Tuesday, December 15, 2009

D言語、行為、選択 19、排除される暴力としての自然=ダーウィン、そしてオッカム、ベンサム、(ラッセル)、バタイユそしてフッサール、ドーキンス

 ダーウィンが鳥やその他の動植物について語る時、我々人類も含めて今ここにこうして存在する生命体であるからこそ、過去はどうであったかということを推測し得るのであって、また現在の自己(人類)の立たされた状況を一応納得し、満足しているからこそそういう研究に赴けるのであって、今存在する我々の知り得る動物が我々の生存を脅かさない限りで客観的考察が成され得るのである。仮定法が成立する、仮定法や条件節を通して過去の実像を歴史的に人類史、生命史、地球物理史、気象史的に認識し得るような場、状況は確かに必要なのである。我々が何らかのサヴァイヴァル的状況にたたされているのなら、寧ろもっと必要に迫られた事項に関する追求と言及のみが成されて然るべきである。(ダーウィンに関しては、画家セザンヌ同様、生活にために学問する必要はなかった。)
 無矛盾性の希求もまたそのようなある種のこころの余裕が要求されるものである。だから今日の哲学者の多くは心理学者等と同様殆んど解明不能と思われるものには取り掛かろうともしない。矛盾律や無矛盾性への希求、あるいは法則的秩序の発見は、たまたま我々が思考能力として言語に拘らざるを得ない生命体として生存してきたからこそ、引き起こされた命題であった。自然の持つ合法則的秩序(必然であると我々が思うような)とその複雑なる組み合わせを生じさせるある種偶然としか呼びようのない事象や出来事さえ、もし神というものが仮にいたとして、彼(女)の視点から見てみれば全くの必然であったかも知れない。宇宙でさえ我々の住む宇宙以外にも沢山あるようなのだし、こんなちっぽけな地球上での出来事など、神にとってはどうでも良いくらい全てが想定内の出来事なのかも知れない。しかし我々にとってはそうではない。
 神そのものは誰からも支配を受けることはないのだから、自由の筈である。しかも神は論理的には絶対なる存在であるから、その限りで無矛盾的な筈である。少なくとも我々はそのようなものを神と呼んできた。
 カントは「純粋理性批判」において神、自由、霊魂の不死を定言命法とした。彼にとって自由とは神のそれがそうであるように人間にとっても決して気侭なものではなかった。それはある種の責任と決心を必要とした確固とした、あるいは少なくとも自由と呼べるからには、そうであるべきものであった。そのように倫理的にも絶対美である、あるべきところの自由は、しかし一方ではそれが容易になし得ない、なされ得ないからこそそのように希求されるべき理想的実体となる。現実には自由であると穿き違えた多くの誤解やら、誤謬、殆んど醜悪とさえ言ってよいような事象が満ち溢れている。
 西田幾多郎は<神と世界>で、「罪は憎むべきものである。しかし悔い改められたる罪ほど美しいものはない」とか「放蕩息子が跪いて泣いた時、かれはその過去の罪悪および苦悩をば生涯において最も美しく神聖なる時となしたのであると基督が言われるであろうと言っている。」(「善の研究」241ページより)と言う。
 この西田の発言や引用を、罪の部分を過去、悔い改めることを未来へ向けた「行為遂行的発言(それ自体は美しいとされるところの)」と置き換えて考えてみることも可能である。
 西田理論はこの部分においては全くバタイユ理論を先取りしている。バタイユはこう言っている。

(前略)もし私の眼前で悪の現実的な力が私の友を殺すとすれば、激しい暴力性は内奥性をその活発な形で導入することになる。暴力を被ったという事実によって私がそうなる開かれた状態の中で、私は残酷な行為を非難し、断罪する善の神に同意しているのである。だから私は罪がもたらした神聖な無秩序のうちで、壊された秩序を修復するような暴力性に訴えかけようとする。しかしながら私に神々しい内奥性を開示したのは、実のところ復讐ではなく、罪のほうなのである。そして復讐は、罪がそうである非理性的な暴力性の延長になることはありえないが、まさにその範囲に応じて、罪が開いたものをすぐに閉じてしまうであろう。なぜなら神的な感情を与える復讐とは、暴力の奔騰への情熱や嗜好が命じるような復讐だけだからである。合法的な秩序を修復するということは、本質的に言えば俗なる現実に服従しているのである。(中略)つまりその善の神とは、暴力性によって暴力性を排除する神性なのである(そしてその神は、排除される暴力ほどには神々しくない。すなわちその神性が生じるために必須の媒介作用であり、そのように排除される暴力に較べると、神聖な度合は低いのである)。だからその神が神的であるのは、それが善と理性に対立する範囲や程度にまさしく応じて、その限りにおいてのみそうなのである。それでもしその神が純粋に理性的なモラル性を体現しているとするならば、その神に残っている神性とは、ただ神としての名称と、外部から破壊されるものではないものが持つ持続に適した傾向とに由来する神性だけに過ぎないのである。

 そして本論が述べる最も大きいテーマは、バタイユが言うようなその俗であるに留まるか、俗を脱するかという問い、例えば復讐で一時的に溜飲を下げることで満足するのか、あるいは無抵抗で家族や友人を失ったことの悲しみを今はひたすら表現するに留まるのか、というような苦悩の中にある決行を躊躇う抑制力の心的にも身体的にももたらされるエネルギーの正体とその末に決断される行為に内在する心身のエネルギー転換である。
 バタイユは逆説的な論客であるし、それがのちのフランス思想にもたらした影響は計り知れずに大きい。デリダなどもその一例であろう。<(フッサールの言語論)を後日掲載しますので参照されたし>しかしこの論述にある対極的な逆説的なエネルギーの法則を示したのはバタイユが最初ではない。ダーウィンもまたその先達の一人であり、彼が相手にした自然はただ単に創造説からの離脱であったのみならず、まさにバタイユが上の論述で示したような排除されるべき暴力としてのそれであったのである。彼にとって自然の苛酷さは恐らくその中で同胞愛的なものを育むのに最も相応しい場でもあったのだろう。我々はここでキリスト教における汝敵を愛せよ、とか右の頬を殴られたら左の頬を差し出せといった謂いが何処かで、こういったバタイユ的な逆説的解釈にリンクすることを感じるのは私だけであろうか?
 ところでカントは「純粋理性批判」で次のように言っている。

(前略)未規定の知覚は、ここでは与えられている_と言っても、思惟一般の対象としてのみ与えられているような何か或る実在的なものを意味するにすぎない、従ってそれは現象としてではなく、さりとてまた物自体(仮想的存在)としてでもなくて、実際に存在し、また『私は考える』という命題においてかかる実在として表示されるような『何か或るもの』として与えられているのである。(中、79ページより、篠田英雄訳、岩波文庫)

 現象は実際の知覚における聴覚映像のもたらす知覚内容を事後的に捉えた概念に過ぎず、物自体は我々の主体的存在以前に先験的に認められ、そのこと自体も我々によってア・プリオリに認識し得るような外部環境の物理的表現である。しかしそのどちらでもない、前知覚内容的『何か或るもの』もまたカント独自のものの考え方ではない。カントは明らかにここでは彼以前の哲学的思想を念頭に置いている。例えばオッカムである。オッカムそのものの参考資料が今手元にないので、度々引用してきた「西洋哲学史」からラッセル自身が度々引用しているオッカムに関する記述をここに引用しておこう。(オッカムは後で述べるがダーウィンとは因縁がある。そしてそれは同時にドーキンスの理論にもリンクする。)しかしラッセルに入る前にまずラッセルが「西洋哲学史」を著作することとなる背景について触れておかねばならない。ラッセルは所謂合理論者でも経験論者でもない。そういう部分はカントもそうであったし、本論で大きく取り上げた西田もそうである。ただしそういった合理論あるいは主知主義論者でも経験主義論者でもない思想家が皆一括りに出来る一群の人々かと言えば、そう単純でもないところが難しいのである。今はそこには敢えて触れずに合理論と経験論がどういうものであるのか、そしてその思想的立場が例えば今日迄大きく哲学の周辺に位置しかつ支え支えられてきた心理学と、どうリンクするのかという問題についても触れておかねばならない。階層理論(タイプ理論)を提唱したことで知られるラッセルは観察眼としてのスタンスに、明らかに経験論的なものの見方〔数学者である彼が他の多くの自然科学者同様経験論的に物事を捉えることは極自然な成り行きであるが、ラッセルが言う(「西洋哲学史」の中の<論理分析の哲学>から)ように実際数学は経験的学でもア・プリオリな学でもないのである。しかしこのことを論じだすと、それだけでゆうに一冊日本が出来上がってしまうので、我々はそれを後日の課題とすることで先ず先を行こう。〕をしているが、その理論である階層性には明らかに合理論者としての認識が息づいている。その多義性は後に行動主義者(心理学者)たちが極端に外面的に示される行動にのみ依拠してきたことの反省的視点において、フッサール同様再考に値するものと捉えられる。では合理論と経験論はどのような背景を持っているのだろうか?心理学は最近の歴史において大きくクローズアップされてきた発達心理学の登場以前は明らかに経験論の立場であった。しかしそれは内観観察優先主義の裏打ちされたものであり、その批判として登場してきた行動主義における極端な内観の否定に対する反省が生み出した認識方法こそが発達心理学なのだ。経験論にはその背景として唯名論がある。それに対して合理論には実念論が控えている。中世に発達したこの二つの考え方には大きな特色がある。唯名論は個別具体的な実在の性格は[普遍という、ただの名に過ぎないもの]だけでは推し量れない、という立場であり、実念論はプラトンのイデア論を基礎として、実在に先立つア・プリオリな普遍的法則及び真理の存在を確固として認めている。(数学はある意味ではこの考え方から発達してきた。)例えば大脳神経システムや遺伝子の発現とか、生まれてきたときに既に具わったものとしての生命財産を受け継いでいる我々の身体を考えると、明らかにこの考え方は正しい。しかしすべて具わっていて環境(生物学的、教育学的、親子や地域共同体内でのつまり家族、社会との係わり合い)との密接な触れ合いの中から醸成されるものが全く必要がないか、と言えばそれはノーである。寧ろ環境との相関性のないところでは発現しない遺伝子や、大脳の機能(言語習得及びそれ以降の言語活動を支える遺伝子とか愛情に関する遺伝子とかも含めて)も沢山あり、そういった意味では民族(言語共同体とも言える)、地域、家族環境は確かに大きい要素であり、それは人間形成にとって必要不可欠であるから、唯名論的流れも全く実念論同様、的を得た考え方であったと言わねばなるまい。しかしここでもう一つ大きな特色を挙げておくのなら、今日のように進化論がある程度普及して定着した時代(アメリカでは未だに多くの国民がキリスト教的創造説を信じる人々も多く、それは所謂科学者の中にも大勢いる。それはまた改めて本章において論じる。)では最新の進化論の中にも経験論的だけではない合理論的説明を要する幾多の事実が明らかにされてはいるものの、当時の合理論、その背景となる実念論には神学的解釈の常套性が支配的であった。というよりそもそもあらゆる科学的知識は殊に西欧では(遅れてイスラムにおいても)宗教的、神学的倫理と密接、不可分であり、そういう認識自体が合理的でもあり、そこになんの疑いも抱いていなかった。その意味ではコペルニクスもガリレイもニュートンもカントも全く同じ土俵にいた、といっても過言ではない。(そこら辺の論述は村上陽一郎氏の著述に詳しいので参照されたし。)すると唯名論、経験論的考え方にそれが全く無かったか、と言えばそれも違う。ただ経験論は方法上、確かに後にダーウィン(彼自身は死後キリスト教的教義にのっとった葬儀が執り行なわれているが)が創造説による生物学的説明(それは合理論的と当時は思われた。)を懐疑的に捉え否定してゆくように誘引するエネルギー源とはなっている。オッカムは所謂唯名論者であった。ではラッセルの「西洋哲学史」のオッカムに関する叙述を見てみよう。
 ラッセルはアーネスト・E・ムーディー(Earnest E. Moody)の「オッカムのウィリアムの論理」という著作を自己のオッカムに対する位置付けと相同のものを感じることを告白しながら、それが「やや通例ではない見地にたつ著作」とし、「これまでオッカムは、スコラ哲学の崩壊をもたらした人物として、またデカルトやカント、あるいは誰であれとにかく近代哲学者のうちの彼の「意見が一致しているムーディーの見るところによれば、すべてそういったことは誤りなのである。オッカムは主として、アリストテレスをアウグスティヌスやアラビア人たちの影響から解き放って、純粋な形に復元することに腐心しているのだ、とムーディーは主張する。」「少なからぬ程度にまで聖トマスの意図であったのだが、(中略)フランチェスコ団のひとびとは、オッカムよりもはるかに厳密に、聖アウグスティヌスに従いつづけていた。ムーディーによれば、近代の歴史家たちによるオッカムの解釈は、スコラ哲学から近代哲学への漸次的な移行を見出そうとする欲求によって、害われてきすぎない場合にも、彼の中に近代的な教説を読みとろうとしたのである。
 オッカムは、彼の著作には見出しえないところの、しかし「オッカムの剃刀」という名称を説得するにいたったところの、ある格率によってもっともよく知られている。それは「必要なしに実体を増やしてはならない」という格率である。彼はこのようにいわなかったけれども、ほとんど同じ効果をもつ次のようなことをいっている。すなわち、「より少しのものでなしうることを、より多くのものでなすのは空しいことだ」と。いい換えれば、ある科学におけるすべてのことが、これやあれやの仮説的実体を仮定することなしに解釈しうるならば、そのような実体を仮定する理由はないということである。わたし自身、これが論理分析におけるもっとも実りある原理であることを、見出してきているのだ。
 明らかに形而上学においてはそうでなかったが、論理学においてオッカムは唯名論者であった。15世紀の唯名論者たちは、彼を自分たちの学派の始祖と仰いだ。オッカムの考えによれば、アリストテレスは(中略)すなわちアリストテレスの「カテゴリー論」に関するポルフェリオスの論作に帰せられるべきものであった。ポルフェリオスはその論作の中で、次のような三つの問題を提起していた。(1)種や類は実体であろうか?(2)それらは物体的であるか、あるいは非物体的であろうか?(3)もし後者であれば、それらは感覚しうる事物に属するのか、あるいはそれとは別個のものであろうか?このような彼の問題提起は、アリストテレスのさまざまな「カテゴリー」(中略)に関連するものとしてなされたのであり、そのことから彼は、中世のひとびとをして、「オルガノン」をあまりにも形而上的に解釈せしめるにいたらしめた。アクィナスはこの誤りを解きほぐそうと試みたが、ドゥンス・スコストゥスは再びその謬見をもちこんだのである。その結果論理学と認識論とは、形而上学および神学に依存するものとなっていた。オッカムはこの両者を、再び分離する課題に没頭したのである。(中略)

 オッカムにとって論理学とは、形而上学から独立しうる自然哲学の、一つの道具なのであった。論理学は雄弁的(中略)科学の分析であり、科学は諸事物に関するものだが、論理学はそうではないという。諸事物は個別的なものだが、名辞の中には普遍名詞があるのであって、論理学はそれらの普遍名詞をとり扱うのである。もっとも科学もそれらの名辞や概念ではなしに、意味をもつものとしてのそれらをとり扱うという。「人間は一つの種である」、というのは論理学の命題ではない。なぜならそれは、人間に関する知識を必要としているからである。論理学は、精神がみずからのうちに構成した諸事物を扱うのであり、それらの諸事物は、理性の存在を通さなければ存在することはできない。概念とは一つの自然記号であり、語とは約束的な記号である。われわれは自分たちが、事物としての語を用いている場合とを、区別しなければならない。さもなければわれわれは、次のような謬論に陥ってしまうとオッカムはいう。「人間は一つの種であり、ソクラテスは一人の人間である故に、ソクラテスは一つの種である。」
 諸事物を指す名辞は「第一次的な指向の名辞」(terms of intention)と彼は呼び、名辞を表わす名辞は「第二次的指向の名辞」(terms of second intention)と呼んでいる。科学の諸名辞は、第一次的指向に属し、論理学のそれは第二次的指向に属している。形而上学的な名辞、第一次的指向の語によって意味される事物と、第二次的指向の語によって意味される事物とを、ともに意味する点において特異であるという。形而上的名辞はちょうど六個あり、存在(有)、事物、何物か<著者注、ここがまさにカントがオッカムから問題を引き継いだと思われる箇所である。カントは「何か或るもの」と言っている。>、一、真、善、であるとオッカムはいう。これらの名辞は、すべて相互に述語とすることができる、という特異性をもっているが、論理学はこれらとは独立に、追求しうるものだという。
 
悟性〔訳注:「理解」と同じ語〕は事物に関してもたれるもので、精神によってつくり出された形相に関するものではない。形相は理解される対象ではなく、それによって、事物が理解されるところのものである、と彼はいう。論理学においては、普遍は多くの諸名辞あるいは概念の述語としてうるところの、名辞あるいは概念であるにすぎず、「普遍」とか「類」、「種」というのは第二次的指向の名辞である故に、「事物」そのものを意味することはできない。しかし「一」と「存在」とは相互転化が可能であるから、もし普遍が存在するとすれば、それは一であって、一つの個物であるだろうという。普遍はただ単に、多くの事物の記号にすぎないというのである。この点でオッカムは(中略)アクィナスと意見を同じゅうしている。オッカムもアクィナスも、個物や個々の精神や個々の悟性作用があるにすぎない、と主張するのである。確かにこの両者ともに、「個物の前の普遍」(universal ante rem)というものを容認したが、それは世界の創造を説明するためにすぎなかった。すなわち神が世界を創造しうるためには、創造の前から普遍が神の心の中になければならないことになるのである。しかしこれは神学に属する事柄であって、人間の知識を説明する場合には必要ではない。人間の知識は、「個物の後の普遍」(univarsal post rem)に関するだけである。オッカムは人間の知識を説明する場合には、普遍が個別的事物であるなどという考えをけっして許さなかった。ソクラテスはプラトンに似ているが、これは類似性と呼ばれる第三の事物のためにそうなるのではない、と彼はいう。類似性というのは第二次的指向の名辞であり、精神の中にあるものだという(すべてこれらの主張は優れている。)
<著者注:類似は寧ろ差異にのみ依拠した関係において、意識的に類似性を希求している精神状態の中で求められる。だから確かに第二次指向だと言える。しかし先験的に似ていると思われるものとは第一次的指向であり、精神内での悟性とは無縁に我々にア・プリオリに知覚さえも条件付ける理性として用意されている。>
 オッカムによれば、将来の偶然に関する命題は、まだ真でも偽でもない。しかし彼は、この見解と神の全知とい考えを宥和させる試みを、ぜんぜんやってはいない。他の箇所におけると同じように、ここでも彼は論理学を形而上学や神学から解き放ったままにしているのである。
(前略)彼は次のように設問する。「発生の最初性というものに従ってまず最初に悟性によって知られるものは、個物であるだろうか。」
 反論:普遍こそ、悟性の最初にして適切なる対象である。
 弁護論:感覚の対象と悟性の対象とは同じであるが、個物が感覚の最初の対象である。
(中略)
 彼は次のようにコトバをつづける。「魂の外部にある記号でないような事物が、最初にそのような知識(すなわち個別的であるような知識)によって理解される。したがって魂の外部にあるすべてのものは、個物なのだから個物が最初に知られるのである。」
 さらに彼は次のようにいう。抽象的な知識はつねに「直観的」な(すなわち知覚に属する)知識を前提するが、そのような知覚は選別的な諸事物によって惹起されるのだ、と。
 次いで彼は、いだかれるかも知れない四つの疑問を列挙して、それらを解きにかかるのである。それから彼は、最初の設問に肯定的な答えを与えて結論とするのだが、次のようにつけ加えていう。
「発生の最初性によらず、充全的相応〔訳注:原語はadequationで、事物と思惟とが完全に相応することを指す〕の最初性からすれば、普遍が最初の対象である、」と。
 ここに含まれている問題は、知覚が知識の源泉であるかどうか、あるいはどの程度にまで源泉であるのか、ということである。(後略)
「霊魂的魂と知的魂とは、一人の人間において真に区別されるものであるか」、という問題に対して、彼はその証明は難しいが区別されると答える。彼の論拠の一つは、次のことにある。すなわちわれわれは、悟性をもってすれば拒否するような物事を、欲求から願望することがありうる。したがって欲求と悟性とは、異なれる主体に属しているという。いま一つの議論は、諸感覚は主観的に感覚的魂の中にあるが、知的魂の中にある時には主観的ではない、ということである。さらにオッカムは、次のようにもいう。感覚的魂はひろがりをもち質量的であるが、知的魂はそのいずれでもない、と。次いで四つの反論が考察され、それらは全て神学的な反論であるが、みな論駁されるのである。(中略)とにかく彼は、おのおのの人間の知性は各個人のものであって、非個人的な何物かではない、と考える点で聖トマスと同意見であり、アヴェロニスとは意見を異にしているのである。
 形而上学や神学に言及することなしに、論理学や人間の知識を研究することが可能である、ということをあくまで主張することによって、オッカムの著作は科学的研究を激励したのである。アウグスティヌス主義者たちは、まず事物を理解し得ぬものとみなし、また人間を知的でないものと想定し、その後で「無限なるもの」から発する光を、持ちだしてきて、それによって知識が可能になると主張したが、それは誤っているとオッカムはいった。この点で彼は、アクィナスと同じ意見に立っているが、その強調点は異なっていた。というのはアクィナスは、第一義的に神学者であったが、オッカムは論理に関する限り、第一義的に世俗哲学者であったからである。オッカムの態度は、個別的な諸問題を研究すするひとびとに自信を与えた。(中略)
 オッカムのウィリアム以降には、偉大なスコラ哲学者はもはやいない。偉大な哲学者が出現する次の時期は、ルネッサンス後期に始まったのである。(2、469~471ぺージより)
 
ラッセルはこの「西洋哲学史」において、色々な哲学者や思想家、科学者をただ年代順に並べて解説するのではなしに、「彼が生きた時代の現代」から考察してその都度の時代の論点が別の時代(前後の)との係わり合いや、共通性、真理的な相関性から述べられているところに大きな特色があり、かつ哲学者の主観も感じられてとても興味を引かれるが、それだけに我々が本論において考察してきた哲学者や思想家の論点を考察する上でも貴重な資料である。事実ダーウィンは、カントにも劣らずこのオッカムに負っている部分は大きい、と思われる。ダーウィンが創造説の種的唯一性による神からの恩寵という考えに対し大きい自然の選択システムによる単一的な生命起源からの分化過程である、という考えは当時の宗教家や熱心なキリスト教信者からは顰蹙を買ったものの、今日の科学的認識の重要な一歩となっていることは最早疑い得ようもない。そして最小単位のものから派生してゆく自然のシステムの考え方はオッカムによる認識方法からの伝統を踏襲していると言って間違いは無い。
 しかしダーウィンの唱えた自然選択は個々の具体的事実を見てみると決して悠長なバランスのとれたハーモニーとは言えない熾烈なものである。環境に適応して生きてゆく、ということは一面では、個々の生命体が仮に努力しようがしまいが、そういったことにはおかまいなしに、適応出来ない個体は必然的に脱落させられてゆく、ということも物語っており、そのことを巧く科学史家の小川真理子は次のように表現している。
「(前略)種を形成するそれぞれの個体はほとんど変化することなく、偶然に生じたわずかな個体差が微妙な生存の差となって長い年月集積され、結果として変化が生じたのである。「環境に適応」というと、個々の生物が自分を環境に合わせるかのごとくに聞こえるが、個々の生物は何らそのような自助努力(self-help)をしているわけではない。「種の起源」のもっとも重要でありながらもっとも理解されにくかったメッセージは、世界に一切目的が無いということである。(後略)」(「甦るダーウィン_進化論という物語り」岩波書店刊65~66ぺージより)
 しかし我々がダーウィンニズムのような熾烈な自然選択(かつては自然淘汰と言った)の途上に立たされているか弱き存在であるのなら、一方で「秩序ある世界」を自分たちの少なくとも最低限の生存にとって必要なだけは確保しておきたい、と願う。
 英国にジェレミー・ベンサムという法律家にして哲学者がいた。彼はそんな秩序を好んだ。彼は「功利主義」と呼ばれる考え方の先駆者であり、Jeremy Benthamの名から功利主義という言葉は一般にutilitarianismと言うが、Benthamiteという風にも言う。西田幾多郎もまたこのベンサムに関しては折につけ触れている。西田の「実在は矛盾衝突によりて発展する」という謂いは、どこかダーウィン的でもあるが、ベンサムへの意識も薄っすらと仄見える。 このダーウィンとベンサムの違いをラッセルは的確に述べている。再び「西洋哲学史」からの引用で見てみよう。

(前略)ダーウィン主義者は、マルサスの人工理論を動植物界の全体に適用したのであって、マルサスの人口論はベンサム一派の唱えた政治学や経済学の、統合的な一部分を成していたのである。いわばダーウィン主義は、成功した資本家にもっとも類似した動物が勝利するような、世界的な自由競争を説くものであった。ダーウィン自身がマルサスの感化を受けていたし、また彼は「哲学的急進主義者たち」の説に一般的に共鳴していたのである。しかしながら、正統的経済学者たちが賛美した競争と、ダーウィンが進化の起動力として宣明した生存競争との間には、一つの大きな相違があった。正統的経済学における「自由競争」なるものは、さまざまな法的制約によって囲いこまれた、非常に人為的な概念である。競争相手より安く売ることはかまわないが、相手を殺害してはならないのであり、また外国の製造業者より優位に立つ助けとするために、国家の武力を行使してはならないのであり、さらに不幸にも資本をもたないひとびとも、みずからの運命を革命によって改善しようとしてはならない、というのだった。ベンサム一派の理解したかぎりでの「自由競争」は、けっして本当に自由なものではなかったのである。
 ダーウィン的競争は、このような制約つきのものではなかった。ベルトより下を打ってはいけない、というような規則はぜんぜんなかったのである。法律という枠組は動物の間には存在せず、競争方法としての戦争も除外されてはいない。競争において勝利を確保するために国家というものを利用することは、ベンサム一派が考えた規則には違反していたのだが、ダーウィン的競争からは除外することはできなかった。事実ダーウィン自身は自由主義者の一人であり、またニーチェが軽べつを示さずにダーウィンに言及したことは一度もなかったのだが、ダーウィンの説いた「適者生存」ということは、徹底的に同化した場合には、ベンサムの哲学よりもはるかにニーチェの哲学に類似した何物かに通じていたのである。しかしそのような展開が見られるのは、もっと後代のことなのであり、ダーウィンの「種の起源」(Origin of Species)が出版されたのが、1859年であって、その政治的含蓄は初めのうちは気づかれなかったのである。(3、772~773ページより)

 ラッセル解釈に見られるように、ダーウィンの本質は明らかにベンサム的な制約ある自由とは対極に位置している、と捉えることは出来るが、野生はラッセルの言うほどの無秩序では決してない、とも言える。なぜならライオンのような肉食捕食者さえ近接してきても、そのライオンがすでに満腹状態であることを知っている場合は、被捕食者の動物たちさえ、何の恐怖も持たずに近隣空間を共有していることなども、自然界ではつとに知られているからである。にもかかわらずこのラッセルの主張が極めて示唆に富んでいると思われるのは、生命の誕生から38億年(37億年説もある)の間に、我々は既に数え切れないほどの生命体の種が絶滅して今日に至っていることを知っているからである。ダーウィンは大きな自然の歴史にオッカム流の「川の流れの自然さ」のような解釈を適用したが、しかし、それは同時に自然の中での取捨選択が苛酷であればあるほど、その中での的確な攻撃と防御の生存戦略が履行されなくてはならない、という全ての生命的存在者の側の自覚と知恵さえもが、選択圧という自然の勤務評定の前で冷厳なる結果発表がなされてきている、という事実をも彼自身の思惑如何に関わらず、示しているのである。だからこそ、といったら少々こじ付けがましく感じられるかも知れないが、各個体においては、ベンサム流の制約的な功利主義が自覚と知恵において幅を利かせる、とも言い得る。ドーキンスは師ティンバーゲンのみならず、コンラート・ローレンツの意図さえも念頭に入れて書いたと思われる「利己的遺伝子」(日高敏隆他訳、紀伊国屋書店刊)の中の(攻撃)において次のような叙述をしている。

