Thursday, November 5, 2009

C翻弄論7、映画音楽の使用の仕方

 ここに興味ある現象がある。映画と音楽の関係である。戦後世界において隆盛を極めたのはアメリカ映画であろう。それは大きな流れを世界の映画史に築いた。しかしこと音楽の使用の仕方に革命を起こしたのは紛れもなく50年代後半から60年代初頭にかけて最も映画のメッセージ性を強調した(それはイタリアン・ネオ・リアリズム以降最も健著であった)ヌーヴェル・バーグであろう。ヌーヴェル・バーグに影響を受けたのはアメリカン・ニュー・シネマである。彼らは映像の切り口や編集等の手法をヌーヴェル・バーグから取り入れたことは有名であるが、実際それは彼らが最も時代精神においてメッセージ性を重んじた結果であろう。しかし手法的な意味合いで最もそれ以前とそれ以後とで大きく隔てているものは映画音楽の使用法であろう。50年代や60年代初頭までのアメリカ映画には実にロマンティックであろうが、悲惨であろうが、スリリングであろうがどのような場面でも常に低い音量でではあるが、映画音楽が流れ続けている。しかしヌーヴェル・バーグが極力音楽の効果に依拠することを避けた影響下にあるアメリカン・ニュー・シネマ以降の映画では音楽を常に流すようなロマンティックな手法は一切使用しなくなった。これは映画のテーマが社会性を追究する要素が強化されたために、ある意味では「どぎつさ」を表現するために映画からロマンティシズムを排除した結果である。戦後すぐの監督の映画、例えばビリー・ワイルダー監督は他の監督よりは意外と多く映画音楽を使用しなかった巨匠であるが、それ以後の監督に比すれば明らかに通奏低音量の映画音楽を使用している。これはある意味では映画の持つ娯楽性の定義自体の変化を反映しているものと思われる。というのも映画はダンスや舞踏、あるいは夕べの一時を過ごす娯楽という面からメッセージ性の強い社会的なイヴェントとなっていったのである。その際に要求されたこととは「もたついた理性」よりも「衝動的な感性」なのであった。この種の傾向を最も雄弁に物語るのはDVDの発明やインターネットの登場であろう。これらの発明は既にヌーヴェル・バーグという考え方の中に既に潜んでいた、という風にも考えられるのである。

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