、自分の国の選手を応援し、選手がメダルを獲れば、国家と国旗が掲揚されることを喜び、自国選手が敗れれば同盟国とか贔屓の国を応援する。こういった場合我々は集団同化意識に自らの関心的志向性を焦点化する。そのことの是非を疑うことは通常稀である。しかし同時に自分だけのプライヴェートな時間や空間を求め、その中で密かな歓びを味わうという二面性が人間にはある。要するに他者から疎まれない程度に逸脱したいという欲求がある。
 例えば性行為は誰でも一度は経験する類のものという意味では明らかに「合わせる」行為である。しかし同時に、それは明らかに反社会的な行為でもある。つまり個人のDNAの存続のみを目的とした行為は社会的に結婚という形で価値規範的にお墨付きを得ているが、心的にも行為目的的にも明らかに本質は反社会的である。ただ社会生物学、生物進化学的な意味で生殖、種の繁栄のための正当行為であるに過ぎない。
 例えば犯罪者のような成員に対しても、完璧に憎悪の対象となる者から、果ては同情を寄せたくなる者まで段階があり、どの犯罪者に対しても同じレヴェルで感情を寄せることはない。何かに関して私は寛容だが、別の件では許せないというモラル上の是非感情や、何かに関してはずぼらでも我慢出来るが、別の件に関しては厳密でなければ気が済まないという判断基準には個人差があり、その個人差に内在する「真摯さのクオリア」の波長が合う人間同士は馬が合う、気が合う(chemistry)。が、それは容易に説明することが通常出来ない。個人的な性格遺伝子の差異、個人史といったものが密接に絡み合って形成された判断基準だからだ。こういう個人的に相性がいい人間関係というものはしばしばある魅力ある対象に対して長所以外の欠点にさえ魅力を感じ合える、偏愛的な嗜好に対する共感という「真摯さのクオリア」が重要な役割を果たす。(極めつけの変態的なことであれあるほど緊密な共感<背徳的なスリリングさ>が生じる。)それは権威からの重圧感からの開放意識とも大いに関係があるのではないか?
 私たちはこの相反する二つの心的傾向を常に共存させて生活している。皆が賛同する倫理を積極的に肯定し、皆が賛美する偶像的存在を自分もまた積極的に受容すると同時に、ある時は衝動的に価値基準の一切を否定したいかの如く、殆ど合理的な説明の尽かない判断基準を極めて理性的な判断規準と何の矛盾もなく共存させている。だから人間はどのようなタイプの者であれ、多かれ少なかれ社会的存在であると同時に、反社会的存在とも言い得るのだ。
 だから逆に究極的にどのような他者から爪弾きに合っても社会全体が自己の存在を容認すれば、その人間はよくある「変人」ということで済まされ、事実昔から偉人には変人が多かったということからもそのことは了解される。しかしもし自分の立場が完全に社会からも周囲の家族や仲間からも孤立してしまった場合、人間はそれでも尚内的に、神様だけには見捨てはしないだろうと考えてきた。神に対してだけは「真摯さのクオリア」で自己と繋がっていると信じたい。宗教心や神への契約の観念も全てこの心理に帰着する。社会から追放された異教者、殺人を犯し逃亡を続ける犯罪者でさえ、この究極の救いへの希求によって辛うじて生命を維持してゆける。だから自殺はそれでも尚、神にさえも見捨てられたと人間が認識した時に初めて自己に許す行為ではないだろうか?(我々は負け犬的な人生の成員に対してさえ共感を得ることが出来る。)
 人間は運命に翻弄されながらも、その究極の部分では自己に対する救いの場を常に見出している間は、未来へと希望を持つことが出来る。しかし自分の未来の全てが神の予定調和によって何らかの手段によって知らしめられるなら、我々は果たして生を、未来が不確実であった時のように全うし得るであろうか?
 全米で一冊の本が注目を浴びた。その本は日本に八年後に翻訳された。著者は歴史家アリス・ウェクスラーであり、その妹と一緒に彼女はある遺伝病の病因と、遺伝子家系図を見出すことに傾注する。その結果彼女らはある選択をする。ウェクスラー家において母親の遺伝的疾患を母親から告白されたのが、アリス、ナンシー姉妹にとって成人してからずっと後のことだった(結局この本の著者のアリスが二十六歳の時、1968年に発病徴候顕在化以後初めて彼女の母親がハンチントン病であることが判明する。)ことが、少なくとも幼年期、思春期共に支障なく成長出来たことを彼女らは今でも感謝している。だが自分の家系に宿る難病の系譜を知り、その事実に向き合う事態は、人生において関心対象を見出し熱中出来るという幸福な事実と異なり、その探索と、病気の系譜を辿る道筋は即自分たちに影のように投げかけられる家族の未来の運命なのである。
 アリス、ナンシーの母親レオノアは、家族の中から初めて大学へ進学し、大学院も卒業した俊才だった。彼女は生物学で修士を獲った。彼女の父アブラハム・R・セービンは白ロシアに住むユダヤ人だったが、帝政ロシアの反ユダヤ主義から逃れて渡米した。彼は衣料雑貨店で働いた。彼は幼い頃ルーマニアから移住してきた女性、サビナ・フェイゲンバウムと結婚した。彼らは長男、次男、三男、そしてレオノアを儲けた。レオノアの父アブラハムはアリスの誕生前の1929年にハンチントン舞踏病にて没した。レオノアの祖父ヤコブ・L・ザイチェク、やはり母の叔母のディンカ、そしてアブラハムの他の妹たちリア、アイダも皆この奇病によって命を落としている。しかしそのことはこの家族間では話題にするのも憚られるタブーだった。アリスの謂いによると「この家族はハンチントン病を恥ずべき秘密だと考えていたし、よほど親しい親戚が揃ったときでなければ話題に上ることもなく、それすらも稀であった。」(「ウェクスラー家の選択」以後全部この件に関して同書から)結局彼女らの父が配偶者たるレオノアの家系の真実を知るのはずっとあとである。アリスの父は若い頃弁護士になり、後に精神科医に転身するために最初妻と住んだニューヨークを離れる。しかし妻レオノアは家事に専念、若い頃の学問の夢を諦める。彼女は自分が女であるために彼女の父の病気について薄々知っていたが遺伝しないと思っていた。しかし後にレオノアの兄弟三人ともハンチントン病であることが判明(皆アリス、ナンシーの若い頃その病気で死ぬ。)した時、彼女自身その遺伝的な実害があるということを知り、同時に彼女の夫ミルトン・ウェクスラーも全ての真実を医師から伝えられる。しかし遺伝学を学んでいたレオノアは多くの文献から自分にも発病可能性があることを知らない筈はないと彼女の娘である著者アリスは述べる。ここに科学者であり、客観的に事実見据える知識と理性を持ち合わせている筈だが、こと自分のことになると大丈夫だろうと思いたい人間の心理が透けて見える。アリスは父親に母の病気を知っていて私たちを産んだのかと問い詰めるが、その時の彼女,及びそれを問い詰められて激怒した父の心理は筆舌に尽くし難い苦悩だったであろう。<私がこの本を読んで関心があったこと一つとは、アリスの語るレオノア・ウェクスラーが一人で悩みを抱え込む姿だった。喪の時通常韓国人は辺りを憚らずに嗚咽する。この行為はある意味では他者に対して窮状を訴えるかの如くである。しかしどうも彼女ばかりか夫もユダヤ系であるウェクスラー家の人々はそういうタイプではないらしい。それともアメリカ人の国民性なのか?私は以前湾岸戦争で亡くなった息子を持つ父親の映像を見たことがあるが、その時もうっすらと涙を溜めさえせずに、じっと悲しみを耐え忍んでいた姿が妙に印象的だった。このことに関して日本人も確かに自然死の場合、そうである。ただ自然死以外ではどうなのか私には未だよくわからない。アメリカ人は国家のために殉じることを名誉と思う気持ちが強いのかも知れない。(これも個人差はあるだろうが。)>
 ハンチントン病は16世紀半ばのノルウェー、17世紀のフランス、イギリスに既に見られ、それはアリスによるとヨーロッパ人の移住と植民地拡大の歴史でもある。舞踏病について簡単に触れておこう。これは広辞苑によると、「顔面、手、足、舌などに一種の付随的急速運動を現す、踊るような身振りを主徴とする疾患。リウマチ性舞踏病は小舞踏病といわれ、小児に発症し治りやすいが、遺伝性のハンチントン舞踏病(アメリカの神経学者G・S・Huntington1851~1916に因む。)は中年に始まり精神障害を伴い、進行性で予後不良。」ハンチントン病をもつ人々は、症状が次々に起こっても、物事を志向する感覚を忘れないでいるとはいえ(そこはアルツハイマー病とはちがう)、発病から十年、二十年たって、最終的には痴呆のような症状が起こってくるのが一般的なようだ。ある神経学者はこういう書き方もしている。「痴呆の最終段階に達すると、患者は人格の完全な崩壊という哀れな情景を示す。」という。アリスの母レオノアは四十六歳にして発病する。私たちは小児の際の難病(それは克服し得るものとそうではないものがある。)と大人になってからの難病というものの両方を経験する。認知症も大人になってからの難病である。そのいずれが辛いかという判断を我々は下せない。(コールド・スプリング・ハーバー研究所(チャールズ・B・ダベンポート創設)は功罪を世界史に残している。その実証的なデータには多くの難病保持者に対する激励となる一方、難病そのものへの恐怖感を与えてきている。特に「ハンチントン病の患者と発病リスクを持つ人々をアメリカから一掃するための強制断種であり、移民制限であった」という。(この歴史的な経過は我が国のハンセン氏病に対する国家政策とも共通している。))遅く発病するという現実が不安感を倍増させもする。事実母親の遺伝病を聞かされたアリスは自分にも50%の確率で受け継がれた遺伝子についてナーバスになり、果てはほんの些細な忘れごとをも遺伝病の徴候と結び付けてしまったという。結局アリスたちは母親がその兄弟全員がハンチントン病で死ぬまでは自分にもそういう運命に無頓着だったが、次々訪れる死を目撃し不安感に襲われ始め共に心が掻き乱されてゆく過程を体験する。そして何よりも自分より先に徴候の現れる家族、死に行く家族を健常者として見守らなくてはならない運命が最も著者にとって過酷だったと言う。
 かつて西部邁はテレビで「日本人は死を恐れるようになった。」と言っていたが、私は違うと思う。死が恐ろしいのはどの民族も同じだ。我々はただ死の恐怖の克服の仕方が時代ごとに変化してきていると捉えた方がよいと思う。寧ろ日本人は近年「生に対しての執着心あるいは忍耐力」が薄弱化してきたと思う。死の恐怖の克服の仕方において現代の日本人は死を受容することを望んでいるとさえ言えるのでは?ルソーは「人間不平等起源論」や「エミール」で衣服を着、文明化したおかげで人間が微弱になり、免疫抵抗力を失ったと言った。それはレヴィナスが「<渇望>とはなにも欠けてはいない者が有する欲求、じぶんの存在を所有している者、みずからの充溢のかなたにおもむく者、<無限なもの>の観念を有する者に帰属する希求であるからである。」という謂いと直結している。日本人はその意味では過不足ない状況において、「いじめ」を同一種内攻撃欲求実現に利用し、サディスティックな欲求を満たし始め、それを受ける者さえそれを受容して、抵抗することを即座に断念する。嫌いな人間から無理して好かれようと思う必要などないと私はいじめを受ける人に言いたい。全ての人に好かれようと思えば、無理が生じ、いじめの対象となりやすいと思う。敵は人間社会においていてもよいのだ。その証拠に本当にウェクスラー家のような事情を抱えていると知っていて尚いじめをするような輩は殆どいないと私は思う。いじめの対象となることは存在感があるということなのだ。(また今日のいじめ自殺は大人も含めて個々異なる理由はあるのだろうが、どこかで自殺志願者たちには、自分の死をテレビや新聞で取り上げられるのではないかという事態を想定している気が私にはする。またマスメディアはそのいじめ自殺を一括してニュースソースにして劇場型社会性認識を無意識に視聴者に植え付ける。)
 遺伝子レヴェルでの疾患を持つ家族はウェクスラー家に限らず、必死で生を求めるから自殺という選択肢は、最悪の場合にのみ保存されている。未来予測の下で、そう遠くはない死の決定性は回避不能である遺伝子傾向性は、今や個人情報である。ルソーは「動物とは死とは何かをまったく知らない」と言ったが、私は言い換えたい。「動物は元気な時に自分もいつかは死ぬということを知らない。人間だけがそれを知っている。」と。そして元気な時くらい死の現実を忘れるような鈍感さも時には必要だと私は言いたい。本当に死に隣接した者は生を意識し、死を考えないようにする筈だ。元気なのに尚死を考えられるのはレヴィナスの言う渇望であり、無いもの強請りなのだ。(いじめられていると感じるあなたに言いたい。そんなにいじめをしているという意識は多くの人にはない。いじめは皆のからかい気分の気紛れでしかない。大人社会にはもっと激烈ないじめが罷り通っている。我々は皆多かれ少なかれいじめの被害者かつ加害者である。被害者意識の過剰反応を抑制することをモットーとして頂きたい。偉大な人間の大多数は苛められっ子である場合も多いのだから。)

 私たちの知る歴史はある意味では支配者、権力者によって書き換えられてきた部分が多分にある。しかし同時に権力者の存在の仕方、つまり真の権力は、中間支配層、つまり前章の最後節の中位者にあり、その安定志向が大きな歴史の書き換えを行わせてきた。前章で私は敬語や官僚の誕生のプロセスに関する思考実験を試みたが、この中位者の存在は何も官僚職に留まるものではない。寧ろ官僚の中にも立派な志の方も多い。マスコミもそうである。進歩主義的考え方の人々も、保守的な考え方の人々の間の双方に、あるいは経済的優位にある人々、貧困な人々、あるいはそのどちらにも属さない人々の中にも真実を求めている人々と既得権益に胡坐をかく人々の両方がいる。つまり国家という幻想性、庶民という幻想性双方に、私たちは常に二つの志向、保守安定希求と革新変動希求の両方を持つ。だから偶像崇拝的な庶民の論理と感情と権力者たちの思惑が合致した地点が国家であるとも言える。(勿論その中間層に両方の要素が混合されている。)しかしその細部を粒さに見れば、柳田國男が「海上の道」で述べているように、離れた地域の説話同士は何らかの行商、出稼ぎ者による人的交流と邂逅によって多分に同化されてゆく。(それはユダヤ教経典とギリシャ神話、あるいはユダヤ教典とイスラム経典、キリスト教典とイスラム教典といったもの同士にも多分にその作用は確認出来る。)その同化作用が段々一つに纏まったものこそ国家神話の世界であるとも言える。それは多分に庶民の総意としても機能してきたわけである。(私たちは「権力者は身勝手、庶民は被害者」という意識をそろそろ脱却しなければならいし、マスコミもそういう単純な二分法を脱却すべきだ。寧ろ最高権力者たちは、底辺の人々と同様無力な部分もある。中位者の横暴をこそ本質的な除去姿勢と捉える必要がある。それは恐らく特定の誰かではなく全ての存在者が有している傾向性である。)
 だが一方柳田が「遠野物語」で座敷童のことを民話題材として取り上げたが、地方には寒冷による飢饉や生活上の多種の事情から割合最近の近代史に至るまで間引きは行われてきた。そういうことや水子に対する供養と鎮魂の意識がいろいろ合わさって座敷童の民話主題が形成されてきた、という推察も可能である。その意味で神話学、民話学、民俗学の世界での学問的対象は、人間の生活レヴェルから推察出来る人間が自然と接してきた精神史と不可分だ、という視点に立てば、或いは体質と文化の相関性に立てば、DNAという遺伝子生物学的認識(民族、血縁一族、共同体)と、それに影響を与えかつそれに起因する人間の自然に対する生活感情と、プーサン、バルビゾン派、セザンヌ、ターナーといった西欧風景画の系譜、あるいは日本の、遡って中国の山水画の系譜等、芸術表現上の精神史、世界認識史は、今後新たなスペクトルにおいて共同作業が求められるとは言えまいか?そしてそこにもまた「合わせる」ことの世界中の庶民に共通した知恵と政治を求めてきた祝祭的な人間の潜在的な要求(現代のメディア論にも関係してくる。)、時として権力や社会機構に反逆してきた人間の個的な権利問題としての「知的快楽主義」の相関性が炙りされてくる可能性を私は信じたい。

 私たちの未来への不安はいつか自らの運命にも到来する死へと収斂されるが、そのことに対して一瞬でも忘れさせてくれる、つまり不安を除去してくれる対象に対して、例えば事物であれ、人物であれ、行為であれ、思念であれ、盲目的に飛び付く。性もその一つだ。だが性的快楽は死と常に隣接している。しかもこれは気持ちがいいから止められない。この刹那的な快楽に身を委ねることでさえ、人生の行為選択の一部だが、エロスとタナトスの関係そのものさえ、我々は客観的に考察対象にすることが可能だ。またそのことについて考えることも楽しい。死を考えることは死の恐怖を忘れさせてくれる。それを本論では「知的快楽主義」と呼んだ。だが性的な事柄に耽溺するも、知的な快楽に埋没するも、何物かから翻弄されてゆくということ自体に変わりなく、全ての事態を受け入れて生きているのが人間である。恐らく「翻弄される」意味では全生物が同じ条件下にある。だから例えばどんな楽しいことにも苦しいことというのは付き物であり、同時にどんな苦しい責務にも必ず楽しいところはある。私たちは他者一般に対し贔屓の者にはその欠点をも含め愛す。しかしいったん嫌いになった者には「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式に、その人間に今まで抱いてきた魅力や長所までも憎悪と幻滅の対象とする。だからこそ理性が求められる。それは私たちが生来的な能力の目覚めとして第一の他者(それはたいてい両親である。)を認識した時に得たあの客観的視座の延長線上にある。
 翻弄を受けとめつつ、その翻弄に対して一矢を報いることは、私たちの人生においては、理性しかない。理性は魅力八十%で、汚点二十%のものも、魅力二十%で、汚点八十%のものも査定において判断基準を等価にしてゆく以外の何物でもない。魅力は贔屓感情を生む。しかし贔屓感情は常に理性による判断を切望する。カントは他律的人生にアンチを唱えた。(「道徳形而上学原論」、「実践理性批判」より)他律を真に自律へと変換するには翻弄を翻弄として受けとめつつ、その事態に対し冷静に対処して真の自由という名の幸福を獲得することへと向けて邁進することである。
 ウェクスラー家の選択はある意味で、ライプニッツの予定調和が、遺伝子ゲノム解析という行為などが夢のまた夢であった時代の楽天主義であるということを証明した。科学者もまた科学に精通していない普通の人々の群れから外れたくはないという感情を抱いて生活している。人間はこうしている間にも、何物かに対して関心を集中させ、同時にその関心を別の何物かに対して役立てようと、目的達成への希求を価値論的に信じることを止められない。翻弄を熱狂へと、熱狂を理性的認識へと転換してゆくことそのものが、行為目的論の設定基盤になる。これはフッサールの超越論的主観性とも大いに関係があるが、その彼の概念を倫理的に肯定的に捉えようという意識が私にはある。フッサールはこのことについて外在主義的に超越論的主観性を捉えていたと私は思う。私はそこをすら内在主義的に見据えたいのだ。
 結局人間は、社会的、反社会的という問題意識という設定自体に不毛を感じるクオリアが先天的に備わっている。相性とか「真摯さのクオリア」も人間にとっては一つの判断規準でしかない。しかしそれは自覚的に「これはこういうものだ。」と説明不能な分、未だ解明されてはいない。私はこの二つがフッサールの超越論的主観性をも成立させてきたと思う。これは人それぞれが異なっているように見えて実際は個人差を超えて共通性の方が大きいと私は思う。
 人間の遺伝子の決定的「同」の部分は徐々に全貌が明らかになりつつある。それはエキソンと呼ばれる部分で、それは全体の五%にも満たない。それに対して人間の遺伝子のランダムな構成部分イントロンは一説には九十七%とも九十九%とも言われる。あるいはこの領域の研究が性格遺伝子の気紛れさとか私が「真摯さのクオリア」と呼ぶものの正体を解明し得るかも知れない、という憶測をしつつ、最後に結論らしきものを述べて本論を締めたい。
 私たちは何ごとにもつけ魅力と相性というものの恩恵と実害なしに生活することは出来ない。何故ならもともとそのものへの翻弄を引き受けて生きているし、また生きてきたからである。「合わせる」ことの我々の本質は、実はかなり自分では独自なことだと思っていることにも適用されるし、「知的快楽主義」的傾向から人間は皆社会から逸脱する可能性(その極端にエゴイスティックな利用の仕方次第では)もあるのだ。再び「合わせる」について考えてみよう。