(前略)コンラート・ローレンツは、『攻撃』の中で、動物の戦いが抑制のきいた紳士的なものであることを協調している。彼が注目しているのは、動物の戦いが、ボクシングヤフェンシングのルールのようなルールにしたがって戦われる、形式的な試合だという点である。動物たちはグローブをはめたこぶしや先を丸くした剣で戦う。威嚇やこけおどしが命をかけた真剣勝負にとってかわっているのだ。勝者は降伏のしぐさをみとめ、なぐり殺すとか咬み殺すとかいう、われわれの素朴な考えから予見されそうな行動を差し控える。
 動物の攻撃は抑制のきいた形式的なものだとするこの解釈には反論の余地がある。とくに、あわれなホモ・サピエンスだけが自種を殺す唯一の種であり、カインの刻印ないし同様のメロドラマ的な罪を背負った種だと非難するのは、あきらかにまちがいである。ナチュラリストが動物の攻撃の凶暴さを強調するか、抑制を強調するかは、一つにはその人が観察してきた動物の種類によって、一つにはその人の進化論上の先入観によってきまる。ローレンツは要するに「種にとっての善」主義者なのだ。動物の戦いはグローブをはめたこぶしによるものだとするみかたは、誇張されすぎたとはいえ、少なくともある程度の真実はあるように思われる。表面的には、これは一種の利他主義のようにみえる。遺伝子の利己性理論は、これを説明するというむずかしい仕事にたちむかわねばならない。動物たちがあらゆる機会をとらえて自種のライバルを殺すことに全力を尽くしたりしないのは、なぜなのだろう?
 この問いに対する一般的な答は、徹底したけんか好きには利益(利得)と同時に損失(コスト)もあり、しかもそれが、時間とエネルギーの損失ばかりではない、というものである。たとえば、BとCは二人とも私のライバルであって、私がたまたまBに出会ったとする。利己的な個体である私が彼を殺そうとするのは、あたりまえだと思われよう。だがちょっと待て。Cもまた私のライバルであり、同時にCはBのライバルでもある。私がBを殺せば、親切にもCのライバルを一人とりのぞいてやることになるではないか。Bを生かしておいたほうがいい。そうすれば、彼はCと争ったり戦ったりするだろうから、私には間接的には利益になるはずだ。この単純な仮定の例から導かれる教訓は、ただやたらにライバルを殺そうとすることははっきりした利点がない、ということである。大きく複雑な競争システムの中では、そのライバルの死によって、当人よりも他のライバルたちのほうが得をするかもしれないからである。これは害虫防除の関係者たちによって学ばれた苦い教訓でもある。農作物がひどい虫害をうけたとき、よい根絶法を発見し、喜び勇んでその方法を施す。その結果はただ、その害虫の絶滅によって作物よりも別の害虫が勢いを得、前よりいっそうひどい状態におちいるだけなのだ。
 いっぽう、ある特定のライバルがはっきり見きわめて殺すか、少なくともそれと戦うことは、よい方法であるように思われる。もしBが雌のたくさんいる大きなハーレムをもったゾウアザラシであり、別のゾウアザラシである私は彼を殺すことによってそのハーレムを手にいれることができるというのであれば、私はそうしてみたくなるにちがいない。しかし、たとえ相手を選んで戦いをいどんだところで、損失と危険はつきまとう。Bが反撃にでて価値ある財産をまもることは、彼の利益につながるのだ。もし戦いをはじめたら、私の死ぬ確率は彼のと同じである。いや、おそらく、私の死ぬ確率のほうが高いかもしれない。彼は価値ある資源をもっており、それが、私に戦いをいどませる原因だ。では、彼はなぜそれをもっているのか?おそらく彼は戦って勝ち取ったのだろう。きっと私より前に挑戦した他の個体を何頭も撃退してきたのだろう。彼はすぐれた戦士であるにちがいない。たとえ戦いに勝ってハーレムを手にいれたとしても、私はこの戦いで傷だらけになり、利益を楽しむどころではないかもしれない。しかも戦いは時間とエネルギーをつかいはたす。この時間とエネルギーは、当面は蓄えておいたほうがよいのではないだろうか。ある期間食べることに専念し、もめごとに加わらぬように気をつければ、やがて大きく強く成るはずだ。いずれはハーレムをめぐって彼と戦うことになろうが、今あわててやるよりすこし待ったほうが、けっきょく勝つ確率が高くなりそうだ。(113ページより)

 この叙述は明らかに行動心理学的分析によっている。ドーキンスの言う攻撃の留保はエネルギーの温存と選択そのものの持つ取り返しの効かなさに関する知である。選択し、行為を遂行する放電的エネルギーはエントロピーの拡張作業であり、それを平静に戻し、エントロピーを縮小しながら、より次回の攻撃に備えるために成される切り替え作業は極めて大きな負担を強いる。それを回避する事一点において行為を躊躇することは創造的行為の決断(あるいは選択)である。行為の意味は自己にとっての事情によって成立してはいるものの、それが成された時は、公共的な意味合いを帯び、行為の選択という既成事実はその時点で自己という一個の他者による何らかの利益の為の利己的行動という概念によって規定を受け始める。行為の意味の概念化が即執行される。概念とは社会学的な認識に立てばイデーの根拠でもあるのだ。イデーとは意味の独自性が他者と接することで、徐々にその意味が公共化されることによって概念化し、共同体の各成員による共通価値としての概念への<仮託>が、共同体成員としての各個人(各個体)の共同体運営への個人的選択、積極的加担によって成立しながらも、その集合体としての全選択、全加担が集団の総意となり、それが遂には規則とか社会的モラルという概念に取って代わるようになる、ということである。イデーはその時我々を規定するような法則性を帯びる。フッサールは「論理学研究」において、「純粋概念的命題は(中略)これに類似するあらゆる場合と同様、イデア的非両立性ないし可能性についての言表へと転換するのである。」(Ⅰ、205ページより)と述べている。フッサールが言うイデア的非両立性とは、イデア、つまり今ここで我々が言うイデーというもので、唯一的価値でなければならない、という不可避的認識によってフッサールをして言わしめた表現である、ということである。
 動物学者たちの見解では今のところ胎生の鳥類は発見されておらず、進化の過程において哺乳類は胎生を獲得し、鳥類は卵生によって繁殖生存してきた、という法則性を成り立たせていることになる。誠に動物学者諸氏には申し訳ないが、あくまで比喩として使わせて頂くなら、もし仮に胎生のある鳥類が発見されたとすると、今までの鳥類に対する概念、つまりイデーは大幅に変更、修正と言っても革命的変化を被ったそれを施す必要性に迫られよう。すると概念とは一律であり、唯一でなければならないが、寧ろそれ故にこそ、不安定なものであるに過ぎない、とも言い得るのである。これは合理論の立たされたある種のディレンマである、とも言えよう。カントの言葉を借りるなら「対象がもはや経験の対象でなくなって」(「純粋理性批判」(中)83ページより)所謂法則的既成事実と化した時、我々はただの一人として、経験主義者であろうとも法則的知識としてしか、あらゆる対象を認知し得なくなる。しかし一度ある法則の成立基盤を揺るがすような例外が一例でも発見されたり、示されたりすれば、我々は一挙に今の今まで真実と信じて疑わなかった概念や法則に対して懐疑の目を向ける(まだ覆されていないものまで、そういう懐疑の対象と化す。)こととなる。こういうことは歴史的にも枚挙に暇がない。
 ここで一つの結論が示された。経験的に、ア・ポステリオリに法則的事実と判明したことどもへの変更、修正の必要性は、逆にア・プリオリな法則性そのものの恒常的な必要性を不可避的に物語っている。
 経験論は合理論のようには恒常的な真理、絶対法則を前提しない。故に新しく現れた事実に対処する時オッカムからロック、ヒューム、バークレー、ベンサム、ミル、ダーウィンといった一連の系譜を考える時、神に対してもどこかエポケーの意識を貫きながら(必ずしも否定しはしないが)注視出来る現実優先の考え方である。もし赤い林檎、黄色い林檎、黄緑の林檎は殆んど自明的な存在であっても、黄金の林檎、紺碧の林檎、真緑の林檎等はまず殆んど林檎の概念にもイデーにも属さない。だがもし我々の品種改良という人工的な行為のないところで、このようなものたちが発見されても、経験論者の方が対処する姿勢に狼狽が少ないのではないか、と思われる。そもそも合理的説明が付く真理の絶対的存在を信用しないのだから、科学的観察姿勢はア・プリオリに具わっているからである。概念や真理はその都度その時なりの事情で変更してゆけばよいのだ。
 生物の、生命体における個体の生命維持は、哲学的に言えば主体の意志であるし、心理学的に言えば外部環境に対する個体反応であり、分子生物学的に言えばセントラル・ドグマ説に忠実に活型と不活型のスイッチングのオン、オフによって開放したり、抑制したり、という身体生理学的機能によるものである。進化がダーウィンの言うように、長時間による自然に対する適応によって徐々に変化を被り、適応者のみが生存してゆくのか、それともエルドリッジ、グールド説(ネオ・ダーウィニストたち)のようにウィルスによる断続的変化であろうと、本論が推測するように、何らかの外敵(捕食者他の)に対して、同一種であることを隠蔽する擬態としてさまざまの形態を持ちながらも中でも、とりわけそういった諸事情に対し適応していった個体群のみが定着した形態と化した、という考えであろうとも、個体は自然条件とそれに常に抗した内部の身体条件による制約に忠実にその都度の判断で不随意に変化したり(必要に応じて)、適応出来ずに生存レースから脱落したりするわけである。その意味では個体は常に種的概念の体現体でありながらも、自らの身体条件と個的な生命的事情によってその個別具体的な意味によって種の生存という概念に常に参画している成員、積極的加担者として生存している、ということが出来る。
 そもそも我々は生存に必要な行為の選択なしには生きてゆけないという限定された自由の存在として、生まれ落された時から、他のすべての地球上における生命的存在者としてア・プリオリに規定を受けている。
 我々の身体は、ミクロ・レヴェルでは遺伝子の発現においても発現されて機能的循環を果たしている血液でも、各種細胞でも予め用意された不活型を活型に転換したり、また逆に活型を不活型に転換したり、ゴー・サイン遺伝子や蛋白質を抑制遺伝子や蛋白質がその発現を留保させたり、逆に抑制因子自体の活動を留保させたりといった、ナノ・テクオンリーでの可視世界では極めて熾烈なる競争がまさにダーウィンの自然選択を身体内においても地で行っている。この不随意な身体生理学的適者生存のメカニズムは、ある時には身体機能全般にも被らせる大きな影響を持つこともあり、所謂病気になったりしながらも、そのように内部闘争に明け暮れながらも、概ね身体全体のホメオスタシスにおいては実に巧く統制され、やはり外部世界と直に接している外皮という身体の全表面は、外部からの攻勢を巧みにかわすために内部闘争を隠蔽しながら、環境メカニズムそのものとの結節点として外部と内部の折り合いを付けている。我々の身体のホメオスタシスとは実はこの外部の熾烈さに拮抗し得るために、内部闘争がありながらも、まるで他国と戦争状態へと突入してゆく際の国家のように、結束させることを常に強いられた、大脳による指令(まるで政治的決断ででもあるかのような)に忠実な施行者である。そしてとりわけ、その中で活躍する抑制系のシステムこそ、ベンサム的な制限付きの自由という概念を彷彿させるものでもあるのである。
 
           内部は、外部と同じ
           ダーウィン的世界

  ダーウィン     ↑
    的       〇
  外部世界


           ベンサム的制限された自由、
           と抑制作用<円周>

しかし我々の身体は時として、国を滅ぼすテロリストのような癌細胞その他の身体上の原理主義的生理テロに遭遇する。その事態に立ち向かうためには強靭なる意志を要する。そういった決断は随意的な身体上の意志と不随意な身体上の意志の鮮明なる闘争である。

 暫くその闘争を言語の場から考えてみよう。ウィリアム・ジェームスは明らかにプラグマティストとして経験論的立場の方法論を継承しているが、彼の思考に対する考え方は生存競争に依拠しており、それはすなわち言語によるコミュニケーションでの思考活動に直結した命題なのである。個々の個体としての言語共同体成員は、意志的存在者として共同体維持に(好むと好まざるとにかかわらず)参画しており、そこで共同体規則として通用する概念は、その「すべての意志的存在者の意味の多様」を暗黙のうちに制限を加えており、言語という一体系もまたその時々の自然選択を乗り越えてきているのである。
 英語の歴史から暫く考えてみよう。
 言語の形態はドーキンスも述べているように(「利己的遺伝子」中の<ミーム‐新登場の自己複製子‐>より)『言語は、非遺伝的な手段によって「進化」するように思われ、しかも、その速度は遺伝的進化よりも格段に速いのである。』それはなぜであろうか?
 実際はそのことを論じ出すと一冊の本をまた書かねばならない程の難問なのであるが、直裁に言って、言語が共辞的(共時的)な行為である共同体内の意思伝達機能であるということにつきる。どの言語においてもその言語共同体(民族共同体と一致することもあるが、そうではない場合もある。)独自の歴史があり、それは極めて変化の多い事例の集合である。例えば日本語なら日本語の歴史において極発生初期から現代にまで通じて変化しない部分や要素、本質的な特徴が、必然的に最初から備わっていたと考えるには、あまりにも多くの歴史的な変遷、つまりその言語を取り巻く民族共同体の内部での抗争と思想的変化(生活上の信条から宗教儀礼、生活上のその都度の科学的知識にも不可避的につきまとう常識とかの)があまりに多くあり過ぎて、もし現代にまで通じる日本語の要素とか普遍的に思われる部分があったとしても、それは言語構造自体に宿る部分も多少はあるだろうが、殆どそれは僅かなる痕跡にしか過ぎず、そういった痕跡さえもが殆ど予定調和的な必然性として現代まで持ち越されたというよりは、全て限りなく偶然に近い。だから何故英語であるかと言えば、英語が今世界の共通語としてのスタンスを持っていて、これもまたただ単に一個の民族言語であるにもかかわらず、今や国際的な常識にもなっているというここ一世紀位の激変を見るに付け極めて言語の歴史を辿る上で好例と思われたということである。そして言語はその時その時の「世界の事情」に即応して臨機応変に変化し続けてきた。「世界」とは現代のように交通網が発達していない時代のものであっても同じである。「世界」には交流が厳然とあったし、民族共同体も言語共同体も常に流転を強いられてきたのである。民族の大移動というものが言語構造として考えられる文法の痕跡を部分的には残し、別の部分では発音だけを残し、別の部分では語彙だけを残しというように語り語り継がれて来たという事実だけが不変である。
 言語が社会の中での意思伝達の手段である限り常に現在進行形の中でのその場その時の状況性に即応した臨機応変な変化が常に求められてきたのである。その好例がピジン語であり、クレオール語であったりする。英語にもその双方ともが関係している。米語も英語と位置付けることは寧ろ現代では当然過ぎる(所謂イギリス英語の方が今では米語を追いかけている。)のだから、まず米語というものの歴史を簡単に振り返りつつ、その米語が本国イギリスの英語から引き継いだ部分、捨て去った部分から初め、徐々にそれ以前のイギリス英語の成立史へと移行しよう。(つづく)

 付記 本ブログは暫く休暇を頂きます。またこのD論文「言語、行為、選択」は中間部の未完成論文作成のために休暇を頂きます。暫くAからCだけを順に更新します。来年(2010年)正月明けにお会い致しましょう。

Sunday, December 13, 2009

C翻弄論 7 いい加減さの正体とは一時的な抑制解除ではないのか? 

 デズモンド・モリスの言う人間の女性の乳房が性的な信号であることを容認して考えると、人間は長い狩猟生活において つがい行動 が出来ないためにその間性欲を抑制する能力(それこそが理性の原初的な形態であったのではないか、と思われる。カントはそれを格律と呼ぶ。)を身に付けた。だが繁殖はそれを解除せねばならない。理性が極限に達するとメスの居住する場所へ帰巣してもオスは尚抑制状態を持続させたままであることが多かったであろうと思われる。そこで徐々に女性の乳房の巨大化が性的刺激誘引作用を喚起させつつ進化上発展していったということは充分考えられることであろう。やがて人間のオスはその巨大化した乳房を見て性的な欲情を恒常化させていったのだ。
 このことから察するとメディアに多く露出する政治家の人物を候補者の中から投票するように行為決心させる(無名な候補はその公約を知っていてさえ回避する傾向がありはすまいか?)ものとは、ある種のメディア独自の信号という刺激に対する反応であるような循環システム的な行為という風にも考えられ、思惟の介在しない最も巨大な乳房と化したテレビ等のものに、まさに初期人類のオスがメスの誘引に惑わされていったかのように現代でも未だに同じ生理的な過程を踏襲しているのだという風にも思われる。メディアの流す情報が氾濫した現代でさえ、実は我々の生物学的な生理構造は古代より何らの変化も被っていはしないという厳然とした現実がある。
 これは日本文化が政治を「まつりごと」と言うように祭り意識が強かった、という歴史的な継続性を物語っているが、アメリカ合衆国は近代以降に成立したネーションなので、祭事ででもある大統領選挙が日本の古代から続く文化的様相とは異なり、無意識的な祭り意識(日本)とは異なり意識的な祭り意識であるとも考えられる。
 ここで日本における選挙が集団的な無意識、つまり脆弱な「個」の集合である、つまり群集加担、群集依拠、群集委託的無責任の特権的行使であるような心理による決心の構造を持っているということは明確になってきた、と思われる。
 つまり日本人は個的な行為選択よりも集団追従的な行為選択を政治的には適用する傾向がある。つまり理念よりも当否の結果予測を重視する投票行動が多いと言えまいか?
 党派的行動においてもその集団依拠的な姿勢は透徹されている。
 だが買い物の時には個人の意志で商品を選択する。しかし何か大きな宣伝があれば途端に個を失う。(これはアメリカ人にも当て嵌まるように思われる。)大きな宣伝に対する反応は広義の祭り意識であるとするなら祭りにおいては個を集団に委ねるということが日本人のみならず多くの民族で散見される。要するに株の売買の歴史的な経験(とりわけ個人投資家レヴェルの)の希薄な日本人の行動は特異なものがあるのかも知れない。しかし資本主義の権化、アメリカでもこの種の幾つかの例はある。1929年のウオール街における株の大暴落やブラックマンデー事件といったものが挙げられる。これもまた一時的抑制解除ではないのか?いつでも理性的に判断することが嫌になり直感的な予想に身を委ねるという部分人間にはある。だから何も日本人だけが非理性的に狼狽売りしたりするとは言えまい。いい加減さの部分が民族によって異なるように、理性的な部分も民族によって異なるということはあるかも知れない。しかしそれは何か人間性の有無を分かつ決定的な要素ではないであろうと思われる。

Friday, December 11, 2009

B名詞と動詞 10、<留意事項>

 ここで心身、心脳の問題に就いて触れることには意味があるであろう。心身は心を脳、身を脳以外の身体(実はこれも脳を含もうとするのだが)であるとすると、脳を特別視する考え方であるし、身を脳も含む身体全部で、心を意識、感情、意志、知覚、記憶といったものとすると、生理学と心理学の二元論ということとなる。又心脳二元論とは心を随意的(意識的)、脳を不随意的と捉える捉え方か、心を右脳、脳を左脳と捉える捉え方かいずれかであろう。
 今後哲学でこのことを論じるとしたら、心脳を同一視したなら随意、不随意の差とは明確ではないことをその根拠として、心身を同一視するなら脳は身体全体に影響を与えるが、同時に影響もされるということを根拠とすべきであろう。本論では基本的に心身、心脳同一として論を進めるが、その都度心を脳としたり、右脳としたり感情としたりするが、それはその都度指示しようと思う。
 哲学では多く身は脳も含めたものとして捉えるが、知覚を知覚行為(物理的事実)として捉えれば、その形式だから身、しかしその内容として捉えれば心という峻別には意味があるから峻別するも、形式と内容は知覚の意志がかかわる前頭葉から知覚をなす後頭葉への実は脳全体の連関であるから、形式、内容という峻別は脳全体の行為として見れば一つの認識方法でしかない。行為を目的としても手段としても捉えることは可能だが、これも勿論二つに類別することは出来ない。ただ我々は手段として見たら目的として見たら、あるいは形式として見たら、内容として見たらこうなるだろう、という示唆に本論では留めよう。

Thursday, December 10, 2009

A言語のメカニズム 17、理解、経済、発現

 前章の簡単な復習をしておこう。我々は言語行為というものを殆んど意識しないで意思伝達のために行うことが出来る。それは我々自身の本能的な言語思考のシステムが大脳内にあるのではないか、ということである。しかも記憶に関してとりわけ興味深いのは、デリダの言うように差異によって記憶をすることが考えられるのなら、記憶を呼び戻す、深層意識に沈殿していた記憶の格納庫から脇へ追いやられた幾つかの朦朧としていた記憶が呼び戻させるのは、楽しい気分でいたところへもってきて、突如何か不幸な知らせを得た時の我々の心的状態のような急激な変化が大脳自体を刺激し、忘れていたものが急遽思い起こされるということである。これはカタストロフィックな経験をした人が何かそれを連想(観念連合)させるものに出会うと、突如フラッシュバックして当時の記憶が鮮明に再現前化されることからも明白である。この場合楽しい気分の延長は、継続である。(持続とかとちょっと違う。持続は本来なら中断しても良いが敢えて続行することであるから。)継続している時には反省もないし、思惟も少ない。だが突如悲しい知らせを耳にすると、その気分は一気に吹き飛び、それまでの心理的状態は中断される。中断するということは何か新しい事態、局面の登場したことに対する理解をもつことである。その瞬時の理解と、心的状態を、今の今までの弛緩したくつろいだ気分から緊張した気分へと切り替えることは身体的、内的エネルギーが相当必要だ。するとその際に身体に残存するエネルギーのどのくらいを使用してどうような内的自己決定させるかを脳は判断し、その際の判断によって必要なものを過去の記憶から取り出し、有効に使用し、現在に払われる不必要なエネルギーを節約し、そういう生の経済に忠実に判断する。だから過去像の突如の出現は、無意識の内に過去のデータから現在の取るべきスタンス決定を決済する為にいかに節約されたエネルギーで、つまりエネルギー効率に忠実にエネルギーを消費するために過去実績を援用しているわけである。その際にいろいろの過去の余分な思い出までもが同時に思い出されるというわけである。記憶したものを引き出すという行為は常に現在に役立てるという無意識の選択が決定している場合が多いと思われる。
 要するに、自己を取り巻く状況的変化を理解し、そのために対応すべく現在の自己に残っているエネルギー(生理的、心理的双方の)をチェックし、それをバロメータに次の行動を生の経済に照会し、それに沿った形で行動を取るべく行為を具現化させるべく行動に向けられた予備エネルギーの消費準備に向けて遺伝子を発現し、そのついでに記憶の格納庫からも余分な事項も引き出される、それが一瞬になされる、ということであろう。
 さて前章の最後で西村を含め多くの固有名詞を挙げたが、これらは本論の論理的展開上必要不可欠なものであるが、必ずしもどの理論が一番正しく正当であるかということではなく、全て部分的に本論に応用可能である、ということである。例えばソシュールやヤコブソンは構造言語学と呼ばれる立場で、恣意性とかラングとパロールとかの概念を示したことで有名であるが、養老孟司の謂いを借りれば構造は視覚的見方で、機能は聴覚的見方であるそうだが、本論では構造は視覚的というよりも静的(名詞的)であり、機能は動的(動詞的)な見方であり、構造が普遍的法則へのア・プリオリの追究姿勢なら、機能(ジェームズ、ウィトゲンシュタイン、オースティン等はこの側面から論理的展開をした。)は法則に沿ってはいるものの、その都度異なった状態にある可変的な例を特に考慮した追究姿勢であることとなり、後者の方が微細となる。しかしどの道こういった二つに分離させた捉え方には必然的に偏りが生じよう。そこでこの二つは不可分の関係で前者は後者を、後者は前者をもって存在するような捉え方としながら、両者は相互に常時必要とする、という考え方で論を進めたい。
 前章で私は数学の話をし、とりわけ位相幾何学を無意識的に我々が有している能力をある障害(それは制度とか、慣用的秩序、とりわけ言語行為と社会常識とか言う者であろうと思われる。この考え方は実はウィトゲンシュタイン的な考えである。ソシュールも似たようなことを言っている。)の為に容易には認識出来なくなっていることをその覆いを除去したのだ、とポアンカレのことを述べたが、誰しもこのような常套的とは言えないような認識方法をもっているのにもかかわらず、それが隠蔽されているのだということは、我々が睡眠中にレム睡眠中にだが、見る夢における形態的な把握の仕方はまさに位相幾何学的だ、ということからも理解出来るように思われる。そればかりではない、しばしば日本人である私さえ夢の中では英語がペラペラで、英語でものを考えていることさえもある、ということである。確かに2歳前後の臨界期において文法やその他の言語秩序を身につける段階を通過すると、徐々に学習、習得本能は損なわれてゆき、仕舞いには大人になると、ある限定された、つまり過去に身に付けた習得要素だけで、いろいろ組み合わせ深く論理的に思考することは長けて(子供よりも)行くが、それは経験に応じて身に付く知恵であり、本能的な学習能力は減退してゆくのである。しかし一端身に付けたものは何らかの衝撃によってブローカ領野やウェルニッケ領野が傷つけられない限り我々は文法(ブローカ)も意味(ウェルニッケ)も損なわれることはない。つまり学習能力の減退はすなわち一端覚えたことを忘れないように固定化するということにいついての(固定化されない内は応用とか展開とかに結実しない。)能力に切り替えられる段階的秩序をも指し示している。
 マット・リドレーはブローカ領野とウェルニッケ領野についてうまい比喩を語っている。

