Friday, October 9, 2009

A言語ノメカニズム 5、スイッチングオン、オフ

 「人生」は意味の世界であり、「生活」は、言語行為、言語思考的行動のカテゴリーから考えると、慣例的、慣用的な反射行動であり、反省をあまり伴わない、所謂概念理解の世界であり、具現化の世界である。「人生」は、思惟と反省を伴う。故に創造的なものへ向けられた試行錯誤と意味の沈殿化作用と受容的な対環境的アプローチであり、生のメカニズムへの埋没である。それに対し、「生活」は埋没へと準備する段取りであり、まさに生活基盤の構築である。しかし忘れてはならないのは、概念的「生活」抜きに「人生」は物理的にも、価値論的にも獲得せられ得ないし、認識出来ないし、体験出来ない。「人生の意味」とは、「生活における概念」の理解と、価値論的解の具現という履行作業を持って初めて、ア・ポステリオリに手中に収められるものなのだ。
 我々はカントの言葉を借りれば「目的の質量たる欲求」において、意思的にも、意志的にも、具現化という履行作業を旨とする社会学的な義務と権利に価値を見出す。その目的と意志の共同作業において、理想を育む。「純粋理想」は概念と意味の一致であり、そこまで行かなくても一応の納得を生じさせる「現実的理想」は意味の世界と概念の世界が分離したままでも、どこか向き合っている、共同作業する余地を見出し得るという状態を確認出来る地点での認識である。「純粋理想」の獲得は人生においてそう容易には果たし得ないが、何らかの限定された価値においては瞬時経験し得る。理解もその一つであるし、何らかの創造的行為(他者への奉仕や社会への利益の還元とかの)の遂行もそうである。
 感情は快・不快によって左右されているが、平静かつその平静さを受容する心構えが難なくし得る地点(快)こそ、免疫学的な「免疫」と無関係ではあるまい。また狼狽と拒否を構成する心構えが条件反射的に呼び戻される地点(不快)こそ、免疫学的な「抗体合成」と無縁ではあるまい。記憶もまた記憶すべき事項と忘却すべき事項の選別が、記憶対象への受容と拒否という二値対極性における振り子的振幅と往復が記憶構成そのものの、忘却をも含めた沈澱化作用を促す海馬記憶と小脳記憶は、前者がエピソード記憶(思い出)、後者が慣用的(言語行為とか、身体運動機能的行為とかの)、条件反射的記憶と関係がある。
 免疫学的受容と拒否は数値的アルゴリズムで写像することが可能であるが、その写像行為を成り立たせる分析誘導型の欲求の性格を分析してみよう。この欲求は、実は生の価値論的論理体系とも呼ぶべき我々自身のア・プリオリな悟性性や理性認識において「感情自体をコントロールすべきである」という常套的理性論への絶対的信頼と慣用及び義務履行における共同体成員自覚と無縁ではなく、この欲求があるからこそ、我々は我々自身を自発的に業務を履行させるべく、社会機能維持とその参画において自己を加担させているのだ、と言える。言語はその時ある歪みを生じさせる。 
 ある事態を歓迎するか、敬遠するかという感情論的選択は大脳神経上のニューロンの点火作用のスイッチングオン、オフの反復であるが、言語が小脳による思考構成的な慣用作業の中で、「この事態は、自己の経験記憶上において、甚だ不快に繋がる要素を多く含んでいる。」という快の事態認識の反転した、同一地における異質要素の発見という、差異認識によって、拒否体勢の準備に入る時、言語的思考は身体行為的臨戦態勢(防御)に入る為に論理的判断をエポケーする。非論理的なものへの埋没が論理に対する感情表出意欲の優先的選択を強いるのだ。しかし我々は曰く快の状態の時、感情の平静化、沈静化に成功しており、この時にのみ、論理的思考を優先させる。食欲、性欲の部類も身体生理学的行為の選択において、非論理感情的表出の優先を命じる。生理的欲求が満たされた後我々は再び論理指向性の優先的選択を履行するのだ。

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