「(前略)かかる経験は、共同的に超越される対象と、私の身体をとりまくもろもろの身体とについての二重の対象化的把握によって動機づけられている、と言った方がいいであろう。特に私が他の人々とともに或る共同のリズムのうちに拘束されていて、私がこのリズムを生じさせるのに寄与しているという事実は、私が一つの「主観‐われわれ」のうちに拘束された者として私をとらえるように、ことさら私をそそのかす作業の意味である。それは兵士たちの歩調をとった行進の意味であり、またボートのクルーのリズムカルな作業の意味である。それにしても、注意しなければならないが、その場合、リズムは自由に私から出てくるのである。それは私が私の超越によって実現する一つの企てである。リズムは規則的な反復のペルスペクチブにおいて未来と現在と過去を綜合する。このリズムを生み出すのは私である。けれども、それと同時に、このリズムは私をとりまく具体的な共同体の作業もしくは行進の一般的なリズムと融け合っている。このリズムはかかる具体的な共同体によってしか意味を獲得しない。そのことは、たとえば私の採りいれるリズムが《調子外れ》であるときに、」私が体験するところのことである。」(「存在と無」下、809~810ページより)
 我々はまさにサルトルが言うように「調子はずれ」にはなりたくないのだ。だから敢えて調子はずれで体制(大勢)に抵抗する行為は調子を合わせるという音楽的合一性に対する自由の行使、「合わせる」行為を前提とした意図的な意思表示に取って置き、それは滅多にはしない。始終それをしていたら効果は全くなくなる。公的な場における性的話題忌避もまた羞恥感情の自主規制タブーであり、集団同化意識に属す。それは寧ろ社会や共同体の一定のルールに随順する成員が義務履行の末に獲得した特権である。ニーチェの示した反宗教的権威性は、彼が伝統的な哲学の徒であることの証でもある。「合わせる」ことは気持ちよく自発的な行為なのだ。
 サルトルの言うような「誰でもいい誰か」(「存在と無」)として対私的に、対他的にだけではなしに私をも捉えたある種の無名性、匿名性における自己認識として我々全成員が世界市民として生活していることは、一言語共同体成員としての意識を持ち、そこで実は「合わせる」の内に自己の在りようを発見することだ。「合わせる」があるからこそ、「外れる」があり、「離れる」があり、「一人でやる」があり、「一人でいる」がある。「一人でやる」もまたそれをしていない他の皆に「合わせてやる」に他ならない。「一人でいる」もまた他の皆に「合わせて一人でいる」に他ならないのだ。
 我々は思惟において、その内容はその場その時の独自のものであり、唯一的な考えとの出会いであるが、それらは概して「あれっ、こういうことって以前にも考えたことがあったよな。」という風なものだし、何かを考える仕方そのものは、いつものようなやり方だし、その仕方、やり方はどこか言語を発する時、思念を纏める仕方、やり方に似ている。纏め方とは、いつの間にか独り言めいて思念する「かたち」へと収斂され得る。それをそのまま温存させつつ、それを文章や発話で具現化するか、そのまま内的にただ一人で抱え込み、その内別の思念の支配により自然と忘却されるかのどちらかへと帰着する。
 我々は明らかに「一人でやる」の思念においても、自己を第一の他者として自己にとって理解しやすいように考えを纏める。これは一人でいる時に「一人でやる」、要するに自分に「合わせる」なのだ。その自分とは一体何なのか?それは脆弱な「個」から抜け出るという理想に自分を当て嵌めた「自分という名の真理」である。
 我々は皆一人になった時でさえ、きっとサルトルが言うような意味での「誰でもいい誰か」だし、それは都会の雑踏にいる時も、ひとっ子一人いない田舎の山道を歩いている時もそうだ。自我とは寧ろ他者に対する欲望によって醸成される。
 音楽を演奏し、会議に出席する意図と覚悟で我々は皆「一人でいる」時には「一人でやる」へと臨んでいる。そういう行為を敢えて選択している。内的な言語的思念が「一人でやる」、「合わせる」であるのはそのためだ。敢えて沈黙することで内的に自己に話す。
 それはある意味では皆で一緒にやりつつ「合わせる」も、一人でする「合わせる」もその都度それら一切を統括する「合わせる」、である。一人でいること、することと、皆でいる、することそのものを「合わせる」のだ。それが人生である。
 意志は行為されて初めて意志であったとされる。しようかと思い描くことは、意志ではない。しかし発話すること、発語行為は意志だが、何かを言語的に思念すること一個一個は内的事実にしか過ぎず、ただそれらが一定の目的の渦中においてなされ得る限り、意志へと誘導される可能性が大いにあるだけだ。ある考えがある行動の合理性に裏打ちされる限り、意志として発現される可能性が大きい。
 だから対人間社会(共同体)内秩序としての「合わせる」行為選択は、対社会(共同体)的な意味で責任倫理的側面が強い。だが仮に社会全体が歪曲した風潮となってゆくと途端に内的葛藤が必然的に生じ、心情倫理の復権が内的に叫ばれだす。そういうケースにおいてカントの倫理問題は極めて有効性がある。
 <しかしそのようなケースとは稀であり、殆どの場合特殊な歴史的状況でしか起り得ず、例えばロシア革命以後のスターリニズム批判、第二次世界大戦中における兵役拒否その他反ナチズム運動とかのケース(戦後も沢山そういうことはあったし今もそうである。)しか考えられない。事実この時期マヤコフスキー、ガルシア・ロルカ、ワルター・ベンヤミン、ディトリッヒ・ボンヘッファーといった人物たちが苦悩する状況へ立ち向かった。この四人は、一人目は自殺、二人目と四人目は銃殺、処刑され、三人目は追い詰められて自殺した。共に戦争、圧政といった現実と向かい合っていた。「合わせる」は、社会の選択=悪の状況下では、社会の選択=善と認識させる状況より苛烈である。そういう場合真に善意志を貫くことは、自らアンチ・ヒーローたることを引き受けなければならない。そういう状況では、「合わせる」方が楽なのだ。しかし考えてみよう。もしあなたが誰か(国家でもいいし、法人や組織でもいいし、個人とかテロリストの集団でもいい。)に強制的に、脅迫命令めいた状況で戦場に立たされ、敵兵が銃口をあなたに突き付けて来た時、あなたは尚自ら携帯している銃を相手に使用することを拒むということが何を意味するかを。>
 ウェクスラー家の選択を我々は笑えない。(私たちは我が国においてハンセン病患者に対して非情な判断を下してきた。彼(女)らは断種され、生まれてきた子供は国の法治的判断によって間引き対象とされた。しかしそれはある意味で国家の判断に従順に従った、つまり病気を隠蔽することが出来なかった庶民の無防備が生み出したことでもある。その無垢さに対して今日我々は勿論笑えない。K泉内閣による国による控訴断念も記憶に新しいが、私はかの全生園に訪れたことがある。そこは有名な精神科医院も隣接し、かつていろいろな意味で差別を受けてきた人々にとってせめて慰安となる生活環境確保という措置のために公園には綺麗な桜も植えられているが、そのことが私たちにほんの少しの慰めを与える。桜の美しさを目にした私は全生園に収容された人々の断種、間引きされた赤子の魂が乗り移って悲しい歴史を繰り返さないように訴えているようだった。私は収容施設にもまた苦悩した職員もいたと信じたい。)ナンシーにとって学問は「知ること」であり、「知ること」とは本来楽しい筈だ。だがその対象が自分の死も射程に入れた未来となると、流石の科学者も臆する。彼女は科学者でありながら、自然科学を彼女らほどは信奉しない一般民間人の採る「知りたくはない」権利を選ぶ。それは自然科学からの翻弄に対する返答である。それが私たちに教えるのは、死の告知の恐怖を紛らわすには、何か他のことに取り付かれ、翻弄されることを楽しむ以外にはない、ということだ。魅力に熱中することで解消される懊悩もある。魅力は状況次第で刻々変わる。それはアリスの言葉を借りれば、<「終わること」ではなく「はじまる」ことを考えたかった>ナンシーが研究者としてのスタートを切ったばかりのスタンスを想起させる。自らの死の予感と恐怖の克服だけではなく、生きることを楽しむことが遺伝病の事実を知った彼女の選択だったのだから。
 哲学は究極的には「信じる」ことの何らかの提示の仕方そのものであり、「信じる」とは何なのか(それは宗教信仰心も含めて)への問いである。欲求に従順に行動することも欲求であれば、欲求に逆らい抑制することも欲求だとすれば、「信じる」を疑うことも「信じる」だし、「疑う」を信じることも「信じる」一つと言える。しかしアリスとナンシーは自体的客観事実において自分たちの未来を疑うよりは、「知る」欲求を封鎖した(かった)。つまり一般民間人的な「知りたくはない」権利の行使は、フッサールが超哲論的主観性と彼が呼ぶ自然科学における自体的客観事実への認識も、「それを正しい」と信じる人間の信念も、宗教的信仰心と共存して本源的に人間内部に位置していることさえ介さずに寧ろ「自分の未来とは自体的には知らないでいる方が幸せだ」というフィクションに真実と説得力を感じるクオリアの選択をしたに等しい。それは宗教的信仰心(しばしば自体的客観事実に反する)に近い。ハンチントン病の自殺は一般人の七倍で病気初期に集中する。レオノアと夫はアリスの学生時代に離婚するが、彼女の母の病名診断後も父による彼の元妻へのケアは続く。私はここにアメリカ人の慈愛を感じる。(かつて映画監督ロジェ・バディムの葬儀に元妻たち<ドヌーヴ、バルドー、フォンダ>が参列したニュースを読んだ時、私は西欧米人の慈愛の深さを感じた。)
 アリスは院生時代に自ら子供を作ることを断念するが、恋人と離別後、再び愛する男性と出会う。アリスはナンシーが母の自殺未遂後、頻繁に手紙の遣り取りをしたことを書いている。私はこの下りに胸が詰まった。家族の愛の前には科学も、哲学も犠牲にしてもよいという選択の強さに私は覚醒させられた。愛は至上のものである。それは愛するということの辛さ、厳しさを物語っているが、翻弄されることが価値だと言い切れる信念の前で、私たちは論じることの起源を知る。論じることもまた「生きる」ことだし、生きることは「信じる」ことである。「信じる」ことは楽しい時には楽しいと告げ、辛く苦しい時は「辛い」、「苦しい」と告げることなのだ。あらゆる偽装性の真意表出による除去こそ、学問を包み込む愛の至上目的である。論じることもそのためにある。愛は衝動的な感性同士の出会いを必然化する持続的努力に他ならず、我々が翻弄を論じることを支える。それはもたつかない「確固たる理性」の称揚である。
 私たちはシビアな現実の前で理想的な生き方とか勝ち組への夢とかの発想が脆くも崩れ去る音を聞く立場へいつでも立たされる可能性がある。そういう現実を前に自己に厳しくなり過ぎると、自殺という道が待ち構えている。いじめられているなら、何らかのレスキューを求めるべきだ。人間同士の精神的いじめと先述のようなウェクスラー家の苦悩とどちらが苦しいかをここで私には言えないが、少なくとも打開策が講じられるという意味では遺伝病ほど我々は切迫してはいない筈である。
 私たちは「合わせる」によく翻弄される。だから「知的快楽主義」の価値転換が必要なのだ。それは時としてアンチ・ヒーロー意識へ我々を誘う。しかし「除け者にされたくはない」意識は最もネガティヴな「合わせる」行為の動機であり、それが他者のいじめの助長となることもあるが、親しい友人と何故か馬が合う、相性がいいと思うその本質には、「もたついた理性」の弁証法からの脱却の可能性もある。人間には考え込み過ぎて失敗するくらいならいっそ何も考えないで行動した方がいい。一気にやって、それが結果的に理性的な行動となればよい。(ギャンブル的な感性)を選択してもよいのだ。思い切った決断は<した時>は不安だが、後で考えると正しかったと思えることも多いと我々は経験的に知っている。考えても仕方ないこと、chemistry(衝動的な感性の場=真摯さのクオリア)自体に私たちが翻弄されていることを運命として受け入れ(死の不可避事実を受け入れるように)てスポーツとかビジネスとかに熱中して勝ったなら、支配欲求を一瞬満たし恍惚となり、しかしそれも一つの翻弄であるとシジフォス的認識を持ちつつ、再び麓から岩を山頂へと運ぶことを決意した者は、ただchemistryだけに拘泥した「オタク」となるだけでなく向上するだろう。その時真の意味で魅力とは何なのかを、再び問い詰める心の余裕が持てるのではなかろうか?(了)

翻弄論
主な参考文献
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‐括弧内出版年は外国のものは原書の初出。しかし著者死去後のものも含む。その他多くのネット検索、CDによる音楽への鑑賞、試聴が元となった論文も含む。‐

C論文は一応今回で終了するが、その続きはやはりc論文第二弾として「自信論」を更新する。(河口ミカル)