ブローカ野は発話を生み出す場所で、ウェルニッケ野はどのような発話を生み出すかブローカ野へ指令を発する場所だとの見方ができる。

このことはフッサール哲学において後期とりわけ重要であった動機付け(コミュニケーション成立における最重要な伝達意欲を育むモティヴェーションのことである。)がウェルニッケであり、その動機付けによって履行されるためのア・プリオリな前提条件というカント的能力こそがブローカだということである。
 その意味ではカントは人間の基本的能力を権利問題としての理性論の機軸にした、という観点から初期言語生理学者であった、とも言えよう。カントが我々が生きる今日のような時代の哲学者ではないということが、彼のテクストを今日触れる全ての人々に対してある戸惑いを持たせるが、理性という彼の概念に限ってちょっと考えてみると、それは一方で良心を我々自身に保有させるものと、一方では我々自身の保身を司るものとが実際上は分離されたものではなしに、一つのものの表裏であることを示した概念である、と捉えると極めて理解し易い。
 我々が誰かそれ程親しくないの人間とコミュニケーションを取る場合のことを考えてみよう。その他者は知り合ってからまだあまり日がたっていない、かと言って全然知らない人間ではない、としよう。第一印象がそういいものではなかった、という場合を考えてみよう。すると我々はその人間に対して、ある程度の距離を持とうとする。まだそれ程信用できるわけではないのだから当然であろう。それでコミュニケーションの際にどういう話題で切り込むかという時に何らかのその人に対する、あるいは親しい人間に対してなら臆することなく表明しようような真意は、表明せずに済まそうという防衛本能が働く。そういったある種の演技、軽い偽装を通して会話し続けながら、次第にその人間がそれ程悪意ある人間でもなく、それ程猜疑心も強くなさそうだということが判明してゆくものとする。なぜなら自分の言うことを常に懐疑を持たずに素直にすべて信用してしまうようだからだ。つまりこの人間は別にそれほど自分が力を入れて真意を語っているわけではなく、寧ろ他者の反応を適当に伺いながら、その場しのぎのいい加減な対応に終止し、社交辞令的言辞に徹しているにもかかわらず、すっかり自分の物言いを信じきっているのである。その時先程まで自己防衛を構築していた懐疑心が徐々に良心に転換し、あまり偽装していてはこのような信じ易い人間には気の毒だ、と思うようになる。そういった振り子現象を構成するものは他者信頼が醸成されぬ内は自己防衛であるものが、一端それが解けると良心に早替わりするものである。良心とは自己の打算的な他者に対するアプローチをあまり続けていると他者からの信頼を失うことを恐れて懐疑的姿勢を解除しようと欲するフロイト的に言えば自己保存欲動にほかならない。勿論その過程では嘘をついたり、偽証することはよくないことだ、という倫理的な思いも存在する。
 しかしもし仮に我々がテロリストに拉致されたり、どこかに監禁されたり幽閉されたりした時に、テロリストに対して何か「気分はどうだ?」とか質問された時に、恐怖で身が引き攣っているのに、そのことを正直に告白する者などいようか?大抵こういう過激な行動を取る人間は他者から警戒されていることを極度に嫌う神経症である場合が多い。恐怖心を悟られまいとして、無理にも友好的真意を装うであろう。(こういった偽装は犯罪的意図はないし、良心の呵責も持ち様がない。なぜなら恐怖との戦いだからである。要するに正当防衛である。)つまり良心と自己防衛本能は表裏一体の心理であり、生理なのである。
 だからカントが理性と呼ぶものは、悟性や判断力をも司るア・プリオリな我々の言語能力であることは間違いない。カントは理性が正当な我々に付与された権利であると考える過程で、その理性が命じるいろいろの場合を想定し、そこに言語的思考(誰かを「愛する」とか「もてなす」という行為を概念が成立させることは一方で、誰かを「憎む」とか「すげなくあしらう」というような対になる行為を実際上は抱き合わせで存在していることを前提にして(承知で)我々は言語行為を行っているし、そういう可能性を持たない思考など存在しない。)を介在しているのだ、ということを当時の哲学的常識に乗っ取って自己哲学を展開しているのである。
 脳というものはまず最初に他者とコミュニケーションを取る際にその人間がどういう人間かということの判断を介在させてから臨む。話者の言辞に対する統辞的理解はその後である。{(創造と理解)をこの論文を終了後掲載更新いたしますので、その際に参照されたし}その際に取り払われる脳内の判断について考えてみよう。
 確たる証拠はまだないのであるが、恐らく言語活動を根底から制御しているものの正体とは一部は当然のことながら遺伝子であるが、また別の主要な一部は脳、とりわけ大脳であり、また大脳内の神経組織の相互連関システムであり(チョムスキーも述べている。)、かつそういった相互の(遺伝子→大脳)、(大脳→神経細胞)というような命令系統そのものであると同時に、そういった系統自体を制御する複数の遺伝子と脳といったアンフィンゼン・ドグマとクリックのセントラル・ドグマ(DNAとRNAが相互に指令<前者が後者に>と影響<後者が前者に>を与え合っていること)とが双方作用し合っている現実そのものである、とも言えよう。要するにたった一個の遺伝子による影響力は恐らく言語活動や言語行為を司るあるほんの一部である、つまりいろいろの遺伝子や神経組織がある部分では相互に連関し他と緊密に、ある部分では勝手に他と無関係にそれ独自に行っている、その総体を我々が勝手に言語活動とか言語行為と統合した作用として呼んでいるだけなのだ、という風にも解釈出来るというわけである。そもそも養老氏が指摘しているように、言語行為をパロールとエクリチュールとを統合したものとして捉えること自体が幾分勝手な統合論ではあるわけだから、例えば物を見るのは目であり、音を聴く(聞く)のは耳であるが、その二つの全く異なった知覚を統合して、全体的に一つのものとして認識しているのは、我々自身の勝手な都合と見做してもあながち間違いではないのだし、つまりその二つを全く切り離された二つの別種の体験としても間違いではない。(例えば手に怪我をしても足には特別の影響はないので、とりあえず無関係としても間違いではないように)ただ、目と耳は比較的近接した領域にある器官である、ということなのである。このことがこの二つを期っても切り離せない統合的な言語行為像を形作っているわけなのだ。
 カントが無意識の初期言語生理学者であるなら、フッサールは懐疑的な一面も除かせる言語生理学的側面を強く打ち出しているにもかかわらず、他者性とか動機付けとかに拘る真理探究者である。そしていろいろの規制概念を打ち破ってはいるものの、最終的にはイデーの絶対性を否定しない、その意味では徹底した合理論者でもあり、カントの後継者でもある。フッサールは初期大作「論理学研究」で、純粋論理学を彼自身の表現であるところの思惟経済学に先立っていると考え、思考が最短距離での理解を可能にするように概念、法則化させる不可避的人間の思考本能は、論理学的認識を出発点とする、という考えであった。このことは徐々に別種に論理に置き換わっていくことになるのだが、その移行過程そのものがフッサールを意識的に言語を論じながらも言語本体の正体に関しては結論を避けるような論者である、と言える。<本論終了後更新していく予定の「真意と偽装の心理学」中の(フッサールの言語論)を参照されたし。>
 また極めて重要なことに「イデーン」では拒否を述べるために対比的に賛同を持ち出している。このことは極めて重要であり、本論とも関係が深い。更に結論的に急げば、「経験と判断」では絶対的基体と絶対的規定とを区別して考えたり、二項対立的視点は、かの有名なノエマ、ノエシスと同様フッサール哲学の論理的展開を特徴付けている。
 現代心理学では人間は最長5秒しか奇異なものを奇異と感じることない、とされている。もしそれ以上何かを奇異と認識するなら、永遠にそういう驚異で全ての時間をやり過ごしてしまうという恐怖をア・プリオリに抱いているかのようにである。つまりここでもカントやフッサールがア・プリオリとかイデーと呼んだものが論理的な思考(フッサールのこの部分はカントでは悟性とされる。)としてそれこそア・プリオリに脳内に条件付けられており、だからこそ、我々はそういった先天的な能力として数量化したり、数学的思考を持ち、距離感や金銭的経済観念や大小を比較検討したり、計算したり、といった基本的能力を行使し日常において役立てているのである。数学はだから基本的能力の絶対的発現を目的とした常套的観念という障害の除去を前提している。だからこそ我々というものは、もし未知のものに遭遇しても何か必ず必然的なものに違いない、と断じながらその未知性を克服しようと努めるのである。
 ラッセルが「西洋哲学史」で指摘しているように哲学は大部分において言語行為である限り数学や論理学と相同であるが、「なんであれ、知りうることのすべては科学的知識によって知ることができるのだが、正当に感情的な問題に属するようなことは、科学的方法の領域外にある。」という謂いによって代表されると思われるが、ここに哲学の登場する機会がもたらされる。それ以外では宗教か、芸術が考えられよう。ともあれ哲学とか芸術は論理で割り切れない部分の我々の世界(そういうものもやはり厳然と「我々の」世界なのだ。)に切り込む処方箋である。本論では数学的アルゴリズムと言語の相同性の言及から出発したが、それは一層正しい。なぜなら哲学とか芸術とか宗教とかの論理で割り切れないものを我々自身が希求するにしても、それを我々に情報として伝えるのは言語であり、言語において「人殺し」とか「陵辱」とか「背信」とか「不倫」とか言ってもそれはその語彙の意味に我々自身が勝手に倫理的判断を付与し、そこに「してはならないこと」としているだけであって、言語自体が指し示す概念的様相や意味(本論におけ個別的必然性とは違う常套的意味で)とかはいいとか悪いとかの価値判断以前の世界像の写像であり、「いいこと」とか「悪いこと」とかの、そういった価値判断は我々が言語の指し示す内容に関して問うことから発生する問題であるに過ぎない。だからそういった意味で言語は構造的には公平であり存在仕方は(誰が使用してもよいし、そこに差別も、意味の違いもない。)論理的なものである。
 生物学の世界では「共進化」というものがある。これは重要な概念であって、例えば花と昆虫のものがつとに有名である。花は花が分泌する蜜を求めてやってくる昆虫によってその花粉を出来るだけ広範囲に散布して欲しい、そうすることが自己の種の保存戦略上有効であり、昆虫もそのために蜜にありつけこの上なく利がある、というものである。しかもある花はある特定の能力を備えた昆虫にのみ利を与えるように、例えばある種のランのように花冠(花の管)を伸ばし、それに対応する唯一の蛾にのみ利を与え、他種にはどうすることも出来ないように進化した。それはある意味では他のずるがしこい昆虫からの偏利共生を未然に防止する役割を果たしてはいるものの、それ以外の戦略を放棄すること、すなわち極論すればその共進化のペアたる唯一の昆虫に依存してしか生を全う出来ない(ということはもし仮にその昆虫が絶滅したら、自己の生存も危うくなる危険性を孕んでいる。)ということとなる。
 言語共同体(民族)とは、恐らく文化共同体(別言語で同一宗教ということはよくあり得るので)よりもそういったサヴァイヴァル戦略上の不動点を確定した、つまりこれ以上ないというほど、自民族の勝手な都合によって相互に結びつき合い、自民族の範囲内でのみ利便性を共有し、逆に他の民族からは孤立してゆく、という原理に忠実に、運命共同体、民族自決的共同体の性格を帯びている。(古代の日本もそうであった。いくつかの別アイデンティティーの民族同士が最初は争っていたけれど、後に相互の共進化の道を選んだ。)また言語自体も、その自民族に固有な文化コードとしての性格を有しているわけだから、必当然的に他民族、つまり他の言語共同体、社会に対しては排他的な要素を充分に併せ持っているのである。そういったシビアな現実認識において、例えば一個の独立した自己の中でさえ、そういった自決権、サヴァイヴァル上の唯一的事情が考えられて当然であろう。そういった認識に立つ時、フッサールの拒否という概念はいわく示唆的であろう。勿論フッサール自身は拒否という言葉を純粋知覚上のメカニズムを説明する為に採用したのであるが、それは一フッサールの事情を超えた普遍性を内包しているのである。

(前略)元のものに逆に関係づけられている一つの新しい変様があり、しかもその変様は、各種の信念諸様相に本質的に志向的に逆に関係づけられているために、場合によっては高次の段階の変様なのであるが、そのような変様がすなわち、拒否であり、かつまた拒否と類比的な賛同である。もっと特別の表現をすれば、否定と肯定が、それにほかならない。どんな否定もみな、或るものを否定するということであり、否定されるこの或るものは、結局のところわれわれを、何らかの或る信念様相へと戻るよう指示する。したがって、ノエシス的に見るならば、否定は、何らかの或る「設定立」の「変様」である。ということは、或る肯定の変様ということではなく、何らかの信念様相の拡大された意味における「定立」の変様だということである。
 否定の新しいノエシス的な働きは、それに対応する設定立的な性格に「棒を引いて消し去り・これを抹殺するということ」にある。否定に特有な相関者は、抹殺性格であり、「非ず」という性格である。その否定の棒線は、或る何らかの設定されたものを消し去る形で、もっと具体的に言えば、或る「命題」を消し去る形で、一本線直ぐに引かれる。しかしそれは、その命題の持つ特有な命題性格、すなわち、その命題の存在様相を抹殺するという仕方によって、である。まさしくこのことのゆえに、この抹殺という性格および否定の結果出てくる命題そのものは、ほかの或るものの「変様」として、そこに成り立ってくるわけである。これをやや別様に言い表すならば、こうなる。すなわち、素朴な存在意識がそれに対応する否定意識へと変転することによって、ノエマのうちには、「存在する」という素朴な性格に代わって、「存在するのでは非ず」ということが、出現してくるわけである。
 これと類比的に、「可能的」、「蓋然的」、「問題的」ということに代わって、「可能的で非ず」、「蓋然的で非ず」、「問題的で非ず」ということが、出現してくるわけである。そしてそのことによって、ノエマ全体、「命題」全体が、その具体的なノエマ的充実において見たとき、変様されることになる。

 このフッサールの論述において、我々は先に検証した受容と拒否のメカニズムを想起せざるを得ないであろう。我々は拒否を出来る限り回避するかたちで、実際上はそのものと完全に縁をきって進化してきているので、かつて進化論を創造説に謀反を起こすものとして我々の祖先が拒否したように、分岐したチンパンジーとの共通の祖先と現在の我々はかなり隔たっていよう。その唯一的不動点への移行過程では極めて熾烈な選択基準でもってあらゆる選択肢を排他してゆく歴史があったにちがいない。それは肯定的に何を選ぶかよりも何を拒否し、何を棄却するかという行為に近かったであろう。ちょっとでも生理的にそぐわないものを徹底的に排除することでしか、言語を通した共同体の秩序は形成せられ得なかったのであろう。
 交際したくはない他者に、向こうから接近された場合、拒否することなしに、一切の連絡をたつことが、実際上は徹底した拒否姿勢を他者に示すことになる。だから、ある言語共同体が形成される過程ではその共同体にそぐわない個人、というか個体を徹底的に排除する形での(それは恐らく戦うことすらない、徹底無視であったことだろう。真の意味での村八分である。)取捨選択であったことであろう。今どこの国に居住する市民もその行為によって恩恵を被った人々の末裔なのである。だから最後の部分でフッサールが変様と言っている部分こそ、実は特殊化し、自分たちだけの勝手な都合で閉鎖自己完結した状態の不動点を見出してきた、ということなのである。それは恐らく瞬時の知覚判断においても半ば法則的普遍のフラクタルとも言うべきものとして「5秒前の奇異に感じた感覚は消失している」日常の中では必当然的なのであろう。(だから逆にジャ・メ・ヴュを感覚出来る天才たちだけが、偉大な科学者や芸術家として後世に名を残してきたし、これからもそうなのだ。)
 纏めよう。つまり我々は瞬時の判断により知覚対象の合目的性やら、機能やらを完全に理解出来ぬままでも、とりあえず理解したものとして先へ進むしか生の時間の経済を有効に利用することは出来ない。だから何らかの行為を支える身体的運動能力は、明らかに慣用的、といっても人類が文明を有した200万年の間に身に付けた言語行為や都市文明などを遙かに凌ぐ時間的スケールで我々の祖先の種から引き継いだ遺伝子レヴェルの本能であり、言語を理解することが出来る(生まれてそういう言語共同体の一員としての生を保証されれば、必ず発現する先天的能力として)素地は、恐らく我々とチンパンジーとを遡る形で結びつける共通の祖先から引き継いだのであろうが、何らかの偶然からチンパンジーはそういう素地を有効に活かしきることなく今日まで生きながらえ、我々はそういう素地を見出し活用して今日までやってきたというわけなのである。その一つが数学の能力であり、複雑な言語能力なのである。

Monday, December 7, 2009

D言語、行為、選択 15、オースティン巡礼

 我々は言語が行為をすら誘発するような、あるいはそれ自体がオースティン流の行為遂行的な、もっと行為そのものであるような地点に我々自身の問題意識を見出す必要がある。そこで最初に触れた言語の無限的にさえ思われるある種の我々自身の不可知領域をさえ表現できるような能力を見てゆかねばならない。我々は我々自身の不可知性に対して、神という概念を古来より使用してきもした。そして神なるものの実体を知る者など誰もいはしないのに、それでも尚我々は神という概念に対してある種暗黙の前提を認め、古くから馴染みのものとして受け取りさえしている。それが言語能力の一部であることを気が付きもしないで。言語の能力は決して無限ではない。しかしその被表現領域の無限性に対する無頓着な信頼こそが我々を言語なしには生活できないレヴェルにまで、我々自身を連行して来た、と言える。  我々は全体を知る、と言うが、これなどはフッサールも指摘しているが、実際上は矛盾命題である。全体とはあくまで部分の全体であり、無限に全体は適用できない。にもかかわらず我々は我々自身の知る世界以外の未知の世界をも含めて世界の全体と言ってきた。もしその全体という謂いを適用すると、その全体を他から峻別する次元の問題へと我々の視点を移行させる。それは不可知であるし、しかも世界は全体であり、それ以外には何もありはしない筈なのにである。無限後退を余儀なくさせるこの捉え方はだから、そもそもが間違っている。世界の全体とは我々自身の言語に対する不可知、未知領域をさえ表現、定義、規定できるという盲目的な信頼が潜んでいる。
 私たちは言語を通して、何もかもが表現出来るのだ、とまるでありもしないものから、我々が知る由もないものまで(ということは存在し得るかどうかも怪しいということとなる。)表現可能な万能の思考手段として絶えずそれこそ、大脳レヴェルから切り離しては生きてゆけない者として望むと望まぬとに関らず、我々はそういう生を生きて来たのである。
 しかしありもしない物に対する言辞は我々自身の内的不安が捏造した可能条件の提示行為であり、論理展開上の必然性に対する盲目的信頼に過ぎない。また知り得ないものに対して、神や神以外の多くの言辞を与えてきもしたこういった性向は否定すべくもない殆んど核心的な事実であるが、世界とは本来我々自身の知り得る事柄の全体でしかないものなのであった。我々が知り得ないものは、恐らく我々自身の一番よく知っている筈だと思うものにさえ宿っている。(おやおやこの言い方こそ不可知性に対する先験的な認知であるではないか!)兎に角我々は我々自身が知っていると思っているものの中にさえ我々自身の知らないことを見出せるのではないか、という幻想とも確信ともつかないものの中で考えているのだし、また実際そういったことが未知を既知に変えても来た。だが無限の本質的な姿さえ我々には理解し得ないのであり、全体は部分の何物かに関する全体でしかない。世界の全体とは我々が知り得るものの全体でしかない。しかしこの我々の知り得るものの全体とは、単純に我々自身がここからここまで、という風に言い切れるものだろうか?我々は何かを知っている積りであって、実は何も知っていなかったり、何かを知らないと思っていても、ただほんの少しの間忘れていいただけなのかもしれない。それは個人に関しても、人類全体に関してもそうである。個人の中の無意識領域、集団や共同体、いやホモ。サピエンス自体の種の無意識が何かを厳然と認知しながら、表面上は忘れさせていたり、だから我々自身が得意満面と、知り得たと思い込んでいるものにもある日突然我々を未知の奈落にまっさかさまに突き落とす、ということが待っている。だから何かを選択した積りでいても、それは無意識の、あるいは外部環境に対する生理的反応でしかないものを、自分自身の選択、決断と錯覚しているだけなのかも知れないのである。
 すると我々はこうも言える。我々自身が語りえるものと我々自身が語りえぬものとの違いやそれぞれの範疇やら性格をそう安易に我々自身によって判断してよいものなのだろうか、と。自分でも知り得ない部分は自分が一番よく知っている積りになっているものにこそ宿っているかも知れないのなら、我々は我々自身の真の姿を自分では鏡でしか確認出来ないので、我々自身の他者の他者への接し方は、その当の他者から指摘してもらうのが一番よいように、我々の語りえることとは、実際はそうではなく、我々が語り得ないと思っているものも、そう思い込んでいる(決め込んでいる)だけで、実際は案外容易いものなのかも知れない。だが我々は個人の事項なら他者へ意見を求められるが、人類全体に関してはそれ以外の意見を聞きようがない。神とはだから人間が作り出した他者なのかも知れない。また他者が言うことが絶対ではないように、我々は他者の意見を拝聴すべき領域とそうではなく、自身の自身だけによる裁量で判断すべき領域の判断さえ実はよくは把握していないのである。だからもっと相談してくれればよかったのに、とか、そんなことは自分で判断しろ、とか言うのである。また人類全体の批評家やら人類全体の相談役の不在が我々を絶え間のない孤独へと突き落とす。猫ででもいい。我々の行く末に何か語りかけてくれさえさえしたならば、とそう思う。我々は動物の目を見て語りかけるものに何らかの感情を読み取ることを自己の能力として期待するのみである。しかし言語で返してくれる存在への希求が地球外生命物の存在への期待となっている。
 自己をその行為の正当性として理解して欲しい、ということは他者に対する我々皆が自己の偽わらざる心理として受け入れている。それが人類という一束になったとしても同じである。人類が未知の高等生命体を希求することは極自然のことである。そればかりではない。我々自身いつ何時自己の中での形容不能な出来事、体験に見舞われるか、それは誰にもわからない。そういった事柄に遭遇した時に我々は他者を、自己の立たされた立場を理解してもらう為にそういう異常体験を伝達する為の対象として選ぶ。なぜなら異常体験においては我々は皆意味の横溢に押し潰されそうになっていることが多く、概念の不毛を感じることの方が多い。するとその不安を少しでも紛らわせるための親愛なる他者の共感を欲するのである。
 伝達したいこと、表現したいこととは、伝達されたり、表現されたりする当の事柄の意味である。そいった意味の充満がさほどない時には我々は概念の持っている実効性やらその形式的秩序に感謝しこそすれ、不満に思ったりはしはしない。我々は円滑になされる日常的コミュニケーションにおいて伝達したいこと、表現したいことよりも概念の方がその数において勝っていると思えるからだ。我々はだからそういう日常的平常時には、概念提示的オースティンの言葉を借りればコンスタティヴな述定において、言語活動の効力に無限の可能性を感じるわけである。(伝達・表現したいこと=意味)÷(概念)の数値がプラスになれば、我々はさほど伝えたいことがない心的状態か、表現する際に武器となる語彙数の不足を自己に感じることのない、所謂教育レヴェルに関しても過不足のない環境において、概念に対する信頼に充たされた心的状態であろう。しかしその数値がマイナスになれば、その時我々は知り得る概念の数の少なさをある一定レヴェルの教養に達していない、と自己を捉えるか、さもなくば、あまりにも伝達したいことの意味が横溢し過ぎて、ある種の特殊体験において動揺を隠し切れずにいるものだから、きちんと伝えられない、適切な言葉を見つけることが出来ない、ということであろう。その心的状態は前者には羞恥が伴い、後者には狼狽が伴い、いずれにせよ我々はそこに一抹の不安を感じる。それはある種極端に言えば社会から疎外されたような心的状態とも言える。しかし極一般的には殆んどの日常的な取るに足らない経験ではどんなに強烈でも、ある興奮状態から覚めてゆくにつれ、徐々に冷静さを取り戻し、他者へその時のことを説明しながら伝えるべく適切な概念を引き出せるようになるわけであるが、それもその時は不在の現前化であるわけだから、体験の意味そのものは対象化される余裕があり、記憶像の整理もつくようになってきている、というわけである。
 我々が行為を選択する時、選択した、と意識してそうする場合と半ば無意識に殆んど条件反射的にそうするのとでは意味が違う。前者は随意でありながら不随意に近く、後者はそうしようという行為の選択そのものが意味なのだから。何かを伝えたいということで伝える場合もこれにあたる。例えば異常体験を語り伝えるということはそれを語ることが、経験した出来事の意味を伝えることであり(不在の現前化)、意識的な意味伝達的コミュニケーションである。だから逆に嘘をつくこと、偽装することもそれがどんなに手馴れた反射的行為であっても、真意を伝えることに比べれば明らかに作為的で、意識的(意識するということは、それがモラル上本当は背信的行為である、と承知なのだから、良心を保有している、ということに論理的にそうなるのである。)、自覚的な行為である。

