Sunday, November 8, 2009

A言語のメカニズム C哲学者と言語 13、オースティン、あるいは倫理、他者

 ところが一人の人間におけるある発言はそう容易く偶然的な事項としては片付けられないのである。我々の生は偶然的な産物かも知れないが、その生命体としての個体はある恒常性をもって存在しており、そこには一貫性を求められる、というよりそのようなものとして全ての発言を含む行為が意思的責任を伴うものとしてしか認識され得ない。(それが仮に偶然的なものであったしても)ある個人によってもたらされた、その言語行為というものは必然的に共同体機能の中で一定のルールと秩序を要求されるものなのだ。
 ある言辞がもたらされるとその個別的意味は確かに存在しはするが、その一つの言辞だけを取ってその言辞をもたらした個人の全てを判断することはやはり無謀な試みと言わねばならない。しかしだからと言って一つ一つの言辞自体は取るに足らない、どうでも良いというものでもない。言辞自体を巡る責任の問題もまた多くの哲学者たちによって論争されてきた。ある意味ではそれは法的秩序自体の必要性をも物語る命題であると言えよう。今日哲学において言語の問題を語ることはカントの時代よりは容易い。その中でもオースティンはことに言辞自体の共同体機能の問題をウィトゲンシュタイン後期哲学から命題を引き継ぎつつより深化させた一人と言うことが出来る。
 仮に我々自身の存在をも含むあらゆる生命体の誕生が必然であったとしよう。するとその歴史的経緯、つまりシアノ・バクテリアから今日の全生命体の様相へと至る道筋そのもがある意味では予定されていたことになり、そういう見方は必然的に神の存在を予告することになる。我々が今かく考え、かく行動することさえもが、必然となり(神の思し召しにより)予定されていたことになる。地球が氷河時代に突入したことをその原因性から考えれば、例えば幾つか考えられる原因の中から隕石の衝突を考えてみよう。隕石が衝突したことによってもたらされる衝撃とかその影響とかの個々の事象は、ある程度は物理的な法則的秩序によって説明可能である。そして隕石が地球に衝突すること自体も、個々の事象においては物理的法則として説明可能であろう。しかしなぜその時期に、よりによってこの地球へとそれが衝突したかということ自体をマクロ的に捉えその原因性を追究してゆくと、その果てには結局のところ最初の起源となり得る原因は偶然ということになりはしまいか?
 例えば一個の人間がある発言をすることとなる経緯を見てみると、なるほど何らかの伏線が常に存在し、その発言をもたらすこととなる経緯を生み出す状況とか、個々の事情も推測出来もしよう。しかし最終的なある起源となり得る事項に関して我々はそれすらも必然である、と言いえるであろうか?だからと言ってパブロフ的に、ある外的状況性であるところの一個の人間個体に対する刺激が誘引となって、その反応として我々がその都度受け答えている事態こそが我々の生なのだ(そういうメカニズム自体は物理法則的秩序に忠実であるとする考え方)、とそれだけを盾に取り、生を一律に捉えると、一個一個の反応とか刺激に対する「今日はそのことはあまり気にならなかった。」とか「今日はそのことがやけに気になった。」とかのその都度の気持ちの違い、その場合の前者が昨日であって、後者が明日であるということの原因まで必然的と捉えられるものであろうか、という疑問もまた生じよう。
 つまり個々の偶然による個々の反応の在り方のメカニズム自体は必然的であっても、その個々の偶然を相対的に支配する法則などは皆無であり、偶然的な気持ちの度合い(昨日はやけに外の工事の音が気になったが、今日はそれほどでもなかった、というような)と、その都度の反応の示し方そのものの時間的配置をも全て決定することを可能とするような全的な法則性の存在を希求することは神の存在を積極的に認知してゆく行為に等しいのではないか、と思われる。
 隕石が衝突してどのような様相へと地球環境自体が突入するかというような状況は、その時点での地球における環境的な状況が把握出来れば確かに必然的な展開までもが予測可能であろう。しかし衝突する隕石の位置も、またそのような事象を引き起こす宇宙のその時の状況、隕石の大きさの理由さえもが個々には説明可能であってさえ、それらを相対的に組み合わせることに存する原因性、つまりいつその大きさの隕石がそういう角度で、どのようなスピードで、地球のどこら辺に、しかもどのような環境条件での地球に衝突するのかという全的な様相の原因性までもが必然的説明を期待出来るだろうか?これはよく言われることだが、チェスのルールとチェスが行われた全試合を考えてみるとわかりやすい。
 チェスのルールはこの場合物理学的法則性そのものであろう。しかしチェスの個々の試合は極めてその都度の偶然性に支配されている。もしそれらの全試合(今迄行われた全てのチェスの試合とこれから行われる全チェスの試合<人類が絶滅するまでに行われるであろうすべての>)の試合の経過や全ての手が読めるというのなら、チェスのルールが出来た時点で全てが決定されていた、ということになる。しかしもしルールが出来た途端に後に行われる全試合の様相まで必然的に予測出来るのなら、我々はルールというものを考える必要などあるであろうか?(確かウィトゲンシュタインも似たようなことを言っている。)
