Thursday, October 1, 2009

B名詞と動詞 1、相対的理解とその順序

 名詞と動詞とはその性格の違いがありながら常に密接にかかわる言語の遺伝子、対立しながら協力し合うような関係である。名詞はあらゆる事物に対する名辞であると同時に、それらすべてを静的なものとして取り扱うと言うことにおいて、明らかにオースティンの謂いを借りれば事実確認的でコンスタティヴでもある。名詞はだから動的な事実を言辞する際に、明らかに過去に対する言辞となる。それに対し、動詞は過去の言辞においてさえ、それが今まさに現前するかの如く振舞うので、再現前化においても、現在進行形においてもあくまで私たちやら自然界の全ての事象の行為や変化に対する写像的な役割を果たす。
 我々は明らかにある二つの事物、人格、思想といったものを差異においてのみ捉える。例えばある二人の哲学書の読者がいるとしよう。一人はカントを知っているが、カントに影響を与えた思想家のテクストを知らない。もう一方の人はそれを知っている。あるいはカントだけ読んだ人間はカントを読んだあとにカントに影響を与えた思想家の存在を知り、ルソーやヒューム、そしてライプニッツらを読むとする。 別の一人はカントを読む前に既にそれらを時代順に読んでいたとする。すると前者はカントとカントへ影響を与えた思想家との共通性を後者に比べればより大きく感じ、カントを理解するのに、後者は前者に比べそれ以前の思想家との差異に釘付けにされがちである。すると彼は必然的にそれらの間にある共通性には目をつぶり、インパクトを得た差異にのみ注視するようになる。だがカントに影響を与えた、つまりカントが啓示を受けた思想家をカントによって知ってあとで読んだ方はその共通性により注視する。こういったことからカントに影響を受けたことを自覚する後代の思想家は脱カントをスローガンにするから必然的にカントをその意味からではなしに、概念として捉え(一般化せられる価値として)自らは概念からの脱却と自己固有の意味の模索へと赴く。だから逆にカントを深く知ることなく自らの哲学を確立した思想家が仮にいて、後にカントを読んだとすると、自己の哲学とカント的な考え方の共通性が存在するということを強く感じ、その共通点を多く発見することとなるのは極自然なことである。
 ウィトゲンシュタインはカントはよく読んでいるから無意識にでも影響を受けている。しかし、自身哲学を醸成する上で、カントとは独自の差異を意識的に認識し得ているが、ストローソンも指摘しているように、彼自身は余り深くヒュームを読まずに来ていたので、寧ろヒュームとの間には極めて多くの類似性を持っている。ウィトゲンシュタイン自身がそのことを認めなくても(まるで顔は似ていると他者が自分に言う人は自分では似ているとは思われないように)そういった無意識の共通性にはどこか説得力あるものとして他者(ウィトゲンシュタインやそれ以前の哲学者のことを知っている我々のような後代の人間)には了解される。意味が概念から自由な内は意味の共通性が多く立ち現れるが、意味が概念としっかり癒着している(一般化される)と、意味を概念から突き放そうという意識が芽生える。
 中世末期にヨーロッパのフランドル地方では鐘楼としてカリヨンという鐘状の楽器を城壁都市における時刻明示の為に設置した。城壁都市の時刻明示は地方自治の確立に大きく貢献した。城壁都市はその扉を夕刻には閉ざし、朝になるまで閉鎖した。この時期の人類は個的な意味よりも共通した概念による人心の統一により多くの比重を置き、社会や共同体の統一的秩序を重んじていた、というわけなのであろう。だから逆に近代に突入すると徐々に個的な意味の世界が重視されるようになってゆく。勿論その時期にも中世以前のより多くの慣習はそのまま残ってきてもいる。しかし後の人類である我々はそういう共通性よりも近代独自の中世との差異、個別性に目を向けがちである。寧ろ近代のみをよく知り、中世を全く知識レヴェルで持ち合わせていない個人がいたとしたら,そちらの方がきっと中世の歴史を垣間見ることとなった時、より近代への萌芽とか共通性を注視出来るように、中世の様相の近代以降と似通った部分を見出すことが必然的になってゆくに違いない。(事実我々は知識として近代以降と中世というものが断絶していると、植え付けられているだけで、実際は深く調べれば共通性の方により多く興味を持つであろう)だからカント派や新カント派がサルトル以上にカントとは似ても似つかない。(サルトルにはカント的な部分は他のカント主義者より多い)(「言語、行為、選択」を参照されたし。)兎に角中世末期は時刻による時間分節をこととする労働管理体制が形成され、意味の世界の後退と、概念の世界の定着が至上命題であったのだ(カリヨンは4分の1の意で15分毎に鳴らされるのである)。
 話は変わるが我々の知覚は極めて相対主義的判断に慣れっこである。ドラクロア(画家)は「白い色は白い絵の具がなくても描ける。隣り合ったそれよりも黒い色と対比されたグレーによって表現することで」と自身のテクストで言っている。ゴッホはそれを読んでその理論を基に静物画を描いている。それは我々が常に周囲の色との対比でそのものの固有の色を判断していることの良い証拠である。例えば暗い物陰でも白い花は白いと判断出来る。だから逆に実際には白くもないものでさえ、白く感じることが出来る(というより視覚判断においてそうなってしまう)。この種の錯視は明らかに人間がある先入観を持ってしかものが見られないということを表わしている。この種の判断は相対的な判断で感覚を司る視床によるだけではなく、海馬による認知記憶と扁桃体による価値判断の双方が視床の感覚を補足していることであろうと思われる(白そのものは概念であり、白い花における白は意味である)。
 ピアジェは自身の著「思考の誕生」において錯視について触れ、「(1)全体は、それよりも小さな要素によって過大視されることがあります。これが、いわゆる「分割空間の錯視」(オッペル・クントの錯視ともよばれています)をなすものです。(2)全体は、それより小さな要素によって過大視されることがあります。したがって、全体はまさにその要素の結合にほかならないので、結局、それらによって過小視されることとなります」と述べている。フッサールもまた「赤い斑点は白い平面と対照をなすが、斑点相互のあいだには対照はなく、むろんたがいにながれこみあうのではないけれども、一種の遠壁融合をなしてとけあい、たがいにおなじものとしてひとまとめにされる」と述べている。(「経験と判断」河出書房、長谷川宏訳、62ページより)そういったことを絵画で実践したのが、新印象主義のスーラらであろう。つまり我々は我々自身の都合のよいやり方で、現実の複雑さを単純に捉える性向が先験的に具わっているのである。だからあるテクストが偉大であると、捉えたい場合にはそれ以前のものとの伝統的共通性は無視し、ある特異な革新性にのみ注目しがちで、またその差異を強調することで、自己の正当性を力説したり、あるテクストをバイブルとしたりするわけである。フッサールもピアジェもゲシュタルト心理学の理念は念頭においての発言であろうが、このことに対しては一考を要するので後にゆっくりと論じてみたい。その前にちょっと整理しておこう。

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