Sunday, December 6, 2009

C翻弄論 7、 いい意味でのいい加減さ

 人間は重大なことについて拒否し、賛同の意を表明するが、それ以外のことは打っちゃって置く(政治に対する一般民間人の意識が拒否するべき重大な事項以外のことでなら、マスメディアの垂れ流す膨大な情報量において最も頻繁に流布されたメッセージを疑うということの重要性を知りつつ、一応目に留めておき、かつそれを闇雲に拒否することは浪費的な意味合いしか見出せないから回避する)。そこでは贔屓感情から嫌いになれないというそれだけの理由で、絶対的に否定すべきものでない限り受容してしまい、他の人間よりも味方をしようと思うという意志決定というものは拒否回避からなされるのだ、ということは人間社会においてのみ固有の現象ではない、ということも示唆しておこう。(拒否すべき時以外は拒否をせぬよう心掛けるのは人間だけではないのだ。)
 日常における一回一回の些細な決断にあまりにも時間をかけ過ぎて、また必要以上に厳密さを求めることは間違いを回避させることには寧ろ繋がらず、逆にデメリットの方が大きい。
 地質学者のアンドルー・H・ノールは自著の「生命最初の30億年」において次のように語っている。
「RNA(およびのちに登場するDNA)の複製エラーが高すぎると、せっかく成功した変異体もその後の世代に長く残れない。反対に低すぎると、進化が続かない。このように現実のエラーが「ちょうどいい」のは驚くべき偶然に見えるかも知れないが、そうではない_分子レベルの自然選択の結果なのだ。中途半端ないい加減さが、進化には有利なのである。」(同著119ページより)
 この原則は人間社会にも全く適用し得る認識である。仮に今あるプロジェクトを任された人間がトップリーダーとして要求される人間的な資質とは鷹揚さであろう。勿論肝心要の時には潔い決断力が求められるが、そういった判断を成立させるものは日常的にはあまり些細な事項に対して神経質にならずに厳密さを求めない、つまり事の成り行きをある程度余裕をもって静観出来る、それでいて部下や事業そのものが苦境に陥った時には適切な判断やアドヴァイスや修正が出来る能力であり、些細な失敗や事業自体の滞りにその都度部下に対して厳しい処置を施したりするような神経質さは寧ろ回避すべき性向であろう。
 K泉J民党圧勝はK泉前首相の人間的な魅力が最大の要因であった、ということは間違いない。「J民党をこのK泉がぶっ壊す。」と言って演説したことが大衆を魅了したということである。これを「J民党を私が崩壊へと導く。」というような言辞で大衆に問い掛けたら、恐らくあの時のようには大衆を魅了しなかったであろう。首相本人は「マスメディアが<ワンフレーズ・ポリティックス>と勝手に決め付け、印象的な一言のみを繰り返し報道しているだけだ。」というようなことを国会で発言していたが、それは戦略的な言辞であり、首相本人は最大限にマスメディアが嬉しがるフレーズを多用して巧みにマスメディアを利用した(いい意味でも悪い意味でも)とは言えるだろう(それゆえ今回のM主党による政権交代はマスコミ主導型の振り子現象的な日本型性悪排除的民主政治理想によるものであるとも言える。その際にK泉時代に後退した勢力による巻き返しにしか過ぎない。しかしその問題は置いておこう)。だがこの選挙演説として魅力的な言辞あるいは語彙選択というものとは一体何なのだろうか?
 一般にスローガンを政治家や経営者が述べる時、その際にどうしても必要となってくる専門用語ははずせないとしても、それ以外では出来る限り簡素なイメージで主張する方が説得力がある。それにはまず皆が知っている単語、動詞であるなら熟語となった単語以外に発話においてメッセージを伝達し得るのに有効な訓読みに出来る和動詞があれば、それを使用するということが挙げられる。英語で言えばラテン語系列の動詞ではなく、英語独自の動詞(及び動詞句)を使用するというものである。あのケネディーの演説の時のように。Do not ask what your country can do for you. Ask what you can do for your country.
 そういう配慮においてK泉前首相の「ぶっ壊す」という響きはあの時には有効に機能したと言えよう。しかし一方で大衆的な週刊誌やスポーツ新聞等による四文字熟語や二文字複合名詞、動詞の多くの発明もまた非インテリ階級的なパワー主張において有効に民間の活力を漲らせている。例えば卑属な例で言えば「激撮」、「乱倫」、「爆乳」といったかつてはなかった単語が次々と使用され日常化してきた。こういった工夫とは一線を分かつように思われる政治家のスローガンは出来る限りあらゆる職業層、年齢層にアピールしなければならない。だから一方でサブカルチャーが隆盛を極める反面それを反面教師として認識する知識人や常識人もまた多数いる、しかし彼らとて決してそういう民間のパワー炸裂に対して歯止めをする力も権利もないという奇妙な同居性。これが日本を始めアメリカやヨーロッパの実像ではないだろうか?そこにはメディアのどうしようもなさ、歯止めの利かなさがある。
 辞書項目的な堅い熟語や動詞を回避させながら弁舌し得る力量はある一定量のカリスマ性が要求されるということもまた現実である。K泉前首相の巧みさは自分の名前をスローガンに極自然に挿入した、ということではなかったろうか?自分で自分を名指すことで達成される効果を熟知していたとしか言いようがない。それが効果的であったことは、名前の認知度を高めることとは言えまさにそれを語る語り口の軽妙さ(語り方その他のイメージの恰好よさ)にも起因している。
 我々が認知度の高い政治家に惹かれるということはマスメディアの流す情報を鵜呑みにするわけではないにせよ、一定量の信頼もまた絶対的に持っているということである。現代のような情報化社会では情報をシャットアウトすることだけは回避したいという現代人固有の状況性がある。よって必然的にマスメディアの露出度の大きい政治家を支持しやすいという構図が出来上がる。またマスメディア自体が一般的な有権者の贔屓心をくすぐるような予め大衆が喜ぶ、期待する内容の情報をのみクローズアップして、それを反復して映像を放映する傾向もある。これは劇場型社会特有の有権者と政治家が一体化してシナジーを作るという現象である。ある商品が何度となくCFで放映され、その商品に対する日常的な認知度というレヴェルで既成事実化され、関心を持つように仕向けられるし、その反復的な放映自体が我々自身のニーズをある程度反映するから、その商品に対する消費者一般の関心事であるかのようなイメージが作られてゆく。それはまさに我々自身が作り出す期待感が無意識に反映されているのである。それは意識的な関心の反映ではないのにもかかわらず、潜在的な欲望を正規のニーズの如く信じさせる効果を映像の反復が醸成するのである。
 我々がしかし経験的に政治が各種の利権性と無関係ではなかったということを知るように、ある商品が矢鱈と売れると、消費者が沢山特定の企業の商品を好んで買うことが特定の産業や特定の流行最前線のアイテムに付帯する利権を増大させ、莫大なる利益を導くのだ、ということを既に敏感に理解出来るような意味で、我々はある種の警戒感もまた常に介在させてもいるのだ。
 ここで言う政治が利権と結び付くということは仮に特定の法人組織に密着した属議員でなくても事情は同じである。例えば政治家個人の名声、彼を取り巻く権力構造といったものである。ある商品への関心が我々の需要によって形成されるような既成事実が同時に特定の産業や企業へと莫大な利益を齎すことを知っているように、特定の政治家への贔屓が、その政治家への権力を集中させることを我々は充分自覚すべきであろう。だからこそ時として贔屓心を鬼にして投票するべき候補を選択すべき時もあるということである。
 商品を買う場合はその商品が有用である限り買った商品を使用すれば一応願いは叶う。しかし投票した政治家が当選するが、したとしても選挙公約を順守するか、仮にそうしたとしても他の政敵との抗争に打ち勝ってゆけるかとか、公約を果たし得るかとかは丁度競馬や競輪の結果同様未知数である。そこで商品を買う場合よりも選挙で投票することはギャンブル性が濃いこととなる。にもかかわらずそれをギャンブルではない(真面目な事)と社会は触れ込むわけだ。
 実際上ビジネスに忙殺される一般人にとって政治は劇場であることが望ましくもあり、また我々自身によって運営されているものというよりは日本人の場合は議員に対して我々が国民全員の意思において代表者へと委託しているという意識の方が強い(これは民主主義の本場アメリカでも事情は変わらないであろう)。そういう意識において滞りなく運営されて欲しいと願う気持ちから一応現状において認知度の高くイメージだけでも公約を守れると思われる候補に一票を入れれば間違いはないというステレオタイプな判断をして、多くの有権者の投票によって選出されるであろうという目算から確かな支持を取り付ける能力のある政治家を当選させることが合理的に適ったこととなる。そこで当選した候補が活躍することを国会中継等を通して皆で見守ることが可能となる。事実そのような候補は何回かの当選で今まで国民の期待に答えてきてもいるのだ。だからそのような候補は必然的にマスメディアの注目を浴びるようになり、我々はそのマスメディアの作る情報をある程度信頼しているから、その候補を投票するようになるのだ。丁度映画館で大勢の観客の一人として鑑賞したり、また競馬場で馬券を買い自分の推す馬が勝利することを願って観戦するようなものなのである。自分の生活に直結し得る部分も大きい政治であるが、政治以上に生活に直結し得る要素を他に多く見出し得る我々にとって我々の国民性からは政治には生活必需性以外の祭り意識を託しがちであるとも言えよう。当選しそうな候補に投票することで当選した暁には公約の政策を実施してくれることから自分の買った馬券の当の馬が優勝してくれることと同一の心理で劇場を楽しむことが出来る。ここで人気のある政治家に投票することが行為目的論的に合理化される。それは全く心理的にはよく売れる商品を購入するケースと同一のものである。勿論事実としては政治と買う商品の生活レヴェルへの影響は異なっている。にもかかわらずその差を認識するくらいに切実に関心事として規定しようという意識が概して日本人は希薄である。政治が経済を動かすという側面よりも経済が政治を動かすという側面の方を信じているとも言える。これは実は両方言えることではあるのだが、そういう思考回路があるということである。護送船団方式の名残ということもあるかも知れないが、もっと根の深い心理形成プロセスの相違が西欧社会と日本の間には横たわっているとも言えよう(このことはこれ以上ここでは触れない)。
 しかし見かけ上は(実はこの見かけは本質規定的な部分よりも現代社会では重要であると思われるが)国会中継が頻繁に放映され、劇場を見るような感覚で我々は政治を観戦するのである。自分の買った馬券の馬を応援する心理と同一の贔屓感情を劇場で頻繁に登場する政治家に託す。だからこそ人気のある政治家に投票することは行為目的論的に合理化される理由となる。こういった行為選択は可能性論的に言えば積極的選択である。全体の政治力学的バランスを慮って批評的に投票するタイプは選択性に関しては消極的な選択基準であるから、当然のことながらこの種のタイプの人は政治自体に懐疑的であり、と言ってノンポリにもなり切れないときている。しかしこのタイプは政治参加意識においては、人気のある政治家を自動的に投票するタイプよりはアクティヴかつ積極的であるとも言える。要するに政治性成果予測主義であり、この場合の消極的な選択基準とは同時にモティヴェーション的には積極的であるとも言えるのである。
 だがそういう選択基準を持つ個人は稀ではなかったろうか、あの200X年夏の総選挙においては。あるいは今回の政権交代においても尚。あの時には明らかに脆弱な「個」による群集心理、同一の競馬場で競馬を観戦して、同一の劇場で芝居を鑑賞する観客の要素のある心理が感じられたのである。こういった場ではどの位大勢の人間が自分と同一の立場にあるか、その運命共同体性が重要となるのである。誰も見ない芝居や試合は見ていて興奮度は低い。そこで尚人気ある政治家(あるいは皆が今回では正当であると思われる議員に相応しい人)に投票しようというモティヴェーションは選択基準としては(政治参加主義的にではなく)アクティヴな意味合いを生じるのだ。ではこの群集心理はどういうケースにおいて発現され得るのであろうか?
 デイトレーダーの場合をちょっと考えてみよう。
 選挙の場合当選した候補が不適切な政治をする場合、その損失を被るのは社会全体である。それに対してデイトレーダーが経験する損失は自己にのみ限られており、勿論そういう自分と同様の立場の人間もいるであろうが、そういう他者の経験は取り敢えず大した問題ではないだろう。というのも全ては自己責任に帰せられるからである。そして彼の損失は社会の中では誰か彼本人とは何のかかわりもない一群の人々の利益となるからだ。選挙の場合、ある候補者が当選してその人物の行う政治は社会全体が当選した候補以外の候補を投票した有権者をも含めて連帯的に損失を被る。尤も既得権益者であり、特定の特殊法人に恩恵があり、そういう立場に有利なこととなる政治的展開を当選した候補者が為した場合以外はであるが。つまり選挙の場合は明らかに無名で全く人気のない候補に投票してその人が落選した場合を除いて、ある人気ある候補が当選してその候補のその後の活躍を期待する中で被る政治的展開による恩恵も損失も皆同じ候補を応援した人ばかりか(同じ候補を応援した人々とはその応援した時点からであるが)そうではない人も含めその候補の政治によって生活に影響が出る全ての人々にとって長期的な運命共同体の享受となり得るのである。そしてそれは皆が共通して知っている事実である。しかしデイトレーダーたちが仮に皆年に一回ある株主総会に出席するとしても尚日々移り変わる株価相場において売り買いだけで生活しているわけだから(それに加えて信用取引をしているなら尚更)、必然的に永続的に一社の株だけについて他の株主と運命を共有しているわけではない。いつでも自己裁量的に売り買いは自由であり、あらゆる判断は個人の裁量に委ねられている。一回の選挙があるだけで、選択はその時だけしかない政治とはそこが違う。その意味では純粋に馬券を買って観戦する競馬の観客と同様である。しかしそれでいて競馬のファンとも異なるところは一つの競争結果となるわけではないところである。勿論競馬の場合も大穴を当てる者とそうでない者の間での損得の差はあろう。しかしデイトレーダーは競馬の勝敗のように同一の結果において右往左往するようなものとも違う。何故ならある株をその時に売るか買うかというようなこととか何時にするかということ自体も自由なのだし、また一律にこうすれば儲かり、こうすれば損失となるというような図式は全くないからである。個人毎に異なった株の数(馬券でもそのことは同じであるが)、将来への展望があり、証券市場での株の変動とは損得においても決心においても一律の結果では決してない。一回の競馬で全てが決するギャンブルとはそこが違う。毎日がレースであるし、必ずしもレースに参加する日時は決まり事などなく個人毎に異なっているのだから。
 つまり要約すれば選挙の場合、自己の願望の実現可能性が選択においては自己以外の圧倒的他者の存在が必要であるのに対してデイトレーダーの場合は株保有が自己選択にのみ全てが委ねられ、他者による選択は自己の利益自体とは一切かかわりがない、勿論狼狽売りをして損失が自己保有株に出る場合はあるが、それとて最初から想定された展開のある一つの可能性であったに過ぎない。だから逆にその好例であるLDショックの際の狼狽売りに関しては想定されていたとは言え、一時的にでも証券市場に多大の影響を及ぼしたこと自体のLD側の責任如何を問わず、狼狽売りに走った多くの非関連株保有者の心理には驚くべきものがある。日本人のある種の主体性のなさ、圧倒的他者の選択に追従する群集心理を物語っている。それは200X年夏の総選挙のメンタリティーと何のかわりもない。恐らく米国では選挙においてさえ、自己信念にそぐわない候補に人気とメディア露出度からだけの判定で候補者を選ぶというようなことは極めて少ないのではなかろうか?あるいは米国でも同様の現象が見られるとしたら、それはそれで実に興味深いことではあるが。大統領選挙にはそのような祭り意識が濃厚である(オバマ旋風とその後の支持率下落にもそれは伺える)。
 政治投票行動とはある意味では祭り参加意識が濃厚である。この祭り意識とは一面では反省意識からの解放という心理状態の転換が考えられる。劇場鑑賞自体に反省意識は少ない。ある意味で人生自体は自己選択の連続であるから、逆にその自己選択意志は、「人生全体を左右する命題的態度による行動規範は合理的である」というような意味では必要であるものの、それとは別個に我々にはどこか合理的な説明が自分でつけられないような非合理的な自己欲求が横たわっていることにも直面しなければならない。つまり人生全体にかかわるようなそういう重大な決心の構造からの一時の憩いを政治に求める心理は我々にはあるのだ。これは重大なる自己選択に対する待機状態の保有であるとも捉えられるのだ。自己選択に対する待機であるなら、何もそれほど重大な決心は必要とされないが故にその場合はなしてもよい行動とは他者追従型の意志発現ということとなる。人間にとって重大な決心には一定量の反省意識を必要とし、そういった際の反省意識の持続は多大のストレスとエネルギー・ロスを来たすこととなる。デイトレーダーの日常的な意識はこの自己選択意志、極端なる自由意志オンリーの状態であるから、政治において祭りの憩い(それは関心集中型の憩いであるが)とは対極にある意識状態である。それで生活全てがかかっているし、大きな負債を一瞬で背負い込むことにもなりかねないからである。人間にはこういった極限の心理の持続をどのような安穏とした生活態度の人間でさえ経験せずに生き続けることは不可能であるから、逆に否定するに値するほど重大ではない、あるいはある程度懸念(ある候補を当選させたらこれこれこういう風になるかも知れないというような)があっても重大な展開にはならないだろうという場合には、「後に軌道修正し得るであろう」という思いも手伝ってそういうものに対する選択は一応受容しておいても構わないという行為選択を無意識に採るものなのだ。もしそういった無意識的な選択時の心理状態を全く排除して全ての行為選択に関して因果論的にこれをこうすればこうなるという風に想定しながらなすとすれば何の行為も選択することは出来なくなるであろう。それが極端になると、将来への不安(あのサルトルが「存在と無」で示したような意味での)だけが増大し、決心というものが一切つかなくなり行為選択が全く不可能となり生存さえ危うくなる。その意味では出来る限り損失を少なくしながら無意識に行為選択しつつ、時として重要な行為選択を持続的な未来予測と展望の下になすためのエネルギーを蓄えておこうという日常的なスタンスこそが最も標準の考え方であろうと思われる。というのも人生の瞬間はどの瞬間も大切であるが、重大な行為決断の瞬間のために日頃の全ての瞬間が捧げられるのであれば尚のこと、その重大な瞬間以外は無意識であるが有効に作用する選択を我々は知らず知らずの内に為している筈である。まさに「しても間違いはない、悪い結果を齎す心配はないからなす行為」であり、「仮に最大の成果があがらなくても、軌道修正が可能だろうから一か八か賭けてみる」選択である。これが一切なく意識的な自己自由意志による行為選択の長期的持続というような日常はデイトレーダーたちでさえ耐え切れまい。どんな緊張を持続的に強いる業務でさえ、その中では緊張から解放される瞬間を常に挿入している筈である。要するにノール(考古学者)の言うような意味で、中途半端ないい加減さが全体論的な充実を齎すということなのである。

Friday, December 4, 2009

B動詞と名詞 10、<想像>

 想像は可能性への信頼の中で理解出来る在り方(可能性)の一つであり、蓋然性の高いものから順にイメージは明確になる。そしてそれが蓋然性の高いものこそが行為の正当性を「信じる」ことを促す。だから想像は決心を促す作用を持っている。想像は過去想起の映像記憶像(動的)を基本とした記憶創造だから、例えば未来に起こり得る事柄は想起の中でも確固たる信頼を持った過去データに依拠したものであるなら、より動的イメージが明確なものほど反復されたり(成功体験)、回避したり(挫折体験)する蓋然性が高くなる、という風に理解することが出来る。そのような理解が次に取るべき行為の決心を醸成する。決心とは行為によって齎される結果に対する確信(限りなく「信じる」に近い理解)が喚起する。
 想像することとは想像し得る可能性として起こり得ることを理解出来るということ、起こり得る可能性に対する理解、つまりそうではない起こり得ないことではない、という確信である。蓋然性の高いことにおいて収斂された値であり、像である。像の現出には一定量の経験が必要である。
 想像することは自己の記憶の確かさへの信頼度に比例して克明さを増す。想起が及ぼす想像への影響力を真摯に受けとめるということである。経験から引き出される真理値への依拠は経験と伝統的な、あるいは文化規定的なコードとかラング(ソシュール用語)への信頼から形成される。つまり記憶事項の想起と蓋然的判断の連合による構築、しかもそれに対する信頼度を経験的知、経験的判断として照応して為される構築なのである。
 人間は無意識の想像の方に寧ろ無秩序な観念連合が見受けられる(レム睡眠中の夢、白日夢等)。しかし通常の想像はどのようなインモラルなものでさえ現実のラングの強制力に左右されている。実際にインモラルであると捉える自らの妄想としての裁定そのものがラング的常套性への依拠なのだから(それは民族的なコードにも依拠した文化の強制力が個々の言語共同体毎に存在する。その点ではサピアやウオーフ等の考えは見るべき所が多い。)、そういった覚醒中の想像は限定された観念連合になる。(後は各生理学的メカニズムに関する限り大脳生理学者、神経学者各位にお任せする。)
 限定されない観念連合、つまり閃きはは一般の人間には覚醒時には滅多にない。睡眠に赴くことも覚醒の断念であり、「睡眠」という行為選択の決心の後に為される。
 決心の後に行為がすぐ来るが、行為は決心と同時になされることを持って意志(前頭葉)を生じさせる。想像とは主体性を「信じる」ことを前提しているのである。ある意味では対自的な自己認識から喚起されるような脳内現象である。自我は想像出来ない主体(存在者)には存在し得ない。想像の際に引用される想起は想像されたものを思念上で「理解する」為に用いられる。記憶が思考のために利用されるのだ。
 想起は現象論的には記憶による実在認識に限定されたある実在ラインに沿ったものだが、想像はあらゆる過去時の、つまり近い過去時の生々しい具体映像、いつであったかは既に忘却した潜在的過去映像の綯い交ぜとなった実在確信ラインに沿うものでない自由な選択素材の組み合わせによる観念及び映像連合のコラージュである。
 夢は主体性を前提してはいない。覚醒していないのだから現実知覚が欠如し、それと同時進行する想像とは自ずと異なる。それは主体性の欠如した観念映像連合である。エスとかイドとフロイトが呼んだものに支配されている。

Thursday, December 3, 2009

A言語のメカニズム 16、受容、理解、知覚

 私たちが話し好きな早口の人の話を聴く場合そのスピードについてゆくのに精一杯であり、それは恐らくインターネットの画像や文字情報を次から次へとクリックしてゆく時の心的状態に近い。目まぐるしく場面が切り替わるアクション映画のシーンを見ている時に近い。知覚の能力テストを受けているような状態である。心理的にそうであるのだから、生理学的にもゆっくりとした動作や静止画像をただ眺めている時とは異なってくる。しかしきびきびとした知覚体験もまた受容のシステムである。しかも絶え間なく立ち現れる画像や矢継ぎ早の会話、目まぐるしくカットバックを反復する映像に対する知覚などの全てはその速さに対する対応において受容である以外の何物でもない。そしてそれは瞬時の理解を履行する行為でもあり、ここに受容と理解(理解せねば受容出来はしない。)そして知覚の3元的な連動性が認められる。瞬時の知覚は錯覚も含めて明らかに理解である。「あっ、あそこに車が駐車している。」という瞬時の判断が次の知覚(目の移動)を可能にする。しかし何か一瞬でも得体の知れぬ物体や現象に出会うと、知覚は瞬時の判断を躊躇し、「あれは一体何だろう?」と思惟の段階へと突入する。その切り替えには何か大脳に刺激を与える効果があるだろう。だからさっきまで何か褒美でも貰って喜びの表情を示していた人間が悲しい知らせを聞いて瞬時に表情を曇らせる時、中枢神経たる脳内から感覚を感覚させるべく指令を出された効果器たる表情筋は弛緩状態から一気に緊張状態へと突入する。その時の衝撃は受容器(皮膚)(感覚を効果器へと伝える)と効果器(筋肉)との連動作用自体が再び脳へ事後報告的にその衝撃を伝える筈だから、脳は末梢神経の反応性に対して稟議書にハンコウを押したり、サインする上司のように確認(滞りなく感覚を伝え、感覚させてくれたな、と)し、それを記憶させるのではなかろうか?
例えば言語においてすべてが名詞だけであったり、動詞だけであったら、何らかの事態を出来事として、エピソードとしては記憶出来ないのではあるまいか?つまり名詞と動詞といった全然違う機能を有する二つの品詞が相互に作用し合うことで初めて事態とか事象とかが、ありありと表現されるわけであって、だからこそ、彼の動き、とか狼狽させた、とかの物言いは名詞的連続である。狼狽は名詞だし「驚いた」よりも「狼狽した」は動名詞的である。狼狽した、と狼狽させた(狼狽させられた)、とでは主観的、客観的ということの違いもあるし、そうなるとあの例証での二つの文章の前者と後者とでは前者には具体的な再現前化の配慮があり、動詞と名詞の交互に現れる運動性があるのに対し、後者では動きという所謂概念性の連続(~の、~のという繰り返しは名詞的連続だが、概念性の連続、つまり階層的事実の羅列である。)で、具体性に欠け、抽象性に埋没しているのである。後者の文章の方が圧倒的に印象には残らない。ありありと情景が思い浮かばない。事後報告文、始末書的である。
 兎に角言語活動においては何らかの伝達事項の連続であるわけだから、その中で意識的に変化をつけ、品詞毎の性格に沿った多品詞(名詞、動詞、形容詞、副詞、助詞)の相互連関を施されることによって運動性、遠近感、立体感が文章に生じ記憶に何らかの揺さぶりをかけ、その働きを活性化するのではなかろうか?ただ同一機能の品詞、表現を連綿と羅列するだけでは運動性も変化もなく記憶には揺さ振りはかけられない。切り替え、スイッチングオン、オフの反復が大切なのである。音楽でも変化に富んだメロディーと抑揚、リズムが断続的に時間を刻むから印象に残るのであって、ただ抑揚もメロディーもない長音が切れ目なくずっと連続するならただの騒音である。
 ちょっと先に述べた健忘症のことについて考えてみよう。
 数学の歴史はギリシャやアラブにおいて大きな発展を見、更に中世から近代へと発展し、その技巧的な難解さは例えば物理学との関連で言えばガリレイやニュートンの方程式とか相対論とかである程度そのピークは迎え、少なくともアインシュタインの登場を待つまでは、カントル、ポアンカレ、フレーゲ、ペアノ等の数学は性格的にはそれ以前の数学者や哲学者たちが全て承知のこととしてそれ以上のことを追求しているかの如く考えているのにもかかわらず、実際は本質的なことを何も理解していなかった、寧ろ彼ら(前記4人)が発見した概念を履修したのちに展開すべきことを実際上はそれをすっ飛ばしてやっていたのだ、ということを後の時代の人々に理解させることとなった。つまり事の本質にまで追究の手が届いたのは彼らを待ってであったということである。とりわけポアンカレの位相幾何学は無意識の領域で我々が捉えているにもかかわらず、我々がある障害のために(それこそが意識というものが形作る常識とか常套的理解というものである。)すっかり忘れている捉え方をもう一度復権させるような行為に近い。ポアンカレの幾何学は所謂幾何学の集合論であり、知覚的、認識論的深層意識の本質論である。
 さて英語は一般に無意識に忠実であり、日本語は意識に忠実である、と言われる。日本語において話者が伝達する内容に対していちいち主語である自分を「私は」とか「僕は」とかを言わないで済ます了解事項に対する省略はしかし英語では必ずしも明確に発音しないものの完全に脱落されることはない。S→V→Oはあくまでも切り崩せない。(感嘆文では語順は変るが構造的変化ではない。)
 無意識がどのようなものであるかを論じだすとそれだけ一冊の本が出来上がってしまうのでここではその無意識が記憶という領域では明確であり、にもかかわらず我々自身の意識が障害となって忘れているように錯覚しているだけである、という論点を機軸にのちの問題を考えてみよう。
 健忘症において「あれ何だっけ?あの動かすやつ。」とか言ってその語彙を忘れる場合それは大抵名詞、しかも特殊な事物であったり、滅多に話者が接していないものか、いつも接しているのにその話者にとって日頃言い難いと思っている言い回しのものか、固有名詞であるか、といったことが大半であろう。少なくとも空、海、橋、木、山とかの基本的名詞を忘れることがあったら、健忘症というよりも失語症とかアルツハイマー病の疑いがあるかも知れないから一度診てもらった方がよいかも知れない。ともあれそういった基本名詞以外の名詞でなければ、複合動詞である場合が大半である、と思われる。まさか「食べる」とか「歩く」とか「寝る」とかの動詞を忘れるとしたらこれも同様診察て貰う必要があろう。「切り込む」「駆り立てる」「封じ込める」「畳み掛ける」とかの複合動詞であるならちょっと直ぐに出て来ないことは大いにあり得る。しかもそれら同様に重要なのは、品詞そのものを忘れても文法とか語順とか所謂統辞、統語に関してまで忘れることは殆んどない、と言ってよい。「あの、あれが、あれして、ああなった。」と言ってもこれは決して語順とか統辞的には秩序を失ってはいない。
 ということは我々はある意味では海馬記憶とは異なる慣用的な、それは身体運動とか知覚判断と大差のない極々基本的な学習記憶は健忘症などによって忘れられる項目とは別個の特殊な記憶、一段階層的には上位に属する事項ということになる。それは条件反射的記憶、熱い物に手を触れると即座に手を引っ込める行為を成立させる記憶とも関連性のある記憶ということも考えられる。

 前章では表情のことに触れたが記憶ということで言えば表情というものを成立せしめているものの正体とは一体何なのだろうか?表情を作る時、我々は意識的にそういう筋肉(表情筋という効果器)の所作を持たない。嬉しい時は顔を綻ばせ、悲しい時は眉を中央に引き寄せる。また怒っている時は眉を吊り上げ顔を顰める。このような所作は記憶に基づくものなのだろうか?言語のように慣用的なものともまた異なっているようにも思われる。
 表情と言えばダーウィンが「人及び動物の表情について」(「人間と動物における情動の表出」としている本もある。)という本を発表していることでも知られている。小川眞理子は自著「甦るダーウィン、進化論という物語」(岩波書店刊)というダーウィンに関する本格的論文で、次のように述べている。

ダーウィンは情動が身体上にいかに表現されるかに関心をもったが、デカルトはそのような外観上の変化を区別することに消極的で、どのような情念でも目や顔の動きに表れるが、それらを明確に区別することは難しいとしている。彼は外観の変化よりも、さまざまな情念に伴う、呼吸、そしてとくに血液や精気と心臓の働きとに注目していた。すなわち彼の関心は、身体的機能であり生理学的な方向へ向かっていた。(86ページより)