Friday, May 28, 2010

B名詞と動詞10<一般名詞と固有名詞>

 我々は通常動詞を使用する時はその動的な現実、変化しつつある様相の具体的な叙述を心的に想起したり、想像したりしている。しかし名詞の場合、それが一般名詞であればその名詞が指示する「一般的な概念」を話者も聴者も前提している。それがあのソシュールがラングと呼んだものの本質的な意味である。椅子と言ったらそれは我々が日常的に今現在使用する椅子一般のイメージが即座に想起される。椅子というものの観念連合はその時代毎に徐々に変化しつつあるであろう。だから椅子というものの具体的なイメージ像は少しずつ変化している。(勿論動詞もまたその動き一般のイメージというものはある。)
 例えば今突拍子もないことであるが、こういうことを想像してみよう。我々が東京の街角、そう五反田であるとしよう。そこで駅前のタクシー乗り場の前にいてタクシーを待っているとしよう。ところが次に自分がタクシーに乗る番になって突如その情景が江戸時代のものにタイムスリップしたとしよう。そこに行き交うのは籠であり、それを運ぶ籠を運ぶ人夫たちである。私はその場所で呆気にとられながらも、タクシーが籠に変わっても行く場所は同じ戸越であるとしよう。私はその籠を仕方なく利用しながら、籠の人夫に「戸越」と声を掛ける。この時私はタクシーが現代では機能するところのものを江戸時代では籠で用を足していたということを時代劇か時代物の小説か何かで知っていて、それを即座に思い出し、タクシーの代理物として選択したのである。だから突然タイムスリップした五反田の街角で私が待っていたタクシーは私にとって(ということはそれを利用する全ての人にとって)移動の手段であるという文化コード、あるいは文明の利器としての存在理由を持った一般的な事物として認識していたわけである。しかしどういう理由でか突如背景の全ての景色が江戸時代にタイムスリップしてしまったから私は即座の判断でその時代にはないタクシーの代わりに籠を利用することを思いついた、というよりそこがそのまま江戸時代の背景になったから迷うことなくそれを利用することにしたのだ。タクシーと籠が時代的な相違とラングの通辞的な齟齬があるにせよ、我々は日常生活における移動手段として認識する心的な了解があり、それはラングでありコードであるであろう。そのコードの選択は慣用的な事項であり、どこにでも偏在しているものとしての共通理解がある。そしてそれは我々が成員であるところの共同体の隅々まで行き渡った約束事である。箸が物を食べる時に使うものであるようにである。
 しかしタイムスリップした今現在政治や経済で活躍する人物の名前、つまり固有名詞を使用してもそれを理解する者は私を除いて誰もいない。何たって私は同じ場所でそのまま江戸時代にタイムスリップしたのだ。すると私はその時代に合わせて何とか窮状を脱しようと江戸時代の政治家とか学者とか役者の名前を付き焼けば的に言ってみる。その時代の専門の風俗や生活研究の学者でも時代小説家でもないから即座には思い出せない。だから適当に学生時代に歴史に授業で習った名前を論う内にその時代に該当した何人かの有名人(その時代にとっての、現代から見れば歴史上の人物)の名前が人夫に了解された。
 ここで使用されている名詞は明らかにその人物が行った業績とか経歴を主体としたつまりその人物がその人物以外ではあり得ないことの証拠でもある行動、行為、あるいは語り伝えられてきた性格である。行動とか行為から我々はその時代において誰しも知るような人物のことを話題とする場合共有知識(あるいは関心)領域の確認という作業によって共通了解事項を即座に話題として選択しているのである。クリプキが固定指示子と呼んだものは一般名詞においてもあり得る。彼が使用した例としては光や水というものもそうである。金もそうである。しかしそれらはあくまでも我々にとって光や水とかが我々に果たす、あるいは我々がそれを固有の仕方で享受する(他の種の生物においてはまた異なった享受の仕方がある。)という事態をラング的にそれも通辞、共辞共に不変的なものとして利用しているし、そういう命名はクリプキが固定指示子と名指した行為によって恣意的に語彙音韻が選択されているのだ。そして当然彼の言う固定指示子は固有名詞も含まれる。ただ固有名詞はそれだけの選択によるものではない。今活躍する著名人の名前を話題にする時我々は我々が立たされている時代固有のコード(共辞的なラング)がある。ここは日本だから当然アメリカとは異なったラングが存在する。現代であれば当然日本でもアメリカでも通用するラングもあるが、そうでないものもあろう。(タイムスリップした江戸五反田はまだそこまで海外の情報はない。)そしてそういった固有名詞は有名人のことをタクシーの運転手や籠の人夫に語り掛ける時ばかりではなく、友人同士で共通の知人を語る時でも同様である。その友人の自己と他者双方が共通して知る了解事項、その友人の経歴や行動、性格(これは単に有名人よりはよく了解出来よう。というのも我々は現代の有名人に関してはマスコミその他でその性格を知るたけであり、実際に面識があるわけではない場合が大半なので、それはマスコミが作り上げた幻想である場合も多々あるからである。)を想起して使用される固有名詞の語彙選択である。それは通常の一般名詞を使用する時何かの為に利用するという約束事というコードとは異なった時代状況性に依存したラングである。だから私はタイムスリップした江戸時代において即座にその時代の著名人を想起し得なかったのである。そして明らかにA、人間(特定の人物)について固有名詞を語彙選択する場合とB、固有名詞、ある特定の事件、現象や特定の法則、理念を話題選択しその出来事や事象を共通了解事項として語彙選択する時(太平洋戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、総選挙、動的平衡、ソニック・ブーム、ドプラー効果、相対性理論、ファラデーの法則、万有引力の法則、守秘義務、単年度主義etc。)とC、一般名詞をただ単に利用する時は段階的にも質的にも異なった心的様相が介在すると思われる。尤も「犬」という語彙から想起されるものはある特定の時代(例えば<生類憐みの令>とかの通用した時代)においてはある種の普遍的な固有名詞(江戸時代においても使用されたであろう孔子や聖徳太子)以上に固有性(Aに近い)を有するであろう。2005年においての上半期におけるホワイトナイトや下半期における耐震強度偽装とかもそうである。つまり我々はこういった三つの段階と質的に異なる名詞に纏わる心的様相を恒常的に介在させていると考えられる。
ではその三つのケースにおいて個々に考えてみよう。
 Cの一般名詞はそれほどの難しい基準はなく、先程のタクシーや箸や犬の例で充分であろう。問題となるのはAの固有名詞とBの固有の現象や約束事、法律、慣習、事象、各種用語、専門語である。B、この範囲が一番広い。所謂専門用語が一般化された例や一般名詞が多少特殊化したレヴェルからほんの一部の専門家しか使用しないものまで広範囲である。しかも2005年(この文が書かれている時点)での国民的関心事などは共辞的ラングの固有名詞と言ってもいいであろうし、ある特定の集団や複数の人間間での約束事といった個的なものも全て含まれる。ただ単に語彙数から言えば一般名詞が最大数であるが、そのレヴェル、質的両方で最もそのカテゴリーが豊富なのはBである。
 専門用語が一般化したものは、多くの人々が知る専門用語であろう。例えば最も一般的なものは既に殆ど一般名詞化したもの自我、誤謬といった語彙(哲学、心理学の用語である。)は一般的にも通用する。これらは最初専門用語であったのであろうが一般化したようである。駄目、布石、定石、一目置くとかもそうであろう。あるいはインフォームド・コンセントとか2005年に俄然浮上した焦土作戦、レヴァレッジド・バイアウト、クラウン・ジュエリー、グリーン・メイラーといったものであり、またそれよりは多少専門化するものが、知覚生理学者が使用する水晶体、視差、収差といった語彙、あるいは映画業界におけるR指定とかB級娯楽映画とかの語彙、あるいは音楽業界におけるフランジングとか逆回転とかの録音技術に関するものであろう。これらは統計を取って調べなければ一般使用度がどの程度であるかは判然としないが、その使用頻度には大きな差があるであろう。また時代時代に固有の流行もある。
 固有名詞もまたその知名度のレヴェルによって著名な人名にはレヴェル的な段階が存在しよう。個人的にしか知られていないある特定の人間関係や集団でのあるいは極微小な地域における同好的サークルや地域の専業主婦間の固有名詞(同一オフィス内の人間関係も含む。)等はそれほど顕著な段階性は存在しまい。それはあくまでも社会的地位の高低でしかなく、固有に使用されるレヴェルでの段階性はない。しかし著名な人名はいかに偉大な人物であっても専門的な世界でのそれらはあくまで国民レヴェルで著名な特定の政治家や経済人、著名文化人、芸能人、スポーツ選手以外は専門用語に近い。例えば神経学の世界でのカンデルとかヘッブとかがその例である。そういったレヴェルでの著名性は専門分業的な固有名詞であり、専門語と同一の性格を持つ。その世界でしか知られていずに、しかも偉大であるということの意味は明らかに専門用語と同義である。
 だから固有名詞には二つの種類があることとなる。一つは個人的な意味での家族、知人を呼ぶそれ。もう一つは個人的ではない公の意味での固有名詞。そしてそれは更に二つに分岐する。それが一つは多くの大衆に知られた認知度の極めて高い(現代で言えば小泉首相<2006年9月退陣>、堀江元社長とかの)ケース。もう一方はあるスペシャリストとして固有の領域において専門用語化された存在を示すケースである。そして余り全国民に認知があるわけではないが、程ほどに著名なケースはある意味では認知度の極めて高いケースの予備軍でもあり、かつ個人的な固有名詞の延長されたものでもあるのである。だからこういった中間レヴェルの存在はどちらのケースにも転ぶ可能性のあるような範疇に属すこととなろう。
 さて問題はBのケースである。このケースでは殆ど一般名詞化されたもの自我とか誤謬とかがある一方、太平洋戦争とか動的平衡であるとか所謂その歴史的な推移や内容が鮮烈な形で想起されるような意味では前者は固有名詞であるが、それがあまりにも歴史的に必然的な事実であるかのように思われるために、それが一般名詞化されてもいる。また後者は明らかにその自然科学的、生化学的な意味、メカニズムが専門的な学者の間では共有コード化しており、専門用語である。これらはその専門家にのみ共有されるコードであり、極一般的な普通名詞にはならない。だから太平洋戦争に比すれば明らかに特殊である。しかしそれは認知のレヴェルであって、真理のレヴェルでではない。Cの一般名詞はそれがどんなに特殊なタクシーであっても箸であっても犬であっても、その一般名詞のカテゴリーにおいてはその変数でしかないが(ということはそれらは形容を要求する記述による特定の指示であるが)、Aの固有名詞やBの一般名詞に帰属しない特定指示名詞、抽象名詞はその指示の中に既に性質や真理、形容が内容把握、内容記述的に網羅されている。そしてこのBについては最も一般化されるか特殊固有名詞化するかの振り幅が大きいので、一般名詞という一般概念化と固有名詞特定指示化の両極端を常に行ったり来たりするような性格のグレイ・ゾーンであると言えよう。
 これら名詞のカテゴリーを「信じる」ことと「理解する」ことにおいて考えてみよう。まず一般名詞は概念として理解されている語彙で通用する、共同体において最も一般的に考えられる社会的な機能、有用性のある道具、生活手段である。だから「信じる」ことがあるにせよ、それはあくまで「理解する」ことを通してなされる「信じる」ことであるから、経験的な慣用性に依拠しているのである。それに対してBの抽象名詞や特定の出来事や事象、法則を表わす名詞はその特定の性質や性格を語る意味では固有名詞的であるからその性格や性質理解を要し、直接Cのような道具性はなく、あくまで動的現実、動詞的な思念が絡む、しかも一般名詞はその名詞を使用する度に一々動的現実を想起することは限りなく少ない(尤もハンマーというと叩くものというような意味では観念連合はある。しかしそれらはあくまで名詞的な思念において、つまり道具の持つ歴史性や一般使用を巡っての有用的な理解である。一旦知ってしまった以上それらは概念的な道具としての有用性であり、存在を信じるというようなものとも異なるが、取り敢えず名詞的に思念される。尤もそれで人が殺されたというような場合には別であるが、通常は名詞的に思念されるだけだ。生物種の場合例えば猫は猫でありその存在を信じてもいるが、それらはあくまで日常的に我々がよく知る動物である。だから猫が絶滅して過去の郷愁として想起されることでもない限りそれらは「存在したことを信じた」のではなく、これからもそう容易にいなくなりはしないのだから概念的に理解される心的様相の方が強いのである。)のに比べこれらはそのプロセスが何段階にも渡って反芻されるような想起、つまりメカニズム、意義といった複雑な階層や秩序が含有された思念を喚起する。だからこれらは経験的な慣用性から来る「理解する」ことから齎される「信じる」ことではなく、寧ろ専門学習的な経験、つまり固有のものに対する理解(その意味では固有名詞的な意味合いも持つ)である。一般名詞においてもハンマーならハンマーで固有性はある。しかしそれらは日常的に特殊なものではない。(だからレコードがCDに取って代わられたような意味で日常使用から淘汰されればこれもまた特殊化し得る。)だから当然それらを特有なものとして心的に名指すことはない。それに対して事象や現象、法則、歴史的出来事などはそれを記憶に留めた日常的に自然に侵入してきた語彙ではない、特有の学習記憶文脈が過去にあり(私にとっての太平洋戦争は両親から聞かされた戦争体験からである。)それに沿った固有の個的意味が一般名詞よりも顕著である。一般名詞には個的な意味性よりも慣用的な日常性が勝っている。そこが大きな相違である。だから固有名詞は個的意味と共にその特定の人物に固有の風貌があり、それに対する存在是認という「信じる」ことが初期においては大半を占めており、心的には「理解する」ことがその後にやってくる。というのも固有の人物においては「理解する」こととはあくまで存在是認の後にその行動や行為、思想のコードに対してなされるのであってア・ポステリオリである。まずア・プリオリに特定の他者として認知されるところの存在是認がなされ然る後にその人物に纏わる事項が一つ一つ(その人の癖、表情の日常的な取り方、他者への接し方といった)理解されることとなるのである。だから一般名詞において日常的実用性への理解、Bのケースにおいては学習的な意味理解というプロセスが、そして固有名詞においては信じることがまずなされる。一般名詞が実用理解であるのに日常的自明性によって名詞的思念、Bのケースが学習的であるから動詞的思念、そして固有名詞は存在是認における名詞的思念であるが、それは人格認知であるから一般名詞的な名詞的思念とは全く性質の異なった、その存在を信じる名詞的思念である。一般名詞が理解する名詞的思念であることからすれば対極である。
 一般名詞がこの世界に存在する何らかの事物、対象を名指したものであるということの了解はア・プリオリなものである。従ってそれを日常何の疑問もなく目にすることの出来るものに関してはその存在を「信じ」かつ「理解する」ことが出来る。その思念は具体的な理解を伴ってそれを把握した後は名詞的思念上で何の疑問も持たずに道具性として認識する。しかし一度も見たことのない生物(日本にいない生物もある。)に対してあるいは日本にいたとしても珍しい生物であるが為に一度も目にしたことがない(かく言う私もパンダの実物は見たことがない。)生物に関して我々はそれを生物であり、構造理解していてもあくまで知識レヴェルでのことである。だが一度でも写真や映像で見たならば、その生物はそれらを通して理解される。だが実際に目にするとBのケースのような意味で真に個的意味として理解されよう。だからある生物がその国にいない場合、それが他の国では当たり前のようにいるという現実が写真や映像などで紹介されている場合でもその名詞はその生物がいない国でも成立しているし、それなりのそれら写真や映像を通してなりのその生物の存在や性質に対する理解は生じよう。しかしそれらが実際にその生物がいないし、テレビのニュース等で紹介されていない国ではその段階ではまだ特殊事物の名詞であり、固有名詞に近い。だがやがてその国にその生物が運ばれて一般大衆の目に触れた段階において全体把握はなされ、形状記憶、性質理解はなされ一般名詞化される。仮にその生物が極一握りの専門家にしか名前さえ知られていなくても同様にその生物の名前が一般に公開され認知されると同時にその国の国民はその生物に対して名詞的思念で理解されたものとして概念的に使用し、名前を呼ぶ。その存在を「信じる」ことはその生物がその国で公開されるその時まで存在すら知られていない場合でさえその時には「信じられる」。それはそれまで存在だけはメディアやテクストで紹介されてきていた為に「信じられて」いたものの、それらは「理解されて」いたわけではない場合でも同様である。よって一般公開されたその時衆人の下にそれは初めて事実上同時に「理解され」、「信じられ」たわけである。
 何かが起こり、例えば今の例のようにある生物が一般公開されることにより一般名詞化し、固有名詞的なミステリアスから解放された時我々はその生物に対して認知し、名詞的思念を恒常化させるが、それまでは理解されているということが知識レヴェルであり、確かに存在は信じられているものの、理解されることと信じられることが遊離している状況であったのだ。それが一致したことで固有名詞的なミステリアスさは消滅し、謎の部分の溜飲は下げられ、一般化されるわけである。そして我々はそういうこととなった事態があるからこそ、クリプキが言うような意味でそうではなかった可能性「その生物がわが国に紹介されなかったかも知れない」という可能性を初めて考えることが出来るのだ。それはそうなってしまった「既に紹介された」ことに関してある種の後悔とか狼狽を感じた場合にはよりそうなのである。クリプキの言うような意味での可能世界意味論とはある結果が出されたことに関して喜ばしいと思う反面残念であったり、ある可能性が実現されそうな時に躊躇したり、逡巡したりする人間心理が存在することを如実に語っている。その意味では様相論理学とは明らかに一回性であるある出来事の発生が持つ過去変更不可能性が持つ時間論的諦念が生じさせた学であるとも言えよう。
 我々は一般名詞に関しそれをまず受け入れ然る後そのものと出会い(あるいは同時である場合もあるだろう。)、それが例えば猫であれば、猫と言う一般的な概念を自己において認識させる。それは猫を猫として規定している音韻的にnekoと発声する共同体秩序を不可避的に是認し、その成員としてその諸言語活動に加担することを無意識の内に選択しているのだ。そしてその受容した猫の概念との触れ合いが自己独自の個的意味を発生させるような猫を巡る経験を生じさせる。勿論その猫という語彙を覚えた最初の出会いもあった。しかしそれはまだそれが猫であると知る前に何か特定の名前を持ったペットとしてであっても、庭に歩いているどこかよその猫であってもそのこと自体は語彙習得自体には何の影響を与えはしない。猫という語彙はそれがどういうものであっても個的意味とは別個に習得されて、その概念<イデアと言ってもよい。>を通して個的意味を意志伝達し合うに過ぎない。だから一般名詞を使用する時我々はその語彙を概念として承認し、然る後個的な猫(昨日散歩をしていた時に見た猫であっても、かつて自分の家で飼っていた猫であっても)を語るのである。要するに概念のカテゴリーを通して個物を認識する、ということである。
 それに対して固有名詞は個的意味を生じさせるような一般概念はそもそも存在しない。既にそれ自体で充分個的であるからである。そこで固有名詞は逆に匿名性(田中であっても鈴木であっても高橋であっても渡辺であってもそれは固有の例えば田中であるにもかかわらず、何処にでもいる個人、人格の一つでしかないのだから)を帯びる。
 抽象名詞、歴史的事件や出来事の固有の呼び名(通称)、専門用語(概念規定語)、及び法則、事象、現象、法律を表わす名詞は個的である部分はあくまでその概念や理念の学習過程でしかなく、全ての成員にとっての同一のコードでなければならないと同時にそれらは理解する為に一定の過程(それは単純なものから複雑なものまで多種多様である。)を必要とする。「あれ何?」と聞く子供に「猫よ。」と答えて呼び名(名詞)を教えるように簡単にはゆかないのである。蒸発、離散、解散、消化、昇華、脱分極、光合成、慣性、ホメオスタシスといったものたちは、名詞でも油圧ポンプとかトランスミッションオイルとかと同じであり、その機能を一語では説明出来ない。一般名詞もまたこのBカテゴリーに含まれ得る可能性を持つもの、それがかなりの程度で一般化され今や誰しもが知り得るア・プリオリである場合など実はその段階性、レヴェルは多様である。そこで一般名詞と抽象名詞とか専門用語とかは歴史的事件(壇ノ浦の決戦とか大政奉還とかの)という固有性ともまた異なったある種のフレクシビリティーを含有している、と言える。
 逆に太平洋戦争を研究する研究家にとってのあらゆる事件や事変、戦争の呼び名はだから当然のことながら一般名詞化されている。また自然科学者にとってあらゆる自然科学現象の用語は全て一般名詞化されている。芸術家にとって美術、音楽用語、経済界の人間にとって経済用語とかも同様である。
 一般名詞において我々が留意すべき重要なこととは、我々が実際には今現前的には目にしていないものばかりか、日常でも目にしないものさえもそれを存在する極一般的なものとして認識するコードとして流用している、ということである。例えばコアラは日本に生息する動物ではないが、動物園に行けば見ることは出来るし、仮に普段そういう場所に行かない人間でもそれらの存在をテレビや写真、動物図鑑、新聞とかのメディアで知ることは容易であるし、またそれら日常において実物をそう容易に知覚出来ないものさえ思惟において動員される知識が例えば意志伝達における話題構成において必要事項として記憶事項、ワーキング・メモリー的な日常性のリストに入力されている。ファイル保存されている。我々が目にするものとは殆どが現代ではメディアを通してなされる。アメリカの大統領、スペースシャトル、空爆される世界各地の都市の様相(戦場)、それらは実際に目前で知覚されるような対象ではない。にもかかわらず我々はそれらを日常的に使用するトースターやテーブルや掃除機と同格の一般的な対象として認知している。人間は我々と同一種のホモ・サピエンスたちが「我々が行ったこともない地球の裏側」でも我々と恐らく同じように悩み、苦しみ、喜び、嬉しい表情をしているということを確信している。それは彼らの存在を「理解して」いるのと同時に「信じている」のだ。
 このような不在のもの、我々が生涯一度も目にすることなく終わる大半のものをもそれが存在しているし、これからもそうである、という認識する能力こそ人間がある対象を、名詞を通して事物の概念として名指す、命名するということの本質ではなかろうか?
 動物は自己個体と同一種の他個体が自己個体の周囲にいる者たちを除外しても自己の与り知らない場所において生活しているに違いないというような思念を抱くことが果たしてあるのだろうか?このことは動物における知識をも含めた認知がどの程度かという問題と同時に不可知領域や不可知という風に規定し得なくても自己の覚知可能性から漏れ出たあらゆる対象の必然的な存在可能性の確信とは一体我々の生にどのような意味を与えているのか、という重大な問題を我々に提出する。
 哲学者の中島義道はカント研究を通した独自の論客として知られているが、表象という哲学用語をカントがどのように解釈していたのかということに関して次のように語っている。(「カントの自我論」表象としてのバラ、34~35ページより)

 「表象」とは何か、あらためて考察してみよう。それは、カントの場合ラテン語の“reprasentatio”1英語の”idea”そしてドイツ語の“Vorstellunng”という三重の意味を担っている。三重の意味の差異をあえて省けば、「表象されたもの」とは現前に知覚されている対象自体ではなく、私の心的世界(Gemut)の「うち」に取り込まれた対象のあり方である。
 日常言語においては表象としてのバラとは知覚されるバラではなく、むしろ想像されるバラ、心像としてのバラである。日常語では、知覚とは対象を直接正しくとらえることだと了解されており、そのかぎり知覚されたバラにほかならない。
 ちなみに、ドイツ語の日常使用において、眼前の知覚風景を表象と呼ぶことはまずない。表象とはむしろ眼前にないものを思い描くときに使われる。例えば、“Stell dir mal vor!(ちょっと考えてごらん)”とか“Davon habe ich keine Vorstellung(それについては何も思い浮かばないよ)”というように。
 だがカントにおける表象としてのバラは、こうした日常的素朴な意味で心像であるわけではない。概念としてのバラでもない。それは、私が<いま・ここ>で知覚しているバラであり、私が昨日見たバラであり、他人がいま世界のどこかで見ているバラであり、誰も見ていないが現に存在しているバラであり、誰も見ていなかったが現に存在していたバラである。つまり、それは心像や意味にすぎないのではなくて、時間・空間のある場所に実在するバラと同義である。
ここに重要なことは、これらの表象としてのバラのうち、私が現に<いま・ここ>に知覚しているバラはいかなる特権的な身分ももたないということである。<いま・ここ>には不在であるが、世界のどこかに現に存在しているバラやかつて世界のどこかに現に存在していたバラも、<いま・ここ>に現に不在のバラに共通なあり方、それが表象としてのバラのあり方なのだ。
 こうしてみると、ほとんどの表象は<いま・ここ>に現に存在していないことがわかるであろう。さらに、私が一度も現に知覚したことがないソクラテスでも恐竜でも、同等に表象になりうる。とすると、むしろ私が<いま・ここ>で現に知覚している諸物こそ、表象としては例外的であることがわかってくる。
 むしろ、私が<いま・ここ>に現に知覚していない諸物のあり方こそ、表象のあり方のモデルなのである。そして、膨大な私が<いま・ここ>に現に知覚していない諸物のあり方のうち、かつて私が現に知覚したことの想起こそ特権的地位を占める。表象の適切なモデルは、私が過去の体験を端的に想起することなのだ。

 実に適切な表象の説明である。ここに我々が名詞において考えられる命名性の全てが説明され尽くしている。我々がある名詞、例えばハンマーを語彙選択する時我々の心的様相は、それをハンマーという表象を通して他者へ意志伝達する際には明らかに名詞的思念という道具理解(ハンマーがハンマーとして名指され世界中に存在する存在理由に対する日常的な理解。これがある為にハンマーという語は存在する。そしてそのこと自体を個人的レヴェルで理解するということ)に同意することを意識的、無意識的にかかわらず自覚している。そういう心的様相において我々は選択された語彙使用を通してその同意をも意志伝達内容と同時に表明しているのに他ならない。
 名詞使用を通した名詞的思念とは明らかに道具理解という世界共通(国内共通とか地域共同体共通とかの色々のレヴェルがあるが)認識及びそのことに対する同意表明を結果論的にはなしているのだ、と見做してよい。
そのことを下図に示してみよう。

意志伝達における話題選択→文章構成と語彙選択→発話<名詞使用に関する語彙選択においては道具理解、一般慣用性への同意表明をなしている。>

勿論こういったプロセスは日常的には殆ど無意識に条件反射的に執り行われているのである。勿論意志伝達とは意思表明であると同時に自己の意思確認、他者との間で取り交わされる相互意思確認が綯い交ぜとなった状態で心的な発話行為発動性に関した意志決定プロセス全てを言うこととする。そのように思惟から発話へと至る全てのプロセスを一括して意志伝達と呼ぼうと思う。


 名指し、あるいは名詞的思念を喚起する名詞使用、ある概念指示に関してクリプキが提示した理論は画期的であった。というのもそれが想起させる問題は概念が個的意味や個的理解、解釈を素通りしてそれが流用される共同体においてはその命名者がどのような意図やその概念に対する意味理解があろうともその流用のされ方は概念としてそれが名詞と言う体裁で表出された指示以上の何物も伝えはしないという冷酷かつ合理的な現実であった。ある物語を語る話者がそれをどのような自己の心的な様相において語ろうとも、彼の語りが指示すものは彼の心的な意図や願いとはある時は裏腹でさえあるような、つまり語る動機(フッサールが語った動機付けにも関係があるところの)とは無関係に「語り」という機能によって「語られた意味」(話者の内的動機とは無縁の意味作用的な)が、クリプキの謂いを借りれば循環する。
 今現在でも世界中ではあり得ることであるが、ある宮中の、あるいは王室での陰謀や一般大衆には知らされていない極一部の関係者による取り計らいというものがあるとしよう。それを表立って公表するわけにはゆかないからその取り計らいを今仮にAと呼び、その関係者たちの間では明らかにその取り計らい自体を指示する場合Aを使用するとしよう。しかしそのAという語彙は日常的にはその取り計らい自体と無縁ではないにせよ、その取り計らいが持つ秘め事的なニュアンス自体を字義通りに解釈すれば指示しはしないものとしよう。Aは語彙から受け取るべき語感には決して隠語的ニュアンスはない。その一部の関係者間によってはその取り計らい自体を指示していたその語彙Aも、それが隠語的な役割を果たすのはその取り計らいの実態を知る一部の人間だけだから、それを後世に語り継いでゆこうという裏切り者(その取り計らいは秘め事なので実際はそういう風に語り継ぐべきものではないので)がいでもしない限り、その語彙はやがてその字義が示す通常の意味以上のニュアンス(関係者間の秘密)は剥がれ落ち、その字義通りのみが意味作用として流用されてゆくであろう。言葉の歴史を辿ると意外とそういうことが多い。それはそのAが宮中で使用されている局面においてさえ隠語として使用する人間は関係者である一部の人間だけだから、その周囲の人間はたとえ宮中に仕える者たちでさえ例外なく字義通りにしか受け取らない。やがてその語彙は宮中でも取り計らいに気付かぬ能天気な人間たちの隠語的意図のない部分だけが独立して一般大衆に広まってゆく。
 上記のような現実をある意味ではクリプキの語彙慣用の実態を抉ったような言語論は語っている。クリプキが語る語彙使用における話者の「同意」という考え方は明らかに一般名詞が使用される時も、固有名詞が使用される時も、我々はそういった「語られる」言葉が「語ろうとする意志」とは一致する部分もあるが、必ず齟齬を持ちながら循環される、意味作用的な選択を持っているのだ、ということを如実に示しているのである。<このことに関してクリプキはナポレオンを例に出して述べている。ナポレオンを語る時、その話者が持つナポレオンの知識が「語られる」言葉自体には何の影響も与えはしない、つまり話者はそれを承知でその話者のナポレオンの知識(や認識の仕方)が並外れていてさえ、その見識は「語られた」言葉を通してはナポレオンが指示する性格には影響を及ぼさず、その限界(共同体の大多数の成員が平均して受け取るナポレオンという固有名詞が示す意味)を超えずに伝わることに同意して発言しているのである。>
  
