Thursday, December 3, 2009

A言語のメカニズム 16、受容、理解、知覚

 私たちが話し好きな早口の人の話を聴く場合そのスピードについてゆくのに精一杯であり、それは恐らくインターネットの画像や文字情報を次から次へとクリックしてゆく時の心的状態に近い。目まぐるしく場面が切り替わるアクション映画のシーンを見ている時に近い。知覚の能力テストを受けているような状態である。心理的にそうであるのだから、生理学的にもゆっくりとした動作や静止画像をただ眺めている時とは異なってくる。しかしきびきびとした知覚体験もまた受容のシステムである。しかも絶え間なく立ち現れる画像や矢継ぎ早の会話、目まぐるしくカットバックを反復する映像に対する知覚などの全てはその速さに対する対応において受容である以外の何物でもない。そしてそれは瞬時の理解を履行する行為でもあり、ここに受容と理解(理解せねば受容出来はしない。)そして知覚の3元的な連動性が認められる。瞬時の知覚は錯覚も含めて明らかに理解である。「あっ、あそこに車が駐車している。」という瞬時の判断が次の知覚(目の移動)を可能にする。しかし何か一瞬でも得体の知れぬ物体や現象に出会うと、知覚は瞬時の判断を躊躇し、「あれは一体何だろう?」と思惟の段階へと突入する。その切り替えには何か大脳に刺激を与える効果があるだろう。だからさっきまで何か褒美でも貰って喜びの表情を示していた人間が悲しい知らせを聞いて瞬時に表情を曇らせる時、中枢神経たる脳内から感覚を感覚させるべく指令を出された効果器たる表情筋は弛緩状態から一気に緊張状態へと突入する。その時の衝撃は受容器(皮膚)(感覚を効果器へと伝える)と効果器(筋肉)との連動作用自体が再び脳へ事後報告的にその衝撃を伝える筈だから、脳は末梢神経の反応性に対して稟議書にハンコウを押したり、サインする上司のように確認(滞りなく感覚を伝え、感覚させてくれたな、と)し、それを記憶させるのではなかろうか?
例えば言語においてすべてが名詞だけであったり、動詞だけであったら、何らかの事態を出来事として、エピソードとしては記憶出来ないのではあるまいか?つまり名詞と動詞といった全然違う機能を有する二つの品詞が相互に作用し合うことで初めて事態とか事象とかが、ありありと表現されるわけであって、だからこそ、彼の動き、とか狼狽させた、とかの物言いは名詞的連続である。狼狽は名詞だし「驚いた」よりも「狼狽した」は動名詞的である。狼狽した、と狼狽させた(狼狽させられた)、とでは主観的、客観的ということの違いもあるし、そうなるとあの例証での二つの文章の前者と後者とでは前者には具体的な再現前化の配慮があり、動詞と名詞の交互に現れる運動性があるのに対し、後者では動きという所謂概念性の連続(~の、~のという繰り返しは名詞的連続だが、概念性の連続、つまり階層的事実の羅列である。)で、具体性に欠け、抽象性に埋没しているのである。後者の文章の方が圧倒的に印象には残らない。ありありと情景が思い浮かばない。事後報告文、始末書的である。
 兎に角言語活動においては何らかの伝達事項の連続であるわけだから、その中で意識的に変化をつけ、品詞毎の性格に沿った多品詞(名詞、動詞、形容詞、副詞、助詞)の相互連関を施されることによって運動性、遠近感、立体感が文章に生じ記憶に何らかの揺さぶりをかけ、その働きを活性化するのではなかろうか?ただ同一機能の品詞、表現を連綿と羅列するだけでは運動性も変化もなく記憶には揺さ振りはかけられない。切り替え、スイッチングオン、オフの反復が大切なのである。音楽でも変化に富んだメロディーと抑揚、リズムが断続的に時間を刻むから印象に残るのであって、ただ抑揚もメロディーもない長音が切れ目なくずっと連続するならただの騒音である。
 ちょっと先に述べた健忘症のことについて考えてみよう。
 数学の歴史はギリシャやアラブにおいて大きな発展を見、更に中世から近代へと発展し、その技巧的な難解さは例えば物理学との関連で言えばガリレイやニュートンの方程式とか相対論とかである程度そのピークは迎え、少なくともアインシュタインの登場を待つまでは、カントル、ポアンカレ、フレーゲ、ペアノ等の数学は性格的にはそれ以前の数学者や哲学者たちが全て承知のこととしてそれ以上のことを追求しているかの如く考えているのにもかかわらず、実際は本質的なことを何も理解していなかった、寧ろ彼ら(前記4人)が発見した概念を履修したのちに展開すべきことを実際上はそれをすっ飛ばしてやっていたのだ、ということを後の時代の人々に理解させることとなった。つまり事の本質にまで追究の手が届いたのは彼らを待ってであったということである。とりわけポアンカレの位相幾何学は無意識の領域で我々が捉えているにもかかわらず、我々がある障害のために(それこそが意識というものが形作る常識とか常套的理解というものである。)すっかり忘れている捉え方をもう一度復権させるような行為に近い。ポアンカレの幾何学は所謂幾何学の集合論であり、知覚的、認識論的深層意識の本質論である。