この部分から察すると、明らかにデカルトは人間の感情が複雑であり、必ずしも喜怒哀楽という風に単純には区別出来ない、という哲学者らしい深い洞察力を持っていたことになる。しかも我々は表情を示す相手を見計らって悲しいのにそれを隠したり、怒っているのにそれを抑えたり、所謂偽装表情すらも日常的に用意している。だからデカルトの言うように呼吸や血流、心臓の鼓動とかの方が真実の感情を推し量るバロメーターなのかも知れない。しかし一人でいる時にまで偽装表情を取り繕う人間はそうはいまい。すると我々は例えばテレビのお笑い番組とかで大声を立てて笑ったりする時の表情をいちいち考えて作っているわけではなく、知らん間にそういう表情となっている、ということはDNAレヴェルからある感情の時にはこれこれこういう筋肉の弛緩仕方、引き攣らせ方という風に指令が出ているという風に捉えても間違いではあるまい。そして勿論その時デカルトの言うように呼吸、血流、鼓動などはその時その時で異なった状態にあるであろうことも間違いない。
 ある感情の性質に対応した受容器たる皮膚と効果器たる筋肉を通したサインを示すことを実行に移させる、つまり表現型(phenotype)を最初に制御するのはDNAであるが、我々の種人間に固有な遺伝子は決定されているが、その遺伝子がどういう風に配置されているかは各個人で固有である。ヒトに固有のエクソン(各個別に離れたこれらを繋ぎ合わせる過程をスプライシング、選択的スプライシングと呼ぶ。)をイントロンが取り囲んでいるがそのイントロンの取り囲み方は各自異なっており、それは人間の個性を形作る要因とも考えられる。あるいは一塩基多型と呼ばれる両親から一つずつニ種類のゲノムコピーを受け継いでいるが、そのコピーの99.9%まで同じなのに残り0.1%ので、二つのコピーと異なっている部分、言わば変異があり、これこそが我々の個性を形作っているとも考えられる。最も個性というものもヒト全個体に固有な部分と家族毎に固有な部分と個人で固有な部分との絶妙なバランスによって決定されているのであろう。
 しかしDNAは確かにある種の表現型を示させるべく発現させるが、その表現型以降の全ての作用は翻訳を行われた時点で取り次ぎをするメッセンジャーRNAに委ねながら自身はもうそれ以上の干渉はすまい、と決め込む。これをアンフィンゼン・ドグマと言う。メッセンジャーRNAの遺伝情報がリボソーム上のポリペプチド鎖合成を特定し、指令を出す。ポリペプチド鎖合成は、開始、延長、終止からなる。その終止の段階で登場するのが終止コドンである。この一連の過程を翻訳というのであるが、DNAにおいて予め決定された部分からアンフィンゼン・ドグマによって引き継がれた表現型が変化する度合いを表現度と言う。表現度は遺伝子と外部環境的相関性によって決まるが、恐らく一つの指令を出す幾つもの遺伝子群における相互の作用や個体におけ自己決定のシステムによって偽装したり、色々の別種の感情を交差させることから一対一対応としての遺伝子と表現型の在り方は意外と少なく、多義的な感情を表現するための対策としては多対多という発現される遺伝子の多様と表現度の高い引継ぎ方が常套化されているいに違いない。
 ダーウィンも偉大であったがデカルトも偉大であった、と改めて感じざるを得ないわけだが、兎に角表情がいわゆる海馬記憶などとは全く異なったシステムによる表現型であることは確かである。そしてそれは身体記憶(あのメルロ・ポンティーも指摘した幻影肢のようなもの)とも明らかに違う。パブロフの条件反射にもどこかでは近接しているのに違いない。
 さてここからが大事である。表情を形作るものが身体生理学的な慣用システムに依存するかどうかは本職の生理学者に任せることとして本論で大事なのはこの先である。
 何か褒美を貰ったとか、婚約したとかの楽しい思いに捕らわれている時に急な知らせ(肉親の死とかの)が入って今までの楽しい気分が吹っ飛び急に感情も表情も切り替わりある種カタストロフィックな内的外的状況に陥った時、人は皆何らかの急激な変化(心理的、生理的な)によって大脳を刺激され、今迄忘れていたことさえもが鮮やかに甦ってくることがある。私も電話で母から父が癌であと余命幾ばくもないことを医師から宣告されたことを告げられた時には一遍に普段忘れかけていた父との幼い頃の思い出までもが一気に甦ってきた経験がある。人間は死ぬ時には走馬灯のように幼い日々から現在迄の思い出が駆け巡るというが、他者の死でも肉親の死は特別である。しかしこのことを述べだすと個人的なことにもなるし、本論からはずれるので、今は別の架空の出来事を想定してみよう。
 横領を行い犯罪が成功したと思って、海外に高飛びしようと喜び勇んでいた犯人が自分が犯人であることが判明し、警察が自分を容疑者として追っていることを何気なく中華料理屋でラーメンを食べてから空港に向かおうとしていた時にそこで流れるテレビの放送で知ったとしよう。それまでは外国に行った時の未来の出来事に期待と夢を膨らませいろいろ思い描いていたのに、一気に「自分の顔を公共に知られてしまった。ここの店主に悟られない内にこの店を出なければ。さっきそのことが放送された時店主は自分の顔をテレビで見てはいなかったみたいだ。他の客が少ないうちに退散しよう。」それまでの店内の様子や、昨日のオフィスから退出する際の自分の気持ちや、この犯行を思い立った時の気持ちや手を染めた時の気持ちなどが一気に思い起こされる。今の今迄全然思い起こしもしなったのに。早く空港にまで手が回らない内にタクシーに乗ろう。その前にタクシーの運転手に自分の顔を悟られないように普段掛けていない目がね(何かの時に用意していた、サングラスだとかえって目立つので、普通の、しかもかけると自分の表情が変わって見えるやつを用意していた。)をかけて手をあげよう。
 こういった急激な状況の変化に応じた内的対外的変化に応じた記憶の蘇りは、大脳自体がある対状況的変化に示される体内の血流や鼓動の変化に対して、極力気を落ち着かせようと躍起になるために放出されるホルモンや体内の抑制系システムに連動してさっきまで記憶の片隅に押し遣っていた事項を急激に浮上させるのだ。それは知覚判断が統一的に外的状況を受容し、その状況的意味を理解し、そのことに対する対策を一瞬にして講じるために生じる記憶収納に関する一挙に執り行なわれる棚卸作業である。免疫系の急激な抗体反応が脳内の神経回路を急激に信号間の連絡を行き届けようとするものだから、体温も必然的に上昇する。するとその上昇に従って急激な作用を抑制しようと身体が不随意的な判断で血液中のトロンビンが怪我をして血が溢れているわけでもないのに、そういう際の処置のために用意されているわけだから、これを急場しのぎで血流が急上昇しているところに補給するのだ。しかしそれはあくまで凝固のためのものだから、そう無闇矢鱈とは放出させはしない。ベータ波は急激に日頃の平均値を遙かに上回り逆にアルファー波を放出させようと脳波はバランスを取るように心掛け始めるものだから、体温は上昇し、今度はそれを抑制するために急激に下がりだす。(まるで氷河期から温帯期への地球の変化のようだ。)こういった生理学上の急激な変化に対して大脳自体は敏感に察知し、記憶を再整理させるべく活性化される、というわけである。しかしもう一つ重要なのは、言語を発するように仕向ける遺伝子(FOXP2遺伝子は文法とかを司ると言われている。)や表情を作る為に各感情毎に表情筋を有効に使用させる遺伝子はこういった記憶の内容を浮上させる仕組みそのものともまた別個であるにちがいない、ということである。
 ただ先に何度か例証したあの二つの文章において抽象的言辞の名詞が連続するものに文章的な記憶は残らず、動詞と名詞をほどよく配合したものほど記憶に残りやすいとしたらこれらは、名詞と動詞がどこかで脳内に対する刺激という意味では全く異なった作用をア・プリオリに保有しだからこそその交互に配置されたものほど脳を刺激するのだということは、先ほどの横領犯人が海外での生活を夢見心地でいる時の心境と、犯人として追われる身となったことを悟った際の急激な心境の変化が、それまで忘れていた幾多の事項を思い出させるのに一役買った事実とからも明白なのではないか、ということである。
 暫く言語とその記憶について考えてみよう。我々は有名な短歌、和歌、俳句を暗記している。よい詩的言語はすべて覚えやすい。「夏草や兵どもが夢の跡」(松尾芭蕉)「春の日はひねもすのたりのたりかな」(与謝蕪村)「東海の磯の小島の白砂に我泣き濡れて蟹とたわむる」(石川啄木)といった名句、名歌はなかなか忘れられるものではない。そういった名歌、名句にはどこかそういう記憶に残りやすい何かが潜んでいるに違いない。我々は九九を幼い頃に習う。微分や積分を理解出来なかった人でも九九ならそう容易に忘れられない。きっとあの語調がどこか覚えやすい、歌でも口ずさみ易さ(キャッチー)があるものなら、詞もメロディーも同様に覚えやすい。 歌が容易に覚えられない向きでさえ、どんな文章でも即座に言うことが出来る。言語構造とは実に明瞭な慣用、しかもその時々で全く個別的、唯一的な伝達内容と意味内容、そして文章内容を即座に誰でもが発することが可能である。そういった一つ一つの文章は一つの言語構造、文法の応用例である。我々は生涯を通して無限の応用例を産出し続け、またそれなしには生を営むことが出来ない生き物なのである。言語を一つの本能として位置づけたのはチョムスキーである、とマット・リドレーは述べている(「ゲノムをめぐる23の物語」<本能>より)が、本論ではそれはカントであった、と考えている。この後で本論ではいよいよ言語記憶の問題に突入するが、私の父であっ異色の言語論者西村佳寿夫を機軸に、カント、ヘーゲル、ソシュール、フッサール、リッケルト、ピアジェ、西田幾多郎、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、カルナップ、ヤコブソン、オースティン、クリプキ等の理論を手掛かりに言語学習と記憶、短期記憶と長期記憶の問題に次章から入って行こうと思う。
 その際随時心理学者フェヒナー、ジェームズ、パブロフ、ピンカー等に御登場願おうと思う。

Monday, November 30, 2009

D言語、行為、選択 15、生理学的観点から 

 ちょっと観点を変えて考えてみよう。遺伝子はあらゆる我々の生の時間での出来事を想定して、その場その場で対処出来るように判断すべく大脳に指令を与え、その大脳が遺伝子の指令を受けると今度は一人で自立し、自分自身で指令を出す。だから例えばある身体に外界から与えられる刺激に対する反応はほんの少しだけ刺激よりは遅れる。つまり外界からの刺激に対してそれを大脳に伝えその大脳が今度は我々の身体のどの部位、部分であってもそこに刺激に対する反応を感覚として与えるわけだからである。当然の如くそのようなシステム自体は遺伝子の予め作り出したものである。それは寒い、とか熱いとかあるいは痛いとかその都度色々考えられる。我々の神経細胞は充分に興奮すると、電気刺激(スパイク)を軸索に送り込み、更に神経細胞(ニューロン)に反応させる。軸索には通常何本かの側枝というものが枝のようにくっついて広がり、刺激は軸索から側枝に伝わり、更に側枝の側枝へと伝わり(毛細管現象のように)その先にある他のニューロンへと伝えられる。これはあくまで私の考えだが、そのようにある刺激が伝えられるのは、その刺激が与えらた局所に対する刺激を緩和するためかも知れない。しかし実際スパイクの速度が19世紀前半に判明した時意外にもそれまで人類が考えてきた光速よりも遥かに遅い秒速90メートル足らずであったのだ。これは空気中の音速のほぼ三分の一であり、1000分の1秒間に約3ミリ進むことを意味する。さてこの一見凄く早そうでいてそうでもないようなスピードも実際は遺伝子が、刺激に対する鈍磨的な部分を残しておかなければ我々はその感覚の凄まじい感度自体に耐えられなくなる、ということを未然に防止しているという風にも考えられる。我々の身体のこういった一見完璧のようでいて多少のルーズさをも残すような仕組みは感覚的鋭敏さ(外界からの刺激をすぐ認識出来るような戦略)と、それとは逆に感覚的な刺激自体に今度は負けないように巧妙に配慮された一種の予防装置である、とは言えまいか?つまりこういうことである。我々は言語において個人個人固有の歴史を持っている。それは言語習得の状況であるし、外的にそれぞれに異なった環境である。遺伝子はどのような環境下においてもその場その場で対応できるように想定してプログラムしてあるが、実際生という現場では何が起こるかわからない。そういう不確定性が環境のア・プリオリに対して働きかけるア・ポステリオリであり、その両者の相克こそが個体の性格やら個性を決定してゆく。だから必ずといっていいほど発現してゆくような決定的な性向と事後的に決定される性向とが重ね合わさったものが個体の性向、つまり性格とか個性とかである。それで、言語習得における各個人の特殊な状況性が生じさせる固有の意味は決定的ではあるが、やがて学校へ行き、純粋培養的な部分は少しずつ鈍磨して行き、全ての成員に共通する一般化された意味、つまり概念が日常を支配してゆくようになる。(従って芸術家の仕事はその失われた各個人の意味に対する呼び戻し作業、つまり原点とも言える価値の再発見、回帰と言える。)我々は固有の意味に浸っていてはコミュニケーションが成立しない。そこで他者と折り合いをつける形で概念を法的実効性のよすがとして利用する。ところがそれはあくまで会話とか対話とかのコミュニケーションの世界での話しである。実際の各個人の真意は各個人で異なった意味の領域に存する。そこでそれを職業としたり(小さい時から虫を追いかけるのが人一倍好きであった少年が昆虫生物学者になったりとかの)、仕事では実現しなかった場合、趣味となったりつまり生の時間において必ずと言ってよいほどどこかで発現するのである。だが知覚において我々が出会う対象をその都度、未知性におののいていては身が持たないから知覚対象を既知のものとして認識する為に概念的認識(「あっ、何だあれは?なーんだ。ただの赤い林檎じゃないか。」というように)を持つように、我々は概念を意味以外に持つというわけである。カント的に言えば概念とは悟性的なものなのである。あるいは彼の「純粋理性批判」からは弁証的推理の第三種の純粋理性の理想(Ideal)<398>に近いと思う。私は推理と言っているがこのカントの論述は明らかに知覚判断についてのものであると思う。(カントが言う第一種を「前庭」の空間と身体のバランス、同定性、第二種を未知性に関する驚きを鈍磨させる<要するに抑制作用である。>懐疑主義的な本能<「扁桃体」の作用ではなかろうか?>、そして第三種を「大脳基底核」、つまり安定化の作用における概念化と考える。しかし「おやっ、これは何だろう?」という部分は知覚させる「視床」から引き継がれた思考モデルの作用を施す「小脳」が作用と言えまいか?)
概念が魅惑的なのは、それほどの栄養価ではないかも知れないが、「兎に角あそこの店のラーメンは麺も使っている出汁もうまいし、癖になるんだよ。」というようなことと関係があるかも知れない。人類は意味などそっちのけで概念としてのテクストの魅力に取り付かれる動物であるらしい。なぜなら聖書世界やマルクス主義など我々の歴史は書かれた当初の意義などそっちのけで、聖書を始めすべてのテクストをバイブルとしながら、その概念化された安定性に依拠して、それを拠り所に権力を保持したり、人民の統制において利用したりしてきたわけだから。「宗教はアヘンである。」とキリスト教を特に批判したマルクスも彼自身のテクストが多くの理論家を夢中にさせたりした。(神を否定するメカニズムはヘーゲルが、更にマルクス以降ニーチェ、フロイト、ハイデッガー、サルトルらがそれぞれ違ったやり方で神に対する謀反を起こしたのは周知のことである。)
 話を元に戻そう。我々の身体生理上の鋭敏さと鈍感さの相克は、言わば積極的な部分と消極的な部分の組み合わせによって成立している、ということである。この絶妙なバランスこそが我々のコミュニケーションにおいて真意の表明と真意の偽装、隠蔽の双方を同時に表現させるわけである。レヴィナスは他者性の哲学者としてつとに有名だが、彼の一言(「存在の彼方に」116ページより)は秀逸である。「語りえない<語ること>さえ<語られたこと>に委ねられる。」

Friday, November 27, 2009

C翻弄論 7、脆弱な「個」への見つめ方

 脆弱な「個」は諸刃の剣である。そういう振幅は時代毎にいい面、悪い面において群集心理に寄掛って表面化してゆくであろう。
 しかし言語活動が風化することはない、と「個」がその頑なさから解放されたいと叫ぶもう一つの「個」の実像であるのだ。クリプキが言うプラス以外のクワスを選択しないで済む世間一般に通用する常識もまたクワス以外のあらゆるスラス、ツラス、ムラスといった仮想性を一方で可能性として保持しつつ我々は私の見た「赤い」と感じた「赤かった」という事実確認的陳述が共通の「赤いものであること」という幻想において、これからも意思疎通されてゆくであろう。強固に主体的な選択決定意志を持ちつつ同時に自己と他者の共通性にも常に配慮してゆかねばならない。我々は偶像を仕立て上げる誘惑を持ちながら自助努力しながら他者への労わりと励ましの心を忘れずに社会に投企し前進し続けねばならない。
 そうする中で脆弱な「個」でありながら、価値ある生の「かたち」を我々は個々に現出させ、それを再び社会へと還元すべく意思疎通を図ってゆくことであろう。そこにはありとあらゆる生の中での決心の多層性、選択可能性が待ち受けている。因果の認識も一つの糧であり、過去の目的行為の手段化、未来への素材化の過程で我々は現在生を生きつつあることが、実は常に最優先の課題であり、目的であり、この現在の行為それ自体が目的であるという認識を持ち続ければ尚、目的行為のクレオパトラの鼻となり、未来への眺望に思いを馳せる時、明るい慈愛の光に満たされるのではなかろうか?
 あらゆる否定的ニュアンスとして自虐的に語られてきた我々の民族的特質は実はいつの時代でも、どの民族でも持ち合わせていることは明白である。(文化人はスノビスティックに否定する傾向がある。)
 ドグマを取り除くことも、問い直し、そのドグマを抱いたこと自体を真摯に受けとめることも哲学の大切な行為である。我々は一見誘動されているように思われる時でも歴然と自ら主体的に選択していることに自覚的とならなければならないであろう。そうする時選択性認識というものは有効かつ強力な仕方である。

Thursday, November 26, 2009

B名詞と動詞 10、「信じる」ことと「理解する」ことの狭間で<想定内、想定外>

 その答えはこうである。全てが想定内であるなら決心や行為は意味をなさない。棋士が対局相手の次の一手を想定して打つ時、その一手に対して自分の想定内の手で打ち返してきたら、その棋士は安堵と共に失望をも味わうであろう。全て自己の一手に対して想定内では対局相手が返しては来ないというところにこそ(勿論全て想定外であったら、それはそれで勝負にはならないであろうけれど)不安や恐れや緊張と共に勝負すること自体への期待感やスリルを味わいたいという願望が存在し得るのだ。
 未来予持は本質的に可能性への信頼が創出する。想定することは可能性を理解することであり、ある特定の可能性を信じることは他の可能性を理解することはあっても信じることに直結させることを断念することであり、その想定を判断材料としては除外することである。それが決心をさせ、行為へと赴かせるのだ。だから未来予持の時に我々は想起を喚起させるのだ。それは未来における我々の行為のもたらす結果を想定することから引き起される過去データ(記憶事項)の検索行為である。(成功体験に関する記憶が行為に対する自信を齎すと脳科学では考えられている。)そしてある行為に及んでも行為しながらでも我々は常に反省や想像をする。あのマラソンの高橋尚子がマラソン走行中に時々後ろを振り返って他の走者の位置と動きを察知しようとすることも又、未来の可能性の信頼に纏わる不安(追い抜かれるのではないか?)と、意外と他の走者を引き離したことにおいて持つ安堵感(もうここまで来れば大丈夫だ。)が交差するのだ。
 だから想起の本質とは未来予持の中で過去と現在を結び付けて過去データの解釈、分析を通して決心へと至る反芻行為である。
 するとこうなる。反省の中でなされる想起はそれを糧に未来の想像を得る為に必要な検索行為なのである。そして想起は未来へと開かれた地平の中で過去を役立てる行為以外の何物でもない。「あの時はこうだったな。では今度はこうしよう。」とか「あの時はあんなに巧く行った。今度もああいう風にやろう。」とかである。
 そしてそれは未来への理解に他ならない。すると「今際の際」の人間が想起することとはあくまで断念であり、自己の生全体の定義付けをも超えた最期の「信じる」こと、つまり自己の軌跡に対する証人としての確かな自覚である。「俺は生きた。」という実感である。だがそれ以外の「信じる」は「疑う」(そうではない可能性、つまり否定の可能性を信じることである。)ことの否定、消去という決心によって成立している。「理解する」ことが左脳的論理分析と溜飲を下げることの反復であるなら、「信じる」ことは右脳的な感嘆(「やった!」、「終わった!」とかの)である。それは過去に対する断念であるよりは現在のとりわけ行為や思念への断念、成就による安堵の溜息である。そしてここで又反省が生じる。
 反省は<未来を「信じる」こと>から為される。死を前にした人間の想起は反省ではない。それはあくまでも過去を「信じる」こと<自己の人生という事実の軌跡の証人としての感慨>以外の何物でもない。死を目前とした者の過去想起は恐らく「私は(俺は、僕は)間違いなくこの世に生まれ人生を生きた。」という事実認定とそれに付帯する感嘆の思念以外の何物でもないであろう。それは「信じる」ことをさえ超えた絶対的な意識である。
 生が未来を「信じる」可能性に満ちていれば、我々は想定内(ハレ)の中での想定外(ケ)の出来事(ポジティヴ、ネガティヴ両面の)の可能性への信頼が醸成する不安と期待の混成状態(それがまさに未来予持であるのだが)が、反省と想起と想像(未来における想定し得る可能性の理解)の綯い交ぜの状態である、と「理解する」ことが出来る。
我々は未来を、それが自らの生が存続する限り必ずやって来るものである、と「信じている」が、それがどのようなものであるかの細かい事項までは、それを想定すること(想像し、こうであろうと設定すること)しか出来ない。棋士は対局相手の次の一手を予想は出来るが、あらゆる選択肢の内のどれを対局相手が指して来るかは不確実である。だがそれが必ず的中するとしたら逆に将棋を辞めたくなるかも知れない。市場や株の動向が手に取るように解って未来が的中したとしても100%的中しないからこそ実業家たちは事業を行い、勝負師(博徒、スポーツマン、格闘家etc.)たちは自らの勝負へ臨む。それは未来の様相が想像する想定の範囲内で理解出来るが、それはあくまで想定であり、確定的な事態ではない。未来は現在において常に不安と期待を生む。

A言語のメカニズム D、認知言語学と行動生理学 15表情

 言語が何らかの意志伝達意欲を充足させるための行為であるのなら、パロールにおいてはとりわけ伝達内容を他者へ伝達させたいわけだから、最小距離の演算処理方法を模索する数学的思考、システム工学的思考とも相同な、最も効果的で最も表現しやすく、最も他者が理解しやすい内容の示し方を模索する瞬時の行為と言えよう。その際にそれを伝える他者の性格、知性、階級性を考慮に入れた社会人としての配慮(社会的地位とか年齢とか)に関しては周到な用意を持って臨むというのが我々の慣用的欲求である。最小距離での演算処理技術が、他者選択、あの人にこんなことを伝えても仕方ない、訝られるか、拒否されるに決まっている、拒否遭遇など予め回避しておくのが得策だ、ということを実践している。我々は自己というものを何の疑いもなく持っている積りだが、他者、他者に対する全く異なった自己像をその都度示しているのである。まさに自己というもののシニフィエとして、自己というものの性格のシーニュとして。我々はだから他者性というものを考える時、統一されていないのに統一したがり、そうせざるを得ない自己同一的身体の保持者としてのサインを自己に送り込むのである。レヴィナスが顔にこだわったのもそこにある。顔は表情を伴うものである。真意表出表情、偽装的表情、演技的表情、偽装解除表情とか色々考えられるも、皆表出されている意味では最も大きな自己像の表現であり、顔は最も真意、偽装も含めたそういうスタンスを有効に示す表明装置である。
 古典的名作の中に登場する幾多のヒーローたち、悲運のヒロインたちの表情を読み取る為だけに我々は作品世界に接してきたと言っても過言ではない。ロミオを見つめるジュリエット、チュンサンを見つめるユジン、そういった架空の人物ばかりではない、源義経を見つめる静御前、ジョン・レノンを見つめるヨーコ・オノetc 私たちは言葉の背後に多くの表情を読み取ってきた。それは表情こそが最も雄弁な言語であり、それを示し、愛する者へのいとおしみ、敵対する者に対して憎しみの表情をあらわすことで我々はいかに多くを語ってきたか、を我々自身が知っている。表情を示すことはそれだけで最も雄弁かつ直裁かつ有効な言語行為である。ガロワが愛する女性との一件で他の男と決闘する為に生きて戻れないことを覚悟で書いた論文が、今日代数学の基礎として知られる「群論」であること、それも決闘の死後数十年たってから評価されたことはあまりにも有名である。ガロワがどのような表情であれを書いたのか、シェークスピアがどのような表情で、ああいった名作群を書いたのか、ということは作家を志した人間なら一度は想像したのではなかろうか?しかしそういった想像を可能にするのは、現実においてそういう荘厳かつ流麗な表情を見るという経験が極めて稀である、という事実である。
 フロイトの表情を見ていると、妻と妻の妹との間の不倫関係において苦悩する一人の壮年男の表情が、これがあの有名なフロイトなのか、という思いと、ちょっと見方を変えるとどこにでもいそうなうらぶれた壮年男、という両方の思いが去来する。フロイトと2年だけしか生年が変らなかったフッサールはやはりフロイト同様ユダヤ・アイデンティティーであるが、フロイトと同じくブレンターノの講義を受けていたのか、という興味と同時に、どこかフロイトとも共通する敗北意識の濃厚に漂う表情が曰く印象的ではないだろうか?これだけの業績を残して我々の時代へと橋渡ししてきたこの男たちのすがすがしくはない、この陰鬱な表情は何なのか、というとに興味を持たない人間がいたら、彼らの思想の極々一面だけをしか見ていないということさえ言い得るような表情たちである。
 ここに一同に偉大な業績を後世に残した先達たちの表情を羅列してみるととても興味深い。政治家、経済学者、画家、音楽家、詩人、俳優、物理学者、心理学者、言語学者、実業家、ギャング、ダンサー、ストリッパー、医師、社会福祉事業家、平和運動家、反戦フォーク歌手、独裁者、政治家や実業家を裏で動かした女性たちetc。どのような立場の先達であれ、そこに刻まれた皺や独自の表情は何かを訴えかけている。後輩テスラーとの確執でも有名なエヂソンの表情には、猜疑心と功名心の入り混じった裁判沙汰に明け暮れた自我意識の強烈な人間像が読み取れるし、「わだば日本のゴッホになる。」と言って上京し、幾多の「板画」と自分で称する名作を世にはなった棟方志功の表情からは逆に自意識も過剰な筈なのに、どこかふっきれた天真爛漫な幼児のようなそれを読み取れる。アインシュタインとディズニーとポール・マッカートニーにどこか似た表情を読み取るのは私だけであろうか?
 偉大な論文を残した人間が同時に殺人とかの大きな罪を犯したとしよう。(実際そういう先達も何人かいた。)その論文自体の価値はそのことで本来下がってゆくものではないし、そうであってはならない。しかしそういう運命を辿ってゆくものもある。逆にどんなに若くして世に出て、社会的地位としては立派なものを築いたとしても、凡庸で再考の価値すらないものなら即刻我々はその人間の仕事から退散すべきである。しかし逆にいつまでも幅を利かせていることも稀ではない。(そういうものは後世には残らないけれど。)言語行為が人間という厄介な存在によって育まれている以上、そういった不条理はつきものである。言語行為の論理的正当性と倫理的正当性というものは相反する場合も多い。一つの言辞はそのこと自体では何の価値も何の意味も生じさせないが、どのような場所で、どのような態度で、どのような表情で、どのような文脈で語るかによって価値も意味も大きく左右される。政治家はそういうことに関してどのような職業の人間よりも骨身に沁みて理解している筈である。今日においては人命を司る医師などにもその種の労苦はつきまとおう。表情自体を論究したものは筆者の「表情の言語哲学」(同ブロガー「表情とは何か」において掲載更新中。)の方を参照して頂きたいが、本論ではその表情が言語行為にどのような相関性を有しているかを主軸に考察してみたい。
 