 人間は真に孤独では生きることは出来ない。孤島に暮らす人間でさえその人間の周囲には鳥や亀、兎といった生物たちが人間の他者の代用として存在しているのである。それは脳内の各瞬間に即応した状況判断とかだけではなく、心的持続的に、心理的にそのような周囲の生命に対する協調や同化、ある種の自然共同体という観念を生きてゆく上で獲得する。その生命環境体の一部として生を全うするという意識を覚醒するのだ。どういう状況であってもその状況に応じた目的性や意義を見出す。だからこそ言語が慣用される循環的な情況を受容し、どのような形でその真理を見出したか(クリプキが言った固定指示における名詞を齎した張本人の特定)には係わらず、その真理を生の現実に応用し得る能力を持っている。発話行為も記述行為も、だから行為の一環として位置づけられる。
 我々は既に固有名詞が一般名詞化するような過程もあるし、また逆に一般名詞が固有名詞化し得るような特定の状況もあることを確認してきた。(レコード)それらが我々に教えてくれるのはあらゆる名詞が持つ性格とはその名詞が誕生した瞬間にある程度の限定的な役割は規定されるものの、決して固定的に一点に留まり続けるというものでもない、ということである。孤島に暮らす人間が誰一人として話相手がいないので孤独に打ちひしがれて必ず自殺するとも言い切れない。マッギンがあの「ウィトゲンシュタインの言語論」において示した後半のクライマックスで孤島において一人で生活する人間もまた規則遵守をし得る可能性には明らかにある秩序をどのような状況においても見出す能力の発現というものを想起せずにはおかない。そのようにある人間が切羽詰まった状況に目的と可能性を見出してゆくように語彙もまたそのように可変的な様相性に密着している。一般名詞であるようなある語彙がある地域集団間において、ある複数のサークル内において固有の意味を生じたり、あるいは専門用語であったものが広く一般化してその使用され方がある専門分野から大きく離脱して普遍的な真理の表現に流用されたり、といった現実は枚挙に暇がない。
 そのような意味では語彙の歴史性、通辞、共辞にかかわらず、あるいはその循環の範囲の拡大、延長といった現実はそれだけで、語彙の運命を可変的なものにする。
 かつてヴァイキングの一味であった民族のどの個人もそこで使用された語彙の幾つかが世界語になるとは思いも寄らなかったであろう。かつて一部の部族によってのみ行われた幾多の競技が今や世界的なスポーツになるなどと誰がその発祥の時代に予感し得ただろう?名詞の変動性や名詞の質的な広大さはそれだけで人類の移動や物の見方の変化を物語っている。今後もまた名詞は幾らでも変化し続け、更に数を増してゆくであろう。またそれが動詞をどう変化させてゆくかも重要なキーである。動詞もまた変化し、名詞を刺激、変化させ続ける。次章ではその動詞がどのように名詞に絡んでくるか、どのように名詞から絡まれるか、という面から考察してみようと思う。

Wednesday, May 19, 2010

A言語のメカニズム 23言語に関する疾病と大脳の機能 序説 有限性と無限性、思惟の自然と自然の自然

 前前章の(インターミッション)で生命存在の可能性と進化の様相の偶然性について、前章では言語行為の定着とそこで示された大脳による思考能力の進化過程について少し触れた。ある援用されることの多い言い回しや物言いは、固定化された価値を有する言辞となり、慣用句となる。その言辞を発明した人間が共同体のリーダーに納まる場合もあれば、それを巧みにそれ本来の意味以上に実在感あるものとして利用し、共同体成員間に同意させるような話術と内容を兼ね備えた人間がリーダーとなるということもあったであろう。しかし少なくともそれ以前の慣用句や誰かの物言いに対する援用という常套的利用に終始していた時点での共同体の概念規定に対して全く異なった捉え方の言語表現が一気にウィルスの如く駆け巡り、言語行為を通した思考性そのものを大幅に変更させることはある種の思考の革命である、と私は言った。それは革命をそう否定的に捉えていない物言いである。革命は政治的なものばかりではない。寧ろ言語の革命が実際上の政治的革命を誘引してきた歴史の事実の方が余程多い。テクストはその度に大きな指標となってきた。
 そのことと関係があるかどうかわからないが、物理学者のアイゲンとヴィンクラーは共著である「自然と遊戯_偶然を支配する自然法則_」において革命について触れている。

 安定性と不安定性の違いは議会に提案される不信任案をめぐるやりとりによって明瞭にできよう。投票の結果政府が政権を維持することに成功すれば、議会の構成は全然変化しないか、変わったとしてもほんのわずかしかないであろう。つまり状況は「安定化」されたことになる。あるいは逆に反対党が過半数を手に入れれば、議会は解散され議会の構成は新しくされる。議会が民主的な機関として果たす機能はその構造、すなわち構造が大きく変わったかどうかには無縁なのである。構造が崩壊するにもかかわらず機能は維持されるというのが進化過程の本質的特徴である。これに反し革命はまず系全体を破壊し去り、つぎに新しいものを作るということであり、しかもこの新しい系が後になって実際に機能を果たしうるものだという保障なしに行われるところに特徴がある。進化の過程にあって特定の系が崩壊するのは、新しくつくり出される構造がより高度の機能的効率をもつ場合だけである。言いかえると、現行のものが不安定になる前に、その進化過程が起こるとことの利点がまず「提示」されなければならない。(東京化学同人刊、寺本英・伊勢典夫ほか訳、164ページより)

 ここでアイゲン_ヴィンクラーは自然が如何に偶然的要因によって大きくその姿を変えようとも、その都度の環境において生命体が進化するとか、しないとかの決断を自然が下すものと捉えるなら、ギャンブル的な突然の変化をもたらしたりはしない、つまり一切の進化上の自然選択システムが必ずその変化ののちにその生命体の利するところへ落ち着くようにのみ作用する、と捉えている。しかしこの見方はその生物にとっての利だけからの視点である。その生物には偏利であろうとなかろうと多くの寄生した生命体との共生によって生を営んでいる。すると例えばその生命体に寄生している生物の方の利が優先し、宿主の利を凌ぐということはいろいろの要因(それこそハインリッヒの法則的秩序に従って)からあり得ることだからである。しかしではこのアイゲン_ヴィンクラーの論述が偽であるかと言えばそれも違う。恐らく進化と突然変異とを大きく峻別し、なお進化というものをその個別種にとって利するところにのみ落ち着く、とすれば確かにこの二人の意見は正しい。しかし種とはそもそも子孫という別個体を生殖行為という特殊な行為によって産出する際に常に突然変異をももたらしてきた、ということなのである。
 種とはどのようなものであれ、その種固有の出自を持ち、その固有の事情は書き記された過去の祖先から引き継いだ遺伝的形質とそれをもって生まれ、同時に自身の個体としてのアイデンティティーを持つ誕生の際に受ける特殊状況からの影響によって幾分の突然変異をも請け負って生を営む際に現実の自然環境に対応し、対峙する中で示される遺伝形質とそれを利用した外部環境からの発信(特殊なものである。)に対する受信としてそれを認知し、知覚し、そのこと自体からも促進される遺伝子による生成過程において外部への返信として発現されたり、内部環境(身体)において外部への返信という行為に対応すべく常に全体的ホメオスタシスによって統制されながらも個々の、例えば染色体、細胞、神経組織といったさまざまの段階的レヴェル相互の発信、受信、返信が反復されたりすることの双方向的なメカニズムによって、遺伝子だけではなくさまざまの症状がその都度発現されたり抑制されたりといったことの、基本的に共通なエキソンにおいて保障された同一種内での自己同一的生命の集合体における様相のことを言うのである。
 癌におかされるということは個体維持に関しては突然変異的事項であり、その寄生種の勝手な都合に振り回される人間の個体の様相である。言語行為もまた疾病によって大きく疎外される。コミュニケーションのモティヴェーションの如何を問わず、それは発話能力に支障をきたす。これは言語学者、大脳神経医学者たちによって多くの報告例がもたらされている。しかしその実例に入る前にまず言語行為において発信、受信、返信と言ったシステムとはどのようなものなのか、ということに就いて考察してみよう。なぜ言語行為にさえも疾病が起きるのか、という問いは言語行為というものの正体に対する認識なしには理解し得ない。
 物理学において生命的秩序は明らかに情報のやり取りの有無によって峻別される。シアノ・バクテリアが自己増殖する過程では、無性生殖の秩序として同一の遺伝子を無限に拡張してゆく。その際同一であるという一事が相互に情報のやり取りを保障するのである。植物がオーキシン等のホルモンによって成長その他の一切の機能を制御し、そのたびごとに各パーツに情報を送り込んでいる。そのように情報を送り込めるのは一重にその大元のオーキシンを生成する植物遺伝子が祖先種から引き継いだ形質を遺伝子上に書き込まれた情報に忠実に発現させているからである。つまり情報とは同一のものに対してしか受け渡すことは出来ないのである。仮に全く植物の生成にとって全く利のない遺伝子が人為的に注入されたとしても、免疫的拒否反応を示すだけで、その遺伝子は伝えるべく情報をその植物本体はその用途を考慮せずに排除しようとするであろう。それは人間の身体においても同様である。
 このことを数学の論理においてしばらく考えてみよう。ラッセルの「数理哲学入門」の中から今論じている情報ということに関係する事項を幾つか取り出して考察してみることにする。

 証明における数学的帰納法は、昔は何か神秘的なものであった。それが正当な証明法であることを疑う合理的根拠があるようにはみえなかったが、だれもそれがなぜ正当であるかをはっきりとは知らなかった。ある人は、帰納法という語が論理学で使われる意味における帰納法の実際例であると信じた。ポアンカレは数学的帰納法を、それによって無限数の三段論法が一つの論法に要約できるきわめて重要な原理であると思った。われわれはいまではこれらすべての見解が間違っており、数学的帰納法は定義であって原理ではないことを知っている。ある数には数学的帰納法が適用でき、他の数には適用できない。われわれは「自然数」を数学的帰納法による証明できるように、つまりあらゆる帰納的性質を有するように定義する。このことから、数学的帰納法による証明が自然数に適用されるのは、神秘的な直観や公理や原理によるのではなくて、純粋にことば上の約束として定義されれば、四本の足をもつ動物は四足獣であることがいえる。数学的帰納法にしたがう数のばあいもまったく同様である。
 「帰納的数」という語はいままで「自然数」とよんだものと全く同じ集合を意味するものとする。それは、この数集合の定義が数学的帰納法からえられるということを、暗示しているので具合がよい。
 数学的帰納法は他の何ものにもまして有限者を無限者から区別する本質的特徴をあたえる。数学的帰納法の原理は通俗的には「つぎのものからつぎのものへと推論できるものは、初めから終わりまで推論できる」というような形でのべられる。このいい方は、最初と最後のあいだの中間段階の数が有限であるばあいには真であるが、他のばあいには真ではない。
 
 ラッセルの言うある数から別のある数への集合を考えた時、有限であればこそ数集合となり得るということを言い表わしている。そもそも集合とは有限であればこそ論理的に解析し得る。なぜなら無限であることは理念的には可能だが、表示しきれないし、また限りのないものをどうやって一括りに出来るのか?それは概念的思考の限界を示してもいる。しかし同時に我々はあり得ないことも数秩序の上ではあり得ることとして考えることが出来る。(本論の最初章を参照されたし。)その意味で数論理は言語的思考の論理的カテゴリーにも近いところがある。無限への認識もその意味では数論理と言語的思考の、自分の能力を超えたものまで想像して考えるとが出来るという「思考の性質」を物語っている。そもそも全ての数を数えあげることは不可能であるが、そういう風に無限に「ある数からある数までの」限定された範囲にさえ無限に数を考えることが出来るという概念的思考はやはり論理上でも可能である。ラッセルの論述はまだ続く。

貨車が動き始めるのを見たことのある者は、衝撃がつぎの貨車からつぎの貨車へと伝えられて、最後には一番後の貨車までも動き出す様に気づいたことであろう。列車が無限に長ければ、無限数の衝撃の系列があることになり、全体の系列が動き出すときはこないであろう。しかしながら貨車の系列は帰納的数の系列(中略)よりも長くなくて、しかも機関がそれに耐えられるならば、それぞれの貨車は遅かれ早かれ動きはじめるであろう。まだ動きはじめていないもっと後の車両はいつも残っているだろうが。この事例は、つぎからつぎへと進む議論と、それの有限性との関係を明らかにするのに役立つ。数学的帰納法による議論が妥当しない無限数の諸性質を対照的に考察すると、有限数についておこなわれる数学的帰納法のほとんど無意識的な使用法が明らかになってくる。

 ここの部分は物理的には宇宙ででもない限り実現不可能な比喩であるが、論理的な秩序を考える上ではまさしく名論であろう。しかも遺伝子が発現する現実や、どこかでついぞ全体の遺伝子が同時に発現することのない我々の身体まで連想させる。物理学的考察においてアイゲン_ヴィンクラーの論理が個体に存する突然変異という現実(遺伝子の翻訳ミスとか発現ミスというものも十分あり得るから、極端に遺伝的形質を無視する個体などあり得ないが、少々の誤差は常に付き物である。)ということを考慮に入れていないことと相通じるものを、ラッセルの言辞には感じさせる。このような概念的理解を促進する論理にはイデー的な認識の近いところもあり、するとそういったイデー的思考を揶揄するかの如きフッサールの言辞を思い出させる。

 (前略)文法的相違と論理学的相違とは必ずしも一致しない、換言すれば、諸言語は、伝達のための広範な効用をもつ質量的な意味の相違をも、根本的な論理学的相違(すなわち、アプリオリに意味の普遍的本質に基づく相違)を表明する場合と同様の、厳格な諸形式によって表明する_という、このような一般的認識は<論理学的諸形式の領域を過度に限定し、論理学的に重要な多数の相違を単なる文法的相違と看做して廃棄し、その挙句かろうじて伝統的三段論法に何がしかの内容を温存しておくに足りる程度のものだけを残しておく、有害な過激論{ラディカリズム}>にために地ならしすることにもなろう。ともかく高く評価すべき、ブレンターノの形式論理学の改革の試みは、周知の通りこのような行き過ぎに陥ったのである。ここでは表現、意味、意味志向および意味充実の現象学的な本質的相互関係を完全に解明することのみが、われわれに安全な中道を与えうるのであり、そしてまた文法的分析と意味分析の相互関係をも必要な判明性にもたらしうるのである。

 フッサールの論述は文法的相違と論理学的相違を同一視することが論理学的視点を限定することである、と批判しているが、事実我々が論理学的と捉えるものに対して、文法的相違は明らかに慣用という事実から限定された、日常的な使用頻度と共同体機能において親しみの持てる公共的事物のみを特権的に優遇するような偏向を必ず携えていることからもよく理解出来る。その意味では公共的で最大公約数的規定価値的な言語における慣用的文法規定性は差別的であり、しかも生物学的にも人間の声帯その他の身体的事情によって、民族共同体的ラングにおいて、その言い回し自体が極めて発音し難い(もっともどの民族も英語を勉強してその発音のし難いと感じるものがあり、それは大抵英語圏の人々もまたそう感じていることも多いが。)という側面は往々にしてあり、偏向性そものは致し方ないものなのかも知れない。だからラッセルが言う数理哲学的論理の真理性への希求は、そういった物理的条件とは無縁のある意味では大脳レヴェルの思惟の問題であることが了解される。数学という学自体が思惟の自然をモットーとしているからである。だから数学において物理学的な数値の無限に精確な表示は概念的には可能であっても、実際上のナノテクノロジーの限界をも考慮に入れれば実現不可能なことでもあるわけである。またこの不可能性はカントにおいても彼を悩ませた問題でもあった。カントは「純粋理性批判」(中、94ページより)において次のように語っている。

 (略)空間において実在するもの即ち物質は条件付きのものである、そしてその内的条件は空間の部分であり、また部分のそのまた部分は更に遠い条件をなしている。それだからこの場合には背進的な綜合が成立し、理性はこの綜合の絶対的全体性を要求する。そしてこの絶対的全体性が成立し得るためには、物質の実在が消滅して無に帰するか、それとももはや物質でないところの、即ち部分をもたぬ単純なものになるか、二つのうちいずれかであるような究極の分割による以外にはあり得ない。従ってここにもまた条件の系列と、無条件なものにいたる遡行〔背進〕とがある。(後略)

 この論述はラッセルの論述の最初に示した部分の論理を物理的空間に置換したものだ。
 無限大と無限小は理性的レヴェルでは理解出来ても、その包括的認識そのものが、物理的な確認が、こと相手が無限であれば完遂不可能である。その意味では無限とは、有限であることで確証されるラッセルの言う論理を成立させながら、一方でそれを無効にするようなもう一つの現実に対する我々知的存在者にとっての論理的無矛盾性への回答である。論理的無矛盾性とは、思惟の自然、思惟の必然であるのである。だからこそこう言える。論理的無矛盾性の学、数学の思惟の自然と、自然の自然とはおのずからズレを来たすのだ、と。(フッサールの言う文法的相違とはこの場合自然の自然に該当するのである。)
 遺伝子の翻訳ミス、配列ミスといった自然の自然な在り方が示すものは、結局のところ我々が理解し得るものは法則性だのア・ポステリオリに確認し得るところの大まかな真実だけで、それに逆らう自然の誤差とかの極小的なレヴェルの偶然性を支配するような必然性(そのようなものがあっての話だが)というものは現時点での我々には解析不能なのである。そのことをよく物語っているのがデリダの発言「有限性は本質的であって、根本的に乗り越えられることはけっしてあり得ないのではないだろうか」(「『幾何学の起源』序説」117ページより)であろう。
 しかし有限であればこそある個体同士の生殖行為によって産出される遺伝形質を備えた子供、子孫の系譜が生物学的には可能ともなり得るわけであり、その片親から二分の一づつ継承される同一のDNAが同一であればこそ情報を伝えられるというもう一つの厳然たる普遍法則を指し示してもいる。我々自身とは完全なるコピーでもないけれど、完全なるオリジナルでも決してない、ということなのである。偶然性は大きいけれど、遺伝的形質は確固たる必然であるからである。
 我々は生物学や遺伝子工学においてショウジョウバエや線虫、あるいは植物に関してはシロイヌナズナ等といった特定の生物のみを集中的に探索してきた。それは普遍的法則性の発見のためにその時その時の研究者たちと、現代科学技術の限界的事情、倫理的事情(人間を実験材料に出来ないものも沢山ある。)によってもたらされた致し方のない現実であり、この場合それはフッサールの言う文法的相違であり、自然の自然に対する対処法だったのだ。(思惟の自然では人間を知るには人間に対する実験が最も有効であることは確かであるのにそう簡単にはいかない。)しかし我々が例えば長く外国暮らしをしていて、久しぶりに祖国の人と邂逅した時、極自然と母国語で話すような、同一のものに対しては情報が生まれるという物理法則は、もっと近しい関係で言えば別々に育った一卵性双生児が殆んど始めて会ったその瞬間にすぐに気心を通じ合うような真実からも証明されているし、実験することが憚られるような人間の本質も、実は潜在的には我々自身が最もよく知っていることなのかも知れない。しかし科学は証明されなければ、自然法則としては決して認知しはしない。言語学者や脳神経学者たちは常に障害をもったケースを取っ掛かりとして、自身の病理学的見地から言語行為の本質を探ってきた。中でも失語症とか言語障害とかの症例は既に何世紀も前から多く報告されているし、また研究も盛んである。そこから幾つかの重要なものを取り出し検証してみよう。