 そのような疑問を念頭に入れて人間のコミュニケーションを考えてみよう。すると我々は一個の発言、それこそカントの「純・批」にもたらされたある言辞の意味さえもが、個別的な意味を超えてカントの全人生における一個の発言として、相対的に個別的意味とは別次元の意味(意義といっても良い。)として認識する必然性は、彼が既に物故者でもあることを考慮にいれれば歴史解釈としては極順当ではあるものの、先ほどの陳述とは矛盾するかも知れないが、それはあくまで結果論でしかなく、実際上は極めて偶然的な執筆中の何らかの事情(文脈上の些細な事情、例えば似たような言辞が続いたのでちょっと変更してみよう、と著者が思い立った、またそういう風に著者を決断させる著者の生理的事情もあった、とかの)によってもたらされた、と言うことも可能であろう。(人生さえもが極めて偶然的な出来事との偶然的な遭遇の偶然的な連続である、と言える。)
 しかしカントがどのような理念を念頭に入れてそのテクスト全体へと向かっていたかは、それ以前の彼自身の人生の状況を考慮に入れれば、ある程度の必然でもって理解可能である。しかし同時に書き始めた最初の計画通りに、最初の理念全くそのままのかたちで最後まで書き通せたかは、(あまりに大作であるがために)実際にカント本人に尋ねてみるしかあるまい。またもし仮に途中で変更されることがあったとしても、そのこと自体は何らテクストの価値を損ないもしまい。
 しかし同時にその一個一個の言辞にまつわる発言されたこと自体の責任は著者にある。口頭での発言なら発話者にある。そこでオースティンの発話とその発話が示した行為の関係を問う哲学が発生する理由が見出されてゆくのである。彼の行為遂行的発言は確かにある意味では詭弁的にも響こう。しかし発話自体は実は人間における身体的、社会的な全行為とはやはり独立した別個のシステムにしか過ぎない、という事実を一端受け入れると、オースティンの行為遂行的発言という概念自体が一種の倫理哲学としての様相を帯びてくることとなる。
 実際言語活動は実際の身体的行為とか、社会的行動とも必ずしも一致しているわけではない。それだけではない。言語行為をパロールとエクリチュールと言う風に構造言語学的に捉えてみてもそれらを一体のものとして捉えること自体が極めて不思議なことである、と解剖学者の養老孟司も述べている。(「唯脳論」より)
 個々の言辞自体が有している本来の意味と、それが発せられたり、記述されたりすることで一個の発言として機能する際の様相的意味合いは常にではないが、齟齬をきたす場合も充分ある、とは言える。例えば何度繰り返しても物覚えの悪い生徒へ、運転免許取得のための教習所で、教官が「あなたは本当に物覚えがいいですねえ。」と言ったとしたら、それは明らかに皮肉である。すると言辞自体が本来有している意味がこの場合、逆のことを言うことで利用され、「物覚えが悪い人ですねえ。」と言って直接的に苦慮の姿勢を見せることを避けるかたちで、建前上は配慮の姿勢を見せながらも、実際はそれを言う教官が「もうこれ以上教えても無駄かも知れない。」と内心では思っていることを暗に悟らせる、これだけきちんと教えてきたのに、この体たらくのことを嘆き、意気消沈していることを明示していることにもなる。
 この現実は養老氏が言うように人間の遺伝子レヴェルの変化は、よく言われるように、何もエクリチュールの獲得によってはもたらされず、そういうレヴェルとは無縁にパロール以外のエクリチュールがパロール獲得後に偶然的になされた、という見解も、筆者の考えではこの二つの行為(パロールとエクリチュール)が実際は別個の何の関係もない行為として偶然的に(だから筆者はどちらが先であったか、とはまだ一概に決め付けられない、と思う。)なされてきて(養老氏の言うように、それこそ視覚と聴覚が全く別個の知覚であるのに、それを統合する作用を人間が獲得したように、<ヘーゲルが「精神現象学」で塩とか砂糖の色、白とか、その形状とかさらさらした性質が全く別個の現象であるのにもかかわらず同時に存在していることを指摘しているが、この絶対的な相克ともどこかで養老氏の見解とはリンクする。>)いつしか人間は、これらをトータルに言語活動としたのであろう、ということなのである。エクリチュールは恐らくパロールの代用品としては最初は進化せず、例えば絵とかと同じものとして発達して行った。(だからアルファベットのような表音文字の発生は表意文字の発生より遅かった、と思われる。)しかし、パロールによる意志伝達行為が定着したある時点で、その行為自体をエクルチュールとして置き換えることが、今迄それとは別個の意識でなされてきた表意文字の歴史(絵的、呪術的、象徴的意味合いでのドゥローイング行為であった)とリンクさせた個体がいた、あるいはそういう風に共同体内での同意が成立していった、ということではなかろうか?