 パソコンは我々の日常を大きく利便性の渦中に巻き込む道具だけではなく、最早表情を持った言語活動のための自然である。パソコンでデータ保存をするためにフロッピーを入れたままで、保存後それを取り出さずに起動させ立ち上げようとすると、パソコンはかつてフロッピーを入れて起動させるのが構造上のシステムであったために、そのシステム上の記憶が残っており、その記憶に忠実にかつてのやり方で起動させようとするものだから、現行のシステムとの選択躊躇をきたし、なかなか思うように起動してくれない。まるで、かつての恋人が、現在の恋人と一緒にいる現場に現れた時の、私たちのような気持ちになるのであろう。(今の彼女にどういう風に昔の彼女を紹介しようかとどぎまぎする。)
 メルロ・ポンティーが幻影肢のことを実例に挙げてパブロフ的な刺激に対する反応という身体システムを批判し、当時の現行のゲシュタルト心理学や連合主義を同一の誤りを持っているものとしてやはり批判した彼の哲学的深化段階はつとに有名である。今日メルロ・ポンティーの哲学は多く顧みられなくなった、とドゥルーズも憂慮していたが、メルロ・ポンティーの命題を今日的に解析してみると、パソコンの前システムの記憶と類似した事情を身体に見ることが出来る。身体記憶は大脳によるものでもあり、大脳による我々の身体の各部位への信号でもある。大脳にも表情がある、というのが本論の考えである。
 昔あった手が何らかの不慮の事故によって失った後も、そこにまだあるかの如き、例えば痒みのようなものを感じとることは、実際は大脳がその失った部位への命令を完全には止めずに、指令を出している、ということである。大脳による指令は例えば亡くなった肉親の表情とか、飼っていたペットの表情とかの海馬記憶の場合もあれば、こういった実際の自己身体への指令、命令系統的記憶もある。
 先にちょっと触れたが我々は「いつもだったらどうということもなく思い出せるのにあれ何だっけ?」と言うその時々の記憶庫に対する返答を即座に得られないことに対して、その時そういう引き出し行為の調子がいいか悪いかという状態や、つまりその内容(今日は冴えている、とか血の巡りが悪いとかの状態によって引き起こされる)だけ我々は覚醒出来るのである。例えば車の調子が悪いとボンネットを開けてエンジンの具合を見るようには、大脳の調子を見ることは出来ない。もしそういうことが出来るなら、今はなくなってしまった手とか足とかの感覚を指令出すことを止めさせることも可能かも知れない。しかし大脳の指令に従ってその感覚を知覚することに甘んじなければならない。もどかしいから、そういうことを考えるのを止めようとエポケーを決め込む。そして全然違うことを考え、別の作業に熱中しだしたら、面白いように全てを思い出せた、ということは日常よく我々が体験し得ることではなかろうか?なぜこのようなことが起こるのであろうか?
 我々が何かを思い出そうとしている時には大概眉間に皺を寄せ、静かに息を吐き、呼吸を整えて、腹に力をいれて、小さな唸り声を上げていたりしないだろうか?この時に身体上にかかるエネルギーの負担とその生理学的機能状態を考えてみよう。
 何かを思い巡らす時、とりわけ緊張している時には我々平常人の脳からはベータ波が放出される。これが心配事があったり、複雑な作業をしている時には最も高い数値となる。一般的にアルファー波よりも我々はベータ波の方が数値的には高い、とされる。しかし何かに没頭している時には今度はアルファー波の数値が高くなる。没頭している時ばかりではなく、平静心で、忘我的状態においても同様である。これは自我滅却状態とでも言えばよいのか、兎に角瞑想したり(パソコンの画面に向かっているような状態とは正反対の状態である。)心を落ち着け心身が統一されたような状態である。ところがこのどちらもそう長く続けられない。時々交換する必要がある。アルファー波持続状態とは、認知症患者の状態に近い。しかしこのベータ波が高い状態を続け、「何だっけ?あの名前は!」というような忘却状態の時、一端そのことを追求するにを止めて、別のこと(ゲームをしたり、ケータイでメールを打ったり、インターネット・サーフィンをしたりとかの)熱中することにすると、今度はベータ波が下がり、アルファー波が徐々に上がってゆく。しかしそれも何時までも長く続けると疲労感が溜まりだす。それで再びそれを中断する。するとぱっと「ああ、こうだったか。」と忘れていたものの名前が思い出される。一事中断していた記憶の回路が再び繋がったわけである。この切り替えに何か秘密がありそうである。

 その前にちょっと考えてみておく必要のある事項がある。
 人間が500万年位前に猿から分岐していった頃、最も猿たちと違っていたのは、顔で示される表情のサインだったのではないだろうか?人間には他の類人猿(霊長類のすべても含めて)とは比較にならないほどの、複雑に表情を作り出すことが出来る表情筋を持っている。その柔らかく弾力に富んだ筋肉は他個体とのコミュニケーションを頻繁にとるためにそういう風に進化したのだろうか?それとも偶然そのように筋肉が発達したおかげで我々は複雑な表情を示すことが出来るようになり、コミュニケーションを発達させたのであろうか?
 一つ言える確かなことは表情を作ること、複雑な感情を表わすことは言語的な認識、喜怒哀楽、その中でも微妙な感情的なニュアンスの違いを認識するという能力が表情を作り出す前になければ、そのような筋肉を使って他者へサインとして送るような行為そのものが成立しようがない、ということである。勿論筋肉がそのような複雑な形状を可能にする機能を備えることになったからこそ、我々はそういう複雑な表情を、能力を発揮出来る場として実践し得るわけだが、そもそもそういうサインを送ろうという意欲を持たなければ、そういう便利な筋肉を使用して表情というサインを作り出そうという行為が生じない、ということだけは確かなように思われる。モティヴェーションがまずあって、それを実践しようとする過程で、我々自身がいつの間にか顔の筋肉を使ってそれを動かす(と言ったって、我々自身のことを考えると、決して意識してそれをしているわけではないのだが)ということを身に付けた、と考えるのが自然である。それが慣用化され、長い時間をかけて殆んど無意識の所作として定着しだすと、それが出来なかった個体はコミュニケーションを巧く他個体ほど活用出来ずに、いざという時の対応や即座の共同体的サヴァイヴァル判断力において脱落してゆき、やがてそういう能力が種全体の一般的な行為として遺伝子レヴェルでも徐々に初期人類とは違った変異をきたしながらいつしか定着を見、環境や他者との相関的なかかわりにおいて、生後すぐに発現してゆくような今の姿になった、と考えられる。
 養老孟司によれば人間は3万5千年から4万年このかた骨は変っていないのだそうである。するとそこに盛られていたあらゆる臓器、とりわけ大脳もさほどその時点からは変化していない、と考えてそう間違いはあるまい。すると猿から人間が分岐して行った時点とされる500万年前から496万年の間にそういうことが徐々に起こって行った、ということなのだろう。
 大脳レヴェルでのそのような意思表示システムが発生してゆく過程で、すでに脳波のシステムも同時に発展していったと考えられるから、脳波自体の別種活動による切り替えは、言語による動詞と名詞との切り替えや、何か褒美を貰って喜び勇んでいた人間が同時に、その時誰かから肉親の死とかの悲しい知らせを聞かされて、さっきまでの嬉しい表情をさっと変えて沈んだ表情になる切り替えとどこかで関連性がある、と捉えても不自然ではない。何か長い行為のあと急に別種の別性質の行為に切り替えたその瞬間的な衝動から、今の今まで忘れていたことを思い出すという事態を日常我々は経験するわけだが、そのことは感情(と表情)の切り替えともどうも関係がありそうである。
 本論(メディアと特権階級的私物化の欲求)において、メールによって平静心を保ち、インターネット・サーフィンによってそれを掻き乱すと言ったが、それはメールあるいはワードと言ってもよいが、これらがどんなにスピーディーに行われてもそれらが自己による創造的行為であるから、平静心を保つことが出来るのだが、インターネットによる情報の享受は明らかに受身的なものである。なぜならインターネットでキャッチする情報はキャッチされる迄は如何なる性質のものであっても、未知でありその未知の情報に対する好奇こそがそれを追う、しかも如何に膨大な量の情報から的確にキャッチ出来るかを自己の能力をフルに活かしてクリックし続けるのだから、よく言われる中毒症状をきたす危険性さえ孕む全くメールやワードとは別種のパソコン作業である。恐らくその熱中時の脳波も流出ホルモンも差異が見られるのではないか?そしてこの別種の行為を時々切り替えると能率が上がるとい側面は誰しも否めまい。
 また(意味と概念、ビジネス)において同じ過去形の文章を動詞的叙述と名詞的叙述とで比較対照したが、名詞による事後報告言辞は明らかに形式的であり、動詞の時のような再現前化の配慮よりも、他者の勝手な想像へと委ねる知らん振りを決め込む作用を持っていた、と考えられる。明らかに最初に示した動詞表現の方が相手に対して状況を理解しやすく示した言辞である、と思われる。その点再現前化的配慮に欠ける後者は明らかに他者を突っ放し、客観的な言辞に徹している為に、話者の聴者に対する好意は感じられないし、またそれでよい、というあの飲食店のマスターが太った客の過剰な注文を警告せずに注文通りに差し出す態度である。この二つのスタンス、とりわけ話者のそれはそれを発話する時の脳波も、流出されるホルモンも状態的にきっと異なっているにちがいない、と思われる。しかもそれを語る時の表情、一つ前の例で言えばパソコンに向かっている時の受動的なインターネット画像、文字情報キャッチの時の表情も際立った差異があると思われる。インターネット・サーフィン中は殆んどテレビ・ゲームやゲーム・ソフト時の生理、心理、身体的、特に大脳における特有な集中型であろう。この別種の行為の切り替えによる表情の変化こそ、本論の趣旨とするところである。結論的に言えば行為、表情が切り替わる時の大脳の変化、勿論その指令を出すのが大脳であるにもかかわらず、行為自体を身体的に実践した時に大脳自体にそのことで直接もたらされる刺激が言語活動自体を司る機能と、記憶の作用とにいかに影響を与えているかは、その切り替えシステムに内在する質的転換が大きければ大きいほど大きいというものである。そしてそのことが立証されれば我々の記憶というものの実質や、言語行為の本質がおぼろげながら理解出来るように思われるのである。そしてそれは言語行為の中でも名詞と動詞の使い分けによる、やはり典型的な切り替え作業において日々小型モデルとして実践されている、ということである。

Thursday, November 19, 2009

D言語、行為、選択/14、意味と概念のメカニズム

 ただそのような選択はあくまでかなり積極的な大きな人生自体の意義を左右する決断であるが、我々は日々もっと些細な判断や決断も積み重ねている。それらは意味的(人生の転機というようなものは意味の領域である。)であるよりは概念的なものであり、意味の概念への<仮託>に依拠しており、これらは社会機能維持と共同体的慣習性に自己を委託すべく消極的なるがゆえに逆に自己の共同体内における安泰を保障しもするような行為である。この種の行為は惰性的なる側面も否めないが、かといって始終転機と言って暮らしてゆくわけにもゆかないので、我々は習慣とそこに安住したいと望む保守性も同時に持ち合わせている。<仮託>は自己保身の保守的知恵であり、我々はそこへの安住と逸脱の反復の中に、共同体、とりわけ言語共同体的行動の常套性に日常的には支配されつつも、時々そこから逸脱する自己主体的(それとて共同体機能の中から産出されたものに過ぎない。なぜなら我々は通常母国語でものを考えるのだから。)決心、自己投企的決断によって裏打ちされた行為へと赴いたりする。それは<仮託>の維持、解除、リセットということの反復であると言える。
 <仮託>に比重を置くことの多い日常は、極めて魅力的な概念を産出する。我々が食事する時、中高年なら糖分や塩分を控えめにしようとかの配慮から健康管理を意識した食習慣を持つことが多いが、それは我々が栄養学的な概念に対して、個人個人によって異なる健康食の意味を理解してこそ初めて可能となる。しかしその料理の元々の味とはその料理を生み出した民族の知恵と文化が染み付いた微妙な味加減と言うものがあって、それは文化的な概念である。それは健康管理や栄養価(そもそもの始めは寒い地方の料理はその寒さに耐えるために不可欠なある種の健康管理があったろうけど、それだけでは食習慣にまではならないのであって、やはり味加減が大切であったことだろう。)といった身体生理学的適合性とは矛盾する場合も多々あり得る。(それは生理学的配偶者としての精子と卵子の和合性と人間学的な相性が矛盾するのと同じである。)つまり概念は時として意味よりも一際我々を魅了しもするのであって、概念性にのみ依拠し、意味は後からついてくればいい、という開き直りこそが哲学であり、論理学であるわけである。だが一般的に最も我々の日常に誰でも目にするものたちには概念よりも意味が大きく作用する筈である。父親、母親、ミルク、窓、空、床、畳、膳、テーブル、コップといったものたちは概念よりも先に意味として迫ってくる。しか理想や概念といった語彙は確かにその概念から学習される場合も多い。それらをまず意味から把握する者は凄く早熟な人間である。日常的事物と違ってそれらは明らかに抽象的な概念であり、それらはまず概念把握からスタートすることも多い。それらは一方で社会的な機能や生の哲学を古来より我々が受け継いできた文化論的慣習の財産でもあるわけだから、学習の仕方も実家でより、学校で、教科書で、ということも多い。そもそも抽象的概念は社会機能の中で苦闘してきた先人による創造物であるから、<仮託>そのものの正体と取っ組み合う中で見出されたものだから、見出してゆく過程では個人的な体験性に彩られた意味の顕在も大いにあったろうが、実際上それが数多くの人類上の共有財産となると、本来の意味を失い、社会の共有制、公共性に依拠する部分が大きくなり、やがて<仮託>が幅を利かせ、権力に取り入れられ、常套的な使用され方に落ち着き、また新たな概念の出現を多くの人々によって待ち焦がれられることとなるのである。
 概念の使用、概念を通した政治的統制、権力は常に概念の多用をこととして、政治家,官僚、学者、詩人のいずれもが、それを武器として、概念間の秩序を編み出し、実際は自己の論理である筈なのに、あたかも概念そのものがその正統性を主張するかの如く我々は教育レヴェルからあらゆる概念、福祉、教育、財政とかの論理の大本には全てこの概念が横たわっているが、これを刷り込まれてきている。刷り込まれていることを自覚した時から概念から意味へ回帰する旅が始まる。概念の常套的使用頻度による普及はやがてそれを利用して宗教、革命、戦争(宗教的背景のものが多かったのは、明らかに我々が概念によって多くの宗教的秩序、それによってもたらされる生活スタイル、それを民族的な文化と呼ぶことも出来るが、寧ろ惰性的な創造性の欠如した伝統へと転落しつつある場合も多いと思われるような状態の保全性、保守本能が他者<異なった生活スタイル、つまり結婚、家族の在り方の違いを持った>との邂逅の末理解不能の地点に辿り着いた時我々や我々の祖先はそれを実施してきたのだ。)といった結果を多くもたらしてきているが、それは明らかに意味の多様性の着目を喪失した概念の共有性の虜になった人間の、概念の共有を果たし得ない他者(国家、民族共同体、宗教共同体、言語共同体)との軋轢が生んだ結果である。そもそも国家の存在は、民族の存在は、多種の言語の存在はそれらを引き起こす誘引を既に具えている。概念の使用の魅惑的なことは選挙の度に新しいスローガンや政治用語を流行らせ(あたかも新しい物のように、最近ではマニフェストという言葉がある国で流行ったが)、学者達は自分たちだけの狭い専門家集団という名のコミュニティーを作ってそういう人たちばかりではないが、概して狭い世界に閉じこもっているのである。国家やある共同体の戦争やテロといった行為の選択には明らかに言語活動における深化よりも言語活動によって概念の一律的な意味の共有化における踏み絵的な作用(他の意味には使用してはならないという)の末になされている、と言わねばならないだろう。それはある意味では概念の使用をめぐる悲劇的なる不動点に落着した、ということである。(ハインリッヒの法則を持ち出してもいいだろう。あらゆるカタストロフィーはこういうことである。)

C翻弄論 7、敬語の発生、人類歴史学的思考実験、

 敬語というものについて考えてみよう。我々が常に強烈なる「個」にのみ依拠しなければ価値的生ではないならば、挨拶同様、敬語(あるいは敬称)の持つ権威、権力容認、追従型のスタンスのその全てをも排除しなければならなくなろう。権力を容認出来ないならば敬語も敬称も使用するということは野生論的な真意表明欺瞞性の排除を目指す観点から、廃止すべきものである。しかし明らかに我々は社会で生活する上で主体的にこの種の慎みある「個」を採用してきてもいる。真意における強烈なる「個」は控え目に内奥にしまい込めというわけである。実際それが改革的、革命的攻撃性の抑制力として作用しているのであるが、我々は内奥的真意を表立って表明しないように努める。
 敬語の使用とはある意味で話者として相対する者が上位者であれば、謙りその者に対する敬意を表明することであり、それ自体で行為遂行的発言である(オースティンの提唱した概念)。しかしそれは極めて慣習的、殆ど全ての人間が生活上の知恵とさえ呼んでよい行為である。これは原初的には(言語獲得の初期から敬語が形式的に存在したとは言えない気がする。敬語はある種原初的権力の確立とそれに対する忍従が恒常化した末の人間の共同体的決断であると思われるから)最初期の行為遂行的発言(発語内行為の名残である、とも言えよう。)であり、意思疎通を円滑にするために運用される潤滑油と捉えてゆくことは至極順当な判断であろう。
 「個」は脆弱であるのが本性である。故にそれは意志、主体的理性論的選択が価値論的に権利問題として、あるいは我々自身本来的に発現可能な能力として認識されるべきものであり、事実そうであろう。あるいはこの発現可能な認識能力の故に人類は言語活動を営んできた、と考えることも可能である。そういう認識において、この潤滑油を寧ろ強固で堅牢なる「個」確立の為の意思表明、躊躇、抑制志向型で、建前主義的な全共同体成員のプライヴァシー保有の権利問題として捉えてもよいのではないか?
 というのもここで全く敬語のない社会があったとしよう。敬語はないのに権力と権威が存在するという状態を考えよう。すると権力を持つ側の人間(政治的、資本力保有いずれのケースにおいても)から、そうではない非力な立場の人間への糾弾が続出するのではないか?所謂権力の側からの切捨て御免的行為が横行するものと思われる。そこで我々の敬語の使用はこういう事態を未然に防止する為にとりわけ権力非保有の成員のプライヴァシーを護り、トラブルなく人生、生活を送る権利の付与が生じさせた方便ではなかったろうか?
 ここにおいて共同体内の挨拶や敬語に纏わる群集の原初的欲求は権威から寧ろ自己のプライヴァシーを護る意味合いがある、と考えてもよいのではないか?群集心理は全て否定すべきものではなく、肯定的に弱者的立場の成員の自己防衛策としても有効に作用するものであった、と考えたいのである。
 そういう意味において謙譲や謙遜といったものは一面では群集が抱く自己防衛本能を前提とした成員間の脆弱な「個」に対する保護主義的な欲求の表出である、と考えられないであろうか?
 言語活動そのものが脆弱な「個」の集合体である群集に一定の秩序を付与し、そのことで不安感を解消させる意味合いもメッセージ論的にはあったとも考えられる。その際に情報伝達以外にも他者の身体上の健康や心理的な状態を確認し合う労わりや敬意の表明は、ついぞ権力や権威を手中に収めることなく終わる多くの民衆の権利を保護する目的を巡るある種の方便(手段)であったと捉えることが可能であるなら、それは一体誰が考案したのだろうか?ア・プリオリに庶民全体であったのであろうか?それとも賢者であった権力者の側の知恵者だったのだろうか?それとも庶民を代表した者であったのだろうか?
 それは人類学上の歴史的な問題であるが、恐らく庶民、民衆の側にある賢者がいて、そういう人間が実力者や権力者の横暴を防いで、あるいは温和な性格であるために権力者の労と重責を慮って庶民に指導した結果であったであろうと思われる。そしてそのような形で権力の運用が滞りなく進行することで、賢者は改めて権力者(初期人類においては実力者並びにそのОB)の側から抜擢され、官僚となる。初期官僚の誕生である。
<権力者に忠実で彼らから愛される腹心である官僚が敬語を庶民に指導(啓蒙)するという形が最も敬語定着過程で自然な成り行きではないだろうか?そしてもしその発案者が庶民の側からだとすれば、その者は巧い発案であると権力者から感心され、寧ろ即刻部下として重用されたと思われるからである。ただ愚かで非力な権力者に対する崇拝者集団が同時に考え出したとは考えられない。と言って権力者自身が庶民にそれを強いるという図式も、どこか庶民の自発性を削ぐように思われる。庶民が自発的に敬意を持つように促すことが最も敬語定着において考えられることであり、かつそういう発案指導者は権力者ではないが、一般庶民よりは権力者と接する機会の多い官僚的立場の人間であったと考えるのが自然であるように思われる。そういう中間層は最初から存在したというよりは発案指導において権力者に認可された特権階級化していったと考えても矛盾はないのではなかろうか?>

Tuesday, November 17, 2009

B名詞と動詞 9、「信じる」ことと「理解する」こと

 他者の心は空気で読むしか方法はない。感じられるが観察することは出来ない。行動、振舞い(所作、表情を含む。)は観察することは出来るが感じることは出来ない。このことはストローソンが「個体と主語」でも語っている。(132ページより)
 他者信頼がある意志伝達であるなら、他者の表情を信じるべきであるが、逆に他者が偽装していると認知しているのなら信じてはならないが、他者を必要以上に不審に思うことはサルトルが<「他人」は、私が私自身を疑うのでないかぎり、疑われえないであろう。>(「存在と無」上、423ページより)と言っていることからも意志伝達の意図を無視していることとなる。意志伝達するということは少なくとも対話手として相互の意志伝達において表情による示唆を信じることを意味する。何故なら意志伝達しているのに他者の表情による示唆を信じていないと、他者への接し方において自己真意表明を拒否するよりも悪意に満ちており、そういう偽装をすることが社会的意思疎通の人格に関する信頼性を著しく傷つける(損なう)こととなるので、そういったリスクを冒してまで偽装することのメリットは、恐らく意志伝達拒否した方のデメリットよりも遥かに量的に得るものは少ないから我々は通常ビジネス以外では偽装を避けるものである。つまり偽装するくらいなら、意志伝達拒否、つまりその人と会わないことを選択する方が遥かにましなのである(尤もサルトルの謂いは他者存在自体を私が疑うということは私自身の知覚を疑うというデカルト的命題のことを言っているのだが、しかしそれもまた他者存在への基本的信頼に根差しているだろう)。
 「信じる」ことと「理解する」ことは齟齬がある。理解出来ないが信じるということはあり得るか?信じることは出来ないが理解するということはあり得るか?次のような四つのカテゴリーが考えられる。

① 信じて理解する。
② 信じて理解しない。
③ 信じないで理解する。
④ 信じないで理解しない。 

 ①と④、②と③がペアになる。

「信じる」こととは端的に言って「決心する」ことである。
<私が他人のうちにおける対象として、私にあらわれうるためには、私は他人を、主観としてのかぎりにおいてとらえるのでなければならないであろう。けれども他人が対象として私にあらわれるかぎりにおいて、他人にとっての私の対象性は、私にあらわれえないであろう。>(サルトル、「存在と無」上、430ページより)
 他者にとっての私を私が理解出来る、ということは私が他者を理解するということを前提している。よって私は他者を理解することが即ち他者を信じることを前提に成立することが証明される。しかし信じることが常に理解することではないことは上図によっても明らかである。寧ろ信じることは理解を鈍らせる。曇らせる。他者にとっての私を理解出来るということは他者が抱く私を私が許容し得るということを意味するから、当然私は他者を理解すると同時に信じることが必要となる。だが理解し得なくても信じることが出来る場合があり、それは経験に基づくことが多い。
 結論的に言って理解することを通して(積み重ねて)信じることは理性的行為である。そしてもし我々が切に教訓としてそれを必要とするとしたら、我々自身が信じることの意義を切実に認識し得た時と言えよう。論理を飛び越えて信じてしまうことは、それが好結果を得た時にのみ正しい。しかし理解することを通してにせよ結果的に信じることが出来、それが真理であるという自明性の下に認識し得たものを通底したある普遍的な傾向があることも確かである。あるものに対しては信じやすく、別のものに対してはそうでないということ、それは性格遺伝子によるものなのか?そしてそれは経験と共に変化してゆくものなのか?両方であろう。
 しかし理解を飛び越えて信じたものの中には、やがて信じることが不能になるものも多く含まれている。だからと言って理解を飛び越えて信じることの出来る全てをそのようなものとして懐疑の目を向けることが正しいとは言えない。その理解を飛び越して信じてしまうことによる成功例と失敗例の混在こそが、全体の組み換えをその都度我々が必要としていることの根拠である。行為の決断は心的メカニズムとしては「信じて理解する」か、「信じないで理解しない」かという判断が大半であろう。逆に反省、思索(思惟の連鎖)対象である心的作用とは「信じて理解しない」か、「信じないで理解するか」という判断が大半であろう。そしてこの両方の二元論を一元化するものとは、行為と反省を統一する意識である。しかし意識は行為、反省といったその時々での志向的様相によって異なっており、それを同一のもののその時々での変化であるとするものが自己意識、自我である。だから一元化する必要があるか、ないかということは西田的な一元論を求める立場を時代的、心情的に採るか否かに掛かっている。
 一元論であるか、二元論であるかどうかということは哲学そのものの本質そのものには抵触しない、というのが私の取る立場である。そして自我を意識せずに済ます最も有効な手立ては全ての他者、対象(サルトルは他者と対象を峻別したが、敢えて他者を対象の一つとして認識することも可能であろう。)という外部世界に対する観察である。(だから観察にはどこかしら独我論的な趣がある。)しかし自己を他者、対象と等価の対象として認識することは出来ない。よって対自は反省的地平のものとしてのみ有効である自己に対する背進<カント>であり、欺瞞<サルトル>である。即自こそが意志である。対自は自己をどこかしら記号化する。自我は対自によってしか観察され得ないが、哲学的領域としてはある限界がある。ここから先は精神分析の領域である。さもなくば神経学的な進化論生物物理学の領域である。ある意味で対象に意識が向かうことは自己主体の「独我の維持」以外の何物でもない。対象へと向かうということよりも対象を認めるということ、ヘーゲルやホネットが言った承認という形で他者をも含めた対象、そして自己もまたその中の一つであるということを知る為に生はなされるのだ、ということを理解する為ではなく信じる(それは容易に為され得ない)為に理性も経験も知識も総動員されるのだ。それは対象への愛に他ならない。それはまた経験的な理解であり、信仰である。
 理解を飛び越えて得られる「信じる」こととは別対象へと向けられているにもかかわらず等価であるような共通部分(それらは全体としては異なっているにもかかわらず)を同化され得るものとして、そこに真理の光を見ることは、前者と合一され得れば「信じる」ことも「理解する」ことも含有するようなものと根本的原理とも言えるような意味での「知る」、つまり個的意味と普遍的意味の合一した「知る」を認識として得るということであろう。
 人間は個的意味を遊離した普遍的意味(そんなものがあったしてだが)というものを「知る」ことは出来ない。それはあるかも知れないし、実際にはあるであろう。しかしそれはどのような存在者にとっても同様であり、その存在を理解出来るが信じることは出来ない。しかし理解出来ないが信じることが出来、かつそのことで報われることが出来るものは、恐らくどのような存在者にとっても真理であり、理解を積み重ねることによって「信じる」こと以外出来なくなったものと合一されて引き出される根源的(普遍的)真理への水先案内人である。それを人生観と呼んでもいいかも知れない。
 「信じる」こととは、それが瞬時の借り物の全体に対してであれ、長い経験的認識の末に得た真理に対してであれ、それらはおしなべて名詞的思念である。それは静止した構造理解による視覚的表象確認の事後的な意味づけ決定であり、それに対して「理解する」こととは、それがある変化の持続に対する物性的把握(やはり瞬時的たろうと経験的認識の反芻たろうと)であるから、動詞的思念である。それは動的物体機能と現象による視覚的体験会得である。
「信じる」ことは諦める(決心する)ことであり、「理解する」ことは諦めないこと、前者は考えることを辞めることであり、後者は辞めないことである。

 ところで未来志向(予持)は想起を喚起させる。
 想像とは想定される可能性への追認であり、同時に想定外のものが何かないか、ということの模索であり、想定外のものの積極的な排除である。これは待機というものの(待機は決心後にもたらされる。)本質である。短距離走者やマラソンランナーがスタート地点にスタンバイしている時の心理的な感情であり、その時の思念である。だから決心は行動の直前の想像、想起といったもの全てを断念することである。そして決心と連動して起こる行為は何の為になされる、と反省的に言い得るのか?