 さて英語は一般に無意識に忠実であり、日本語は意識に忠実である、と言われる。日本語において話者が伝達する内容に対していちいち主語である自分を「私は」とか「僕は」とかを言わないで済ます了解事項に対する省略はしかし英語では必ずしも明確に発音しないものの完全に脱落されることはない。S→V→Oはあくまでも切り崩せない。(感嘆文では語順は変るが構造的変化ではない。)
 無意識がどのようなものであるかを論じだすとそれだけ一冊の本が出来上がってしまうのでここではその無意識が記憶という領域では明確であり、にもかかわらず我々自身の意識が障害となって忘れているように錯覚しているだけである、という論点を機軸にのちの問題を考えてみよう。
 健忘症において「あれ何だっけ?あの動かすやつ。」とか言ってその語彙を忘れる場合それは大抵名詞、しかも特殊な事物であったり、滅多に話者が接していないものか、いつも接しているのにその話者にとって日頃言い難いと思っている言い回しのものか、固有名詞であるか、といったことが大半であろう。少なくとも空、海、橋、木、山とかの基本的名詞を忘れることがあったら、健忘症というよりも失語症とかアルツハイマー病の疑いがあるかも知れないから一度診てもらった方がよいかも知れない。ともあれそういった基本名詞以外の名詞でなければ、複合動詞である場合が大半である、と思われる。まさか「食べる」とか「歩く」とか「寝る」とかの動詞を忘れるとしたらこれも同様診察て貰う必要があろう。「切り込む」「駆り立てる」「封じ込める」「畳み掛ける」とかの複合動詞であるならちょっと直ぐに出て来ないことは大いにあり得る。しかもそれら同様に重要なのは、品詞そのものを忘れても文法とか語順とか所謂統辞、統語に関してまで忘れることは殆んどない、と言ってよい。「あの、あれが、あれして、ああなった。」と言ってもこれは決して語順とか統辞的には秩序を失ってはいない。
 ということは我々はある意味では海馬記憶とは異なる慣用的な、それは身体運動とか知覚判断と大差のない極々基本的な学習記憶は健忘症などによって忘れられる項目とは別個の特殊な記憶、一段階層的には上位に属する事項ということになる。それは条件反射的記憶、熱い物に手を触れると即座に手を引っ込める行為を成立させる記憶とも関連性のある記憶ということも考えられる。

 前章では表情のことに触れたが記憶ということで言えば表情というものを成立せしめているものの正体とは一体何なのだろうか?表情を作る時、我々は意識的にそういう筋肉(表情筋という効果器)の所作を持たない。嬉しい時は顔を綻ばせ、悲しい時は眉を中央に引き寄せる。また怒っている時は眉を吊り上げ顔を顰める。このような所作は記憶に基づくものなのだろうか?言語のように慣用的なものともまた異なっているようにも思われる。
 表情と言えばダーウィンが「人及び動物の表情について」(「人間と動物における情動の表出」としている本もある。)という本を発表していることでも知られている。小川眞理子は自著「甦るダーウィン、進化論という物語」(岩波書店刊)というダーウィンに関する本格的論文で、次のように述べている。

ダーウィンは情動が身体上にいかに表現されるかに関心をもったが、デカルトはそのような外観上の変化を区別することに消極的で、どのような情念でも目や顔の動きに表れるが、それらを明確に区別することは難しいとしている。彼は外観の変化よりも、さまざまな情念に伴う、呼吸、そしてとくに血液や精気と心臓の働きとに注目していた。すなわち彼の関心は、身体的機能であり生理学的な方向へ向かっていた。(86ページより)

この部分から察すると、明らかにデカルトは人間の感情が複雑であり、必ずしも喜怒哀楽という風に単純には区別出来ない、という哲学者らしい深い洞察力を持っていたことになる。しかも我々は表情を示す相手を見計らって悲しいのにそれを隠したり、怒っているのにそれを抑えたり、所謂偽装表情すらも日常的に用意している。だからデカルトの言うように呼吸や血流、心臓の鼓動とかの方が真実の感情を推し量るバロメーターなのかも知れない。しかし一人でいる時にまで偽装表情を取り繕う人間はそうはいまい。すると我々は例えばテレビのお笑い番組とかで大声を立てて笑ったりする時の表情をいちいち考えて作っているわけではなく、知らん間にそういう表情となっている、ということはDNAレヴェルからある感情の時にはこれこれこういう筋肉の弛緩仕方、引き攣らせ方という風に指令が出ているという風に捉えても間違いではあるまい。そして勿論その時デカルトの言うように呼吸、血流、鼓動などはその時その時で異なった状態にあるであろうことも間違いない。