Wednesday, May 5, 2010

C翻弄論 7 中位者の自己犠牲的精神に纏わるマゾヒズム的傾向と権力志向的サディズム

 我々の社会を見回しても容易にその例が見られることというのは、中位者の下位者に対する優越意識の誇示である。巫女論において吉本が主張したこととは、この中位者の心理を抉り出すことにあったと私には思えてならないのである。というのも巫女はそれ自体では決して権力者ではないけれど、上位権力者に対してはある種の近寄り難さを心理的に抱く大衆が身近なアイドルとしてこの巫女を認識していたのではないか、ということと、もう一つはこの巫女の行状を巧みに利用した中位者たちがいて、彼等は決して上位者には未来永劫なれないことを自己内でも自覚的であり、その自覚が今現在の上位者にあっては、その地位を揺ぎ無いものにして、尚且つ下位者の中からあまり優秀な人材が出て、上位者並びに自己を中心とする中位者社会の脅威にならないように心がけることがモットーであった、と考えられるのである。巫女は言わばそういう思惑を実践するための大衆つまり下位者に対する恰好の緩和的な素材であり、上位者に対する尊崇を維持するために機能したし、それを積極的に下位者に対して啓蒙することが中位者の使命であった、と想像される。
 アリとかハチの社会では中位者というものはメスの働きアリと働きバチである。下位者はオスの働きアリ、ハチである。上位者は女王アリとハチである。この圧倒的多数の中位下位者社会であるミツバチの世界では、下位者働きバチ(この中から王は出現しないという意味では働きはメスと同じでも下位者と言ってもよいだろう。)にとって遺伝学的にも実際の親である女王よりも兄弟に当たる働きバチのクラスの成員の方が血縁は強い(W・D・ハミルトンが発見した。女王アリ・ハチはメスをオスとの交接で生むが、オスはそれなしに生む。)ので、他所から女王地位剥奪者が現れて女王が変更されることより、自分の子を作るより、親の女王がいつまでも居座っているよりも自分の遺伝子を一番受け継ぐ兄弟姉妹が女王になった方が得なので、同一クラスの成員のために只管働き、彼らの結束は決して揺るがない。今度はアリの話をしよう。(ドーキンス「利己的遺伝子」より)
 それはある意味では社会内自己犠牲率先主義である。そこに介在する固定化マゾヒズム(勿論彼にそういう認識はない。擬人化して私はこう呼んでいる。)は、実は社会システムを改変しようと試みる不届き者を警戒し、未然にそのような行為を防止することにあるが、いざ女王の座を狙う他所様の不届き者が出現すると、今度はその不届き者の発する独自のフェロモンによって、たちどころに洗脳されて、今現在の女王が偽者であるという暗示にかかり、女王の挿げ替えを実践することに協力する。(現在の女王の首をちょん切るのだ。)しかし不届き者自身は彼等の横の結束さえ崩壊させなければ安堵して女王の座に座る。その繰り返しである。このような共同的な結束による自己犠牲的な心理が人間社会にも多々見受けられる。つまり重要なこととは、女王がどんなに偉くても、ハタラキ・クラスの横の結束を壊滅することは不可能だ、ということである。このことは人間の歴史においても、中世における帝国とか王国でもしばしば見られたことである。
 先述の寂寥が過食に繋がるという事態は、ある意味ではまさしく性的欲求の非実現性がもう一つの快楽である食へと向かうということと、言語活動であるところの会話する対象つまり他者が身近に不在であることが、性的抑制という言語思考的快楽をさえ阻止されているために、致し方なく(勿論そのようには当人には意識されないが)食へと意識を向かわせ、やがて性的抑制が過食という事態へと転化する、という風に解釈出来る。
 しかしそのような過食という行為それ自体は対他的には迷惑を直接かけないで済む。しかし社会機能維持の観点からは中位者たちは、下位者に対して日頃から上位者に対しては自己欲求を抑圧してもいるので、実は潜在している上位者に従属すること自体に内在するマゾヒズム的ストレス(そういうものがあってとして)を下位者に対するサディズムに置換しているのだ。それが横の結束だけはたとえ王者でも干渉することは許されない中位者の不動の権限である。そのような心理で臨む下位者に対する中位者の態度というものは、上位者に対しての従順を下位者に対して「自分だってこれだけ我慢しているのだから、お前も従え。」という要求しているのと同じである。それはある意味では上位者に対し自分でも気付かぬストレスも抱いているということをも意味しないだろうか?
 言うまでもないことであるが、アリやハチはあくまで遺伝子的な判断によって結束するし、上位者になりかわろうとする不届き者に対して誘引され、再び作業遂行という事態(女王の首を落とす。)へと至る。しかし人間は遺伝子的な傾向性として上位に対しては諂い、下位に対しては尊大になるという事態はあり得るが、それは無意識に表出する誰しも経験する惰性的な意思決定性によるものである。人間の場合、実際信条としてそういう態度を採ることを忌避している場合、意識的に無意識の惰性的対下位者に向けられる尊大さを抑制しようと意思決定することはある。思いやりである。しかしにもかかわらず殆ど自動的と言っても構わないくらいの意志的な対下位者尊大性の誇示者というものはいつの世にもいる。そういう人間の心理はまさに信じること、つまり上位者に対する礼節死守に対する神からの恩恵が下位者に対する上位志向性秩序への服従強要のための抑圧以外の何物でもないという信条に支配されているのである。それは性的快楽を抑制する機能の一つとしての言語的な思考、あるいは言語使用快楽の極がまさに、信じることが至上命題である、信じて実行することが自由として至上価値である、と命令しているのである。そこでは最早対自己懐疑というものは存在する余地が与えられない。信じることというのは考え続けることの放棄であり、惰性的性格(只管続行を命じる)がある。(宗教的妄信にもそれが言える。)
 しかしこの種のマゾヒズム自体がサディズムへと転化されてバランスをとっている決心の構造というものとは、一面では惰性的な日常性への依拠と同時に対下位者の脅威論を論理的に正当化している、とも言えるのである。下位者による中位地位剥奪への恐怖が支配へと直結している。これはいじめの心理の基本的構造でもある。
 恐怖が支配へと直結しているものの典型の一つが宗教である。宗教心というものを仮に今神に対する畏敬の念、神を恐れる気持ちであるとしよう。するとそこから我々は、我々自身が長い時代不可知の領域を不可知のものとしてエポケーすること自体が、とてつもなく心配なことであり、耐え難い困難さを伴うものであることを知る。というのも人間存在が不完全だという認識があるから、実は無であるところの不可知領域全てを何か実体が在るかの如く「神」という存在を仮定し、仮想しそこに最大の信頼と依拠を決め込むことから宗教心としての神の存在の確証を人間は得るのである。実際不可知領域というものはミステリアスに見える。そこで神という概念に代表させ、自らの小ささを覚知するための方策として、不可知領域の広大さを実感し得ない者(それは実際知覚不能であるからそうであるのは当然なのであるが)に対して不遜である、神をも恐れない不届き者であるという烙印を押すのである。その行為もまたある種の中位者の下位者に対する愉悦として古代より人間において機能してきたのである。上位者というものが人間であることを重々承知であるのにもかかわらず、人間に対する恐怖を神への恐怖に置き換えることで急場を凌いだ歴史的経緯の中から我々の祖先は次第にその仮託存在を実在するか如き錯覚に陥らせたのである。再び神への認識に戻ってみよう。

 ユダヤ哲学者であるレヴィナスも多大な影響を受けたブーバーには神が論的に前提されている。ブーバーは「我と汝」において、次のような叙述において、神というものの在り方を明確に規定している。そして続けて語る。
「(前略)自己の態度をたんに<体験するだけにとどめ、心の中だけに終わらせてしまうひとは、どのような深い思索に耽ろうとも、世界は存在しないのである。_また、彼の中に生ずるどのような心の戯れ、芸術、陶酔、恍惚、神秘があろうとも、彼は世界のいぶきに触れることはない。自己の内部でのみ解決を求めているかぎり、ひとは世界を愛することも、悩むこともあり得ない。彼は世界へと出てゆかないからである。ただ世界を信ずるひとだけが、世界とともに自己がなすべきことが分る。このことを明らかに認めるひとは、神なしではあり得ないであろう。もしわれわれがけっして消え去ることなき真実の世界を愛するならば、あらゆる恐れの中にあっても、すすんで愛し、われわれの精神の腕で世界を抱擁するならば、われわれの手は、この手を支えている別の手に出会うであろう。
 神から人間を分離させる<世界>とか、<世界の生活>があるとはおもわない。そのような<世界>は、経験し利用する疎外された<それ>の世界の生活である。
 真に世界へ出てゆく者は、神に出会うべく出てゆくのである。内への集中と外への活動、この双方は、一にして他であり、また一つであることを真に必要としているのである。
 神は一切を包む。しかし、神は、いっさいではない。神はわたしの<自己>を包む。しかし、神は<自己>ではない。このいかなる言葉によってもいいつくし得ようもないもののゆえに、わたしの言葉で、他のものが自分の言葉で、<なんじ>というように、<なんじ>と語ることができる。このいいあらわしがたいもののゆえに、<われ>と<なんじ>があり、対話があり、言語があり、原行為である精神があり、言葉が永遠に存在するのである。
                      ❋
 現実に現存しているという人間の<宗教的>な状況は、根本的に解決できない二律背反を特質とする。二律背反が解決できないということは、まことに人間の本質にもとづいている。またそこから命題を認めて反命題を認めて反命題を認めぬ者は、人間の状況の意味を破壊してしまうであろう。さらにこの二律背反性の矛盾を生命をもって耐える以外の他の方法をとろうとする者は、人間の状況にたいして誤りを犯すことになる。人間の状況の意味は、すべての二律背反に生きること、なんの予想も、想像も、規則ももたず、ひたすら、たえず新たに生きることにある。(119~120ページより)」
 
 ブーバーは神を絶対視しない。寧ろ各自心の中にある神を大切に思う。(そういうところはスピノザ的である。)神は彼にとって全知全能ではない。太字の部分が最も神の規定性としては重要である。そして神とは言ってみれば、各自の中にあるDNAのようなものであるかも知れない。それは確かに自己ではない。自己である神は部分的なものだ。しかしそれは自分にとっても「なんじ」にとっても皆共通して持つ重要なものである。まさに「われ」は自己を離れて「なんじ」の神や他の「なんじ」の神とも出会うし、協力することが出来るのだ。「この手をささえている別の手」こそ、我々が皆持つ人間としての絆である。この主張は明らかに吉本の共同幻想とも出会う。共同幻想は自己幻想同士の出会いでもあるように思われるからだ。
 しかし問題なのは後半である。とりわけ最後の言葉である。「人間の状況の意味は、すべての二律背反に生きること、なんの予想も、想像も、規則ももたず、ひたすら、たえず新たに生きることにある。」という一説は極めて重要である。全て二律背反に生きることとは異質性同士の共存と捉えれば理解出来る。「われ」と「なんじ」は確かに違う。違うから他者であり、他者と自己が対幻想となり得る。これが意思疎通の始まりである。
 しかし意思疎通というものは常に巧くゆくとは限らない。サールは同じ哲学者でもブーバーのように暖かくは眼差しを向けはしない。寧ろアイロニックであるし、懐疑主義的である。しかしその方法が理解という道筋には重要なのだ、という主張がある。
「ちなみに私は、約束を守るという義務が道徳的義務との間に必然的関係をまったく持っていないと考えている。約束を守るという義務が道徳的義務の典型例であると主張されることはたしかに多い。そこで、非常に陳腐な例を考えてみよう。さて、私が誰かのパーティーに出席すると約束しながら、その晩になるとパーティーに行く意欲を失ったとしよう。もちろん私は、出席するべきではある。なぜならば、結局私はそのように約束し、かつ出席しなくてもよいとするための言い訳(excuse)は見出されないからである。にもかかわらず私はそのパーティーには行かない。はたしてこの場合、私は不道徳であろうか。この場合が約束不履行であることは疑いはない。そして、私がそのパーティーに行くことがなんらかの理由で重要なことであるとすれば、私が家から出ないでいるということは不道徳なことであろう。しかし、その場合には、不道徳かいなかということは私の出席がどれほど重要であるかによってきまることになり、約束の際に引き受けた義務からただちに導かれるものではなくなってしまうであろう。(「言語行為」333~334ページより)
 まさに昔観た映画シリーズの植木等の無責任サラリーマンの台詞である。「何?お呼びじゃない?こりゃまた失礼!」である。つまり敬遠された人間の心理は、敬遠される自己内の理由にある程度自覚的なのである。だからこういう場合、無理してまで向こうの建前的誘いに応じるような義務感など無い方が寧ろ喜ばれるのである。人間引き際が大事である。いつまでもある場所にはいないで、いち早く他者の暗黙のサインを察して退散する必要性も社会にはあるのだ。それを一々説明を受けずには気が付かないような疎さはあまり褒められたものではない。
 しかしこの見解は実はブーバーの上記の見解と全く一致するのである。二律背反的な他者との相関関係を理解出来ない人間、つまり彼が「この二律背反性の矛盾を生命をもって耐える以外の他の方法をとろうとする者」とする人間こそ、他者からの建前的に誘いを受けたことを承知せず、敢えて説明されなければ何も覚知しない鈍感な人間のことだ。全く異なった文脈のように思われる哲学者間にも多くの共通した考え方は存在するのに、ただ闇雲に彼らは次元を異にすると見做すのはただ安易な流派受け売り的ジャーナリズムである。実存主義も行動主義も論理実証主義も構造主義も日常言語学派も分析哲学もポスト構造主義もへったくれもない。それらの哲学者たちは別のそのような言葉で括られることを望んではいなかったし、今もそうだ。それを示すためにブーバーとサールを持ち出した。思想を一括りにすることこそ中位者の知恵である。人間の中位者の心理は上位者へのマゾヒズムを下位者に対してサディズムに転換することで、自己安定化を図ろうとする無意識の選択なのである。それは誰もが持つ心理である。
 生物の世界における熾烈な自己犠牲性について思い出して頂きたい。彼らのように自己の分際を心得ること、自分の立場を弁えることはどの社会でも重要なことだが、そのことに関しては疎い奴がいる人間よりも寧ろ動物界の方がより徹底している。ハタラキアリやハタラキバチらは自らの本分を逸脱しない。もっと徹底している。自己犠牲の精神にも近い。「自分は社会においてそれほど偉い存在、分際ではない。」という自覚を徹底させている(勿論比喩である)。だからこそ逆に恐ろしく義務遂行的であるのだ。何しろプログラムされた通りに生きている。人間は頭がいいので遺伝子プログラムに沿って生きているとは考えたくはない。仮にそうだとしても別の理由を探したい。そして自分だけ固有であると思いたい。そういう考えの人間同士は相性もいい。

 付記 養老孟司は脳を実在作用、遺伝子を情報作用と捉える(「人間科学」)しかし氏のドーキンス批判は当たっていないのではないだろうか?この事は別ブログ 「生きているもの」と「死んだもの」養老孟司と永井均 において近日中に示す積もりである(未だ調査すべき事項があるので、すぐというわけにはいかないが)http://d.hatena.ne.jp/olivlove/#edit_in_place
 養老の考えの基本である行動が脳によって実在的に決定される事が遺伝子に影響を受けないという事は確かに行動学的には正しいが、そもそもある職業を選択したり、親しい人とか尊敬する人が決定される事はやはり遺伝子の影響が大きいと私は考える。要するに養老は解剖医としての経験から自然と人口を二値論理的に分極化したいようだが、やや即物的に過ぎるというのが、哲学的考察(氏は哲学者ではないという自意識が肯定的に強い)としては、少なくとも私にとっては物足りない。私たちは社会生活上外面的体面を保つ事と、心理的内面を保持し続ける事の二面的同時性を生きるし、それは自己に於いてそうであるばかりか、ミラーニューロンの発見などからも明白な様に、他者も又そうであるという確信を生きる。従って結論的には脳も遺伝子もあらゆる行動と意志決定、その合理化に関わると私は考える。

Saturday, April 24, 2010

B 名詞と動詞 10 <理解される可能性と不可能性の認知>

 人間には自らの遺伝的特質を真摯に着目し、無理をせず自分らしい行いをしようという側面と同時に、自分らしさに拘らず自分がやりたいと思うに任せて突き進もうという側面とが同居している。しかしよく考えてみると自分というものは常に少しずつ変化しているのに、「自分らしさ」というものは過去の自分の経験を綜合した判断にしか過ぎないとも言い得る。ことにそれが栄光に輝いているものならとりわけそれに固執しがちであるが、これは保守的な考え方であろう。しかし同時に中島義道の言葉を借りれば我々には「私がいかなるパースペクティヴをとろうと、そこからの相貌は一つの経験としての実在的世界に影響を与えない」(「カントの自我論」8ページより・マッギンの考え方とも共通している。)ということを承知しているからこそ逆に何か世界自体、それがどんなに微小な世界たろうと、それに共鳴を与えたいという自我のようなものによって我々は「自分らしさ」に拘らず何か主体的に事を起こしたい、と願うのであろう。
 「自分らしさ」に拘泥している内は他者からの理解は、少なくとも意志伝達(特に対話を基本とした)においては得られまい。「自分らしさ」を対話中で主張することは独我論的な対自姿勢の表明であるから他者には理解し難い。自己はどんなに客観的に見つめても他者を見るようなわけにはゆかないのである。だから他者から見た自己は対話手に教えて貰うことが一番手っ取り早い。しかしそれはその他者にとっての自己でしかないのだが。
 勿論我々は他者から理解して貰う為にのみ意志伝達するわけではない。恐らく我々は寧ろ何が理解され、何が理解されないかを知り、ある部分では共通理解し合える部分を自己信念として邁進し、ある部分では他者にとって理解不能な部分を突き進もう、という意志決定の糧とする為に意志伝達するのだ。マッギンも言っているように他者もまた意識、心を持っている筈だという「信じる」ことを通して意志伝達はなされる。この前提が欠落すると対話上では理解は滞るであろう。(一方的な理解は真の理解ではなく、理解幻想である。)
 この理解される可能性、不可能性がア・プリオリに了解し得るのなら我々は意志伝達をする必要がない。
 前節でも少し述べたが、容易に理解して貰えると思っていたら、存外に理解して貰えずに、逆にどうせ理解して貰えないと諦めていたのに、ある時思い切って言ってみると意外と理解して貰えたという経験というものは誰しも持つ。前者の場合容易に他者にとっても理解してくれるだろうと思っていたことに対する認識不足(その事柄に対する誤謬的な物の見方)であるか、その他者がそういうことであれば容易に理解してくれるであろうという推測を成立させていたところの覚知してきた他者像(その他者に対する全体把握)が、存外に実像とは違っていたということであるかのいずれか、あるいは両方であろう。
 他者像というものも難しいが、その他者が理解し得ることとは何かを理解することもまた極めて難しい。
 他者からの理解、自己の側からの他者への理解(この双方があるから我々はその他者と意志伝達を図るのだ。)という接点は、ある共同体において命運を共にする者同士が同一共同体からの強制力(そのものは同一でもそれに対する認知の仕方、感受の仕方は自己と他者では自ずと異なろう。しかしそれでも何処かでその認知、感受の仕方において共通点があると確認し合え、またその存在を信じるからこそ我々は意志伝達をなす。)に接しているという現実認知が意志伝達の成立基盤ともなっている。それを失えば恐らく対話を通した共通認識や交流は途絶えてゆくことであろう。

 では先程の後者、理解されないであろうと思ったのに意外にすんなり理解された、というような場合はどのように考えればよいのであろう。これは色々考えられるが、一番の理由は「構え」を持たずにその考えを述べる、つまり理解して貰えるであろう、という臆測を先験的に持たないことが発話自体をクリアにして聴者の意識を理解しようという「構え」へと誘うのであろう。「構え」は話者になければないほど聴者に「構え」(肯定的に受け取ろうという)を構成し、逆に話者にあればあるほど聴者を「構え」から遠ざけ、拒否によって受容を解く姿勢を構成する。「構え」は受容する側においてのみ自発的となり、付与する側からなされれば強制となる。自然な発話こそが意味を肯定的に受容させる。
 勿論その内容も重要である。しかし内容は理解しようと「構え」ている場合にのみ受信される。発信者は受信者に感情的に内容を一旦受容して貰わねばならないのだ。だからもし内容が受容すべきものでも、「構え」て発信されれば受信者(聴者)は一応認めるものの、拒否しながら認める(渋々認める)であろう。「構え」なしに誤謬を伴った内容を語る時、その誤謬を指摘する聴者の側には他意はないと思われる。しかしそれが話者にとって信条、心情である場合は冷静な誤謬であるという指摘さえ受容出来はすまい。しかしその場合それ以上のそのことに関する話題を回避すればよいことである。その話題が対話成立条件をさえ脅かすものでない限り信条的な差異を尊重することは最低限の意志伝達のマナーである。