 そう考えてみると、養老氏の言う聴覚的機能であるところのパロールと視覚的機能であるところのエクリチュールが一体化して言語活動として、現在何の疑問も持たずに生活している我々の現実もより自然に捉えられないであろうか?そしてそのことはオースティンが疑問に思った言語発話行為とそこで宣言されるシニフィエたる行為が実際上履行されるのか、ということの齟齬に関しても極めてスムーズに理解出来はしないだろうか?
 養老孟司氏の言うように視覚と聴覚とが全く別個のシステムなのに、何かが動いてそれがその際に音を発するそのことを一括して一つの事象として認識すること(そのことに我々は慣れっこになっているのだが)が出来るように、我々は言語発話行為と、身体的に社会機能的に実践される行為とが全く別個の行為なのに、あたかも連動し、それどころか一致しさえするようなものとして不回避的に認識し得るなら、それはどこか小脳かどこかの観念連合(連想)の作用と関係があることを示しているのかも知れない。(あるいは連合野とかと。)
 もう一度あの段階図式(コミュニケーションの成立過程でもある、言語行為の最初期のサヴァイヴァル・サインである、同一種個体の生命的危機を相互に救済するシステム<中には陥れるシステムであった場合も考えられるが>としての言語行為が、所謂純粋手段であった時代から、その行為自体が文化コードとして自立し、目的化され、やがてその定着と同時に常套化する段階での、建前と本音の使い分けとか偽装、演技といった不誠実の横行によって再手段化への道を辿るあの段階図式)を思い出して欲しい。
 オースティンの言う行為遂行的発言は、言語行為が目的化したのち、その慣用的常套化の過程に中から徐々に再手段化してゆく段階を想起させはしないだろうか?オースティンは真意表出を当然のこととしているから、勿論真意性自体が問題となりはしなかった最初期の目的化されていきつつあった段階に、自己の命題設定を行ったわけではない。言語行為における目的化が、形骸化し、偽装や策謀、嘘や偽証が横行し始めた(それは実際上は表面化されていった時代よりもかなり遡り、初期の段階から人知れず潜在していたにちがいないが)段階と、その時の事実に依拠している。
 言語は感覚性言語中枢から運動性言語中枢へ抜けて、運動器によって外部に表出される、とは養老孟司の言葉であるが、これを額面通りに受け取れば、パロールの作用のことである。ただしここで問題なのは、言語は言語を発するように大脳が考えて、その考えた内容を即座に表出しているということ、すなわち我々は言語を通した思考作用(それを哲学では思惟と呼ぶが)を事後的に捉えることしか適わず、思惟そのものの自覚とはすなわち思惟内容そのものであり(それが今私は考えている、という意識を持たせる)それを離れて別個の思惟というものはあり得ない、ということである。言語を手段とする、という謂いにも実はどこか矛盾はある。なぜなら最初期の他個体とのコミュニケーション獲得の際の本論での仮定では、明らかに他者を自己と運命共同体意識における同一コミュニティーの成員(判りやすく言えば仲間)である、とする認識が他者をも自己同様危険から救おうというモティヴェーションであったとすると、我々はそれを一々手段であるなどと意識している暇はなかった筈である。それは「敵が来たぞ。」と知らせる行為において寧ろ他者を自己と同様の運命共同体の一員であることを自己の側から知らせるという他者同化作用(まさに行為遂行的発言<オースティン概念>である。)における目的ででもあった筈である。同様に言語行為が文化コードとして発展しつつあり、半ば古代サロン的な会話行為が目的化していった段階でも、他者と近づき、同一共同体内での結束や友好の度合いを増す目的があったのなら、その時の会話すらもやはり一個の何らかの目的の為の手段である、とは言えまいか?こういう疑問が起こって当然である。