行為

反省
  未来の志向性 想起しながら想像する。<過去、現在、未来を繋ぐことが想起を契機として顕現される>想起に想  像も利用される
懐疑

決心<反省の断念>

行為

Monday, November 16, 2009

A言語のメカニズム C哲学者と言語 14レヴィナスとデリダ

 他者哲学において際立った内容を示したのはエマヌエル・レヴィナスである。レヴィナスの哲学においてフッサールとハイデッガーへの信奉と傾注は大きく立ちはだっているが、それ以上に彼自身の出自であるところのユダヤ性はフッサールやウィトゲンシュタインとはまた違ったかたちで表出している。恐らく彼の哲学を論じるうえで参考となる同種の典型はブーバーであり、ヤスパースであったろう。他者哲学という視点からはフッサール後期もさることながら(ウィトゲンシュタインは独我論的な視点<中期>以降の哲学は他者性そのものよりもコミュニケーション論として展開されており、その機能性に関する洞察となっている。そこが構造主義者等と相反する様相をもたらす要因となっている。)、ブーバー、ヤスパースはユダヤ的信仰の理念においてはレヴィナスの先達であった、と言えるだろう。レヴィナスは言語行為自体を動詞が持つ志向性から考察したオースティンの論理性ほどの細かい分析ではないものの、述語論理に関してはリッケルトにも劣らずに重要な概念として扱っている。またレヴィナス哲学においては「語ること」は他者性への言及と言語行為の持つ本質を理解する上で重要な事項となっている。暗喩、暗示、間接的言辞といった行為が持つ積極的側面は我々の日常において、とりわけ大人社会に属する成員にとっては明示とか拒否以上の明確な意思表示を伴っている。他者へ自発的な理解を促すこの種の意思表示は、それを受け取る側への判断力査定の側面も強く持っている。よって査定された側は査定で返すという応報を余儀なくされる場合も往々にしてあり得る。
 言語行為は身体知覚による刺激に対する反応という学習や記憶のシステムと密接な関係ともまた違う、もっと文化コード的な踏み絵とも言えるような側面も有している。他者理解が必要以上に他者領域に踏み込むことを相互に抑制し合う形でなされる時、他者配慮実践の是非が言語行為自体から体現されているかどうか、ということの踏み絵的性格を帯びている、とレヴィナス哲学は教えてくれる。この点ではレヴィナス哲学の傾注者であるデリダの歓待理論においても明確に示されているが、レヴィナス同様ユダヤとしてのアイデンティティーを持つデリダ、あるいはクリプキの共同体理論からも我々は同種の命題設定を読み取ることは可能である。
 デリダにとって記憶が差延作用と彼自身が呼ぶものによって同質性を前提しながらも、より明確に他者理解において自己との差異を認識することがキーとなっているという考え方は他者との断絶も辞さないという自己透徹のスタンスを一方では招聘する。従軍時代以降のウィトゲンシュタインがトルストイに傾注したり、その後の哲学的展開においてより独我論に接近せざるを得なかった必然性は、恐らくデリダにとっても極初期から意識に浮上していたであろうことは想像にかたくない。しかしそれにも増して印象的なのは、レヴィナスにおいて他者性が「他者、それは悲劇である。」といったアポリネール以上の切実さを持ちながらどこか信頼に満ちたものを感じさせる点では、オースティンほどの抑鬱状態にもなかったからなのかも知れない。レヴィナスにおいてはデリダ的な記憶の差異認識とかメルロ・ポンティーによる、「刺激に対する反応という単純図式(それもまた記憶によって説明可能であるが)への批判」に込められた間主観性ともまた異なった様相であるのは、信頼が醸成されるものであるよりも前提されるものである、という一事であろう。なぜならコミュニケーションを取るという事態はすでにそのこと自体で、他者信頼を呼び込んでもいるからである。その点ではレヴィナスはデリダほどのネガティヴを他者性に関しては持っていない。レヴィナス同様にハイデッガーを哲学的出発点にしているデリダが示したロゴス中心主義(ハイデッガーによる反・近代主義の理念の継承とも考えられる。)への批判の要ともなっている原エクリチュールという概念によって示されるもの(これは養老理論におけるヒトがエクリチュールを獲得した事実が遺伝子的進化をもたらしはしなかったという主張ともリンクする。)が今日的に言えば遺伝子のレシピ(マット・リドレー、リチャード・ドーキンス等はそう表現している。)に関しては、FOXP2遺伝子に相当するのに対して、ハイデッガーからの啓示を受けながらもレヴィナスは、アンチ意識によって自己哲学を展開させることよりも、受容の時間を前提した生を肯定的に捉えることで自己哲学を出発させていることから、母親が子供を可愛がる本能とも呼ぶべきものを発現させる遺伝子FOSβ等を想起させずにはおかない。

Saturday, November 14, 2009

D言語、行為、選択/13 選択という帰路

 人生は予定通りにはゆかない。予定通りにいっていたとしても、やむにやまれぬ突如予定外の不測の事態が入り込んだり、あるいはそのように予定通りに行くこと自体に疑問を呈して全然別種の行動をとったりもするのである。一流大学を出て一流の会社に勤めていた人が飲食店を出して経営したり、一流のビジネスマンの経営者が画家になったり、画家を目指していた人が役者になったり、版画家が小説を書いたりドラマに出たり、ロック歌手で鳴らした人が他国の芸術大学の音楽教授に呼ばれたり、経済学者が大臣や政治家になったり、大手証券会社の重役がホームレスになったり、そうなったおかげで妻と娘に出てゆかれて娘を探す為に娘の好きだったロック歌手になったり、人生は何があるかわからないし、何をやることになるかわからない。そこで選択とは一生のこともあるけれど、その選択を再び変更することもままあるのである。すると人生はある意味では選択変更、予定変更と躊躇と逡巡の繰り返しである、とさえ言いえる。順調に身体的健康を育んでいる人がある日突如不測の大事故に見舞われ、半身不随になったり、大脳の半分が損傷したり、それでもあらゆる身体システムの可塑性を利用して見事に日常生活に生き甲斐を見出したり、所謂そういった殆んど常に押し寄せる不測の事態に対する反応と対処が身体的にも精神的にも大きな部分を占めるのが人生である、と言える。その際最初考えた通りには何事も巧くは運ばないということを認知し、そのやり方がまずかったのではないか、と最初の選択を修正したり、方向転換したりというのが我々の人生の最も重要な行為である。そこで我々は疑問を抱き、真実とされるものに対して懐疑を抱く。また巧く行き過ぎてきることにも逆に恐怖を感じ、想像だにしなかった別の回り道や茨の道を敢えて非難覚悟で挑んだり、そういうことさえ辞さないのが人間である。躊躇と逡巡、隠蔽と偽装という二つの表面上は全く積極的で肯定的ではない、寧ろネガティヴであり、消極的なる選択ならざる選択において実際は生のメカニズムの多くが隠されている、と思われる。そしてそこには認知能力や先験的弁証的思考能力、理解能力、性悪的性向への学習が大きく関与している
 さてここで再び留意しておかなければいけない重要なことがある。それは我々が人生の岐路に立たされた転機時には、それがいかに無謀なる方向転換的な決断であろうとも実現、成功可能性のないものを選択しはしない、ということである。例えば私のように幼い頃から運動神経には殆んど自信のなかった人間は間違っても、その人がまだ若い方向転換の効く十七歳位の年齢であっても決して野球選手になろうなどとは考えもしないということである。それは例えて言えばネクタイの柄を選ぶ時自分の嫌いなタイプの柄は決して選ばないようなものである。幼い頃から手先が器用でなかった人間が突如大工職とかを目指すということは余程のモティヴェーションが通常要求されるし、何らかの大きな出会いが必要である。つまり免疫システムにおいて、自己のHLAを認識、識別できないような細胞は容赦なく切り捨てられるように、選択に如何なる逡巡も見せない、無条件なものもある、ということである。それらの選択的行動も恐らく予めDNAレヴェルから決定されているのであろう。そしてそれは一方で一概には初見で判断できない多くのプロブレムもあり、その際には多くの遺伝子、細胞、ホルモン、弁証的理解力、経験論的認知能力などが総動員されて決定しているということである。愛する人を形容する時「あそこにいる人が私の最愛の人です。」という言説は概念論的には「私の憎む、嫌いな、そう好きでもない」という数多くの選択肢を脳内で予め認識論的意味規範として備えて(この場合は迷わず愛するという形容を選んでいるわけだが)いるということは事実である。それは必要のない免疫細胞が必要不可欠の細胞と同時に用意され、それらはまさに抹殺されるためにのみ存在するように、ではそのような存在は初めから必要ないのではないか、と思われるかも知れないが、やはり全体的なシステム維持においては、手続き上必要であるように、我々はやはり選択されずに終わる数多くの一見無駄とさえ言い得るような可能性さえ用意して生きている、それが進化上の不可避的事実(私が嫌いなタイプのネクタイであっても、店には置いてなければならない。)として、それを受け入れて生きること、そういう手続きにおいてのみ行為の選択もまた意味を持つということなのである。大脳では無条件的選択も躊躇と逡巡の末の選択であろうとも等しく無数の排除される選択肢をも常に用意している、ということである。そして選択とはどんなに無謀と傍から思われようとも、選択する本人からすれば最も実現可能性のある選択である、ということである。

Thursday, November 12, 2009

C翻弄論 7、贔屓の基準におけるさまざまなレヴェルと私

 贔屓の政治家と尊敬出来る政治家とは自ずと異なった位相からの選択基準である。というのも贔屓の政治家は、「理解出来ない」ということも時としてあり得るのだ。「理解出来る」ことが贔屓であることと重なれば最もその政治家を支持するための基準としては文句ないわけであるが、時として理念的、信念的には「理解出来ない」部分があったとしても尚その政治家を贔屓にしたいという心情はある意味では論理を超えた心的様相である。それは好きな映画や好きな音楽が理屈で好きであることの理由を見出すことが不可能であることと同様である。それに対して尊敬出来る政治家とは贔屓な政治家ともまた異なっている。「理解出来る」心情とは信念的な理念性や理性論的な判断で正しいことと思われることを遂行する政治家であろう。しかしそうであるからと言ってその政治家が好きであるとは言えない。贔屓ではなくても「理解出来る」政治家はただ単に尊敬に値するに過ぎないのであって、そういう政治家に対して我々はただ尊敬するものの、支持をしようという意識には直結しないことも大いにあり得る。またそういう風に「理解し得る」対象とはそれが同時に贔屓にし得る要素を見出した時にこそ支持したいという意志を抱くようになるものである。名優であったと「理解出来ても」好きではない俳優の主演映画を観たくはないと思うのと同様である。この「理解出来る」ものの好きではないというものの対象としては学者、論文といった左脳的な判断において顕著な場合も多いと思われる。
 しかし我々はここで贔屓であることの心的様相が共同体とか組織において構成される部分から考察してみなければならない時を迎えたようである。
 贔屓感情が構成される私的な心的様相には次のようなパターンが考えられ、どのような感情もそのいずれかに属することとなるのではなかろうか?

1、共同体成員としての「私」にとっての「私」
2、「私」以外の全ての同一共同体成員間で通用する「私」(他成員にとっての「私」)<自己の性格的傾向性による判断>
3、共同体成員を意識上離れた時の「私」にとっての「私」
4、同一の組織の中の「私」
5、同一の職業、業界の中の「私」

1における心的様相において我々はオリンピックで自国選手を応援し、地域共同体において同一地域居住者同士、同郷出身者同士における共感を抱く。特にオリンピックで誰かを応援する時自国選手以外の選手を応援する場合とは大概、自国選手が敗退し、その自国選手を負かした選手(外国人の)を応援する場合と、自国選手が出場していない場合に自国選手以外の外国人選手、あるいは外国チームを贔屓感情で応援する場合のみであろう。そういう贔屓感情とは前者の場合は1における敗北ケースにおける代理感情であり、後者は個人を応援する場合のみ3の心的様相であり、外国チームの場合は自国にとって贔屓出来るという意味において1における心的様相を主軸としたものである。
 2は贔屓の政治家(同一国内のおける)、タレントへの共感感情である。客観的に他者から見た私の性格が判断する傾向性である。しかしそれは私自身から見れば他者から見たそれとも異なった実像として立ち現れているものである。その違いの部分から鑑みた判断は3に属する。2の判断の中には映画や音楽に対する嗜好も入る。また3と5は共通するものがある。3は尊敬する学者、政治的信条、道徳的信条といったものが含まれるが、5においてはそれが同一職業における「理解出来る」こと(能力)である。3は宗教的な感情や共感のようなものも含むから、そこでは同一共同体以外の人間関係が基本となっている。しかもそれはただ単なる帰属意識ではなく、同一思想における共感とか(例えば時代が異なる偉人に対する共感とかも含む。)同一意識の共有性が基本となっている。同一職業においては理解し得る部分があるが、それは理念的なものであり、贔屓的であることは少ない。4は同一共同体以外の法人、会社、同好の会等の帰属意識である。
 「好きであること」と「理解出来ること」とは違う。前者は2の判断であり、後者は3の判断である。しかしこの二つは同時に「信じること」に絡んでくる。これは信念へと直結するものである。「好きであること」を通して「信じること」へ至る場合もあるし、「理解出来ること」を通して「信じること」へ至る場合もある。しかしこの両者に明確な境界はない。両者は多分に重なっているので、その配合の加減には「好きであること」という贔屓感情が大半を占めている場合もあれば、そうではなく「理解出来ること」という判断、つまり「正しいと思うこと」が大半を占めている場合は、理性論的に<分析的に>真理と捉えられること以外の何物でもなく、これは信念であることの内でも、信条とか理念といったものとしても捉えられるものである。
 概して「好きであること」に理由を見出すことは難しい。というのもこの判断は分析的であるというような左脳的な判断ではなく、あくまで右脳的な判断であり、<先天的に>受け入れられるか、そうではない相性の問題であるからだ。 chemistry という単語で表わされる理屈とか論理ではない判断を人間は往々にして正しいものであると思いたがる。それが正しい場合もあるが、そうではない、とんでもない勘違いである場合もある。
 この両者の鬩ぎ合いに今度は経験という事項が加わって再び複雑化の様相を呈する。「好きであること」で判断して正しかった場合の多かった人間は贔屓感情で物事を判断することが間違いないと考えるし、逆に「理解出来ること」で判断して正しかった場合は贔屓感情を抑えることによって正しい判断がなされ得ると考える。しかし実際問題として、贔屓感情というものさえも、「理解出来る」ことの蓄積、つまり理性論的判断の経験的な積み重ねから構成される場合も多い。つまり綜合的判断が分析的であるような判断を恒常化させるということである。あるいは「好きであること」の絶え間のない連続がやがて「理解出来ること」を確固たるものにしてゆく場合も多い。するとこの二つの判断は常に相補的であるとも言えるわけだ。そして両方によって「信じること」へ至るものたちが、再び「好きであること」とか「理解出来ること」とかへとフィードバックするということもある。ここでは脆弱な「個」である私という存在が、理性論的に言えば「理解出来ること」を優先すべきであると判断したいのだし、逆に感性論的に言えば、それを現実離れした観念論であると言いたいのだ。だから何を基準に「信じること」を認識するかによってこの二つの判断分析概念はその配分を変数的な役割として可変性を生じさせるのである。
 だから我々は贔屓の政治家をその欠点をも含めて熱烈に支持するという行為において何の不思議さも見出すことは出来ないであろうし、逆に理性論的に判断して個人的な贔屓感情を排するべく必要性に覚醒することだって大いにあり得るわけである。そしてこの二つの感情、判断には境界はない。
 しかしギャンブルやゲーム(オリンピックやワールドカップ、日本シリーズ、大リーグ、大相撲とかのスポーツ<プロ、アマをと問わず>も含む。)、各種勝負事で敗退し、そのことについて反省する(何故敗れたのかと)ことにおいては、結果の出たことについてその結果やプロセスを再生させて、反省対象を見出すことは、<行為=目的の手段化=過去化>としての、<現在における過去目的手段化=現在の行為の遂行>という不断の連鎖が日常であるなら、未来への教訓として必要不可欠な現在における反省という思惟は<行為=未来へ向けられつつ現在自体が目的>という位相へと我々を差し向けるのである。

 ここに来て日本国民が、一人の強力なる政治的指導者に惹かれていったこと、そして200X年夏の総選挙において、その総決算的な勝利を手中に収めたK泉前首相を巡る選挙への問い、そういう風に惹かれてゆくことである政治家を支持することは決して否定すべきことではないし、それは理性論的な集積による贔屓感情であるとも言えようが、警戒しなければいけない場合もある、と結論出来るように思われる。そのように反省し、有権者の心的様相を考察し、過去の行為を現在の目的性探査のために考察し、過去反省、再認、過去に対する歴史認識的言及行為の目的性維持の為の手段として従属させることは意味あることである、ということは証明されたのではなかろうか?
 そして何か強力な魅力を発散するものについ追従してしまうということには、まるで托卵するカッコウに利用される別種の親鳥がカッコウの雛独自の誘引作用に自ら進んで欺かれているかの如きケース同様何らかの我々の中にある共時的社会における運命共同体意識とも相通じる(まさに外国人投資家さえもが、日本金融市場への不信感からLDショックで、日本企業株を売りに走る意識を構成するところの)原初的群集心理を惹起するどうしようもない我々自身の本能があるのではなかろうか?(このことは後で詳述する。)
 その狼狽を構成するもの、恋は盲目状態を構成するものは個人差もある。理性論的判断をこういう際には決まって適用しようと心掛ける判断もまた個人の性格遺伝子的な傾向性にも依拠していると言えよう。そしてそれとは逆に惹かれるものに対しては多少心許してもよいのではないか、と考える(つまり格律の中でも他律的な傾向性を発現させる)場合も同様である。そしてこのどちらを主体的選択であるかどうかを判断することは難しい。というのも政治的理念理性論的、自由意志的判断というものもあるであろうし、どんなに名優であると思われるアクターが主演の映画でもその主演アクターが好きではなかったならその映画を態々見にゆかないという判断にも通じる相性直観的判断の方こそ正しい判断であり、かつ自由意志であると言い得る場合も多々あるからである。
 結論的に言えば、私は「個」とは本来脆弱なものではないか、と思っている。例えば市場での狼狽売り等に見られる非主体的なる「個」は市場全体が脆弱な「個」を前提しているとも言い得るではないか?そしてそれは今回の外国人の日本株売りにも端的に示されているように、日本人にのみ見られるものでは決してなく、ほぼ全ての民族に見られるものである、と思う。昨今ではイスラム教徒たちがムハンマドを風刺したデンマーク人に対して怒りの矛先を大使館等に向けたものもある種の集団ヒステリーとも受け取れる。しかし我々は本来脆弱な「個」の保有者なるが故に、理性とか自由意志とかいうものを価値論的規範上のものとして見出してゆこうと常に試みるのではなかろうか?(この論文は三年前くらいに書いたが、現在でも同じ状況は多々見られるのではないか?)

Tuesday, November 10, 2009

B名詞と動詞 8-2、時間論としての名詞と動詞

 我々は名詞と動詞を使用する際の心的様相において明らかに異なった二つの、しかしそれは同時に一方が他方を必要としながら相互に連関し合いながら生を、自我を、あるいは認識を形成しているということを知ることが出来る。まず経験というものを考えてみよう。経験は記憶があり、その記憶によって過去像の全てを一括して捉える捉え方なしには成立し得ない。記憶という機能がもしなく、一つ一つの行為が全てその時初めて考えられるような行為であるなら学習ということはおろか自我ということさえも発生し得ないであろう。するとそのような状態での経験は経験としては成立し得ず、ただ本能的な反応であるか、一瞬の覚知でしかない。それがただ単に一瞬の所作ではなく、意味ある行為となるには記憶というものが必要である。記憶は過去に遡るに連れ取捨選択されて必要な事項以外は捨象されてゆくが、捨象されたもの以外の必要な事項とはとどのつまり経験事項として学習形成事項として詠嘆対象事項として記憶を自覚的に構成するものである。しかしそれらは自覚的ではない意味的には捨象された無意識的な記憶に包まれている。それをエピソード記憶と言ってもよいだろう。そしてその意味的には不明瞭な無意識記憶事項たちがファジーなりにも取捨選択され、その時あった事実の意味を構成する重要な要素として個的意味というものを記憶する各個人に固有のニュアンスを付与している。それをクオリアと呼んでもよいが、感覚質的なこと以外にものも当然その無意味なニュアンスには含まれる可能性がある。だから記憶事項は自覚的に語ることが出来る側面と言語化して語り得ない側面の両方から成立している。意味的に名指された記憶の一括的な認識は名詞的であり、それを引き出し想起し、再現前化する時、それらは動詞的である。
 カントは背進という言葉で、サルトルは欺瞞という言葉で言い表わしているが、全体というものはどのように広範囲であってもその時々に一括してこれまで蓄積してきたものという認識において全体を俯瞰する結果認識的な全体把握は名詞的(過去想起的)であり、その結果認識を無効にするような背進と欺瞞性への自覚は動詞的(未来意志的)である。前者が確定的であり、意味づけ作用的であるなら、後者は意味づけ不能性の自覚を持った意味規定性から漏れ出る、溢れ出る非確定的な試行錯誤作用的である。何らかの事実自体に付帯することとしては事実の存在感とか衝撃力とでも言ってもよいかも知れない。
 だから我々は記憶収納に際して名詞的な確定作業を行うとその次の瞬間は既に自覚的な試行錯誤という記憶事項選択(何か行動する時には過去の経験を下にああでもない、こうでもないという思念をする。その次に行動が得られる。)と学習事項発見(過去の経験から現在に引き出すべき何か一番大切なものを探り出そうとする。)を行い、試行錯誤的に知覚と行為の只中を事後的に「体験する」と言えるような生の時間を生きる。だが区切りとして睡眠したり、行為を中断したりして例えばここまで描いてきた絵の全体を俯瞰するように行為してきた軌跡を振り返る。(今現在までは過去の行為の結果はああである、こうである、と確定する、あるいは一番今現在において大切なものを認知、理解する。)この時反省がなされ、反省が終了すると、意識は名詞的、経験綜合的な心的な作用となる。こういった行為と生の時間、忘我、一如の終結は「ここまで歩んできた全体」という区切りの意識であるからどこで区切りを付けるかを設定することはその都度の主観的な思念でしかなされ得ない。集中力の持続も個人差がある。故に背進であり、欺瞞的な行為としてケとしても位置づけられるのだ。だからその結果論的な思念、つまり総括的な意識を打破するのは次の新しい行為であり、ハレである。ここで我々は思念を吹っ切り行為の只中に突入する。我々はこういった行為と中断の連鎖を小さな短い一秒、一分といった行為においても一日、一ヶ月、一年、数年・・・・・という風に長いスパンでも絶えず反復して執り行っているのである。小さなハレ、小さなケ、大きなハレ、大きなケというようなものを絶えず反復していかなければならないのは、生物学的にも常に代謝活動を行い、動的平衡を行う身体生理学的な側面からも自我論的な同一性維持においても人間存在の必然的な姿である。
 今まで述べてきたことを解かりやすくする為に陸上競技の走者を例に考えてみよう。短距離走者にとっての100メートル、200メートルとは、マラソン走者の持つ全ての距離と等価のものである。よって彼らはマラソン走者が20キロくらい走り進んだところでそれまでの20キロを振り返り、その時点での自己の保有する潜在的エネルギーや持久力、後残りの距離を走破する為に今から放出してゆくべきエネルギーを自覚するような意味での反省、未来への予持を同時に行う。それは1メートル走った時点で、20メートル走った時点で、50メートル走った時点で細かく無限分割し得るその時々で意識的に想起(今まで走ってきた)、想像(走り終える)、知覚(今走っている)といった転換が転換を施す思念(未来へと向けられた志向性、未来志向的意志)によって繰り返され、行為の只中において行為を意味づけ、激励する。
「走った」と考える時我々は過去映像的な心的様相を抱き、想起喚起的な心的様相となる。「走り」と考える時我々は事実総括的であり、結果論的、査定結果的、理解完了的である。何かを想起する時、その何かは記憶の層ではある名指しでファイルされている。それを引用しようとする時、書庫に並べた本の背表紙を見て選ぶわけだから、名詞的な思念、名詞的な認識である。しかしそれを取り出し開き中を読み出す時には動詞的な追認、覚知を行う。「動き」、「走り」は概念断言的であり、伝達内容選択済みである。伝達意志決定済みである。記憶事項検索における命名された名辞認知的である。これに対して「動いた」、「走った」は過去映像再生的であり、想起喚起的である。現在進行追従的である。短距離走者もマラソン走者も常に同時的にと言っていい位に交互にこの二つの思念を反復している。「今のこの走りをどうにかしよう、修正せねば」とか「今までここまで走った、後これくらいの距離だ、だから後残されたエネルギーのありったけを押し出そう。」とか考える。前者の例では「走り」は現在進行する行為を常に過去へと追い遣られる事実として事後的に認識している。それに対して「走った」は事後的に想起しているが、それを取り纏めて一括して「走り」全体を思念している。「走った」と動詞的に思念しながら同時にそれを一括した事実、つまり過去規定的に名詞化している。(名詞的認識)逆に前者は「走り」と名詞的に思念しながらも同時にそれを現在進行の行為を位置づけながらも今現在の走っているこの行為を考えている。(動詞的認識)この二つの思念上の総意は名詞化された動詞と動詞化された名詞という対極的な二つの事例が示すところの動詞的な思念と名詞的な思念というものが常に相互に干渉し合いながら同時的に顕在し、かつ共同しあって思念を構成している、と言うことが可能である。
 そして言うまでもないことであるが、動詞化された名詞は抽象名詞の本質的な性質である。(こういった思念が抽象名詞を産出したのであろう。)また名詞化された動詞は名詞節的な思念において名詞節に従属する構成要素なのである。

