Friday, December 4, 2009

B動詞と名詞 10、<想像>

 想像は可能性への信頼の中で理解出来る在り方(可能性)の一つであり、蓋然性の高いものから順にイメージは明確になる。そしてそれが蓋然性の高いものこそが行為の正当性を「信じる」ことを促す。だから想像は決心を促す作用を持っている。想像は過去想起の映像記憶像(動的)を基本とした記憶創造だから、例えば未来に起こり得る事柄は想起の中でも確固たる信頼を持った過去データに依拠したものであるなら、より動的イメージが明確なものほど反復されたり(成功体験)、回避したり(挫折体験)する蓋然性が高くなる、という風に理解することが出来る。そのような理解が次に取るべき行為の決心を醸成する。決心とは行為によって齎される結果に対する確信(限りなく「信じる」に近い理解)が喚起する。
 想像することとは想像し得る可能性として起こり得ることを理解出来るということ、起こり得る可能性に対する理解、つまりそうではない起こり得ないことではない、という確信である。蓋然性の高いことにおいて収斂された値であり、像である。像の現出には一定量の経験が必要である。
 想像することは自己の記憶の確かさへの信頼度に比例して克明さを増す。想起が及ぼす想像への影響力を真摯に受けとめるということである。経験から引き出される真理値への依拠は経験と伝統的な、あるいは文化規定的なコードとかラング(ソシュール用語)への信頼から形成される。つまり記憶事項の想起と蓋然的判断の連合による構築、しかもそれに対する信頼度を経験的知、経験的判断として照応して為される構築なのである。
 人間は無意識の想像の方に寧ろ無秩序な観念連合が見受けられる(レム睡眠中の夢、白日夢等)。しかし通常の想像はどのようなインモラルなものでさえ現実のラングの強制力に左右されている。実際にインモラルであると捉える自らの妄想としての裁定そのものがラング的常套性への依拠なのだから(それは民族的なコードにも依拠した文化の強制力が個々の言語共同体毎に存在する。その点ではサピアやウオーフ等の考えは見るべき所が多い。)、そういった覚醒中の想像は限定された観念連合になる。(後は各生理学的メカニズムに関する限り大脳生理学者、神経学者各位にお任せする。)
 限定されない観念連合、つまり閃きはは一般の人間には覚醒時には滅多にない。睡眠に赴くことも覚醒の断念であり、「睡眠」という行為選択の決心の後に為される。
 決心の後に行為がすぐ来るが、行為は決心と同時になされることを持って意志(前頭葉)を生じさせる。想像とは主体性を「信じる」ことを前提しているのである。ある意味では対自的な自己認識から喚起されるような脳内現象である。自我は想像出来ない主体(存在者)には存在し得ない。想像の際に引用される想起は想像されたものを思念上で「理解する」為に用いられる。記憶が思考のために利用されるのだ。
 想起は現象論的には記憶による実在認識に限定されたある実在ラインに沿ったものだが、想像はあらゆる過去時の、つまり近い過去時の生々しい具体映像、いつであったかは既に忘却した潜在的過去映像の綯い交ぜとなった実在確信ラインに沿うものでない自由な選択素材の組み合わせによる観念及び映像連合のコラージュである。
 夢は主体性を前提してはいない。覚醒していないのだから現実知覚が欠如し、それと同時進行する想像とは自ずと異なる。それは主体性の欠如した観念映像連合である。エスとかイドとフロイトが呼んだものに支配されている。

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