 ある感情の性質に対応した受容器たる皮膚と効果器たる筋肉を通したサインを示すことを実行に移させる、つまり表現型(phenotype)を最初に制御するのはDNAであるが、我々の種人間に固有な遺伝子は決定されているが、その遺伝子がどういう風に配置されているかは各個人で固有である。ヒトに固有のエクソン(各個別に離れたこれらを繋ぎ合わせる過程をスプライシング、選択的スプライシングと呼ぶ。)をイントロンが取り囲んでいるがそのイントロンの取り囲み方は各自異なっており、それは人間の個性を形作る要因とも考えられる。あるいは一塩基多型と呼ばれる両親から一つずつニ種類のゲノムコピーを受け継いでいるが、そのコピーの99.9%まで同じなのに残り0.1%ので、二つのコピーと異なっている部分、言わば変異があり、これこそが我々の個性を形作っているとも考えられる。最も個性というものもヒト全個体に固有な部分と家族毎に固有な部分と個人で固有な部分との絶妙なバランスによって決定されているのであろう。
 しかしDNAは確かにある種の表現型を示させるべく発現させるが、その表現型以降の全ての作用は翻訳を行われた時点で取り次ぎをするメッセンジャーRNAに委ねながら自身はもうそれ以上の干渉はすまい、と決め込む。これをアンフィンゼン・ドグマと言う。メッセンジャーRNAの遺伝情報がリボソーム上のポリペプチド鎖合成を特定し、指令を出す。ポリペプチド鎖合成は、開始、延長、終止からなる。その終止の段階で登場するのが終止コドンである。この一連の過程を翻訳というのであるが、DNAにおいて予め決定された部分からアンフィンゼン・ドグマによって引き継がれた表現型が変化する度合いを表現度と言う。表現度は遺伝子と外部環境的相関性によって決まるが、恐らく一つの指令を出す幾つもの遺伝子群における相互の作用や個体におけ自己決定のシステムによって偽装したり、色々の別種の感情を交差させることから一対一対応としての遺伝子と表現型の在り方は意外と少なく、多義的な感情を表現するための対策としては多対多という発現される遺伝子の多様と表現度の高い引継ぎ方が常套化されているいに違いない。
 ダーウィンも偉大であったがデカルトも偉大であった、と改めて感じざるを得ないわけだが、兎に角表情がいわゆる海馬記憶などとは全く異なったシステムによる表現型であることは確かである。そしてそれは身体記憶(あのメルロ・ポンティーも指摘した幻影肢のようなもの)とも明らかに違う。パブロフの条件反射にもどこかでは近接しているのに違いない。
 さてここからが大事である。表情を形作るものが身体生理学的な慣用システムに依存するかどうかは本職の生理学者に任せることとして本論で大事なのはこの先である。
 何か褒美を貰ったとか、婚約したとかの楽しい思いに捕らわれている時に急な知らせ(肉親の死とかの)が入って今までの楽しい気分が吹っ飛び急に感情も表情も切り替わりある種カタストロフィックな内的外的状況に陥った時、人は皆何らかの急激な変化(心理的、生理的な)によって大脳を刺激され、今迄忘れていたことさえもが鮮やかに甦ってくることがある。私も電話で母から父が癌であと余命幾ばくもないことを医師から宣告されたことを告げられた時には一遍に普段忘れかけていた父との幼い頃の思い出までもが一気に甦ってきた経験がある。人間は死ぬ時には走馬灯のように幼い日々から現在迄の思い出が駆け巡るというが、他者の死でも肉親の死は特別である。しかしこのことを述べだすと個人的なことにもなるし、本論からはずれるので、今は別の架空の出来事を想定してみよう。
 横領を行い犯罪が成功したと思って、海外に高飛びしようと喜び勇んでいた犯人が自分が犯人であることが判明し、警察が自分を容疑者として追っていることを何気なく中華料理屋でラーメンを食べてから空港に向かおうとしていた時にそこで流れるテレビの放送で知ったとしよう。それまでは外国に行った時の未来の出来事に期待と夢を膨らませいろいろ思い描いていたのに、一気に「自分の顔を公共に知られてしまった。ここの店主に悟られない内にこの店を出なければ。さっきそのことが放送された時店主は自分の顔をテレビで見てはいなかったみたいだ。他の客が少ないうちに退散しよう。」それまでの店内の様子や、昨日のオフィスから退出する際の自分の気持ちや、この犯行を思い立った時の気持ちや手を染めた時の気持ちなどが一気に思い起こされる。今の今迄全然思い起こしもしなったのに。早く空港にまで手が回らない内にタクシーに乗ろう。その前にタクシーの運転手に自分の顔を悟られないように普段掛けていない目がね(何かの時に用意していた、サングラスだとかえって目立つので、普通の、しかもかけると自分の表情が変わって見えるやつを用意していた。)をかけて手をあげよう。