Sunday, November 8, 2009

A言語のメカニズム C哲学者と言語 13、オースティン、あるいは倫理、他者

 ところが一人の人間におけるある発言はそう容易く偶然的な事項としては片付けられないのである。我々の生は偶然的な産物かも知れないが、その生命体としての個体はある恒常性をもって存在しており、そこには一貫性を求められる、というよりそのようなものとして全ての発言を含む行為が意思的責任を伴うものとしてしか認識され得ない。(それが仮に偶然的なものであったしても)ある個人によってもたらされた、その言語行為というものは必然的に共同体機能の中で一定のルールと秩序を要求されるものなのだ。
 ある言辞がもたらされるとその個別的意味は確かに存在しはするが、その一つの言辞だけを取ってその言辞をもたらした個人の全てを判断することはやはり無謀な試みと言わねばならない。しかしだからと言って一つ一つの言辞自体は取るに足らない、どうでも良いというものでもない。言辞自体を巡る責任の問題もまた多くの哲学者たちによって論争されてきた。ある意味ではそれは法的秩序自体の必要性をも物語る命題であると言えよう。今日哲学において言語の問題を語ることはカントの時代よりは容易い。その中でもオースティンはことに言辞自体の共同体機能の問題をウィトゲンシュタイン後期哲学から命題を引き継ぎつつより深化させた一人と言うことが出来る。
 仮に我々自身の存在をも含むあらゆる生命体の誕生が必然であったとしよう。するとその歴史的経緯、つまりシアノ・バクテリアから今日の全生命体の様相へと至る道筋そのもがある意味では予定されていたことになり、そういう見方は必然的に神の存在を予告することになる。我々が今かく考え、かく行動することさえもが、必然となり(神の思し召しにより)予定されていたことになる。地球が氷河時代に突入したことをその原因性から考えれば、例えば幾つか考えられる原因の中から隕石の衝突を考えてみよう。隕石が衝突したことによってもたらされる衝撃とかその影響とかの個々の事象は、ある程度は物理的な法則的秩序によって説明可能である。そして隕石が地球に衝突すること自体も、個々の事象においては物理的法則として説明可能であろう。しかしなぜその時期に、よりによってこの地球へとそれが衝突したかということ自体をマクロ的に捉えその原因性を追究してゆくと、その果てには結局のところ最初の起源となり得る原因は偶然ということになりはしまいか?
 例えば一個の人間がある発言をすることとなる経緯を見てみると、なるほど何らかの伏線が常に存在し、その発言をもたらすこととなる経緯を生み出す状況とか、個々の事情も推測出来もしよう。しかし最終的なある起源となり得る事項に関して我々はそれすらも必然である、と言いえるであろうか?だからと言ってパブロフ的に、ある外的状況性であるところの一個の人間個体に対する刺激が誘引となって、その反応として我々がその都度受け答えている事態こそが我々の生なのだ(そういうメカニズム自体は物理法則的秩序に忠実であるとする考え方)、とそれだけを盾に取り、生を一律に捉えると、一個一個の反応とか刺激に対する「今日はそのことはあまり気にならなかった。」とか「今日はそのことがやけに気になった。」とかのその都度の気持ちの違い、その場合の前者が昨日であって、後者が明日であるということの原因まで必然的と捉えられるものであろうか、という疑問もまた生じよう。
 つまり個々の偶然による個々の反応の在り方のメカニズム自体は必然的であっても、その個々の偶然を相対的に支配する法則などは皆無であり、偶然的な気持ちの度合い(昨日はやけに外の工事の音が気になったが、今日はそれほどでもなかった、というような)と、その都度の反応の示し方そのものの時間的配置をも全て決定することを可能とするような全的な法則性の存在を希求することは神の存在を積極的に認知してゆく行為に等しいのではないか、と思われる。
 隕石が衝突してどのような様相へと地球環境自体が突入するかというような状況は、その時点での地球における環境的な状況が把握出来れば確かに必然的な展開までもが予測可能であろう。しかし衝突する隕石の位置も、またそのような事象を引き起こす宇宙のその時の状況、隕石の大きさの理由さえもが個々には説明可能であってさえ、それらを相対的に組み合わせることに存する原因性、つまりいつその大きさの隕石がそういう角度で、どのようなスピードで、地球のどこら辺に、しかもどのような環境条件での地球に衝突するのかという全的な様相の原因性までもが必然的説明を期待出来るだろうか?これはよく言われることだが、チェスのルールとチェスが行われた全試合を考えてみるとわかりやすい。
 チェスのルールはこの場合物理学的法則性そのものであろう。しかしチェスの個々の試合は極めてその都度の偶然性に支配されている。もしそれらの全試合(今迄行われた全てのチェスの試合とこれから行われる全チェスの試合<人類が絶滅するまでに行われるであろうすべての>)の試合の経過や全ての手が読めるというのなら、チェスのルールが出来た時点で全てが決定されていた、ということになる。しかしもしルールが出来た途端に後に行われる全試合の様相まで必然的に予測出来るのなら、我々はルールというものを考える必要などあるであろうか?(確かウィトゲンシュタインも似たようなことを言っている。)
 そのような疑問を念頭に入れて人間のコミュニケーションを考えてみよう。すると我々は一個の発言、それこそカントの「純・批」にもたらされたある言辞の意味さえもが、個別的な意味を超えてカントの全人生における一個の発言として、相対的に個別的意味とは別次元の意味(意義といっても良い。)として認識する必然性は、彼が既に物故者でもあることを考慮にいれれば歴史解釈としては極順当ではあるものの、先ほどの陳述とは矛盾するかも知れないが、それはあくまで結果論でしかなく、実際上は極めて偶然的な執筆中の何らかの事情(文脈上の些細な事情、例えば似たような言辞が続いたのでちょっと変更してみよう、と著者が思い立った、またそういう風に著者を決断させる著者の生理的事情もあった、とかの)によってもたらされた、と言うことも可能であろう。(人生さえもが極めて偶然的な出来事との偶然的な遭遇の偶然的な連続である、と言える。)
 しかしカントがどのような理念を念頭に入れてそのテクスト全体へと向かっていたかは、それ以前の彼自身の人生の状況を考慮に入れれば、ある程度の必然でもって理解可能である。しかし同時に書き始めた最初の計画通りに、最初の理念全くそのままのかたちで最後まで書き通せたかは、(あまりに大作であるがために)実際にカント本人に尋ねてみるしかあるまい。またもし仮に途中で変更されることがあったとしても、そのこと自体は何らテクストの価値を損ないもしまい。
 しかし同時にその一個一個の言辞にまつわる発言されたこと自体の責任は著者にある。口頭での発言なら発話者にある。そこでオースティンの発話とその発話が示した行為の関係を問う哲学が発生する理由が見出されてゆくのである。彼の行為遂行的発言は確かにある意味では詭弁的にも響こう。しかし発話自体は実は人間における身体的、社会的な全行為とはやはり独立した別個のシステムにしか過ぎない、という事実を一端受け入れると、オースティンの行為遂行的発言という概念自体が一種の倫理哲学としての様相を帯びてくることとなる。
 実際言語活動は実際の身体的行為とか、社会的行動とも必ずしも一致しているわけではない。それだけではない。言語行為をパロールとエクリチュールと言う風に構造言語学的に捉えてみてもそれらを一体のものとして捉えること自体が極めて不思議なことである、と解剖学者の養老孟司も述べている。(「唯脳論」より)
 個々の言辞自体が有している本来の意味と、それが発せられたり、記述されたりすることで一個の発言として機能する際の様相的意味合いは常にではないが、齟齬をきたす場合も充分ある、とは言える。例えば何度繰り返しても物覚えの悪い生徒へ、運転免許取得のための教習所で、教官が「あなたは本当に物覚えがいいですねえ。」と言ったとしたら、それは明らかに皮肉である。すると言辞自体が本来有している意味がこの場合、逆のことを言うことで利用され、「物覚えが悪い人ですねえ。」と言って直接的に苦慮の姿勢を見せることを避けるかたちで、建前上は配慮の姿勢を見せながらも、実際はそれを言う教官が「もうこれ以上教えても無駄かも知れない。」と内心では思っていることを暗に悟らせる、これだけきちんと教えてきたのに、この体たらくのことを嘆き、意気消沈していることを明示していることにもなる。
 この現実は養老氏が言うように人間の遺伝子レヴェルの変化は、よく言われるように、何もエクリチュールの獲得によってはもたらされず、そういうレヴェルとは無縁にパロール以外のエクリチュールがパロール獲得後に偶然的になされた、という見解も、筆者の考えではこの二つの行為(パロールとエクリチュール)が実際は別個の何の関係もない行為として偶然的に(だから筆者はどちらが先であったか、とはまだ一概に決め付けられない、と思う。)なされてきて(養老氏の言うように、それこそ視覚と聴覚が全く別個の知覚であるのに、それを統合する作用を人間が獲得したように、<ヘーゲルが「精神現象学」で塩とか砂糖の色、白とか、その形状とかさらさらした性質が全く別個の現象であるのにもかかわらず同時に存在していることを指摘しているが、この絶対的な相克ともどこかで養老氏の見解とはリンクする。>)いつしか人間は、これらをトータルに言語活動としたのであろう、ということなのである。エクリチュールは恐らくパロールの代用品としては最初は進化せず、例えば絵とかと同じものとして発達して行った。(だからアルファベットのような表音文字の発生は表意文字の発生より遅かった、と思われる。)しかし、パロールによる意志伝達行為が定着したある時点で、その行為自体をエクルチュールとして置き換えることが、今迄それとは別個の意識でなされてきた表意文字の歴史(絵的、呪術的、象徴的意味合いでのドゥローイング行為であった)とリンクさせた個体がいた、あるいはそういう風に共同体内での同意が成立していった、ということではなかろうか?
 そう考えてみると、養老氏の言う聴覚的機能であるところのパロールと視覚的機能であるところのエクリチュールが一体化して言語活動として、現在何の疑問も持たずに生活している我々の現実もより自然に捉えられないであろうか?そしてそのことはオースティンが疑問に思った言語発話行為とそこで宣言されるシニフィエたる行為が実際上履行されるのか、ということの齟齬に関しても極めてスムーズに理解出来はしないだろうか?
 養老孟司氏の言うように視覚と聴覚とが全く別個のシステムなのに、何かが動いてそれがその際に音を発するそのことを一括して一つの事象として認識すること(そのことに我々は慣れっこになっているのだが)が出来るように、我々は言語発話行為と、身体的に社会機能的に実践される行為とが全く別個の行為なのに、あたかも連動し、それどころか一致しさえするようなものとして不回避的に認識し得るなら、それはどこか小脳かどこかの観念連合(連想)の作用と関係があることを示しているのかも知れない。(あるいは連合野とかと。)
 もう一度あの段階図式(コミュニケーションの成立過程でもある、言語行為の最初期のサヴァイヴァル・サインである、同一種個体の生命的危機を相互に救済するシステム<中には陥れるシステムであった場合も考えられるが>としての言語行為が、所謂純粋手段であった時代から、その行為自体が文化コードとして自立し、目的化され、やがてその定着と同時に常套化する段階での、建前と本音の使い分けとか偽装、演技といった不誠実の横行によって再手段化への道を辿るあの段階図式)を思い出して欲しい。
 オースティンの言う行為遂行的発言は、言語行為が目的化したのち、その慣用的常套化の過程に中から徐々に再手段化してゆく段階を想起させはしないだろうか?オースティンは真意表出を当然のこととしているから、勿論真意性自体が問題となりはしなかった最初期の目的化されていきつつあった段階に、自己の命題設定を行ったわけではない。言語行為における目的化が、形骸化し、偽装や策謀、嘘や偽証が横行し始めた(それは実際上は表面化されていった時代よりもかなり遡り、初期の段階から人知れず潜在していたにちがいないが)段階と、その時の事実に依拠している。
 言語は感覚性言語中枢から運動性言語中枢へ抜けて、運動器によって外部に表出される、とは養老孟司の言葉であるが、これを額面通りに受け取れば、パロールの作用のことである。ただしここで問題なのは、言語は言語を発するように大脳が考えて、その考えた内容を即座に表出しているということ、すなわち我々は言語を通した思考作用(それを哲学では思惟と呼ぶが)を事後的に捉えることしか適わず、思惟そのものの自覚とはすなわち思惟内容そのものであり(それが今私は考えている、という意識を持たせる)それを離れて別個の思惟というものはあり得ない、ということである。言語を手段とする、という謂いにも実はどこか矛盾はある。なぜなら最初期の他個体とのコミュニケーション獲得の際の本論での仮定では、明らかに他者を自己と運命共同体意識における同一コミュニティーの成員(判りやすく言えば仲間)である、とする認識が他者をも自己同様危険から救おうというモティヴェーションであったとすると、我々はそれを一々手段であるなどと意識している暇はなかった筈である。それは「敵が来たぞ。」と知らせる行為において寧ろ他者を自己と同様の運命共同体の一員であることを自己の側から知らせるという他者同化作用(まさに行為遂行的発言<オースティン概念>である。)における目的ででもあった筈である。同様に言語行為が文化コードとして発展しつつあり、半ば古代サロン的な会話行為が目的化していった段階でも、他者と近づき、同一共同体内での結束や友好の度合いを増す目的があったのなら、その時の会話すらもやはり一個の何らかの目的の為の手段である、とは言えまいか?こういう疑問が起こって当然である。
 そのことにおいては本論では「行為遂行的発言」行為の側面が寧ろ手段的である、と捉えることで潔しとしたい。何も社会機能上の身体的実践行為だけが社会責務遂行にはならないし<語ること自体もまた行為であるから>、そのように会話とか対話と社会責務的身体実践行為のすべてを一致させようと試みること自体が手段的<社会的信頼度の醸成のためとかの>と言えるからである。不言実行とか有限実行で言えばそれは有限実行である。だから本論では,その趣旨が言語論であるばかりではなく、行動学的であるという視点からも不言非実行すらも一個の実行(発話は立派な身体的行為である。)である、と捉え前図式の段階的認識を潔しとするものである。
 しかしその問題こそがオースティンという哲学者の限界でもあるし、また彼独自のアイロニーでもあるということなのである。実際オックスフォード言語学派(日常言語学派)と呼ばれる一群の哲学者(他にライルやストローソン、後輩にダメット等がいる。)の中でもオースティンは必ずしも世で言われるところのウィトゲンシュタインの後継者ではない。この48歳で急逝したこの哲学者にとって寧ろウィトゲンシュタインの晩年に到達した境地は出発点であるよりも前提条件であり、一方の雄であるストローソンが自身の論文で頻繁にウィトゲンシュタインについて触れていることに較べると、遙かにその登場回数は少ない(少なくとも私が読んだ主要著作では一回も登場しない)。
 それに比して彼は多少なりともカントに対する言及を持っているが、カントに対する意識は恐らく彼自身にとっても予想外にも大きい。カントという哲学者は一面では極度のシニシズムによって自己哲学の仮面を偽装している節も見られる。なぜなら宗教倫理的な常套性を一方で認めつつも、そこから逸脱しようとする意識も強く、その葛藤が曰く独特のスタンスを彼に付与してもいたからである。オースティンはもっとそういう倫理的視点においては窮屈なものを感じずに済む立場にあったにも関わらず、それでいて彼もまたどこか倫理的なスタンスを棄て切れなかった。それは英国の階級制度という現実であろう。彼自身の出自を私は明確なデータを持ち合わせていない。にもかかわらず、本論でそのような文脈からの視点を導入せざるを得ないのは、行為遂行的発言という彼独自の概念において彼が示したかった命題が階級社会の責務的履行意識以外の何ものでもなかった、という一面を明らかに示しているからである。例えば彼は、「言語と行為」の第三講で、孤島での例証において、通常におけるある命令を孤島だから受容することは出来ないという言辞において明らかに階級社会的屈折した心理を反映した反応スタンスを示している。オースティンの哲学にはそういうアイロニー的側面を指摘せずに済ますわけにはゆかない部分がある。その意味でオースティンは明らかに、経験論的伝統に裏打ちされた英国哲学史における常套的視点さえも裏切るようなスタンスを保持していることは間違いない。
ウィトゲンシュタインにおいては、真理値とか世界の限界とかの集合論的認識が優位にたっており、写像関係による世界認識が工学者出身の彼に相応しいスタンスであった、と言えよう。しかしオースティンはその意味では世界とか真理とかとは無縁とまではいかなくとも、少なくとももっと日常的視点に自己哲学の命題を設定しており、サルトル的な実存主義ともその論理性やスタンスは異なってはいるものの、共通項を有する同時代性も確固として保有している。しかし何にも増して彼の哲学を際立たせているものとは、言語行為が、コミュニケーションの対象であるところの他者に対する信頼度、そしてその真意表出如何(偽装や演技によって真意を隠蔽しているかも知れないから)を自己の裁定によって判断してゆかねばならない、という不条理であろう。その意味ではオースティンは明らかに他者哲学の一つの典型を示してもいる。

Friday, November 6, 2009

D言語、行為、選択/12、弁証法

 しここで我々はある重要な考察的分岐点にさしかかった。というのも赤い林檎というものは物体であり、その描写をあなたがしても、それをあなたが食べる仕種をあなたをよく知っている人間なら尚更イメージが湧く。そうでなくてもあなたが昨日食べた林檎の話をしているのを聴く全ての人はあなたの話す表情から林檎を食べる姿をイメージできる。その際イメージは林檎そのものよりもあなたが林檎を食べる姿へと焦点を移す。しかしあなたが話す林檎のことが念頭にあるから我々は林檎のイメージもより明確に連想することは可能だ。では柳田國男が「遠野物語」で描出した民話世界はどうなるのだろう?民話は民間伝承的世界であり、我々の祖先が培ってきた事実やら事実を基にした創作の世界であり、親から子へ、子からその子へと語り伝えられてきた伝承なのだから、それを各地から拾い集めてきた当の柳田にとっても実際目にした光景ではないし、地方のお年寄りから聞いた話を自分なりのイメージ像をもって構成したものである。そこで連想されるものは、物語であり、登場する多くの道具立ても、実際東北の生活に密着した工芸品の研究家でもない限り、限りなくイメージできるものは常套的なものに限られる。例えば今村昇平の映画「楢山節考」のような映画のイメージとか、既成の創作物を手掛かりにするしか方策がなくなってくる。幕末の日本の情景を思い描くのに、司馬遼太郎の小説世界を連想するとかいったことである。名詞、つまり事物とそれらをあくまで一道具立てとして進行する物語的との連想の差は大きい。より常套性を多く含み得るのは物語の方であろう。事物なら具体的イメージはより限定された概念規定(伝達の際の形容の仕方、伝え方等)次第ではかなり具象性を帯びる。しかし民話世界となるとそのイメージ像はかなりの振幅が個人間に生じる。我々はその際個人的な経験(見聞きした)を頼りにするしかないこととなるからだ。その人間の知的文化的歴史的教養、知識の差も当然大きく作用する。このようなある種の知的な教養レヴェルの連想と修飾方法による連想とは自ずと異なった次元の問題であるし、動きのある連想(行為や事件の連想)と一事物に焦点を当てた連想も異なっている。前者は知識と想像力の問題、後者は名詞だから動詞の問題の差異が横たわっている。
 この二つの問題には明らかに弁証法的認識と知覚、及び知覚記憶の問題が含まれている。最初の方で論じた次のことを思い出してほしい。
<我々は言語的範疇における可能条件はただ単に言語の可能性であるのにもかかわらず、言語の可能性こそが現実に起こり得る可能性であり、逆に一見簡単に起こりそうなことであっても、言語によってそれが論理展開せず、立証できぬものは可能性のないものである、という論理と倫理を受け入れて、あるいは選択して生きてきているのだ、と(我々は錯視というものが多数あることを知っているが、これなども後者の典型である。)>
 言語はその表現を通して実相的イメージ像を創出することで概念から個々の抱く意味的世界へと橋渡しする。我々はある話者やある著者が、あるメール発信者が描写する概念規定行為(パロール、エクリチュール双方)、イメージ像伝達行為、において形容、修飾、話法、語調等(後者二つは話主のみ)を手掛かりにそのあらゆる描出された部分を綜合して世界像を自ら想像力を総動員し、駆使して作り出す。そこではじめて概念や伝達行為は意味になる。その際上の文章をもう一度考えてみると、我々はイメージ像を創出することを言語習得の臨界期を過ぎた時点で極自然に執り行なっていることとなる。しかし言語学習の然るべき時期さえ持てば我々は先験的に具わっているFOXP2遺伝子が発現してそこに文法(これが所謂論理的思考の発端となっていると思われる。)を通して不在の事物、事象を再現前化して(フッサール「イデーン」及び斎藤慶典「フッサール起源への哲学」参照されたし。)あらゆるシーンをそれが実際にあったことも、そうでない創作であってもあたかもそこに現前するかの如く描出しようとするのである。それは選択して生きているといっても殆んどイメージ像創出の本能的といっても良い作用である。言語の可能性が起こり得る可能性であるということは言語の持つ基本的論理構造<主語+述語>の修飾の中に潜むイメージ像限定S+V+O+OorCの文法の基本的構造(英語で例証する方が語順による混乱がなくわかりやすいのでそうする。)に沿った世界像描出の基本的方法によって我々をそれを語る人も聴く人も同じ状況下で再現前化のチャンス<場>を創出しているわけである。では意識的と無意識的(概念は集団の無意識的な同意であるとも思われる。ここからは社会心理学、言語社会学の領域である。)の差異はどこにあるのか、というと、つまり意志的伝達意欲に支えられた発話行為と本能的世界像描出との違いは意図的であるか、無意識の真意吐露の違いでしかないのではないか?というのがこれに関しては私の結論であるが、すると我々は今ここで選択が本能的であるということと、意図的であることの差異を見出すことにおいてさえ、非常なる困難を見出すこととなるのである。
 しかし捉えることは可能かも知れない。というのは付随意運動たる身体生理学的な変化、胸腺の在り方とか大脳と連結している軸策の在り方とかはDNAレヴェルの決定性、付随意な選択である。それは行動的な本能でもない。生きている限り(勿論健全なる発達を促進する行動がなければ発現しないが)、個体が当然の如くその生の過程において発する作用である。しかし意識にせよ無意識にせよ、フロイトの「夢判断」で語られているように、我々は無意識にでも言語的に思考しているのである。つまり歪曲や検閲、抑圧、翻訳、移動などにおいて明らかに言語的深層における思惟を施している。そこでは明らかに概念規定、判断を履行しているわけである。してみると我々は意識、無意識をFOXP2遺伝子の発現を気がつかぬ内に立て続けに執り行なっているわけである。それらは紛れもなく言語的選択である。つまりそれらは言語的である限り半随意運動である。ひょっとすると我々は前者の身体生理と後者の言語的概念規定と判断を何処かで連動させて生を成立させているのかも知れない。しかし少なくとも我々は意図的であることが無意識の内から選択している可能性と、無意識であるにもかかわらず意図的であるかのような選択をほどこしているわけだから、とどのつまりそれらは結果論的判断であるに過ぎまい、ということとなる。ある行為についての過去形による言辞は、例えば親友が家に泊まっていった、とかの場合明らかに泊まった事実が先行しており、親友が、の後に続く色々の選択肢はくしゃみをした、とかコーヒーを飲んだとか、色々の項目から選んで入るものの、意思的には泊まった事実をのみ示すことは予め決定されている。迷わずにスーパー入っていって切れたマヨネーズや砂糖を買うべくそれが置いてあるコーナーへ直行するようなものである。しかし表現に困っている、逡巡している場合我々は明らかに注意深く選択している。つまり泊まった事実をのみ最初から明示すべく発話する時我々は明らかに泊まる、という動詞を予め選択してから発話している。しかし親友である彼の性格を描写するように、彼について知りたい、と他者から要求された場合、その表現にとまどい、あまりにも日常的な存在である親友を他者へ紹介する為の形容行為に遂、臆するということは充分あり得ることである。この場合慎重にも慎重ならざるを得ず、我々は発話しながら語彙を選択しているのである。
 そこで本論においてことに重要と思われることは、その臆する、逡巡するということこそ何らかのエネルギーを要求される自覚的行為であるとは言えまいか、ということなのである。勿論一生そういう状態であるのは好ましくない。しかし一生ただ闇雲に思うがままに実践し得る人間など一人としていない。そもそも時として反省するということこそ、我々が実践している思惟レヴェルの最低限の逡巡であるとさえ言える。ヘーゲルは思うがままに実践する人を寧ろ他律的な人生であり、自由ではないと言っているが、それはカントも言っていることである。真の自由とはなかなかに自律たるための面倒くさい手続きが必要とされるのである。その意味では躊躇や逡巡こそ創造的行為へのシーニュとも言えるのである。我々の身体はその生理学的システムからして様々の抑制系の作用を有しており、それらが理性や様々の精神作用にも大きく影響していることはほぼ間違いあるまい、と思われる。大脳神経の抑制系タイプ2、メチル化、リーリン遺伝子、HLA抗原遺伝子(免疫系)、ソマトスタチン(成長抑制ホルモン抑制因子であるポリペプチド)血液蛋白質中の不活型他等が考えられる。柳田國男の編纂した民間伝承世界は我々自身の殆んど先験的とも言える弁証法によって見たこともない、聞いたこともないはずの民話物語を常に懐かしいものとして感じさせる。これなどはまさにユダヤ教的戒律のなかった我が国の唯一の人間の性悪的事実を子孫への語り継ぎという形で民俗戒律的作用を果たしてもいるのではないか、とも思われる。我々自身の民族的DNAが初めて聴いた話でもいつか聴いたことがあるようなデ・ジャ・ヴュを蘇らせる。それはとどのつまり我々自身が何処かで、抑制系の身体生理学的作用を発現させるべく、無意識の内に体内調節しているのではないだろうか?何かを決断する時、それはちょっとした日常の中のどんな非日常であってもよいが、我々はこれらの抑制系の力を借りて理性という名の防波堤を構築し、躊躇や逡巡を通して思惟や、もっと即断のシステムにおいても認識力や判断力を促進しているものと考えられる。
 決断は寧ろ放電であり、死である。しかし躊躇や戸惑い、逡巡や懊悩こそ、我々の生のエネルギーを充電させるべく体内秩序をたてなおすべく温存とエネルギー留保の建設的システムである。他者は「早く決めちまえよ。」というかも知れない。しかしそれは社会機能上の都合によってそう言っているに過ぎない。我々自身の都合から言えば、失敗することを恐れて逡巡するのは、棒高跳びの選手がなかなかスタートを切らずに助走の仕方をあれこれ考えるのと同じで当然の要求なのだ。だからいざと言う時、的確に即断の出来る人間とは寧ろ普段から躊躇しながら(石橋叩きながら)少しずつ歩んでゆこうとするような人間なのである。
 さて我々は柳田國男の「遠野物語」や宮本常一の「忘れられた日本人」等を読むと、前者のおどろおどろしい人間の情念やら、後者の性的放逸に対して、ある種のピューリタニストのように「非倫理的な!」、と排斥するより先に、まず「あり得そうなことだ。」と、そう考えもする。ということは荀子の性悪説を持ち出すまでもなく、我々自身を性悪的なものとして、孟子の性善説よりも幾分現実感をもって認識していることの良い証拠である。人間くさいという謂いの中には明らかに我々人間の中によくいるタイプの俗っぽい、世俗的モラルと非宗教的現世主義を実践している人間のことをさす。間違ってもカント的人間を指しはしない。しかも知覚描写、事物説明描写における対象明示性と違ったある種の物語を先験的に理解できる、それはその時代の風俗や日用工芸品等の知識がなくても容易に想像できるようなある種の弁証法があることを古来より我々の祖先は知っており、だから民話形式で事実や事実から引き出された逸話を語り継いできたのである。この性悪的常習性と弁証法的理解能力こそが神話世界の全てを支えてきた存在者の知の体系である、と言える。我々は民話世界、神話世界の描写において殆んどの個人の持つ地方的不文律の特殊性、慣習的常識の差異を考慮しても尚その総体からすれば大同小異の想像、イメージ像を描くことが出来る。「赤い林檎」はあくまで事物であり、そこからイメージされるものの差異は品種、自身の食習慣やら知覚体験が左右することが大きいから、事物に対する認識は知識(幼児体験が大きく絡んだ)が左右することが大きいということとなる。それに対して動詞や事件性が大部分の物語性は小さい道具立てでは仮にイメージ像に個人差があっても、総体的には大同小異であるという利便性があり、そこに無意識の内に目をつけていた我々の祖先が子孫に宗教的戒律の代わりに巧妙に与え刷り込んできた民族的モラルのDNAではなかろうか?このような言語共同体的行為の選択には明らかに抑制系の身体ホメオスタシスとそれと手を結んだ我々の精神作用がある。

Thursday, November 5, 2009

C翻弄論7、映画音楽の使用の仕方

 ここに興味ある現象がある。映画と音楽の関係である。戦後世界において隆盛を極めたのはアメリカ映画であろう。それは大きな流れを世界の映画史に築いた。しかしこと音楽の使用の仕方に革命を起こしたのは紛れもなく50年代後半から60年代初頭にかけて最も映画のメッセージ性を強調した(それはイタリアン・ネオ・リアリズム以降最も健著であった)ヌーヴェル・バーグであろう。ヌーヴェル・バーグに影響を受けたのはアメリカン・ニュー・シネマである。彼らは映像の切り口や編集等の手法をヌーヴェル・バーグから取り入れたことは有名であるが、実際それは彼らが最も時代精神においてメッセージ性を重んじた結果であろう。しかし手法的な意味合いで最もそれ以前とそれ以後とで大きく隔てているものは映画音楽の使用法であろう。50年代や60年代初頭までのアメリカ映画には実にロマンティックであろうが、悲惨であろうが、スリリングであろうがどのような場面でも常に低い音量でではあるが、映画音楽が流れ続けている。しかしヌーヴェル・バーグが極力音楽の効果に依拠することを避けた影響下にあるアメリカン・ニュー・シネマ以降の映画では音楽を常に流すようなロマンティックな手法は一切使用しなくなった。これは映画のテーマが社会性を追究する要素が強化されたために、ある意味では「どぎつさ」を表現するために映画からロマンティシズムを排除した結果である。戦後すぐの監督の映画、例えばビリー・ワイルダー監督は他の監督よりは意外と多く映画音楽を使用しなかった巨匠であるが、それ以後の監督に比すれば明らかに通奏低音量の映画音楽を使用している。これはある意味では映画の持つ娯楽性の定義自体の変化を反映しているものと思われる。というのも映画はダンスや舞踏、あるいは夕べの一時を過ごす娯楽という面からメッセージ性の強い社会的なイヴェントとなっていったのである。その際に要求されたこととは「もたついた理性」よりも「衝動的な感性」なのであった。この種の傾向を最も雄弁に物語るのはDVDの発明やインターネットの登場であろう。これらの発明は既にヌーヴェル・バーグという考え方の中に既に潜んでいた、という風にも考えられるのである。