 「構え」は話者が聴者に仕向ける時「全体把握」的である。名詞的思念である。それに対してそれなしに話題に入る時虚心坦懐であるから理解しつつプロセスを重視し、そのプロセスを聴者に理解させつつ共有の場を構築させて進行させるので(聴者自身が主体的に話題へと自己を巻き込むように共有の場を発動する)動詞的思念となる。結論設定的な前者に比して、これは話題発動の誘引作用を持つ。前者(「構え」を採ることを)が「信じる」ことを強制することに繋がるのに比して、後者は「理解する」ことを促すことである。しかし促されないことも大いにあり得るのだから、最終的には自己の信条、決裁が必要となる、ということは言うまでもない。
 動詞的思念は明らかに全体把握からは漏れ出るものに対する着目である。というのも全体を把握することとは静的なものとして諦念すること、あらゆるそこから漏れ出る動きを一旦無視して背進することによって成立する。ところが動的な出来事、事実の認識は全体的な把握からその具体的、実際的な事象へと我々の着目を移動させる。言わば全体の崩壊、部分の独立とそのことへの注視を促進する。動きとはそれ自体で統一を乱すものである。そこで我々は動詞的な思念において心的様相は決して俯瞰主義ではなく、洞視主義に赴くのである。だがこの洞視主義は決して動詞だけではない。名詞においても心的にはあり得る。ただそれは性格とか性質ではなく、その過去の行動、行為、経験の全てが規定するその者(物)のシンボルである。しかしシンボルといってもある特定の象徴作用としてのものではなく、あくまで慣用的な使用においての固定指示(クリプキが言っているような意味での)である。それが固有名詞である。次節では一般名詞と固有名詞との関連性について考えてみよう。

Tuesday, April 13, 2010

A言語のメカニズム 22、発声、大脳、進化

 文化コードとしての会話や対話が人間の生活において重要な意味を持ち始めた頃、その会話や対話が音声によって、しかもそれを聴覚をもって受信していることを明確に意識していたのは、聴覚障害者だけであったかも知れない。音声は発声という行為によって成立し、発話という秩序で初めて他者へと伝達され認識される。ヤコブソンはその著書で聴覚に障害を持つ人間は幾ら発話それ自体に支障のない場合でも聴き手の側からすると逸脱した発話仕方になりがちで、発話に障害を持つ人間(歯が欠けていて、摩擦音を作り難い)でさえ、聴覚さえまともであれば、何とかそれに類する音声を別の工夫で再現出来る、と指摘しているが、ここには明らかに聴覚認知システムとしての音声秩序体としての言語行為の在り方が示されている。つまり我々は言語行為において大切なのはあくまで伝達されること、それは伝達するために他の音韻と弁別して一つの音韻を指し示すこと、ゆえにたとえその発声技術が稚拙であろうとも弁別認識さえ確固としておれば、何らコミュニケーションには支障がないということ(それを恣意性と呼んだわけであるが)なのである。
 前章、インターミッションで言語行為を拡張して認識する必要性を少し述べたが、実際なぜ我々はこのように発話とその授受という音声秩序による言語行為をオリジンとして発達させたのであろうか?興味深いのはなぜ視覚的サインでなくあくまで聴覚システム中心の言語行為であったのであろうか?そのことについて少し考えてみたい。
 聴覚的言語行為たるパロール以外のもの、現代に見てみると、モールス信号、メールといった遠隔地からのものは視覚確認的であるものの発信者の実体は確認できない。これを除いても、手話、手旗信号、エクリチュールこれらは総じて所作を伴うということである。
 その点パロールには身体的所作を必要としない。身体的な所作を伴わない実は唯一のものは表情である。これを忘れてはいけない。表情は最も有効かつ確認しやすい感情、意志表示言語である。パロールは実際はこの表情による意志表示(意思表示にはしないことに意味がある。なぜなら意思はあるコミュニケーション秩序を前提する。しかしここではもっと原初的であるが故に意志を使用する。意思の方は後に更新する「真意と偽装の心理学」中の初章試論を参照されたし。)に付帯して発展したと思われるが、次第に表情から独立して(勿論伴ってはいたものの)発展しだすのである。それ自体の行為、あるいはもっと行為を離れた言辞自体の独立的、自立的展開を示しだすのである。
 しかし音声言語がまず発達したと考えられることの第一の理由はやはり所作を伴わないということが生存戦略上の利便性であったからであったであろう。今まさに敵から襲われ掛けていたりする時、それが伝える方でも伝えられる方でも発声することで他者に気付かしめて「助けて」「逃げろ」と言う方がきっと他のやり方よりもずっとよかったのであろう。もっとも最初は発声のみで、「助けて」「逃げろ」という言辞までは言えなかったろうけれど。(表情はその表情をまず視覚的に認められるということを前提するが、発声は別の方向を向いている人間にも呼びとめられる。)
 ある鳥類のさえずり(鳥類はさえずることでその音声秩序に従った言語を営んでいる。)の研究をする動物行動学者は人間の言語の進化について、そもそも今までの言語学が音声と意味とを一対のものとして考え過ぎてきたためにその進化の歴史が見え難かったのではないか、としている。まず発声が意味とは別個に発達し、あとでそこに意味を当て嵌めていった、という風に考えた方がよいのではないか、と述べている。この考えにはもっともなところもあり、意味というものが実際上は人間の脳内では顕在化しつつも、外的に表示されるようになるということでは意外とずっと後から生じたということは十分考えられることである。というより音声と一体化した時点で脳内のもやもやは一気に意味として顕現されることとなった、ということであろう。地球上では音声秩序で言語を今のようなかたちで操るのは人間だけであるが、全く別の系の惑星では人間のかわりに鳥類の方が知的に進化し、人間の言語のようなものを操っているような想像さえ許す発想である。
 ともあれ言語行為が聴覚器官による認知を前提にして執り行われることは所作を必要としないということと、対峙していない相手にも声をかけられるということの利便性によって定着した、という一事が最早後戻り出来ない今のコミュニケーションの状況を作り出した(最初が全然違う方法であったなら、また別の進化があったであろう。)ということなのであろう。しかし歴史は常に一回限りのものであり、デザイン画の下書きのように何度も試行錯誤して決定してゆくような悠長なものではない。常に動いており、全ての瞬間が一切のリハーサルを許さない本番の営みなのである。
 発声する行為はやがて音声的秩序の形成とともに、表示される音声の恣意性に準じた意味をその都度の発声的必要性から生じるようになる。(声色とか音声的表情の変化をつけながら)意味は常套化、一般慣用化されるに従って概念的に定着する。するとその概念にそぐわないものは新たな意味の世界として別個の概念を希求するようになる。そもそも誰か別の同種個体を救助するとか、救助を求めるという行為の中で発する音声が言辞と化した時、言語行為となっていたということが事実であるなら、発声の意味はその時点で概念化(その個人にとっては救助するという行為の常套化と同時的な)されていた、と捉えられよう。寧ろ概念の定着とは同一行為<救助するなら、救助するという同一目的行動として>が反復されことで同一共同体(概念定着前は自然発生的集団であったであろう。)が全成員間の同意事項(社会通念)と化した時点でなされた、つまり不文律であっても暗黙の法的秩序、つまりその行為を履行しない成員に対しての裁き、報復、制裁(それはいろいろのタイプのものがあったろうけれど)が行われるようになっていった時点でなされた、というべきであろう。ただその社会通念的行為そのものが倫理的であるとか、道徳的であるとかの判断の登場はその行為の概念的定着、社会通念的定着のずっと後の話であろう。というのもそういった行為を裏切る別種の行為が定着してゆくこと、共同体内の成員間の葛藤、抗争、軋轢といったかたちでの違和感が蔓延してゆくと必然的にその行為、最初の救助という行為を巡って行為必然性の議論が交わされるようになるとは同一のことであり、救助はどこからどこまでを社会通念とし、どこからどこまでを非社会通念としていいものか、例えば今の今までは同一共同体成員でなかった個体の闖入とかの事実、救助を求める成員の日頃の態度、行動とかを基準とした行為必然性の議論は日々戦わされたことであろう。そこから、また新たな社会通念、概念の誕生、個別的意味の世界の豊饒な散逸とかが顕在化していったことであろう。無論散逸された幾多の概念が統一されたり分裂されたりの連続であったろう。
 発生論的には言語行為はそういった日々の設問反復からやがて人間としての種固有の文化コードとして定着する中で遺伝子レヴェルの進化をもたらし(行為の反復、慣用化が種の行動指令コードとなり、遺伝子的変異をもたらす。)、大脳は活性化され更に遺伝子の変異を常套化させながら、ついぞ発現されていなかった別種の能力を開拓させるその都度の必要性が更なる潜在的な遺伝子に対する発現性へと赴かしめた、ということであろう。

Sunday, March 21, 2010

C翻弄論 7、関係と偶像‐ 国家起源と言語

 ブーバーは「我と汝」において、関係について次のように分類した。
「関係の世界をつくっている領域は三つある。第一は、自然との生活。ここでは関係は言語のきざはしにまつわりついている。
 第二は、人間との生活。ここでは関係は言語の形をとる。
 第三は、精神的存在との生活。ここでは関係は言語によらず、沈黙の中にあるが、ここから言語が生まれてくる。」(127~128ページより)
 ここにはブーバーの社会観というものが濃厚に立ち込めている。ブーバーが社会観を述べる時、そこには言語との係わり合いが重要な要素として立ちはだかる。更に彼は続ける。
「(中略)これらの領域のそれぞれのあり方に応じて、おのおのの<なんじ>の中でわれわれは永遠の<なんじ>に呼びかけるのである。
 これらの領域はすべて永遠の<なんじ>の中に包まれている。しかし、永遠の<なんじ>は、このいかなる領域にも包まれることはない。
 これらすべての領域を通じて、唯一の現存者は光を放っている。
 しかし、われわれはこれらすべての領域を、この現存者から取り除いてしまうことができる。
 われわれは自然との生活から、恒常的な<物理的>世界を取り除き、人間との生活から感情的な<心理的>世界を取り去り、精神的存在との生活から、普遍妥当の世界である<思惟>の世界を除去することがきる。このようにした場合、どの領域も透徹性を失い、したがって意味がなくなってしまう。各領域は利用の対象とはなるが、不透明となってしまい、たとえ、われわれがコスモスとかエロスとか、立派な名でよんでみたとしても、やはり不透明なものになってしまうであろう。事実、一切の存在が人間にとって犠牲をささげる聖なる祭壇をもつ住み家となるときのみ、人間にとってコスモスが存在する。また、もろもろの存在が人間にとって永遠なるものの比喩となり、これとの共同体が啓示されるときのみ、人間にとってエロスが存在する。さらに、人間が精神にたいする行為と奉仕とをもって、存在の神秘に呼びかけるときのみ、ロゴスは存在するのである。
 形態が命ずる沈黙、人間の愛のこもった言語、被造物の無言の告知、これらすべては聖なる言葉の現存にいたる門である。
 しかるに、もし、<われ>と<なんじ>の完全な出会いが起るならば、これら三つの門は、真実の生命の門と一つに結ばれ、あなたはどの門からはいっていったか、もはや知ることはないであろう。」(「我と汝」より)
 このブーバーの最後の一説には明らかに時間の無化が語られている。現在が過去になり、過去が現在に蘇り、未来が現在に押し寄せ、未来が過去になるような輪廻にも似た循環は、時間の一方向の流れから一挙に多方向性へと転換され、やがて時間は無化される。
 そしてその意識の一如であるような状態は、だが第一の自然との生活において、思念を持ち、思念は思念のまま時間は過ぎてゆくこともある。しかし時としてその思念は言語化し得る。それが第二の人間との生活において顕現される。意思疎通の方途として我々は実は思念を言語化するのである。その言語化し得た思念こそ意味である。意味はしかし部分的なものである。全体的には無意味なものが我々の直観においても、思念においても支配している。言語化し得ない思念こそ全体であり、無意味な世界である。第三の精神的存在との生活とはフッサールもしきりに指摘しているような要するに前言語的状態である。これは沈黙であるが、沈黙はもう一つの言語である。言語を醸成する前言語という名の言語である。更にブーバーの論理によれば、エロスは共同体、つまり他者、「なんじ」を前提する。しかしロゴスは一人孤独に存在へと語る、神へと語る時のような思念からしか生じ得ようもない。だからこれは他者とではなく対自的な思念も含まれる。対象に対して客観的に捉え、やがてその対象と自己の距離が無化され得る時、我々は対象と一体化し得たと感得する。その時我々はロゴスが対象と自己との一体化において形を生じることを知る。
 ある意味ではそのような体験そのものは快感として覚知される。それは原体験としての人類学的な位置づけも可能である。エロスが他者を必要とし、ロゴスが自己意識を必要とすることの内には、自己そのものも既に他者を前提していることを考え合わせると、途端に人類にとって共同体という存在が必然的な全個体間に横たわる快感であった、という事実を想起させる。その快感獲得の過程をもう一度本章においても反復してみたい。
 
 初期人類の祖先が恐らく繁殖期が限定されている事態から一年中生殖可能な事態へと転換してゆくまでの膨大な時間の中で何がそのような変化を齎したのであろうか?
 次のことが考えられる。
① 環境の激変が起り、多数の個体が死滅するような事態が頻発し、限定的な繁殖期においてのみ生殖行為が限定的に行動されることだけからでは、種の維持が困難になった。
② ある強固な捕食者となる他動物種が登場し、人類の祖となる種の生存を脅かした。