 こういった急激な状況の変化に応じた内的対外的変化に応じた記憶の蘇りは、大脳自体がある対状況的変化に示される体内の血流や鼓動の変化に対して、極力気を落ち着かせようと躍起になるために放出されるホルモンや体内の抑制系システムに連動してさっきまで記憶の片隅に押し遣っていた事項を急激に浮上させるのだ。それは知覚判断が統一的に外的状況を受容し、その状況的意味を理解し、そのことに対する対策を一瞬にして講じるために生じる記憶収納に関する一挙に執り行なわれる棚卸作業である。免疫系の急激な抗体反応が脳内の神経回路を急激に信号間の連絡を行き届けようとするものだから、体温も必然的に上昇する。するとその上昇に従って急激な作用を抑制しようと身体が不随意的な判断で血液中のトロンビンが怪我をして血が溢れているわけでもないのに、そういう際の処置のために用意されているわけだから、これを急場しのぎで血流が急上昇しているところに補給するのだ。しかしそれはあくまで凝固のためのものだから、そう無闇矢鱈とは放出させはしない。ベータ波は急激に日頃の平均値を遙かに上回り逆にアルファー波を放出させようと脳波はバランスを取るように心掛け始めるものだから、体温は上昇し、今度はそれを抑制するために急激に下がりだす。(まるで氷河期から温帯期への地球の変化のようだ。)こういった生理学上の急激な変化に対して大脳自体は敏感に察知し、記憶を再整理させるべく活性化される、というわけである。しかしもう一つ重要なのは、言語を発するように仕向ける遺伝子(FOXP2遺伝子は文法とかを司ると言われている。)や表情を作る為に各感情毎に表情筋を有効に使用させる遺伝子はこういった記憶の内容を浮上させる仕組みそのものともまた別個であるにちがいない、ということである。
 ただ先に何度か例証したあの二つの文章において抽象的言辞の名詞が連続するものに文章的な記憶は残らず、動詞と名詞をほどよく配合したものほど記憶に残りやすいとしたらこれらは、名詞と動詞がどこかで脳内に対する刺激という意味では全く異なった作用をア・プリオリに保有しだからこそその交互に配置されたものほど脳を刺激するのだということは、先ほどの横領犯人が海外での生活を夢見心地でいる時の心境と、犯人として追われる身となったことを悟った際の急激な心境の変化が、それまで忘れていた幾多の事項を思い出させるのに一役買った事実とからも明白なのではないか、ということである。
 暫く言語とその記憶について考えてみよう。我々は有名な短歌、和歌、俳句を暗記している。よい詩的言語はすべて覚えやすい。「夏草や兵どもが夢の跡」(松尾芭蕉)「春の日はひねもすのたりのたりかな」(与謝蕪村)「東海の磯の小島の白砂に我泣き濡れて蟹とたわむる」(石川啄木)といった名句、名歌はなかなか忘れられるものではない。そういった名歌、名句にはどこかそういう記憶に残りやすい何かが潜んでいるに違いない。我々は九九を幼い頃に習う。微分や積分を理解出来なかった人でも九九ならそう容易に忘れられない。きっとあの語調がどこか覚えやすい、歌でも口ずさみ易さ(キャッチー)があるものなら、詞もメロディーも同様に覚えやすい。 歌が容易に覚えられない向きでさえ、どんな文章でも即座に言うことが出来る。言語構造とは実に明瞭な慣用、しかもその時々で全く個別的、唯一的な伝達内容と意味内容、そして文章内容を即座に誰でもが発することが可能である。そういった一つ一つの文章は一つの言語構造、文法の応用例である。我々は生涯を通して無限の応用例を産出し続け、またそれなしには生を営むことが出来ない生き物なのである。言語を一つの本能として位置づけたのはチョムスキーである、とマット・リドレーは述べている(「ゲノムをめぐる23の物語」<本能>より)が、本論ではそれはカントであった、と考えている。この後で本論ではいよいよ言語記憶の問題に突入するが、私の父であっ異色の言語論者西村佳寿夫を機軸に、カント、ヘーゲル、ソシュール、フッサール、リッケルト、ピアジェ、西田幾多郎、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、カルナップ、ヤコブソン、オースティン、クリプキ等の理論を手掛かりに言語学習と記憶、短期記憶と長期記憶の問題に次章から入って行こうと思う。
 その際随時心理学者フェヒナー、ジェームズ、パブロフ、ピンカー等に御登場願おうと思う。

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