 そのことにおいては本論では「行為遂行的発言」行為の側面が寧ろ手段的である、と捉えることで潔しとしたい。何も社会機能上の身体的実践行為だけが社会責務遂行にはならないし<語ること自体もまた行為であるから>、そのように会話とか対話と社会責務的身体実践行為のすべてを一致させようと試みること自体が手段的<社会的信頼度の醸成のためとかの>と言えるからである。不言実行とか有限実行で言えばそれは有限実行である。だから本論では,その趣旨が言語論であるばかりではなく、行動学的であるという視点からも不言非実行すらも一個の実行(発話は立派な身体的行為である。)である、と捉え前図式の段階的認識を潔しとするものである。
 しかしその問題こそがオースティンという哲学者の限界でもあるし、また彼独自のアイロニーでもあるということなのである。実際オックスフォード言語学派(日常言語学派)と呼ばれる一群の哲学者(他にライルやストローソン、後輩にダメット等がいる。)の中でもオースティンは必ずしも世で言われるところのウィトゲンシュタインの後継者ではない。この48歳で急逝したこの哲学者にとって寧ろウィトゲンシュタインの晩年に到達した境地は出発点であるよりも前提条件であり、一方の雄であるストローソンが自身の論文で頻繁にウィトゲンシュタインについて触れていることに較べると、遙かにその登場回数は少ない(少なくとも私が読んだ主要著作では一回も登場しない)。
 それに比して彼は多少なりともカントに対する言及を持っているが、カントに対する意識は恐らく彼自身にとっても予想外にも大きい。カントという哲学者は一面では極度のシニシズムによって自己哲学の仮面を偽装している節も見られる。なぜなら宗教倫理的な常套性を一方で認めつつも、そこから逸脱しようとする意識も強く、その葛藤が曰く独特のスタンスを彼に付与してもいたからである。オースティンはもっとそういう倫理的視点においては窮屈なものを感じずに済む立場にあったにも関わらず、それでいて彼もまたどこか倫理的なスタンスを棄て切れなかった。それは英国の階級制度という現実であろう。彼自身の出自を私は明確なデータを持ち合わせていない。にもかかわらず、本論でそのような文脈からの視点を導入せざるを得ないのは、行為遂行的発言という彼独自の概念において彼が示したかった命題が階級社会の責務的履行意識以外の何ものでもなかった、という一面を明らかに示しているからである。例えば彼は、「言語と行為」の第三講で、孤島での例証において、通常におけるある命令を孤島だから受容することは出来ないという言辞において明らかに階級社会的屈折した心理を反映した反応スタンスを示している。オースティンの哲学にはそういうアイロニー的側面を指摘せずに済ますわけにはゆかない部分がある。その意味でオースティンは明らかに、経験論的伝統に裏打ちされた英国哲学史における常套的視点さえも裏切るようなスタンスを保持していることは間違いない。
ウィトゲンシュタインにおいては、真理値とか世界の限界とかの集合論的認識が優位にたっており、写像関係による世界認識が工学者出身の彼に相応しいスタンスであった、と言えよう。しかしオースティンはその意味では世界とか真理とかとは無縁とまではいかなくとも、少なくとももっと日常的視点に自己哲学の命題を設定しており、サルトル的な実存主義ともその論理性やスタンスは異なってはいるものの、共通項を有する同時代性も確固として保有している。しかし何にも増して彼の哲学を際立たせているものとは、言語行為が、コミュニケーションの対象であるところの他者に対する信頼度、そしてその真意表出如何(偽装や演技によって真意を隠蔽しているかも知れないから)を自己の裁定によって判断してゆかねばならない、という不条理であろう。その意味ではオースティンは明らかに他者哲学の一つの典型を示してもいる。

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