 利己的個体が多数の配偶子を独占しようとしても、他個体との摩擦により、反ってデメリットであるし、多くの子孫を養わなければならない羽目に陥り、結果的にはいずれもデメリットとなる故に、他個体との協調を図ることへと次第に落ち着き、やがて一個体が可能な生殖及び繁殖行動の許容範囲が臨界点を見出し、行動的な規範もやがて定着してゆく。この利己的行動の抑制因子として、性的同一種内対他個体攻撃欲求に対する抑制行動自体の齎す快楽に対する覚知を各個体へと齎す遺伝子が、自然選択による選択圧に対する反応として我々を理性的存在者として進化させてきたのだ。
 そういった過程において我々の祖先はある時、発声にリズムや抑揚をつけてなすこと自体にある種の快感を見出したのだ。行為自体の快感の発見という事実が、やがてこれを常習化させるに至る。つまり発声行為自体に生理的な快感はあるのと、その同一行為を各成員が共有すること自体の快感の発見である。音楽的律動を体感することを発声することを通して覚知する快感が初期性的欲求抑制の方策として理解されるようになるのはそれほどの時間はかからなかったであろう。セックス以外にもこのように素晴らしい快感を得る方法があり、それを発展させることで生活上に何らかのメリットを齎すこととなるかも知れない、と初期人類は打ち震えたかも知れない。そうした発見の共有化が成員間に習慣化されることで、定着してゆくことで、やがて言語活動の基本となる発声行動が常習化されるに至るのである。(これは「合わせる」ことの歓びの発見に他ならない。)
 ところで、ブーバーは次のように意味を規定している。
「人間が受け入れるのは、特殊な<内容>ではなく、現存であり、力としての現存である。この現存の力とは、三つの事柄を含んでおり、明確に区別はできないが、われわれは三つの特質として見ることができる。第一に、<われ‐なんじ>には真の相互性があるということ、受け入れられていること、結合の全体的な充実感があるということなのである。(中略)第二に、言葉ではいいあらわしがたい意味の実現という特質である。意味は保障される。もはやなにものも無意味なものはあり得なくなる。人生の意味がなんであれ、もはや問う必要はなくなる。しかしそれを問うにしても、答える必要はない。あなたはその意味をあらわすすべを知らないし、どのように定義すべきかを知らない。あなたはそれにたいする公式も図式ももっていないけれど、しかし、それはあなたの感覚的認識よりもはるかに確実である。啓示された意味と、かくれた意味は、いったいわれわれに何を意図し、何を求めているのであろうか。それは説明されることを望んではいない。_われわれが説明できるものではないが_、ただわれわれによって実現されることだけを求めている。第三には、この世界とは別な<来世の生活>ではなく、この世界のわれわれの生活に意味があるということ、<彼岸の世界>ではなく、此岸の世界に意味があること、この世界の生活の意味が確証されることを望んでいるという特質である。保証はわたしのなかに閉ざされているのではなく、わたしを通してこの世界に生まれることを望んでいる。しかし、意味それ自体を移すこともできないし、一般に受け入れられる普遍妥当の知識につくり改めることもできない。(中略)ひとは受け入れた意味を、自己の存在の一回性により、また自己の生命の一回性の中で確証し得るのみである。(後略)」(139~140ページより)
 この箇所の記述は言語活動を営む我々の姿と、そこへと至り着いた我々の祖先の言語行為を考える時に示唆的である。特に「意味は保障される。もはやなにものも無意味なものはあり得なくなる。人生の意味がなんであれ、もはや問う必要はなくなる。しかしそれを問うにしても、答える必要はない。あなたはその意味をあらわすすべを知らないし、どのように定義すべきかを知らない。あなたはそれにたいする公式も図式ももっていないけれど、しかし、それはあなたの感覚的認識よりもはるかに確実である。」が重要である。その重要性を説明すると、無意味の世界の排除こそが言語活動の本質であると同時に、定義以上に語の使用という事実こそが我々の言語活動を支えているということ、つまり慣用性としての言語の在り方であるということだ。しかしこの無意味な世界の排除は言語が意味を獲得してから後のことなのである。しかも我々は無意味な意思疎通性において、言語に意味を付与し得たのは、ブーバーが言うように意味を表わすすべを先天的に知り得なかったという一事に尽きる。(意味を示すことと意味を表すこととは違う。意味は誰でも示せるが、表すのは困難だ。)
 あなたの感覚的認識よりも確かなことである意味というものは、実に巨大な無意味な世界に取り巻かれていてその中にすっぽり包まれているからこそ、意味を示す(使用する)ことが重要であり、確実なのだ。
 例えば発声される音自体に意味はない。音に意味を付与することは、その次の段階(ステップ)である。廣松渉や祖父江孝男は、人間の言語をシンボル的機能と捉える。W・ジェームズその他のプラグマティストやウィトゲンシュタインら論理実証主義者たちは共通して言語を道具として捉えた。しかしそれらは一切があくまで音声と意味が一致したものである、という前提に立っている。少なくとも言語が今日のような形で成立した以降の言語の在り方である。
 鈴木大拙が述べているように(「日本的霊性」より)、日本人に大陸から仏教が齎された以前から、既に仏教を受容する素地があったからこそ、我々はそれらを自己の文化として採り入れてきたように、人間という種自体に既に他の霊長類にはない、発声による音楽的律動を意味と「連動させて」発声行為をなす能力があったのだ、と考えられる。そしてそのような発声行為を全成員が共有して快感を得ることもまた能力的に可能だったのだ。(ここでも「合わせる」ことの快感が集団同化意識と関わる。)
 サピアのネイティヴ・アメリカンの諸言語を含む世界の言語が持つ飛び火現象的な音韻と意味との配列規則の数々の例証には、言語が前意味的な状態においては、発声による音楽的律動性そのものに対する快感覚知の事実を物語ってはいまいか?
 発声すること自体が快感を齎すことは既に周知の事実であったが、音と意味を一致させることが更なる快感を呼び起こすことに我々の祖先は覚醒したのだ。
 一方エクリチュールの原形は人間によって行われていた。とは言えそれは絵と寸分たがわぬ物であった。しかしそれを通してその絵に描かれた対象を認識するという意味では、それは紛れもないエクリチュールであった。勿論それはまだ象形文字ほども文字化されていたわけではなかった。だから当然読むためのものではなく、発声することで意思疎通することへと転化されることもなかったであろう。要するに視覚的な記号であり、見て認知するのである。
 それとは別個に発声の音楽的律動行為が行われており、二つの行為(絵を見ることと発声すること)は別個の行為だったのだが、それをある時、絵文字による対象の意味理解と結び付けるような偶然的な発見がなされたのだ。つまり絵文字の定型に対して音を対応させたのだ。いったんそれが意味理解の快楽と発声律動の快楽とが一挙に行われると、先に例えようもない快楽倍増がなされてゆくのだ。その時初めて人間は対幻想的な意思疎通を相互の「なんじ」に対して遂行し得たのだ。異なる行為の連動が自己と他を結びつけた。
 全体的直観は言葉では表現し得ない。それを全体的把握として捉える時、そこに意味を生じさせることとなる。それは恐らく何かもっとそれより大きな別の世界にその全体を一部として位置づけながら把握した時に初めて意味を生じるものである。
 言語の誕生は、絵文字が一定の定型として定着し、完全記号化された時(それは恐らく文字表記と発声とが一定のルールによって対応しつつ執り行われることが定着し、エクリチュールがパロールの為の方策として認識されていった時点からであろう。)に、それを意思疎通の手段として認識し得ることが全成員に覚知された時であったのではなかろうか?ここにも共同幻想の快楽的覚知の例が見られる。
 ここでちょっと宗教と言語との係わり合いについて考えてみよう。
 端的に言えば、宗教心とは人心において、ある種の諦観、諦念を抱く局面、全ての人間の努力を水泡に帰すような外部自然界の脅威、疾病の流行(伝染病その他の)、あるいは恒常的な老化現象と成員の死といった経験から発生するものであろう。(人間存在の不完全性に対する認識が後に神に対する認識<完全な神は存在する筈だ、しなくては矛盾している>を招聘したのだ。)さて個々の成員が宗教心を持つことはともかくとして、共同体全体の人心の統一といった統括的な意図から生じる共同幻想としての宗教信仰心は、しかし、言語活動誕生からかなり経ってから、かなり文明が熟してきてから、あるいは幾つかの文明が滅んだりしてから後のことではなかったろうか?何故ならそれは統率するのに合理的な認識が必要になるほどの人口の増加を要するからだ。
 つまりまずブーバーの言うような意味での関係の世界をつくっている三つの領域の中の第一の関係、自然との生活から、そして第二の人間との生活である。第三の精神的存在との生活は、宗教心及び哲学的思惟確立後のことである。とりあえず外部自然からの脅威は、天変地異であり、第二の人間との生活における脅威は他者成員から齎される疫病、伝染病といったものの存在である。この二つは連続性を持っており、分かち難いものである。
 レヴィ・ストロースが再考したトーテミズムとは宗教心によるものではなく、前宗教的、宗教派生可能性をさえ有する根源的な人間の自然との間で取り交わされる生活から生じたものである。
 故にそれを原始宗教と呼ぶにはあまりに易しいが、実際上どのような特定の宗教、宗派に属さない無神論者でさえもが、それを持たずには認識作用そのものを成立させ得ないような基本的な思念としてトーテミズムは考えられて然るべきものである。寧ろ今日宗教と呼ばれるものを考慮に入れると、それはあくまで国家権力というものの介入以降の秩序、言ってみれば人身掌握のための方策としての国家戦略として位置付けることが可能である。それは現代のように潜在的意識における<脆弱な「個」と群集心理>の時代においても変わりない。しかしトーテミズムという文化人類学者たちの認識の中には明らかに国家的規模以前的な共同体の成員の婚姻システムやら生活上の道徳規範というものと不可分な共同幻想という側面が強く、それは意図的な人心掌握であるよりは、自発的な自己規定性として共同体全成員に宿っている精神と考えてもよいであろう。恐らく羞恥感情もここに起因するものであろう。
 だからこそ逆に仏教やキリスト教の教義の出発点となった釈迦牟尼やジーザス・クライストの考え方の中には本質的な人間理性の出発点を見出すことも可能だし、個人のイデアという側面から今後宗教思想を捉えることも無意味なことではあるまい。事実ブーバーという一人の宗教哲学者を考えてみる時、我々はそこに個人としての思想と国家以前的初期共同体幻想としての文化コードとの壁を感じるよりは、寧ろ積極的な融合を感じることの方が多い。それは例えばトルストイのような社会思想家、教育者、文学者のスタンスの中に感じるものとも寸分も違わないであろう。
 ブーバーが「なんじ」と言う時、そこにはカントが道徳的法則を至高の最高善として、まるでイデアの如く捉えたこととも近い心理がある。そしてブーバーが「なんじ」と言う時の心理は真理に対する心理である。しかもそこにはカントといった西欧哲学の先達だけではなく、釈迦牟尼の考えとも大きく重なる認識があるのである。例えば、彼が「我と汝」において次のように言う時、それは顕著である。ブーバーが語る次のような一節には明らかに釈迦牟尼の影響を思わせる。仏陀という存在の根源にはユダヤ教やキリスト教といった異教と一線を分かつことよりも寧ろそれら一切を包み込む大らかさがある、という考えが彼にあったのではないか、とさえ思わせる。
「(前略)たしかに、存在と向かいあうために、もはやいかなる存在にも執着をもたなくなったひとこそ、存在に向かって歩みでてゆくにふさわしいのではないだろうか。(中略)_どうして孤独になったか、その理由にもとづいて孤独は二種類に分かれる。ものを経験し、利用することから遠ざかることを孤独と呼ぶなら、これはたんに最高の関係ばかりでなく、およそ、すべての関係の行為をなすために、孤独はつねに必要となるであろう。ところがもし関係を断つことが孤独であると考えるならば、相手に向かって真に<なんじ>と語っているにもかかわらず、相手から見捨てられた者を、神はけっして見捨てることはないであろう。反対に、相手を利用しようとする欲望をもつものは、相手のあれやこれや執着する。しかるに<なんじ>の現存の実現すべき力の中に生きる者は、相手の存在と結合することができる。かかる結合をなすものこそ、神に対するそなえをなす。なぜならそのようなひとだけが、神の現実に人間の現実をささげることができるからである。」(131ページより)
 ここで神という一語を除かせて考えるなら、仏陀の考えた真理への道にも直結し得る。
 ここには当然のことながら、ユダヤ教徒としての人間ブーバーが宗教的な教義性から離れた一個人としての見解がある。それは私のようなキリスト教徒ならざる一個人にとってモーゼも、ジーザスも聖ヨハネもパウロも一個の個人として認識しようと欲する考えからは必然的な捉え方であろう。吉本が「共同幻想論」において言うような意味で「古事記」がある歴史構成的な国家意図によって神話化されたもの(あらゆる神話というものはそういう一律的な神話形態の流布行為という傾向があると文化人類学では考えられている。)であるような面からは、私はその考えを捉えてはいない。確かにキリスト教にはギリシャ正教、カソリック、プロテスタントといった個々の教義はあるし、他にも偶像を禁止するイスラム教などの教義的な世界観の相違はある。しかしもっと現代にとって大切なこととは、彼ら預言者、布教者いずれもが、個人であった、ということである。それは哲学から思想を俯瞰する立場の私のような人間からは極めて自然な認識である。またもし彼らの教義が宗派毎に異なって解釈されてきたとしても、その当時その神話が形成された時代にあった国家権力と不可分の強制的な宗教コードとは一線を画す宗教行為として彼ら予言者が位置付けられる以上、彼らの存在自体は我々にとって益々個人として立ちはだかる。
 ブーバーは民俗出自的にはユダヤ系ドイツ人であるが、その哲学展開において、引用されるのは西欧哲学から仏教、ユダヤ教、キリスト教といった広範囲に至る。それは一面では彼の哲学の豊饒さを示すと同時に無常性に我々を誘う部分がある。彼にあっては恐らく哲学も思想も宗教も、人間の根源性に起因する大きなうねりの中の一駒でしかないという意識が濃厚にある。それは西欧哲学が時代的変遷と共に獲得した命題であると同時に、東洋哲学では直観的に早い時期から捉えられてきた「空」とか「無」とかといった概念と西欧哲学の邂逅という事実として捉え得るであろう。
 西欧哲学には懐疑主義という考え方があるが、少なくとも仏陀に関する限り、懐疑論は否定されている。仏教全般にそういった考えが張り巡らされているかどうかを私は知らないが、仏陀のこの考え方は悟りという境地を考えていた彼にしては、とても象徴的な思想ではないだろうか?つまり思想というものが、どこかで善意志(カント用語)の持ち主だけが、つまり師匠についた大勢の弟子の中でも見開かれた目を持つ一際秀でた者のみが体得出来る真理というニュアンスを想起させる。昨今SNS(social network service)というものが伸して来たが、このシステムでは会員の紹介、推薦という手続きを経なければ加入出来ないということから、ネット社会が定着していた頃は、どのような個人も無料で検索出来るシステムに革新的な存在理由があったのだが、このSNSはその潮流を逆手に取った手法である。特権的なサークルを斡旋するシステムだからである。その意味で仏陀もまた、彼の真意を汲んで彼の思想を後世に伝え得たのはごく一部の弟子たちであったと思われるが、西欧哲学のある種のグローバリティー(ネット社会的)とは少々毛色の異なった思想伝達に関する考え方を、恐らくブーバーは取り入れたのではないだろうか?つまり西欧哲学では以心伝心とか暗黙の了解といったことは、流儀としては受け入れられない、だからこそ懐疑主義もまた出現したのだろう。仏陀は懐疑主義を否定している。ブーバー哲学もまた懐疑主義への離別意識に裏打ちされている。二人の言葉を並置してみよう。まず仏陀の考えを中村元の訳からここでブーバーに対して提出してみよう。

436 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執と言われる。
437 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、
438 誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。
439 ナムチよ、これらは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。勇者でなければ、彼にうち勝つことができない。(勇者は)うち勝って楽しみを得る。(中略)
441 ある修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。
442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退けることなかれ。
*
「649 (姓名は、かりに付けられたものにすぎないことを)知らない人々にとっては、誤った偏見が長い間ひそんでいる。知らない人々はわれらに告げていう、『生れによってバラモンになのである』と。
650 生れによって<バラモン>となるのではない。生れによって<バラモンならざる者>となるのでもない。行為によって<バラモン>なのである。行為によって<バラモンならざる者>なのである。
651 行為によって農夫になるのである。行為によって職人になるのである。行為によって商人になるのである。行為によって傭い人となるのである。
653 賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。
654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。_進み行く車が轄に結ばれているように。
655 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、_これによって<バラモン>となる。これが最上のバラモンの境地である。
653 三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人々は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈〔と見なされる〕のである。ヴァーセッよ。このとおりであると知れ。」<三つのヴェーダ*仏教以前では三つのヴェーダのことを意味していた。普通仏教で「三明」とは、宿明通(自分及び他の宿世の生死の相を知る)と天眼通(自分及び他人の未来世の生死の相を知る)と漏尽通(現在の苦のすがたを知って一切の煩悩を断ずる)をいう>
 ブーバーへ行こう。
「さてわれわれは、断念しなければならなかったあの状況への応答をいい加減に済ますことはしない。会得した状況はけっして適当に済ますわけにはゆかなくなる。われわれは生きた生の実体へとこの状況を導入させるようになるのだ。ただこのように瞬間に誠実であることによってのみ、われわれは瞬間の総体とは全く別の人生を経験する。われわれは瞬簡に向かって答えるが、同時に、瞬間にたいして責任を負う。新たに創造される世界の具体性は、われわれの掌中に委ねられている。われわれはこれに責任を負っている。犬があなたを見つめたとき、そのまなざしに答えるがよい。子供があなたの手をつかんだとき、その触れ合いに答えるがよい。群衆があなたを取り囲むとき、彼らの苦しみに答えるがよい。(「対話」201ページより)

 二人に共通するところは修行者として学徒として、他者と接する時、その人なりの接し方があり、それはちょうど茂木健一郎が「意識とは何か」で述べている、例えば一人の女性が同時に子供にとっては母親であり、母親にとっては娘であり、友人にとっては同級生の女子であり、といった多層的な人格と性格と心理によって形成されているように、他者に対して接することはそれ自体で多層的な自己の人格を発現させることに他ならず(そのことは三原弟平氏が「ベンヤミンと女たち」<青土社刊>でベンヤミンと三人の女性との邂逅によって適格に指摘している。またこの主張を見ると、まるで西欧の実存主義はこの仏陀の考え方を移入したのではないかとさえ現代から見ると感じられる。)、それは師でも弟子でも同じである、ということ、そして行為が人格を形成するのであり、人格が行為を作るのではない(そのことを我々は日頃権威という名の下に、権威者に対して信用することで忘れがちである。どのような賢者も愚行を犯すことがあるし、どのような愚者も立派な行いによって向上する。)ということである。(二人の素晴らしい言述はもっと多くの例証をしたいところだが、それは今後の私の課題としたい。)、そして多層的な人格形成は悪いことではないということである。我々は無理にそこを統一したがるのだ。だから仏陀が言うこの場所というのは私が多層的な人格形成によって自己の対他者の可能性を発現させる意志という風にも解釈出来るのである。そこで仏陀とブーバーとの間に橋が架かる。
<仏教では今生を苦と捉えていて、その苦から開放されることが至上の至福であるから、来世を信じるユダヤ・キリスト教的宗教観とは異なる認識があることも確かであるが、それでも尚、私はそこに何か普遍的な宗教的波長の邂逅があるのではないか、と思うのである。私のこのブーバーと東洋哲学との相関性の考察は未だ始まったばかりである。しかし私はそれを専門的な研究課題にする積もりも今のところない。私にとって先述のブーバーと仏陀の関係には直感的な私とブーバー、私と仏陀との係わり合いから引き合うと感じるだけである。しかしブーバーの記述にはハイデッガーからインスパイアされた部分も多分にあるだろうし、サルトルへと影響を与えた部分もあるだろう。そして彼へのアプローチの場合、恐らくヤコブ・ベーメ、プリーストリ、ヤコービ、シュライエルマッヘル、キルケゴール、ロッツェ、ヤスパース、マルセル、レヴィナスとの哲学上の相関的考察もきっと意味あるものと思われる。しかし私はまず一人一人の哲学思想との出会いと係わり合いを大切にしてゆきたい。その際に個々のケースから考えたいし、またそういった考察は今後の課題としたいが、あくまで体系的哲学の把握はどなたかにお任せしたい。>
 例えば、人は美味しいものを食べたいという欲求がある。しかし世の中には美味しいが摂取すると害になるものも多い。いやどんないい食べ物でも好きだからと言ってそればかり摂取し過ぎていては害毒である。だから身体にいいものを程よいバランスで採るというのが理性的判断であろう。しかし恐らく太古から酒に溺れる人、極端に偏食する人、あるいは悪癖から抜けられない人はいたのだ。しかしそれを闇雲に否定する作法では、人はそこから立ち直れるものではない。本当に何かに耽溺している人は、きつく言われると却って依怙地になるものである。テストステロンが放出されて攻撃的にさえなる。そこで、よい行いをする人、節制する人そういった立場の人も、そうではなくつい何かに耽溺する人、自分の心を傷つけてしまう人、要するに悪い行いをする人をも包み込むような包容力があり、自分の過ちを適切に、しかも優しく教え導くような神性を人間社会が求めたのであろう。そういう意味では名前の残っている全ての宗教家、預言者はそういう包容力があったのである。だがもしそういう存在が周囲に見当たらなかったなら、天上に架空の万物の創造主を仮想する。Omniscienceというのはそういうことなのだ。宗教とは意外とこのような単純な心理に本来は支えられていたように思われる。人間がいつかは死ぬということは誰もが知っているが(ルソーによるとそれを知るのは人間だけである。)、未だ老齢に達していない内に、病没する人がいたから神に救いを求めたのである。(だからそういう苦境にある時神に縋る人間の心理を我々は笑うことは出来ない。それで気が少しでも和らぐのなら積極的にお祓いでも、お祈りでもすべきである。)
 人間は下等な動物のように殆ど自動的に自然環境の変化に対応して行動パターンを決定され、それを踏襲しているだけの生物ではない。巨大化した脳は時として不遜な、背徳な想像さえする。だがそういったあらゆる不遜な想像をする能力、つまり可能性を考慮に入れる能力こそが自然科学をも発達させてきた。だが、最近の動物性科学の世界では、本章の初めの方で述べた「番の衝突」を人間ばかりか殆ど全ての動物が行っていることが次第に明らかになってきた。動物もまた異性との駆け引きをするのである。ティム・バークヘッドの言葉を借りると、性というのは全ての動物にとって葛藤なのである。(「乱交の生物学」新思潮社刊)そしてその本意というものは人間とて動物と同じなのだ。しかし人間はいろいろその事態に人間特有の行動であるかのように名前をつけてきた。羨望、嫉妬、和解、解消というように。しかしそれもまた人間が考える力があったからである。
 しかし人間は同時に長い間宗教への極端な信仰心が、人心の統一という美名によって却って人間を特異な、動物よりも一層上の地位へと押し上げた。それは人間のただの思い上がりである。私は元祖宗教家を皆尊敬しているが、宗派それ自体にはあまり関心がない。それは社会学者や宗教学者、神学者に委任しようと思う。前にも触れたが彼ら元祖の宗教家は皆孤独だったし、個人の努力でそこまで到達したのだ。しかし動物は動物でしたたかな戦略の持ち主だ。そして人間は恐らく動物よりも悪癖から抜け難いという部分もあると思われる。(人間には意地とか面子とかの特有の心理がある。)しかも人間は自分たちを締め付けるようなやり方では何も納得しはしない。それは歴史が証明している。歴史上独裁者に締め付けられる民衆の方が正しかったこともあるであろうし、独裁者の言い分の方に部がある場合もあったであろう。しかし少なくとも人間は誰しも自分の関心を持てぬことにはなかなか精神が集中しない。関心の持てるもの、魅せられるものに引き寄せられ、そこからしか何も始められないのだ。恐らく苦手なことは後回しにするような精神構造になっているのだ。それが正しいことだからと言って嫌なことばかり無理して行っていると精神的ストレスが溜まり、一気に炸裂する。多くの衝動的犯罪とはそういう経緯によるものである。だから魅力ある関心事に対して人間はもっと敬意を払っていい。(結論でそれに触れる。)
 人間が国家を形成せてきたのは、実はその人間の脆い傾向性とか、信心深いこととも無縁ではない。そして国家という形態の形成というものは敬語の発生でも触れたが、それ自体は上位者でも、下位者でもなく中位者の力が大きいということはマックス・ヴェーバーも考察してきているが、私なりの考えを本章最後に触れようと思う。その前に私たちが制度的な受容力を積極的に適用するという事態について暫く考えてみたい。

 私たちは楽しいことは強制されなくてもやり、そうでないことは強制されてもやらない。しかもこの楽しいことの代表と考えられるセックス以外にも、セックスがなくてもセックスくらい身体的なオーガズムを感得するものがある。それが音楽である。そして語感だ。
 性的快楽への肉体的な受容の発動は、身体生理学的なリビドーにおける段階的なステップアップ、つまり前戯、本番、後戯といった音楽的秩序、つまりプレリュードからクライマックス、最終章へと至るプロセスとの相同性を保有している。これは例の日本語の中に定着している四文字熟語の受容性とも恐らく関連があるであろう。
 使用頻度の大きい語彙は記憶しやすさということが求められる。それはキャッチーな(覚えられやすい)キャッチコピーということである。新聞の見出しもそれと同様である。覚えられやすさは同時に印象に残りやすさである。
 ポピュラー・ソングはかつてそのような意図で作られていたのだった。
 今日難解なメロディーラインのJ―PОPSが多いと一般人に思われているのは過渡期的な状況にポップス界がある、ということかも知れない。つい昨今世界のポピュラー音楽関係者に対してアンケートが採られたが、世界を震撼させた500曲の中で大半を占める180曲位を60年代の曲が、次いで130曲位を70年代の曲が占め、90年代以降のものは僅か数曲にしか満たなかったという。
 音楽の快楽は唯一、性以外の純粋な快楽的欲望である、とはよく言われることである。ここに音楽と言語が実は同根である、ということがもし立証されるなら、快楽とは性と性以外のものという二種になる。一つはセックスの快楽、もう一つは音楽を聴いたり演奏したりすることをも含む言語活動の快楽である。
 人間が職場において現在働いているように、かつて人類が伴侶並びに子供を養う為に長期単身赴任の必要性から、性的抑制機能の進化が言語使用の発達と同時に起こったという可能性を認めるなら、生理学上の論理矛盾を何らきたしはしないであろう。性的抑制メカニズムがもし性的快感と比べて際立って不快であるのなら、我々は職場において職務に邁進してはいられないし、人類は文明を築き上げてはいなかったであろう。そういう意味において言語活動が原初的に、ブーバーの言うような「われ‐なんじ」の、あるいは吉本の言うような「対幻想」的な営為であるなら、我々は気持ちがいいからセックスをし、また気持ちがいいからセックスを我慢も出来るのだ。(それは我慢した後のセックスが気持ちいいだけでなない。我慢するという行為それ自体も気持ちいいのだ。)セックスを我慢すること自体がセックス以外の最も気持ちの良い行為(音楽と言語)であるのなら、我々はこの二つの現実を人生においていともたやすく取り入れられ得る。初期人類にとって、恐らく言語活動は音楽同様最も快感を伴うものであったが為に長期単身赴任さえもが、耐えられ得る行為であった、というのが本章の主旨である。またそのように家族養育の必要性から我々の祖先たちはセックス以外の人生の時間にも快感を得るように選択圧を受けて、それを快感となしてきたのだ。
 よく言われることであるが、メロディーが枯渇するというような自体は恐らくありはしまい。今日のJ‐PОPSにおいて難解と捉えられるものの大半は、かつて音楽においての心地良さとはまるで考えもせずに受容出来る言わばセックスのように気持ちいいメロディーであった筈のものが、もう一つの気持ちよさである言語‐音楽の層に属する性的抑制機能性と相補的な仕事への集中促進作用を齎す側の快楽へも進出しつつある、とは言えまいか?(勿論全てがそうだとは言い切れないが。)つまり音楽が過渡期である、というのは、我々が快楽とは今までは呼ばなかったものにおいてまで快楽を見出さざるを得ないほど多くのメロディーが今までに産出されてきた、ということを物語ってもいるのだ。音楽のメロディーを心地良いものとして受容することとは、一つの受肉である。

 サルトルやメルロ・ポンティーが「受肉する」と言った時、彼らはそこに不快感があるものとしては認識してはいなかったであろう。ごく自然に受容することが出来る、という現実がある。快感を持って受容することを受肉と呼ぶのではなかろうか?
 身体生理学的に快感であることは、一面では脳内でも快感である、ということを示している。我々が性に纏わる感触を快感であることと同様に、例えば難しい数学の問題を解いた時に感じる快感というものもまた同じ脳内による快感である。これを左脳とか右脳とかで判断すると、多少難しくなる。というのも数学の場合、あくまで論理思考というものは左脳とされるが、多くの数学者たちは脳を解剖してみると、右脳型であることが判明されている。それは医師でも同様である。ここには論理的な理解というものが、筋道立てて理解するということ自体を支える何らかの非論理的な根拠のあることを示しいている。
 理解出来た時に示す快感を、脳学者の茂木健一郎は、「アハ体験」と呼んでいるが、このような快感自体が、では他の快感、例えば性の快感、あるいは音楽を聴く時の快感とどのような関係があり、バイオリズムを持っているか、という問題において本論では、どうも言語は音楽と関係があり、言語習得もそうであれば、我々が日常新聞を読み印象に残る見出しのフレーズやキャッチコピーを記憶する時、その響き自体にある種の快感を持ち、そういうものは苦労して記憶するのではなく、難なく受け入れることが可能である、そのような経験自体も関係があるのではないか、ということを提案しているのだ。
 理解するということ、眉間に皺を寄せてやっと飲み込めた時の喜びは、あるルールに、ある直線に敷かれたレールに乗っかることが出来た喜びに近い。それは選択以前の問題である。理解することとは、意志のサヴァイヴァルであるから、旅先で乗り継ぎに予想外に時間を取られ、中継駅周辺を次の列車が出発する時間までそこら辺を散歩しようかな、というような悠長な行為選択とは訳が違う。そして理解し得た快感とはルールに、レールに乗っかることが出来たことに対して持つものである。そのことは人間がある枠に自己を当て嵌めたいという性向があることを証明している。
 例えば世の中には、当たり前のようでいて、よく考えると、つまり論理的に突き詰めてゆくと解決不能な問題はたくさんある。意味を理解することが極めて難しいのである。そうかと思うと、今度は逆に最初は難しくて何が何だかさっぱり解からないのに、いったん脳の回路が繋がり、何もかもが一挙に理解出来たら、もう二度と忘れないような事柄もある。例えばある種の法則とか理屈とかそういうものである。
 
 カントが言う分析的命題とは、例えば「何故我々は両親を敬わねばならないのか?」とか「何故人間には愛が必要なのか?」というような一見解かりきったようでいて、あるいは絶対正しいと知りながら、ではそれを何故か説明しろ、と言われると途端に言葉に窮するような性質の問いのことを言っている。論理的に問い詰めるようなやり方ではどうしても、我々の持つ論理の方が追いついていないということを示しているのである。そういったものを認識する仕方としてカントは実践理性と呼ぶものを提出している。例えば誰か異性を好きなる、友人を好きになる、という事態は考えてそうなっているわけではない。いつの間にかそうなっている。考える前にそのような感情を抱くものである。
 ところが今度は、カントが言うもう一つの綜合的命題というものとは、分析的命題というもの自体をいったん不問に付し、つまりそれ以上問い続けることを回避し(エポケー)、取り敢えずそれは真理なのである、ということを前提として、それらを積み上げて論証しようとすると、個々のケースにおいては矛盾なく、論証し終えることが可能なものである。
 例えば困った時には他人を助けることが何故真なのであるのか、というような倫理的な問いは具体的な問いであるので、分析的命題を認める限りで論証可能である。愛や尊敬心も個々の具体的なケースにおいては、何故それが正しいかということは論証可能である。
 このようなものを認識する仕方としてカントは思弁的理性と呼ぶものを提出している。
 このような問い自体はいつの間にか誰かを好きになる快感(これを苦痛と捉える考え方もあるが、苦痛もまた快楽の一つである、とドストエフスキーが言っているように、苦痛というものは快感という枠組みの一種である。)というものとどのように関係があるのだろうか?この二つは一見全く異なった認識であり、同一レヴェルではないように思われる。
 少なくとも分析的命題を真であると論証することは今のところ不可能であるように思われるので、快感は伴わないであろう。しかし少なくとも綜合的命題に関しては、構築性の問題であるから、それを論証し終えること自体には快感が伴うであろうことは予想されよう。そして実際は我々の脳内ではこのような難しい論理を理解する時にも、例えば難しい経済記事を理解する時に、解かりやすい見出しに助けられて理解することがあるような意味で、我々はある種のキャッチーな何物かを頼りに理解しているのではないだろうか?そういった理解し終えた時の快感というものが確かにあり、それは何か異国の文化、例えば衣裳とか音楽とか工芸に触れた時に、ある懐かしさにとらわれ、いっぺんに好きになるような時に我々が経験する思考の末に辿り着くようなものではない衝動的な快感が一方であるからこそ、そういう眉間に皺と寄せて考えてから得られる快感にも意味が出て来る。努力を要しない快感は、思考を巡らせやっと理解出来た快感を誘き寄せる。理解出来た時には我々はそれまでの苦労が笑い話になるようにどこかへ吹き飛んでいる。その時の快感はいっぺんに何かに惹きつけられる時の快感とそんなに違わないように感じられる。
 経済や数学の難解な命題を理解する時に、具体例を挙げて筋道立てて考えると理解出来ることがある。その具体的な理解の仕方というところに何かキーとなる要素が潜んでいる気がしはしないか?
 言語学者サピアは、ある意味ではそのような快感と結び付けて我々人類が言語活動を営んできたということを例証しながら、その正体解明への里程標を示したと言うことが出来る。音韻規則も、接頭辞、接尾辞といったものと語彙の関係も、統一された規則内で言語活動をしなければならない言語共同体の成員間で覚え難いものであるなら、ただちに淘汰されていった筈である。どのような言語においても、個々の言語独自の構造論的な事情があり、その限定された条件の中ではいたって合理的にワーキングメモリーとして位置づけ可能なものとして案出されている筈なのである。何か理解し難い難問を理解しようとする時、理解しやすい具体例をあげて考えることには、個々の言語において各自の言語構造の事情に限定された合理性というものと共通性があるのではないだろうか?
 このような音韻規則においては、このような文法である方が使用しやすいとか、このような統語論的な規則においてはこのような音素の連続は使用しやすいとか、このような文法規則においてはこのような意味の表示には適しているからこそ、この言語においてはこのような学問が発展した、といったことがあるのかも知れない。
 そのような利便性自体もまた吉本の謂いを借りて共同幻想と呼んでもよいのではないか?
 
 意識上か無意識上か(この意識と無意識の区別には問題はある。だがここでは一般的に考えている。)は、ともかくとして、利便性そのものにおいて、性行為が繁殖目的上の必然性から言っても誘引作用としても快感を伴うようになっているのと同じように、繁殖行動のために一緒に住む家族を養う生活の基盤を作るためにゆとりを持って狩猟その他で同性の仲間と出掛け、狩猟を円滑に進行させるべく意思疎通する為になされる言語的思考もまた快感を伴うようになっていると考えることは理に叶っている。そこに音楽と言語習得、言語活動とが同根であるという考えを採用すると、そこで興味ある事実も、幾つか発見出来る。
 元ビートルズのジョージ・ハリスン(1943~2001)は、リード・ギタリストとしては、インド音楽的な要素を数々導入したと同時に、ピジン、クレオールのメッカであるカリブ音楽風のテイストを持っているし、ハワイアン風の演奏スタイルもある。彼の音楽はインド音楽から啓示を受けた部分と、カリブ、ハワイアン風と、ロックンロールを出発点としたブルーノート(ブルース進行の音楽コード)とが合体したところに独自性があった、と思われる。しかしこれは一見すると奇異に思われる向きに対しても次のような見解も考えられる。
 というのはハワイアンを例に挙げれば、フラダンスという伝統芸能がすぐに想起されるが、フラダンスというものはそもそもハワイを訪れたスペイン人がフラメンコを踊って現地住民に披露したことに端を発しているという。そのフラメンコとはインドを発祥地とするジプシーが考案した音楽であった。インド音楽に開眼したハリスンがインドを発祥とするジプシーのフラメンコから影響を受けたフラダンスを伝統芸能として有するハワイアン音楽をエキスとしたギターワークを資質として持つという事態は、極めて音楽上のピジン、クレオール化においては自然な成り行きであるし、またカリブ海には昔から多くのインド人が航海していたという事実もあり、そのように異なった地域で発祥した音楽同士が融合する場合その融合が自然になされるに必要な相性というものがある。そのように融合される場合には、そもそも融合される対象間にその異質なものを受容しながら融合を自然なものにするべき相性的な要素がDNA的に備わっていたという事実が考えられる。
 それと同様、一個の言語自体も他の言語と邂逅し、融合する過程が多々見られることを考え合わせる時、これもまたその融合を円滑にするために最も有効かつ合理的な融合の仕方を誘引するようなDNAが融合する両言語間にア・プリオリに備わっていたと考えることは極めて自然である。快感を伴って受容されるという現実がここにもある。無理なくある不動点に落ち着くということはア・プリオリな言語、音楽の資質上のDNAに掛かっている。これはうろ覚えのことだが、ハイチかどこか中米の国ではドラムを使用することを国家が法的に禁止していた。それはドラムが革命戦争行進の誘引材料として作用することを支配者が恐れたからである。このことは関係と偶像という人間社会の宗教心統一が要求される事態においては、言語が人間にとって性に拠らない唯一の快楽、音楽の共有から引き起こされた身体記憶が、今度は国家の転覆と新たな国家の建設という事態を引き起こすことを支配者が恐れたとしてもごく自然なことである。何故なら彼らもまたその国家を築いた時には自分たち権力の歓びを無意識の内に人民にも共有させるべく音楽的熱狂でもって(例えば「J民党をぶっこわす。」、「人生いろいろ、会社もいろいろ。」と言うように)誘導したのだから。

 まず覚えやすいものを覚えるという無意識の選択をして、次に眉間に皺を寄せて考える(思念)ことへ時間を割くことが人間の行為の基本的順序になった。まず覚えたい事(関心)をして、次に覚えたくないことに着手する。
 自我という言葉は我、サンスクリットのアートマンから来ている。これは心身の基本原理である。これに対して梵(ブラフマン)が宇宙の最高原理とされる。ブーバーが大我没入と言うことは、要するに心身が宇宙の原理へと合致する境地のことである。これは西田の当為とも一脈通じるものがある。
 そのような理想を哲学者たちが、思念上で思索することは、思考力を人間が獲得したということ、言語というものを自己の武器として取り入れたということが大きく関係している。我々の祖先である初期霊長類は四足歩行者であったが、それより以前に当時地球上で大きな変動があって、森が誕生する。その森で地に這うようなことではなしに、恐らく食糧確保のためであろうが、樹上生活する内に四足歩行の経験が徐々に減少し、樹上にぶら下がったりするようになるに連れて手が他の霊長類よりも長くなる。その際視力と焦点化作用が向上していったという事実も見逃せない。初期霊長類においては眼窩後壁と呼ばれる眼球の周囲を支える部位はない。それが備わったおかげで我々の祖先は物的対象を見る力を養うことが出来たのだ。最初は手がたまたま長かった種がただ樹上生活選択した、ということだけだったのかも知れない。しかしいったんそういう姿勢で生活する習慣を身に付けると、四足歩行する種が使用する前肢が短く太い形状から長く細い形状になるに従って、それは歩行用途から解放される。また腰と脚も四足歩行的な屈折から開放される。しかも四足歩行者たちが地面を跳躍する時に脳に与えられる衝撃を緩衝するために、脳自体を巨大化することが不可能であったものが、樹上生活者たちは直立に近い姿勢でいたために、身体全体で脳の重量を支えることが可能となったために、脳が徐々に巨大化してゆく。また大きな地殻変動が起こり森は荒廃し、平原となって人類の祖先たちは樹上生活から追い遣られる。その時その不可避的状況から直立二足歩行することが現実的に要求されるようになる。手は最早体重を支えることに奉仕する必要性がなくなっていたから、森に残ったチンパンジーたちでさえ、既に完全に直立ではないが、二足歩行することは出来た。しかしチンパンジーたちは手が複雑な用途に適する形では進化しなかった。チンパンジーたちは親指と他の指を協力させて、物を巧く掴むことが出来ない。親指と人差し指を人間のように容易には力を込めて接触させることが出来ないのだ。バナナ持つ時も純粋に指同士を摘むようにすることは出来ず、掌か腕を曲げて身体ごと抱えるように持つ。
 現代人が携帯電話の使用頻度が増してきてから、親指を使用する頻度が増したことで、脳内を活性化することが多くなった、という報告もあるが、初期人類は手によって体重を支える用途から解放させ、特に親指を複雑に動かすことが出来るようになったことから、手によって何かをなすことが可能となった。人間はそれ以前の類人猿に比べて咀嚼力そのものは減退している。その代わりに脳に衝撃がかからないようにするために、人間の脳が更に発達し巨大化し、今度は脳の発達によって(最早跳躍したりする時の脳への衝撃は直立二足歩行によって解決していた)手を使用して、火等を使用し、硬い食物を柔らかくすることも可能となり、料理という一つのアートを手中に収め、衝撃の大きい咀嚼をする必要性から解放されたのだ。(後には固い食料だけではなく、穀類のようなものも食すようになる。その際にも手で作業することの必要性に対して手の活動の活発化は更に促されたであろう。)いったんそうなると手は万能な役割を果たし、サヴァイヴァル的な用途だけではなしに、絵を描いたり、異性を愛撫したりする細やかな動きとか感情表現にも使用されるようになる。手を使用して何かを創造することが発展して最初は単純な工夫であったものが次第に複雑化してきて、工夫に工夫を重ねて本来ならただの加工であるものが「料理」となっていった時それを「文明」として意識することにもなるし、また絵を描くことが、工具を作ること自体が芸術や工芸というアート「創造」という意識を自己に対して芽生えさせ、そういった自己の行為への意識が自然界全体への把握方法において、自然自体を創造物と認識する道を開かせ、そこからあらゆる客観的な客体認識と他者認識を、つまりブーバーの言う「われ‐なんじ」の関係、「われ‐それ」の関係を構築することが可能となったのだ。そこからあらゆる自己行為と自然界との関連を模索し、更に人工的な創造を積み重ね、科学とか哲学とか芸術を進化させてきたのだ。その際「見る」とか「炙る」とか「作る」とか「変える」とか「仕上げる」、「込める」というような観念を生じさせながら、そういう語彙を創出していったであろうことは容易に想像がつく。
 そういう意味では体重を支えるために頑強ではあるが、繊細ではない前肢を全くそれまでの用途と異なった用途へと転換させた事実こそが、親指と他の指を協力させて、複雑な動きをすることを可能にした。そういう事態こそが最も人間の言語的認識へと大きな跳躍となっていった、とも考えられるのだ。
 手で料理を作ったりすることは咀嚼に要する強大な能力を失った非力な人類にとって止むに止まれぬ行動であったであろう。しかしこのことが結局人間は快感を何の努力もなし本能的動作だけで得られる動物的な頑健さを失うことによって、頭を使って何かをなす、頭を使って手を利用し、最初から得られないような種類の快感を工夫して得るようになった事実から、「知恵」、「工夫」、「労働」の観念を発生せしめたのだ。労働は眉間に皺を寄せて物事を考え、その摂理や法則を理解する時に得られるア・ポステリオリな快感と似たタイプの快感である。考えると言う行為、つまり思念とは眉間に皺を寄せて得られる快感であるが、それは綜合的命題でさえ、身体全体を使用して何かを作ることに比べれば分析的な態度である。手を使用して物を作ることというのは明らかに綜合的な行為である。経験主義的な行為である。しかし双方ともア・プリリオリに得られる快感、外部から押し寄せてきた何物かを気に入るとか、身体の健康状態によって気分が爽快である(これもまた普段の努力の賜物であるが)ことで得られる快感とは異なって意図的にそういう快感を得るような行為を必要とする。理解すること、創造してそれを有用なものとして利用する(料理して食べることも含む。)ことはプロセスが要求される快感である。だがそんなに手間がかかることを態々やるのは、そういう苦労の末に(理解出来たり、物を創造したりして、それを有効に利用したりする状況にあること)快感を得られると我々がア・プリオリに承知しているからである。だから我々は創造と理解へと勤しむのである。
 何か物を手で創造する時、それがどういう目的によって利用されるかということは問わず、それを実践する際には眉間に皺を寄せて考えてから作らねばならない。その物が複雑であったり、自己の身体のスケールを遥かに凌ぐような巨大な物であったりしたら、どのような手順でどのような創造環境を段取りしてから作り上げてゆこうかという計画性が要求される。それは文章のような論理であっても、時計のような精密機械や重工業的な機械であっても、芸術品、工芸品であっても同様である。最小限の力で最大限に環境へと働きかける力を生み出す梃子のような原理を利用する時でも同様である。そのような何かを加工して何かを利用してそれほど強大な腕力を持たない人間が繊細な手を使い知恵を絞って物を創造してゆこうと意志すること自体は、対自己的に快感を得ること、快感がやってくるのをただじっと待っているのではなくて、自ら主体的に得ようと努力することから「意志」いう概念を得ることにもなる。ここに原初的な哲学的認識を我々の祖先は獲得したのだ。だからもし性的な快楽や恋の予感のような、通常向こうからやってくる快楽を不可避的な自然や運命の力である、と我々が認識して「それが尊いものである」という自然主義的な考え方(日本人の自然に対する接し方において顕著に示されるような)さえ、一方で主体的に環境自体に働きかける意志というものの存在を我々が請負っており、意志しながら努力してそういった状況を得ようと日頃から働きかけていればこそ、得られる認識である。
 人間が持つ理解し得た時に得られる快感というものは、そういう意味ではホモ・ファベルとしての認識作用から引き出されるものである。論理は手で作るものと等価のものなのである。あるいは我々の手になる創造物はおしなべて論理の結晶なのだ。人間が言語的思考において「創造」、「加工」、「料理」、「努力」、「意志」、「労働」といった概念を獲得することが、そこで得られる快感を他者と分かち合おうと思念するに及んで、あるいはそれらは同時的に「分配」、「協力」、「勧誘」、「愛」といった観念を発生させていったのであろう。
 人間は何かを覚えたいと思って覚えるのではなく、記憶したいと思って記憶するのではない。寧ろそうしたいと自己を規制するものは殆ど身につかず、記憶出来ず、そうしたくないと思っても自然と脳内に身体的な記憶として習慣化されたり、エピソード記憶として残ったりするものというものはある。同一対象に対しても、常時そうであるわけではなく、例えば若い頃読んで面白くなかったり、よく理解出来なかったテクストがある年齢を過ぎてからとてつもなく関心を持てたり、全く隅々までよく理解出来たりする、というようなことはしばしばあり得ることである。個人の経験を考えてみてもそうであるように、恐らく民族の言語共同体の歴史自体もまた丁度リチャード・ニーダムや三木成夫が指摘しているように生命記憶として分化過程における人類以前の種である祖先からの記憶がどのような個体にも潜在的に備わっているように、民族の記憶というものがあるのであろう。今日我々が目にする言葉、日頃我々が使用する概念といったものは恐らく初期人類が脳に刻み込んだ種としての記憶の上に、更に各言語共同体が育んできた民族の記憶というものが重なり合って、我々個々のパーソナリティーの一部を形成しているのだ。
 どのような観念が先で、どのような観念が後からついてきたかは永遠にわからないであろう。しかし、初期人類の頃から我々の祖先は他者に対しての意識を持ち、自己の位置を知ったり(物理的、社会的両面で)、他者と共同作業をしたり、他者を助けたり、疎んだり、愛したり、嫉妬したりしてきたのだ。そういった感情的で行動的な様相の集積が今日我々誰もが認めるところの社会であり、言語体系であり、精神文化である。
 次節は我々が今日目にする具体的な芸術や文化の様相から、あるいはメディアの状況から人間の内奥に潜在的に潜んでいる欲求の本質を考えてみたい。そしてそれを魅力として感受する主体的な意識とは何であるかという観点から終節と結論へ向けて掘り下げてみたい。まず宗教的とも言える社会的中位者の心的な傾向性について考え、そのことと、安定志向的な、リスク回避的な志向とが、保守的観念の固定化を招聘するのだという視点から捉えておく必要がある。